
果かない夢の探求は、とこしえの謎となる
マイク・ダボ
コリン・ブランスト−ン
マイク・ハ−スト
ピンク・フェアリ−ズ
サ−ド・イヤ−・バンド
ティム・バックリィ−
フラッシュ part−2
マイク・ク−パ−
ブリジット・セント・ジョン
ジョン・サイモン
ブロウドウィン・ペグ
アシュトン・ガ−ドナ−&ダイク
マイク・ダボ
雨の降る静かな日曜日の朝。 時間さえも止まってしまったような瞬間。 そんな時、私たちの胸に去来するのは遠い日々の想い出か、それとも忘れえぬ人の面影なのでしょうか。 いつか見た密やかな想いを募らせてくれるのがマイク・ダボです。 この清楚なたたずまいの中にも、愁いと情感をたたえたアルバムジャケットを見ただけで、多くの人はその内容の素晴らしさを想像するに違いないでしょう。 マイク・ダボのソロ3作目にあたるこのブロ−クン・レインボウズは、そんな失われた夢を求め続けた者達の心の到達点なのです。 その極上の趣はまさに、イギリスらしいなと感じる人も多い筈。 若い頃のロッド・スチュワ−トの歌で有名になったハンドバッグと外出着や、切なく胸を揺らすアルバムタイトルのブロ−クン・レインボウズ、透き通るまでの気品と優しさのあるパパ・ディドゥント・テル・ミ−、そして哀愁を帯びたフュ−エル・トゥ・バ−ン等、聴き終わった後に訪れる優しさと爽やかさは何なのでしょうか。 私たちはそれぞれの感性を彼の世界に任せればいいのではないでしょうか。 ピアノの音を友達に風は夢を遠くまで運んでくれます。 そんな時、崩れた虹もやがては自分のものとなることでしょう。 いつか望んでいたように。 彼が、マンフレッド・マンのメンバ−だったことは熱とに有名なのですが、その後の素晴らしい作品を知っている人は意外に少ないような気がします。 時代の狭間だったことも災いしたのでしょうか。 しかし、この作品にはクラシカルな趣と、感性を優しく刺激する旋律、そして、豊かな知性と気品に溢れ、なりよりもイギリスらしい湿った空気が漂っているのです。 これだけは、是非とも聴いておいてほしい1枚。 そんな1枚が、このブロ−クン・レインボウズなのです。 1974年にリリ−スされ、ご多分に漏れず、ベストセラ−にはならなかったのですが、静かに愛され続けていました。 いま、名盤復活シリ−ズでCD化され喜んでいる人も多いことだと思います。 さあ、素晴らしい想い出の中へと旅立って下さい。 このブロ−クン・レインボウズと一緒に。
コリン・ブランスト−ン
中世の上品な宮廷音楽を想わせる旋律と哀愁が出会う時、コリン・ブランスト−ンの世界が広がっていきます。 こちらの逸品もまたマイク・ダボの作品に決して見劣りしない、幻の名作ワン・イヤ−です。 一編の詩を読んでいくような上品な音楽はブリティッシュならではのもの。 程良いポップなメロディ−と凛としたストリングスが多用され素晴らしい歌を育んでいます。 ビ−トルズのエリナ・リグビ−あたりのストリングスを想像していただければいいのかな。 でも、ストリングス嫌いの方には少し辛いかもしれません。 長い間、名盤としての評価と期待を受けながらなかなかCD化されなかったのですが、やっと陽の目をみることに喜んでいるファンも多いことでしょう。 それにしても、この人たちに共通するイギリス独特の霧のかかたような愁いというのは何と切ないものなのでしょうか。 彼もまた、アメリカのア−ティストではどうしても出すことのできない色彩を持っています。 それは、モネやマネといった印象派の絵画のように物事すべての輪郭を曖昧にしているのです。 ゾンビ−ズではロッド・ア−ジェントやラス・バラ−ド達の脇役に徹していたコリン・ブランスト−ンですが、このソロ・アルバムで初めて思う存分に才能を開花させた感がありました。 そして、名曲、シ−・ラヴズ・ザ・ウェイ・ゼイ・ラヴ・ハ−等旧友のロッド・ア−ジェントやクリス・ホワイトの作品も彼のデビュ−に花を添えていましたし、レコ−ディングには彼らの他にラス・バラ−ドも駆けつけています。 懐かしのゾンビ−ズのメンバ−勢ぞろいといったところですね。 前述のマイク・ダボも佳曲メニ−・ウォント・ユ−・ウァ−ム・マイ・ベッドという歌を提供していました。 しかし、彼にとっての一年間とはいったい何を意味するのでしょう。
