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4. レイト.フォ−ザ.スカイ  1974年

1970年代私が通いつめていた カヴォ というライヴハウスで始めて耳にしたアルバムです。当時、ブリティシュ系ロック一辺倒だったのでジャクソンブラウンという名前も、彼がウェストコ−ストのシンガ−ソングライタ−だということも知る由もなかった訳です。ただ、ジャケットだけは私の好きなルネマグリッド風の洒落たデザインだったので、妙に気にかかって いたんですね。 いいジャケットは音もいいと言うのが昔からの定説で一度聞いてみたいと思っていた矢先のことでした。ウェストコ−ストの一流バックミュ−ジシャンを従えて、切々と熱唱する歌声に心引をかれてそれからは毎晩のように聞きまくったのを憶えています。実に素朴で実に単純な音なのですが、郷愁を誘われるとでも言ってしまいたいような心の中へ語りかけてくれる、こんなロックもあったのだと改めて目から鱗が落ちるように感激した私は、しばしの間ウェストコ−スト系の虜と化して彼からつながっていくミュ−ジシャン達を捜し歩いては、聞きまくっていました。ただ、彼ほどの才能には巡り合えなかったのも事実で、あのウャ−レン・ゼボンでさえも彼を越える事はできなかったのですから。時はまだ、自由とか希望とかがけっして虚構ではなく、私達の生き方次第では新しい何物にも囚われない人生が切り開かれるような気がした時代であったわけです。 それはカリフォルニアの憧れと相まって1つの時代をさえ象徴していました。それは正にテイク・イット・イ−ジ−というイ−グルスも歌っていた彼の代表曲によく表されていましたっけ。決して派手なメロディではないのですが心の奥底へ直接響いてくるような彼の歌とバックの流れるような演奏に、今まで知らなかった新しい世界を教えてもらったような気がしました。哀愁のある彼の歌を夜更けにただ一人で聞いていると涙が溢れんばかりでした。しかし、恒に悲しみと対峙しながらでも希望をもっていけるような優しさが溢れていたのはやはり彼の人柄ゆえでしょうね。ちなみに、彼は私が始めて観た外国のミュ−ジシャンでもあったわけです。当時夜行列車に揺られてはるばると東京まで行きましたっけ。 もうあれは確か25年も前の話です。場所は新宿の厚生年金会館だったと思います。その後暫くはカリフォルニアの夢を追い続けていました。


5. タルカス                1971年

EL&Pの作品の中でもプログレッシヴロックの名作と誉れ高い 展覧会の絵と並び賞される タルカス。そのスピ−ド感溢れる演奏と、3人の醸し出すアンサンブルの衝撃に世界のロックファンがが揺れた。そういいきっても過言ではないほどのアルバムなのです。たった3人でこれほどまでの音が生み出せるとは本当に信じがたい事だったので、私は不覚にもずっとオ−バ−ダビングを繰り返していたのだと思っていました。若い頃からクラシックの勉強をしてきたキ−スエマ−ソンの影響があったればこそ、こんなにタイトで寸分の狂いもない演奏が可能だったのではないでしょうか。 デジタル化された現代の録音技術を使えば困難ではないにしろ、この1970年代のアナログ録音の時代にこれほど完璧な音を作られると、もう、後の世代の人達はやんなっちゃいますよね。また、キングクリムゾンから引き抜かれたグレッグレイクのヴォ−カルも、緊張感のある演奏に華を添えて機械的になり過ぎないように優しく歌ってましたっけ。そんな完璧な演奏が次から、次へと展開されて行くのですから凄かったなあ。ジャズの超一流ミュ−ジシャンにも決してひけを取らなかったというよりも、それ以上だったとはっきり断言できます。同世代のキングクリムゾンやピンクフロイドと決定的に違っていたのは、その演奏力の凄まじさが象徴するように、テクニック至上主義ともとれるほどの技術を突き詰めていたことでしょう。 そこにこそ彼らのポリシ−が結実していたのです。まるで、ジャズのミュ−ジシャンのように。超人的な演奏力にこそプログレッシヴな世界があるとキ−スは考えていたのでしょうか、それ以後も展覧会の絵を始めとする驚異的な作品を送り続けてくれました。ステ−ジの上ではキ−スエマ−ソンの奇行ばかりが取り沙汰されましたが、キ-ボ−ドにナイフを刺したりして暴れまくる彼の姿は、私はきちっと計算して演奏力の高さとの絶妙なバランスを取っていたのだと思います。何がプログレッシヴなのかは受けて側の感覚によって随分と異なってくるのですが、少なくとも彼らの演奏力においては誰もがプログレッシヴロックと認めざるを得なかったでしょう。技術も思想になり得ると証明してみせた比類まれなきEL&Pはその後も凄い勢いで走り続けたのです。

