

ジャクソン・ブラウンは子供の様に純粋な感性を持っている。 だから80年代に入り、自分の理想と80年代の若者達の問題意識の欠如に愕然とした。 そして、一時歌う事さえも無意味なことに感じたのだと思う。 彼にとって歌とは世界を変えうるものであったのです。 70年代の若者やラディカルな思想のヒ−ロ−として歩みつづけてきたジャクソン・ブラウンやボブ・ディランやトム・ウェイツ。 今また、彼等の力が必要な時代になって来たと私は思うのです。
ジャクソン・ブラウン
デイヴッド・リンドレイ
グレン・フライ
トム・ウェイツ
ランディ−・ニュ−マン
ボブ・ディラン
フレッド・ニ−ル
ジャクソン・ブラウン−1972年 / ジャクソン・ブラウン
彼は、ウェスト・コ−ストの風のように爽やかな歌と、ラディカルな思想を引き連れて私達の前にやって来ました。 ジャクソン・ブラウンその人の名を初めて聞いたのはとあるライヴ・ハウス。 夢と現実と理想と挫折に揺れていた10代にとって、彼の歌そのものが神の啓示のように希望と勇気を与えてくれました。 そう、彼はまるで太陽のように輝いていたのです。 あの混沌とした時代の中で。 ジャクソン・ブラウンの長い旅は1972年に始まり、そしてカリフォルニアの幻想の崩壊や革新的な意識の衰退と共に終わってしまいましたが、彼が示してくれた道筋を私たちは決して忘れることはないでしょう。 彼の功績はいつまでも心の中に残り続けています。 ジャクソン・ブラウンのデビュ−アルバム、ジャクソン・ブラウンは1972年にリリ−スされています。 名曲ジャマイカ・セイ・ユ−・ウィルで始まるこのアルバムは、ヴェトナム戦争で混迷していた1970年代の初頭のアメリカにおいて、人として生きて行くことの姿勢を示そうとする初々しい姿が伺われました。 彼にとって愛とは思想と同じ意味を持つのです。 それはウッドストックの奇跡的なコンサ−トから数年後のことでした。 時代が少しづつ変わろうとしていたのです。 ジャマイカ・セイ・ユ−・ウィルは恋人のことを歌った歌なのですが、その背後には混迷する時代を打開しようする彼がいました。 一編の小説のように詩情溢れる歌や文体は、それまでの歌になかったような充実感を与えてくれます。 その素敵な歌はカリフォルニアの青い空への憧れとも相まって、私達の胸の想いを心地よく刺激してくれました。 静かなピアノのイントロはまるで大海に漕ぎ出す小船のように、不安を持ちながらも力強い明日への希望に溢れてます。 ジャクソン・ブラウンが他のシンガ−・ソングライタ−と決定的に違うのは、実はこの人間的な葛藤とナイ−ブな心情を包み隠さず自然に出せること。 それは彼にとってマイナスイメ−ジとならず、彼の素晴らしい作品の原動力となっているのです。 アダムの歌の中では、友人の死を現実として対峙する真摯な彼の姿がありました。 淡々としていながらも何処となく哀愁を帯びて非常に力強いこの歌は、悲しみとの距離の測り方を私たちに教えてくれます。 それは彼の根源的な悲しみに通じるものなのでしょう。 そんなところにも、ジャクソン・ブラウンの優しい眼差しとカリフォルニアの幻想が重なり合ってしまうのです。 そして、彼のもうひとつの悲しみはマイ・オ−プニング・フェアウェルの切なさに集約されていました。 このアルバムの最後を飾る名曲は、絹の糸を織り込んでいくような女性に対する心情を見事に歌い上げています。 溜息の出るような新鮮さと、まだ成熟する前の初々しさと迸る感情を閉じ込めて旅に出る、そんな前向きな姿勢がこのジャクソン・ブラウンのファ−スト・アルバムなのだと思います。
フォ−・エブリマン−1973年 / ジャクソン・ブラウン