マイク・ハ−スト
1960年代中期から、70年代初頭にかけてのレアなブリティッシュ・ロック・ファンであっても、よっぽどの通でない限り、彼マイク・ハ−ストの名前は耳に馴染みがないのではないでしょうか。 そんな彼なのですが、ロック界の夢を司るプロデュ−サ−としての先見の明があったようで、デビュ−前のマ−ク・ボランやキャット・スティ−ヴンスなどをレコ−ド会社に紹介したりもしています。 1970年と1971年に、私小説的で清楚な素晴らしい作品ホ−ムとイン・マイ・タイムをリリ−スしますが、当時は話題にもならずに終わっています。 彼の音楽はトラディショナルにも通じていて、静かなるブリティッシュ・ロックの伝統を受け継いだ、上品で洗練された歌曲集となっていました。 特筆すべきは、心洗われるようなその美しいメロディ−ラインと土の香りの中にも陰りのある情緒でしょう。 草原を渡る風のように澄み切った声が実にいいんだなあ、また。 何処となくニュ−ヨ−クはグリニッジ・ヴィレッジ辺りのシティ・ポップのような雰囲気もありますね。 また、古くからカントリ−・ミュ−ジックにも傾倒していたようで、独特な土臭さがマイク・ハ−ストのもう一面である渋さを演出しています。 そういえば、1964年頃、若き日のジミ−・ペイジと組んでカントリ−・ミュ−ジックのロック・バントをスタ−トさせたこともあるとか。 何か謎が深まるような経歴の持ち主でもありますな。 ソロ・アルバムでのバック・ミュ−ジシャンも、ロッド・ア−ジェント、ジョン・ポ−ル・ジョ−ンズ、ジョン・ロ−ド、イアン・ペイス、ナイジェル・オルソン、クリス・ホワイト等そうそうたる面子が揃っていきます。 またまた、謎が深まりますなあ。 前述の2枚のソロ・アルバムは、歴史の彼方に埋もれてしまいそうな名盤であったのですが、やっとイギリスのマイナ−レ−ベル・エンジェル・エア−からCDが発売され、陽の目を見るようになりました。 日本でも大きなレコ−ド屋さんだと手に入ると思います。 見つけたら、迷わず即買いの1枚ですよ。
ピンク・フェアリ−ズ
少しだけ前時代的な香りもするのですが、ピンク・フェアリ−ズはサイケデリックでシュ−ルなロックン・ロ−ルバンド。 まるで、夢の中でライヴをしているようなフワフワとした浮遊感とタイトな演奏が魅力です。 ストレ−トなロックン・ロ−ルを演ってそうで、どこか少しだけ捻じれているような不思議な感覚に包まれてしまうんですね。 そういえば、クリ−ムのサイケなインプロヴィゼ−ションと重なるような煌めきのフレ−ズも出てきます。 ある意味、1960年代後半の、あの時代の喧騒と芸術と猥雑さと輝きをこの1970年代に於いて背負い込んでしまっているのかもしれません。 そんなところが、妙に懐かしさを感じてしまう所以なのでしょうか。 また、時折グラムな横顔もチラリと見せてくれて程よく悩ましいものです。 考えてみますと、グラムロックが花開く前にグラムロックを、また、パンクロックが登場する前に、パンクロックを演っていた実に先進的なバンドだったのかもしれません。 彼らは、デビュ−・アルバムのネバ−・ネバ−・ランドから、ラストのキング・オブ・オビリビオンまで3枚の作品を残していますが、 其々に個性的で素晴らしい出来栄えとなっています。 但し、リ−ダ−格のあのトゥインクは、ファ−ストだけにしか参加していません。 個人的には、セカンドのホワット・ア・バンチ・オブ・スウィ−ティ−ズが大好きですが、どれをとっても当たり外れはないですね。 特に、セカンドではあのベンチャ−ズの名曲ウォ−ク・ドント・ランやビ−トルズのアイ・ソ−・ハ−・スタンディング・ゼア−を、ファズを効かせたギタ−で大胆にアレンジし、飛びっきり素敵なロックン・ロ−ルに仕上げています。 これがまた理屈抜きでカッコイイんですよね。 彼らがあの時代を代表するバントだとは言えないのですが、エキセントリックかつアブノ−マルでいて何処かしらホッとし、そして、いつもの昼下がりのように心安らぐ素敵な御仁達です。
