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1970年代の初頭、九州は福岡に伝説のバンドがいた。 その名はサン・ハウス。 米軍キャンプを回りながらブル−スを自分たちのものにし、九州を席巻した彼らはやがて日本のロツクの礎となる。 また、京都を中心に伝説を創り上げていたのが日本のロック史上最強のバンド村八分。 彼らは反体制的な当時のロックのイメ−ジそのままにカリスマ的な存在として君臨していました。 サンハウスが長崎のライヴ・ハウス-カヴォに初めてやってきた日、凄まじいばかりの風が舞ったのです。 薄暗い地下室で体験した燃え上がる情熱と心を揺さぶる衝撃は、間違いなく日本のロックの曙を告げていました。 当時20歳位だった私はサン・ハウスのブル−ス・ロックにぶっ飛んでしまったのです。 山口富士夫のギタ−が燃えた、そして、鮎川誠のギタ−が泣いた。 菊こと柴山俊之の叫びが胸を打ち、そして、村八分やサン・ハウスと一緒に時代が惜しげもなく燃え尽きた。 そう、私にとって日本のロックの原点、それは紛れもなく村八分やサン・ハウスなのです。 また、時を同じくして、関東にはコスモス・ファクトリ−や四人囃子という神がかり的なプログレッシヴ・バンドが登場します。 確実に日本にもロックの曙が押し寄せて来ていました。 ここでは、彼らや彼らの先駆者である村八分や外道、そして乱魔堂といった日本のロックの草分けとなったバンドの歴史的な名盤を取り上げてみたいと思います。  

村八分
サンハウス
外道
四人囃子
ファニ−・カンパニ−
甲斐バンド
フラワ−・トラヴェリング・バンド
乱魔堂
レッド・ウォ−リア−ズ
センチメンタル・シティ・ロマンス


 ライヴ / 村八分

時代が燃えていた、そして、1970年、伝説は京都から生まれました。 ス−パ−・ロックン・ロ−ルギタリスト・山口富士夫率いる村八分がそれです。 そう、まだロックそのものが反体制という象徴として存在し得た、あの時代の伝説の中の伝説こそが村八分だったのです。 激動の60年代後半から70年代へかけては学生運動という嵐が日本中を席巻していました。 永い日本の歴史の中でも、正義の意味がこれほど問われた時代もかつてなかったことでしょう。 今では想像も出来ないほど熱く燃えていた時代だったのですが、当時の村八分は当然ながら反体制、反権力の旗手として崇められていたのです。 もしかしたら、彼らのバック・ボ−ンとなった当時の学生運動のメッカ、京都や京大西部講堂がそう感じられる要因となったのかもしれません。 しかし、彼ら自身はそんな思想的なものを排除しても史上最強のロックン・ロ−ルバンドとして君臨していたといえるでしょう。 村八分というバンド名からして既に差別用語となっておりましたが、その強烈な歌詞や煽動的な雰囲気が常識者たちの反感や顰蹙を買い、当然のように彼らの歌の多くは放送禁止となっていました。 当時は、ロックに関する情報収集の唯一の手段であった、ラジオでのオン・エア−が出来ないということは、それ自体致命的なことだったのですが、村八分にとっては些細なことだったのかもしれません。 危険な香りと抜群の演奏力、そしてカリスマ性。 それは、当時の日本のバンドとしては信じられないことなのですが、王者スト−ンズにさえ肉薄するほど力量を備えていたと思います。 だからこそ、あの時代の伝説として多くの若者達の熱狂的な指示を受けられたのでしょう。 村八分のライヴを観ることは宝くじにあたるよりも難しいと言われたことも、あながち嘘ではなかったのかも知れません。 当時のフロントマンはギタリストの山口富士夫と、ヴォ−カルのチャ−坊こと柴田和志でしたが、私にとっては村八分イコ−ル山口富士夫でした。 兎に角、彼のギタ−のテクニックやけれんみのないリフ、それに情念は凄いのひとこと。 かつてこれほどまでに燃え滾るギタリストが日本に存在したでしょうか。 常識的なものへの反骨、そう、これがロックなんだと臆面もなく言ってしまえるバンド、それこそが村八分だったのです。 日本最強のロックン・ロ−ルギタリスト・山口富士夫が生み出すギタ−リフは、官能的なまでに私たちの感覚を刺激してくれました。 彼らの唯一のオフィシャル・アルバムであるこの2枚組み( 当時のアナログ )ライヴアルバムを聴くと、当時の異常なほどまでにポテンシャルの高い演奏力や、凄まじい熱気、それに、鬼気迫る臨場感が充分に伝わって来ます。 それは、時代を閉じ込めていると言ってしまうには、余りにも刹那的過ぎるのではないでしょうか。 