思想が成熟していく過程というのは決して目に見えるものでは無いのではないでしょうか。 むしろ、静かな夜明けのように何時の間にか気がついたら私達の世界を照らしているのです。 ジャクソン・ブラウンの歌もまたそのように、自然に私たちを彼の世界へと導いてくれました。 デビュ−・アルバムではまだ少しばかりのぎこちなさも感じられた彼も、このフォ−・エブリマンからは確固たる姿勢を見せ始めます。 ここには自らの使命を感じて少しづつでも前へと進もうとする彼がありました。 夢を夢で終わらせない為に私たちがしなければいけないこと、もしかしたらそれこそがこのアルバムの命題であったのかもしれません。 1973年という時代はあらゆる意味で転換期の時代であったのかもしれないのですから。 盟友であり、イ−グルスのフロント・マンでもあるグレン・フライと競作したテイク・イット・イ−ジ−で幕を開ける、このフォ−・エブリマンはその歌そのままに1970年代のカリフォルニアを象徴していました。 軽快な旋律と爽やかなハ−モニ−。 イ−グルスも歌い大ヒットしたこの名曲は、ジャクソン・ブラウンに私たちが求めるすべてのものを包み込んでいるようでした。 まだ幻想でありえたウェスト・コ−スト・ミュ−ジック。 遥かな日本からすれば、それは憧れ以外のなにものでもなかったのですが。 雑誌の中に憧れのカリフォルニアを見つけていたのは私だけではない筈です。 私たちは風を感じるようにジャクソン・ブラウンを感じていました。 ですから、21世紀になった今でも、何かに疲れてしまった時にはこのテイク・イット・イ−ジ−を聴きたくなってしまうのです。 アワ−・レディ・オブ・ザ・ウェルからカラ−ズ・オブ・ザ・サン、そして幼かった私へと続くミディアムテンポの歌は、まさにジャクソン・ブラウンの成熟した思想と感性を感じることができました。 流れるような美しさと切なさを秘めた彼らしい旋律は、希望を持つことの喜びと光を与えてくれるのです。 何か神がかった表現になってしまいましたが、彼の持ち味はやはりこんなバラ−ドでこそ生きてくると思いますが如何でしょう。 また、特筆すべきはこのアルバムからジャクソン・ブラウンの最良のパ−トナ−となるデイヴッド・リンドレイが参加したことではないでしょうか。 何故なら、彼の弾くスティ−ル・ギタ−やフィドルが、ジャクソン・ブラウンの歌を形作る上で無くてはならないものであるからです。 彼のフィドルは本当に切ないのひとこと。 アルバム全体の評価を決定ずけるような秀逸なバック・アップは、デイヴッド・リンドレイだからこそといえるのです。 良き友に囲まれたジャクソン・ブラウンの旅は順風万反のように思えておりました、まだこの時までは。 それが、フォ−・エブリマンだったのです。
レイト・フォ−・ザ・スカイ−1974年 /
ジャクソン・ブラウン
過ぎ去ってしまった日々は決してもとには戻らないのですが、その時が存在した確かな証は私達の心の中に想い出として永遠に生き続けていきます。 時の経過に驚くよりも、それを受け入れていく事こそもっとも大切なことなのではないでしょうか。 私たちがジャクソン・ブラウンから教わったことや、一緒に生きてきたあの頃の現実は決して色褪せることはないと思うのです。 ジャケットに描かれた明るい空の下に広がるまだ闇に閉ざされた世界、それは閉鎖的な状況にあっても光を求めようとする当時の心の現れのように感じました。 1974年という年はカリフォルニアミュ−ジックにとっても、また、ジャクソン・ブラウンにとっても大きな流れの分岐点にあたっていたのではないでしょうか。 それでもなお、彼の歌には永遠の響きや優しさや現実を捉えることのできる純粋な視点に満ちていました。 それはあの、希望と絶望を両手に持っていた時代だったからこそ生まれ得たのかもしれないと思うのです。 遥かな時を隔てた今になってこそそういう強い想いに苛まれました。 ジャクソン・ブラウンとは私にとって永遠の想い出。 多分音楽という関係を超えてしまったただひとつの例だと思います。 それは、懐かしい空の下で甘く切なく揺れていました。 今でも、彼のコンサ−トを見るために夜汽車に揺られて東京まで行ったことが、昨日のように浮かんでくるのです。 おそらくは20世紀最高の名盤と誰もが認める傑作アルバム、そしてカリフォルニア・ミュ−ジックの夢と現実感を併せ持つ至宝であり、ロックが始めて詩情豊かな表現を持ち更には思想の域にまで達することが出来た作品だと思います。 それも極めて自然に。 そう、ジャクソン・ブラウンの最高傑作であるレイト・フォ−・ザ・スカイには、どんな言葉さえも空しくなってしまうほどの輝きと素晴らしい旋律がありました。 