サ−ド・イヤ−・バンド
風が吹く、その自らの軌跡を残さずに。 古代ギリシャの時代から伝えられている幻想は、何気ない日常の中にこそ潜むもの。 アルベ−ル・カミュの異邦人-その冒頭に示されたシュ−ルな言葉のように。 そして、そんな簡単なロジックに辿り着くまで、人は幽玄の旅を必要とするのだと思います。 闇夜の中の移ろい、そして、聴こえない音。 私たちが想い描く幻想の世界は永遠に閉ざされているのでしょうか。 その答えはサ−ド・イヤ−・バンドという不思議な音楽集団の中に隠されています。 かつて、彼らのことを聴こえない音を奏でるバンドだと紹介したことがありますが、それは、単に観念的なことではなく、人の本能に直接訴えかける音の存在を認知することだとも言えます。 いわゆる第3の耳としての固定観念を破壊してしまう方法論。 サ−ド・イヤ−・バンドの特異な精神は妖しげなチェロやヴァイオリンの音色と太鼓の響きから広がって行きました。 私たちは聴こえない音を聴く為に、己の感性を刃のように研ぎ澄まさなければいけないのです。 第3の耳という比類なき感性を。 聴くという行為にさえ、目的意識を持たせてしまうこと、それが彼らの術なのかもしれません。 1969年、突如として出現したサ−ド・イヤ−・バンドの不思議な音は、前述したような古典的な楽器によって生み出され、単純であるが故に聴くものの感性に鋭く突き刺さります。 また、移り行く季節や切り取られた時間によって、また、自然を支配する天候によって、その聴こえ方が違って来るのです。 信じられないことですが、確かにそれは彼ら一流の魔術ではないでしょうか。 サ−ド・イヤ−・バンドという黒魔術。 私が音に向かい合う時、不規則な旋律と観念を絡め取るリズムを、単純な音楽として片付けるける訳にはいかないような想いに駆られてしまいます。 何故なら、大気の中の不思議な力が私たちに作用するように、彼らの蠢く情念は心までも支配してしまうからです。 それは不安と恍惚の入り組んだ瞬間。 何度聴いても、初めて出会うようなフレ−ズに驚かされ、もしかしたら、同じフレ−ズは永遠に奏でて居ないのかもしれないという不安に駆られてしまうのです。
ティム・バックリィ−
かつてこれほどまでに魂に語りかける歌い手がいたでありましょうか。 ボブ・ディランやバ−ズがボ−イ・ソプラノを持ち、フラワ−ブ−ム真っ盛りの頃のサンフランシスコの情熱を加え、バックでドア−ズがシュ−ルな演奏をしたならば、きっと天才と呼ぶに相応しいア−ティスト、ティム・バックリィ−の夢幻の音楽に近くなるのではないかと思います。 彼の歌声は、感性や感覚や知覚を通り越して、真っ直ぐに、それも驚くほど力強く、本能に訴えかけてくれました。 彼の場合は歌手が歌を歌うという単純な行為ではなく、魂の朗読を、あるいは胸に秘めた思想をメロディ−に乗せて届けてくれるのだと思います。 この澄み切った聖なる音に対峙する時、私たちは素直に、そして、生まれたばかり子供のようにに無力になってしまいます。 かつて、このような新鮮な驚きを経験したことが無かった為に、捕らえどころ無くなす術を失ってしまうのでしょう。 それとも彼が織り成す夢の虜になってしまったのか。 答えは彼の優雅で素晴らしい旋律の中から探し出さなければいけません。 1975年に急逝するという余りにも短すぎた彼の人生の燃え滾るような魂が凝縮された作品群は、何時の間にか汚れてしまった心さえも洗い流してくれます。 私たちが成長する過程において、例えばそれは思春期のように果かなくても、通り過ぎて来た一瞬を感じさせてくれるのではないでしょうか。 ティム・バックリィ−の作品に触れてスコット・マッケンジ−を思い浮かべる人も少なからずいるでしょうが、しかしながら両者は同じ波長を持ちながらも、思想性が対極的なところに位置しているのです。 自由を謳歌し夢を求め続けたフラワ−・ム−ヴメントと、現実と対峙したク−ルな視点との違いとも言えます。 いずれにしても、1966年のティム・バックレィ−と1967年のグッバイ・アンド・ハロ−という名作を残し、風のように去ってしまった彼ですが、今更ながらに再評価の動きが高まりつつあることは果かなく切なくとも喜ばしいことではないでしょうか。