  有頂天 / サン・ハウス

薄暗い灯りと煙の中で見た始めてのサン・ハウスは異様な迫力があり、そして、恐かった。 菊さんこと柴山俊之の鬼気迫るメイクはグラマラスというよりもショッキングで、その場の空気を平定してしまうほどのオ−ラを発散していたのです。 セクシ−系というよりも明らかにコワモテ系。 30年程の時を経た今も尚、私の脳裏にはその時の鮮烈な印象が焼き付いています。 カヴォという、これもまた長崎の伝説のライヴハウスの中は異様な空気に包まれていました。 冒頭にも書いたとおりに、この時期のサン・ハウスは噂が噂を呼んで既に伝説化しており、 彼らのギグに対する期待は尋常ではなかったような気がします。 70年代の福岡が生んだ最強のブル−ス&ロックン・ロ−ル・バンド、サン・ハウスは、ライヴハウスや米軍キャンプを回って伝説を創り上げていきました。 ブル−スをベ−スにした彼らのロックン・ロ−ルは、刃のような緊張感と凄まじいばかりの躍動感があり、日本のロックの概念と私の固定観念を変えてしまったと思います。 スト−ンズやフェイセスに通じるようなロックン・ロ−ル。 それは、日本人でもここまでやれるということを証明して見せたくれました。 サン・ハウスは、その後の博多発めんたいこロックやJ-ロックの草分けとなったことはいうまでもありません。 しかし、今思い出しても強烈なギグでしたね。 菊さんの猥褻で強烈な歌詞やヴォ−カル。 それは、稲妻に打たれるほどの衝撃がありましたし、ステ−ジ・アクションもカッコ良過ぎるほどカッコ良かった。 衣装のはっぴやマイクの持ち方が決まっているんだよね。 ロッド・スチュワ−トも真っ青といったところかな。 そして、鮎川誠と篠山哲雄の日本人離れしたギタ−・テクニック。 彼らのギタ−は火花が散るような臨場感を創り上げ、うねるような音の波を生み出していました。 ナスティ−・ミュ−ジックの頃のスト−ンズと言ってしまえばいい過ぎでしょうか。 才能はもちろんのこと、米軍キャンプで鍛えられたのであろうその技術は、海外でも充分に通用するものがあったと思います。 そう、彼らこそ日本が生んだ70年代最強のロックバンドといっても差し支えないでしょう。 さて、そんな伝説のサン・ハウスの、これまた伝説的なデビュ−アルバムであり名盤がこの有頂天でした。 この当時のライヴの定番キング・スネ−ク・ブル−スで幕を開けるアルバムは、ライヴほどの毒気はないものの郡を抜く演奏力と迫力に満ちています。 ヤ−ド・バ−スやツェッペリンでお馴染みのトレイン・ケプト・ア・ロ−リンをもじったセクシ−なレモン・ティ−や、これまた、ツェッペリン張りの俊逸なブル−ス・リフを見せる地獄へドライブ等は、彼らの水準の高さを証明していました。 旅への郷愁を誘われる名曲風よ吹けやス−ツケ−ス・ブル−スは、その後、めんたいこロックの旗手として登場してくるモッズの原点になっていた曲だと思います。 壮絶こそサン・ハウスなれど、繊細な美しさもまたサン・ハウス。 これほど強烈な印象を残したバンドはかつてなかったのではないでしょうか。 サン・ハウスは毒をもって毒を征するような猥雑さと衝撃的で破壊的なグル−ヴが魅力。 彼らこそ音楽の持つ危険性を感じさせてくれる数少ないバンドなのです。 魔物が潜む夜こそ彼らの舞台。 まだ聴いたことがない人は、何としてでも一聴をお勧めいたします。 彼らの毒気で感性はおろか脳まで爆裂して下さい。 これが70年代最強のJ-ロックなのです。           









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