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混沌とした時代の中から生まれでた錯乱と狂気と希望と浪漫の結実、人はそれをキングクリムゾンと呼ぶ。 彼らが私たちに齎したものは余りにも甘美で、衝撃的で、無秩序で、そして、余りにも呪縛的でさえある。 それは、束縛された感性を解放する術となり、新しい世界への道標ともなった。 そう、暗黒からの扉を開いて、目覚める時があの時代に訪れたのです。 私たちは旅立つことの意義を初めて理解した流浪の民のように、風に誘われて歩き出さなければいけなかった。 混迷を自らの墓標名として。 



  クリムゾンキングの宮殿 − 比類稀なき名作

いつだって衝撃的な現実は突如として訪れる。 混沌とした思想が新しい息吹を伝えていた60年代後期、天の果てより舞い降りた巨大な怪物。 その名はキングクリムゾン。 最初にして最後の伝道師となるべく定められた運命を携えて、私たちに希望と挫折、そして光明と暗黒を与えてくれたのでした。 何故に心が揺らぐのか、何故に魂が燃え尽きるのか、何故に感性が触発されてしまうのか。 私たちは数々の命題を抱えたまま彼らと対峙しなければいけなかったのですが、時空さえも越えた彼らとの戦いはこの時に始まったのです。 それは今にして思えば壮大なる序章。 キングクリムゾンという怪物は、私たちが想像した以上に巨大な存在として21世紀の今も息づいています。 そんな、1968年という遥かな時代において、キングクリムゾンの名を世に知らしめたプログレ史上不朽の名作が登場しました。 それが、このクリムゾンキングの宮殿です。 もう言うまでもないほど、キングクリムゾン史上に燦然と輝く名盤というよりも、ロックという音楽を根本的に進化させるきっかけとなった作品でもありました。 そう、このアルバムが開けた暗黒と天上への道は、私たちが認識するキングクリムゾンらしいキングクリムゾンの終焉の作品、レッドに至るまで続いて行くのです。 彼ら、とりわけロバ−ト・フィリップがこのアルバムで意図したのは、私達の深層心理の意識を錯乱させて、純粋な魂と同一化させ、新たな感性を構築させること。 静寂と喧騒、掻き立てられる不安、そして、安堵。 歪められた空間と止まったままの時間。 私たちが、ジャズや現代音楽、ロックやブル−スそしてトラディショナルを混在させて、超絶的なアンサンブルを駆使する集団に翻弄されない訳がないのですから。 そんなバンドがかつてあったでしょうか。 当時のロックファンは、今までにないこの衝撃的なサウンドにショックを隠せませんでした。 ビ−トルズのアヴイ・ロ−ドをチャ−トの1位から引きづり降ろしたことでもそれは証明されるでしょう。 キングクリムゾンはイギリス全土を揺るがし、やがては世界へと飛翔したのです。 まるで預言者の言葉のように。 キングクリムゾンはすべて彼らの思惑通りに私たちを捕らえてしまいました。 クリムゾンキングの宮殿という迷宮に招き入れて。 彼らは従来にない方法論をロックに取り入れることにより、プログレッシヴロックの幕開けを飾ったのです。 私たちは、21世紀の精神異常者に打ちのめされて、エピタフに魅了され、そして、風にかたりてに救われる。 21世紀の精神異常者とは、実はロバ−ト・フィリップ自身のことだったのかもしれないのです。 確かにそのことが、語り継がれる永劫の物語の作者として与えられた称号よりも、彼には似合っているのかもしれません。   

 アイランド − 眠れるキングクリムゾン

サ−ドアルバム、リザ−ドにおいて、狂気と静寂のキングクリムゾンに終止符を打ったロバ−ト・フィリップは、新たな感性の覚醒をこのアイランドに求めたのですが、それは必ずしも成功したとは言えませんでした。 多くの人がそう感じたように、キングクリムゾンのアルバムとしては非常に良く出来た作品ではあるのですが、私たちが求めているキングクリムゾンのパワ−とは何かが違っている。 そんな、戸惑いを覚えた人も多い筈なのです。 それはリザ−ドでの失望や困惑とは明らかに違うもの。 狂気のレベルを正常値まで下げようとする、より柔軟なコンセプトの導入が彼らの魅力を半減させてしまったのでしょうか。? しかし、それでも尚キングクリムゾンとして心擽られる作品であることには違いないのですが。 キングクリムゾンは非日常的な錯乱と幻惑と倒錯を、究極的なものとして感じさせてくれる数少ないバンドであったのですが、その戦慄が希薄なものとしてしか感じられないと思います。 それがこのアイランドにおける困惑の原因でしょう。 圧倒されるような重量感を求めたら肩透かしを食らってしまうのです。 まず、何といってもロバ−ト・フィリップの狂気のギタ−が、非常に目立たないしソフィテイケ−トされ過ぎていると思ったのは私だけではないでしょう。 彼らは詩情を優先したのか。 してみるとこのアルバムにおける主導権はロバ−ト・フィリップではなく、ピ−ト・シンフィ−ルドだったのでしょうか。? 例えば、静かなる弦楽器によって導かれる叙情性を帯びたナンバ−、フォ−メンテラレディやアイランドは、その茫洋とした美しさゆえに彼ららしくない違和感を覚えてしまいまが、それもピ−ト・シンフィ−ルドの詩情のだと考えれば謎が解けてくるのです。 このアイランドという新生クリムゾンの作品は、美意識を持ってその扉を開けてみるとまったく違ったキング・クリムゾンが見えてくる。 それは懐かしいほどの倒錯。 私たちが無くしてしまった何か。 そんな不思議でいて、なおかつ心を優しく揺らしてくれるアルバムだと思います。 シュ−ルな物語を携えて。 そうですね、私としては雨の日にぜひ聴いてみることをお薦めいたします。 何かそれってでもキングクリムゾンらしくはないですよね。  
  太陽と戦慄