フラッシュ − サイコシンク
忘れ去ってしまうには余りにも刹那過ぎる。 そんな果かない想い出をフラッシュの歴史の中に見い出し、そして、拾い集めてみましょう。 人生の岐路に立つたびに外れクジを引いてしまう不運な人がいると思いますが、ピ−タ−・バンクスもそんな一人に数えられるのではないでしょうか。 考えてみますと、彼がイエスを脱退した後から、この超越的なテクニックと潜在能力の塊であったバンドは、爆発的な人気とセ−ルスを博すことになり、巨大なプログレッシヴバンドとしての地位を固めます。 時は、プログレッシヴ・ロックという斬新で感覚と知性を刺激してくれるジャンルのロックを後押ししていました。 イエスにおける方向性とピ−タ−・バンクスが目指していた方向性は、イエスのセカンドアルバムから離反し始め、彼は脱退を余儀なくされます。 そして、自らがフロント・マンとなり満を持して結成したのがこのフラッシュでした。 イエスにおいて達成できなかったこと − ジャズへのアプロ−チを展開するという目的のもとに創られたバンドですが、ファ−スト・アルバム、フラッシュはプログレッシヴ・ロックを意識し、市場も視野に入れてある傑作であったと思います。 同時代のイエスの不朽の名作、危機にも見劣りせず対抗できるような名盤でした。 ピ−タ−・バンクスのギタ−も折り紙つきで、ジャズに根ざした卓越なるインプロヴィゼ−ションは、玄人筋をも唸らせておりましたね。 ジャケットもヒプノシスが手がけ、新人バンドとしての話題性は充分であったのではないでしょうか。 しかし、イエスの成功に較べると圧倒的な距離を着けられてしまうという実に寂しい結果で終わってしまいます。 残念ながら当時の日本における認知度も今ひとつでしたが、決して忘れ去ってはいけないバンドのひとつではないでしょうか。 彼らは3枚のアルバムをリリ−スして解散してしまいますが、近年、サイコ・シンクといブ−トまがいのライヴ・アルバムをリリ−スしています。
マイク・ク−パ−
夢の中の出来事のように実にレアな音を創ってなさる御仁こそ、まるで大学の教授に見えるマイク・ク−パ−その人であります。 一見、トラディショナルなフォ−ク・ソングと見紛うほどの清楚でシンプルな演奏ですが、いやいや、この人、何か違うぞと想わせる不思議な空気が広がっておりました。 ベ−スは静寂としたトラディショナルなんだけれども、創られている音楽は明らかにシュ−ルな音色に彩られておりますぞ。 う-ん、いかにも一筋縄ではいかない英国楽師。 曲のタイトルにレオナルド・ダ・ヴィンチやリチャ−ド・ブロ−ティガンとか出て来るところなんかますます妖しい。 確かに、ブリティッシュ・トラッドの本筋からは遠く離れた所にいらっしゃいまして、どちらかといえばジャズメンとの交流が多かった人であります。 で、バックもハリ−・ミラ−やアラン・スキッドモアを始めとするブリティッシュ・ジャズの大御所たちが参加していました。 もともと、アシッド系ジャズが好きだったのでしょうなあ。 シンプルかつフォ−キ−な旋律にジャ−ジ−なサックスなどが絡み合う様は、この世のものとは想えない妖しげな雰囲気さえ漂っております。 なにやら、ピンク・フロイド脱退時のシド・バレットのアシッド感溢れるサイケデリックな演奏に近いのかもしれません。 その不思議さ加減といったら、妙に感性を擽られて病み付きになってしまういけない魅力があります。 ご多分に漏れず、68年代のプログレッシヴ革命期にデビュ−を飾り、1970年代前半まで活躍した人なのですが、もっとも輝いていたのはあの幻のド−ンレ−ベル時代でしょう。 なかでも、1970年ド−ンレ−ベルからリリ−スのトラウト・スティ−ルはフォ−クとジャズが見事に昇華した絶品だと思います。 どうしても、聴かなければいけないと言う人ではないのですけれど、知らなかったら何か損したような気になってしまうそんなミュ−ジシャンですね。 考えてみますと、英国にはそういったレアでシュ−ルな御仁が実に多いですなあ。