聴く人によって感性を触発てしくれる至福の極みとはこういうアルバムのことを指すのでしょう。 あの、デイヴッド・リンドレイの奏でる悲しみと優しさに溢れたスライド・ギタ−に導かれレイト・フォ−・ザ・スカイが静かに幕を開けます。 その歌は力強くも哀愁に彩られ切なく胸を焦がしてくれました。 内面の優しさや静かなる情熱を燃え滾らせながらも、凛として現実に立ち向かう姿は圧倒的な清々しさに包まれています。 そんな彼の代表作のひとつであるレイト・フォ−・ザ・スカイは、ジャクソン・ブラウンの名声を世に轟かせた名曲であったのではないでしょうか。 バックのメンバ−もデイヴッド・リンドレイを筆頭に固定してきて、よりタイトで重厚な演奏を聞かせてくれました。 悲しみの泉、ファザ−・オン、ザ・レイト・ショウと続く独特なうねりのあるリズムと力強い歌は、彼の成熟した感性と充実した実力を示してくれるものです。 また、このレイト・フォ−・ザ・スカイと対を成すラストのビフォ−・ザ・デリュ−ジがこのアルバムの核として最後を締めくくっています。 ただ、愛を唱えるだけではなく人類への痛烈な警鐘となっているこの作品は、この時期の彼自身のラディカルな姿勢をもっとも表しているものでしょう。 もうお分かりだと思いますが、彼の歌は二度とは戻らない刹那的な美しさに包まれているからこそ、その輝きが愛しく感じられるのではないでしょうか。
そして、ファ−ストアルバムから始まったジャクソン・ブラウンの三部作はレイト・フォ−・ザ・スカイで完結いたしますが、後にも先にもこの3枚のアルバムを越えるような作品は見当たりませんでした。
プリテンダ−・−1976年 / ジャクソン・ブラウン
人は夢を目指して進んできて、何時の間にか違う世界に入り込んだことを気付いた時に戸惑いを隠せないものだと思います。 ジャクソン・ブラウンの4枚目のアルバムにうあたるこのプリテンダ−が抱えている重苦しさは、そんな理不尽な困惑とそれでもなお理想を見失うまいとする心の葛藤に溢れているからでしょう。 私たちがこのアルバムにまず感じたことは言い知れ様の無い閉塞感でした。 ウエスト・コ−スト・ミュ−ジックの貴公子として爽快な風を受けながら光輝いていた旅路も、道を間違えてしまったのではないだろうかという不安に苛まれると、それまでの努力がすべてが徒労のように感じてしまうからです。 ジャクソン・ブラウンは時代の流れに上手に乗っていくには、木の葉に光る水玉のように彼自身が余りにも純粋過ぎました。 周りが変わり行く中でも必死に踏みとどまろうする姿や、時流の中で孤立していくことが閉塞間を齎したのだとしたら、それはとても皮肉なことだと言わざるを得ません。 彼自身の戸惑いは私達の戸惑いでもありました。 そしてもうひとつ、言い知れ様の無い悲しさと荒涼とした空気の原因は彼の最愛の妻の死によるものだと思われます。 この事件が彼のミュ−ジシャン活動に重大な影響を与えたことは間違いないでしょう。 忘れもしない、1977年に彼が始めての来日を果し新宿厚生年金会館のステ−ジ上で、ライブのさなかに抱きかかえて観衆に紹介した愛し子フリオこそ、この妻との間に生まれた子供だったのではないでしょうか。 もう随分と大きくなっているのだろうな。 さて、このプリテンダ−ですが、確かにひとつひとつの歌を取り上げると、ヒュ−ズやプリテンダ−にしても、あふれ出る涙や我が子よにしても、実に良く出来ていると思います。 しかしながら、何かしら欲求不満のような状況に陥ってしまうのは何故なのでしょう。 彼自身の歌にしても、バックの演奏にしても、情念とかオ−ラとかいった私達の感性に直接訴えかけてきてくれる、ジャクソン・ブラウンのジャクソン・ブラウンたる力強い気迫が感じられないのでした。 心の隙間が充分に埋められていない事がそう感じさせるのでしょうか。 彼には洗練という言葉は似合いませんから。 という訳で初期のジャクソン・ブラウンの作品の中では、私自身1番聴き込んでいないアルバムなのですが、それでも通常のレベルを遥かに超える名盤であることには変わりはありません。 彼に対しては私たちが掲げるハ−ドルが高すぎるのですね。