まるで、何かの象徴のように描かれた太陽と月。 キング・クリムゾンのこれまでのアルバムの中でも極めてシンプル過ぎるジャケット・デザイン。 それがこの作品の謎を解く鍵だと思います。 巨大化した彼らは新たな時空の大地を目指して飛翔したのではないでしょうか。 無への回帰と扇動。 キングクリムゾンの永い歴史の中でも、この太陽と戦慄はクリムゾンキングの宮殿と並び極めて重要な位地を締めていました。 何といっても、あの詩人ピ−ト・シンフィ−ルドがいないのです。 それは、意外なことというよりも衝撃的な事実でした。 デビュ−以来恒にキングクリムゾンの影の立役者として、この怪物を支えつづけてきた頭脳が消えてしまったのです。  ロバ−ト・フィリップとの確執も噂されましたが、物事はそんなに単純な事ではなかったのでしょう。 おそらくは、ロバ−ト・フィリップの意図した新生キング・クリムゾンは叙情性を排除しようとしたように見受けられます。 ですから、このアルバムではピ−ト・シンフィ−ルドを必要としなかった。 多分それが真実だと思います。 それは、バンドのメンバ−にビル・ブラッドフォ−ドを始めとする、かつてないほど強力な布陣を敷いたことでも納得できました。 ベ−スのジョン・ウェットン、パ−カッションのジェイミ−・ミュ−ア等のメンバ−もキング・クリムソゾン史上最強のリズム・セクションと言えるでしょう。 これまでは、ロバ−ト・フィリップの頭脳を支えるリズム・セクションの弱さが彼らの唯一の欠点だったからです。 それを裏付けるように、この時期の彼らのライヴ音源では驚愕するほどのテクニックと、ライヴとは思えないほどの研ぎ澄まされた感性と、一糸乱れぬ驚異的なアンサンブルを披露していました。 それはもはや神業としかいいようがありません。 ここ数年の間に、まるで意図されたようにこの時期のお宝音源が続々とリリ−スされていますが、それはロバ−ト・フィリップの自信の現れと捕らえるべきなのでしょうか。 既に世界は彼らの手の中に。 混迷を扇動するコンセプトと驚異的なテクニックを手に入れてしまったこの時期のキング・クリムゾンは、プログレッシヴロックの王道を極めてしまったのかもしれません。










 レディ−ス・オブザ・ロ−ド ライヴ-1971年

P・J・Crookのシュ−ルで印象的なイラストに導かれて、私たちはキングクリムゾンのライヴの圧倒的な質感と衝撃的なインプロヴィゼ−ションの世界へと引きずり込まれて行きます。 何気ない日常こそが実はもっともシュ−ルだという。 キングクリムゾン黄金の第1期を飾るこのライヴ・アルバムは、つい最近(2002年末)になってリリ−スされたのですが、彼らの金字塔である21世紀の精神異常者をCDに1枚に渡って繰り広げるという驚異的な2枚組となっていました。 彼らの名声を揺るがないものにした21世紀の精神異常者ですが、いい意味でも悪い意味でも、その後のキングクリムゾンの方向性を決定ずけたといえるだけに、この圧倒的な音源はロバ−ト・フィリップの情念が込められているような気がします。 奇才ロバ−ト・フィリップにしても、この作品だけは無視できなかったということなのでしょう。 しかし、それにしても、キングクリムゾンのライヴ音源は尽きる事がないのでしょうか。 名作レッドともにキングクリムゾンという怪物を眠らせようとしたロバ−ト・フィリップでしたが、結局その巨大さ故に封じ込める事が出来ませんでした。  































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