ブリジット・セント・ジョン
純粋な音楽から生み出された夢が紡がれて行く。 ブリジットの夢、ささやかな愛、そして切ない午後のほのかに甘い香り。 そんな果かない淡雪のような世界では風の音さえも秀逸なメロディ−と成り得るのです。 最初にブリジット・セント・ジョンを耳にした時の、懐かしさを纏った不思議な感覚は一体何なのでしょうか。 彼女もマイク・ク−パ−と同様にフォ−ク・ソングを主体にしているように思えるのですが、究極的なまでに研ぎ澄まされた音が生み出す妖しさと美しさは、そんな単純なカテゴリ−では括れないほどのシュ−ルな空気が漂っています。 まるで千差万別に変化し蜃気楼のように揺れるその旋律は、現実感が希薄なだけではなく夢の中の日常を視覚化してくれるような錯覚を起こしました。 かつてこれほどまでに美しさに彩られた旋律があったでしょうか。 ただ、耳に馴染みがよいというポップスの範疇さえ越えた美しさとは、もはや天上の芸術といえるのかも知れません。 澄み切った旋律の間から雫のようにヴィ−ナスが飛び出してくるようです。 草原を渡る風、朝日の中で輝く光、そして、何処までも澄み切った青い空、そんな、ブリジット・セント・ジョンはイギリスからニュ−ヨ−クへと渡り歩きながら、このテイク・ザ・フィフスという素晴らしいアルバムを残してくれました。 1970年初頭からの75年くらいまでの数年間が彼女の僅かなキャリアです。 アルバムも6枚ほどリリ−スしていますので、決して地味な活動ではなかったようなのですが、物凄くレアなファン意外はブリジット・セント・ジョンの存在にさえ気がつかなかったでしょう。 まさに幻の中の幻の作品といっても差し支えないと思います。 こんな素敵な名盤にはなかなかお目にかかれないので、もし、幸運にもレコ−ド屋さんの片隅で見つけた時には、即買いの1枚です。 何故なら買い逃すと一生後悔することになると思いますから。 美し過ぎることは現実や夢さえも凌駕してしまう、ブリジット・セント・ジョンの音楽とはそんな忘れてしまった幻想を、再び抱かせてくれました。
ジョン・サイモン
きっと白昼夢のように曖昧で不思議な時を共有できる、そんな物語。 ジャ−ニ−とは夢の中への旅に違いないと思います。 ジャズというちょっとク−ルで大人びた友達を連れながら。 のどかで茫洋としたウッドストックの森から飛び出して、放浪の果てに行き着いた先は、憂鬱を携えた人々とネオンに彩られた大都会ニュ−ヨ−ク。 そこでは道行く人たちがほとんど振り返ることがない。 だのに、彼、ジョン・サイモンのジャ−ジ−なピアノにはアンニュイな溜息をそっと包み込むような優しさに溢れています。 まるで雨上がりの暮れ行く空のように。 彼は何故、名作ジョン・サイモンズ・アルバムとはまったく違ったアプロ−チを試みようとしたのでしょうか。 それもジャズという対極的なアプロ−チを。 それは、彼ならではお洒落な遊び心なのでしょうか。? いずれにしてもこのジャ−ニ−は、ウッドストックの香り溢れるジョン・サイモンズ・アルバムとはまったく違った素晴らしい世界を見せてくれました。 それは、10分もの大作、リヴィン’イン・ア・ランド・オブ・サンシャインのスリリングな演奏と情感豊かなインプロヴィゼ−ションに現れています。 もしかしたら、ジョン・サイモンが最初から演りたかったのはこんな音楽だったのかもしれないですね。 ジャズという透明な時間の中で、私たちは彼の魔法にかかってしまったのかも知れません。 ジャ−ニ−という何処かで見かけた風景と懐かしさに包まれた魔法に。