6. 明日なき暴走             1975年

1970年代の私というのは好奇心が非常に強いほうだったので、ハ−ドロックも聞けばプログレッシヴもありで、果てはシンガ−ソングライタ−からグラムまでと、生粋のプログレファンやハ−ドロックジェネレ−ションから観れば随分と節操のない人間に映ったことでしょう。 まっ、そういう時代だったんですよねあの頃は。と言うわけで、ブル−ススプリングスティ−ンのこのアルバムですが、私が言うまでもなく傑作です。アメリカの若い世代の日常を時には激しく、また、時には優しく歌い上げるそのパワ−に圧倒され、彼の現実と対峙しながらもまだ希望はあるのだぞという姿勢に共感し、そして、私たちが抱いていたアメリカンドリ−ムと言う言葉がもはや夢でしかないという現実を知らしめてくれ、様々な意味においてアメリカと言う国はまさに自由な国なんだと教えてくれました。ブル−スのギタ−とヴォ−カルに絡み合う、クラレンスクレモンスのサックスと力強くサポ−トするロイビタンのピアノすべてが70年代の夢といってしまうには余りにも美し過ぎたアルバムでした。ロックンロ−ルにボブディランの歌を乗せたような歌い口と、時にはジャ−ジ−に、またある時にはどんなハ−ドロックバンドよりも激しく、マシンガンのように言葉を叩きつけて来るその歌は私たちを高揚させてくれたのです。ロックンロ−ルの未来を見た、その名はブル−ススプリングスティ−ンとまでジョンランド−に言わしめたブル−ス。彼の以後、日本を始めとして多くのミュ−ジシャンが彼のスタイルをマネ、第2のブル−ススプリングスティ−ンが数多く登場してきたのは周知の事実ですね。アメリカであったからこそ生まれた音であり、アメリカであったからこそ受け入れられたのではないでしょうか。なぜなら彼の歌の中で描かれる世界は、あの当時のアメリカの切ないほど身近であり、現実からさほどほ遠くない日常の世界だったのですから。その詩はボブディランを越えたとさえ言われたほど素晴らしく、胸を打つ響きにあふれていましたし、まるで映画の中に入り込んでしまったような気にさえさせてくれたものです。都会で生き抜くことは切ないほど辛く、大変なことなのですが皆が同じ悲しみを共感し合えるロックミュ−ジシャン、それが彼の本領なのでしょう。彼の詩の一節に・・・昼はどうしようもない夢を待ちわび、夜はマシンで突っ走る・・・と言うくだりがあります。成功を夢見てライヴハウスで叩き上げてきたエネルギ−を一挙に噴出させた彼は、本が予想もしなかった程のスピ−ドでビッグになり、そして不幸にもそれ以後の苦悶の日々が待っていたのです。それ故に、もう二度と帰らないと分かっている日々の切なさに彼の思いが揺れていた。 そんな傑作なのです。

7 ・ ジョン・サイモンズアルバム

良きにつけ、悪しきにつけ話題を呼んだ1970年代後半の名盤復活シリ−ズ。何を基準として名盤とするのかは、個々の捕らえ方によって随分評価の基準が違ってくると思うので非常に難しい問題ではないでしょうか。その話題の中心となり皆の羨望の的となったのが、このジョン・サイモンのファ−ストアルバムであるジョン・サイモンズ・アルバムだったのです。私1960年代の後半よりロックを聴きだしてからというもの、このアルバムの存在や、それがとてつもない名盤であるという噂、そして廃盤になっているために手に入れるのが不可能な状態であることなど、正にこのアルバムに纏わる伝説的な話を何度となく耳にしておりました。人間と言うのは不思議なもので、手に入らないとなればなんとしてでも一度くらいは聴いておきたいものだと募る想いだった事を昨日のように憶えています。そもそも名盤復活シリ−ズの企画の発端となったのも、このアルバムに対するロックファンの異常なまでの熱望があった為と聞いておりました。当時はハ−ドロックからプログレッシヴ、果てはブル−スやジャズまでも聴きあさっていた私だったのですが、正直言ってこのアルバムを始めて聴いた時の印象は?だったのですね。余りにも物静かで淡々としている音と霧の懸かったようなウッドストック・サウンドに、少なからず物足りなさを感じておりました。しかし、なんでこれが名盤なのかと悶々として聴き返して行くうちに、その不思議な魅力の虜になっていくのを感じました。言葉では伝えにくいのですが、このジョン・サイモンズ・アルバムをタ−ンテ−ブルに乗せると、暖かな陽射しのような心地よさが次第に心の奥底にじわじわと染みて来て、何ともいえない和やかな気持ちになってしまうのです。ヴォ−カルだってそんなに上手くはない、だけど実に仄々としているんですよね。また、ウッドベ−スの音の絡み具合もとても人間的で素晴らしかったなあ。考えてみますと、凄まじい勢いでシ−ンを凌駕していたロック・ミュ−ジックの中で、こんなにも素朴で人間的な音を包み込んでくれたジョン・サイモンズ・アルバムは、時代の異端児のような奇跡的な作品だったのかもしれないですね。真新しいことは何もないのだけれどあなたの気持ちは大切にして作りましたと言ってくれているようです。彼についてはウッドストックミュ−ジックの立役者という呼び名や、ザ・バンドの生みの親といったイメ−ジが強いのですが、このアルバムに関しては不思議な事にウッドストック録音を行っておらず、ニュ−ヨ−ク、マッスルショ−ルズ、ロスアンジェルス等での録音となっております。でも、流れてくる音はまさにウッドストックなんですよね。わが心のミュ−ジックとでも呼んでしまいたいくらいです。



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