もしかしたら、現実なんてみんな夢なのかもしれない。 誰もが経験したことがあるあの昼下がりのまどろみの心地よさ。 その瞬間、私たちは不思議な幻の中で浮遊し、泡沫の夢を見て微笑んでいます。 夢に揺れて夢に彷徨う。 このままずっと、まどろんでいたいのですが、それは所詮叶わぬ恋のようなもの。 やがて目が覚めてしまったら、夢の余韻を引き摺りながら現実に拘束されてしまうのです。 でも、もしかしたら、本当は夢の中にこそ真実の世界が隠されているのかもしれないですね。 さあ、みんな夢の中でお昼寝パラダイス。


ケヴィン・エア−ズ
ニック・ギルダ−ブライアン・イ−ノ
ラヴィン・スプ−ンフル
21世紀の天使  ストロ−クス
ア−ス&ファイヤ−
エミット・ロ−ズ
ニルヴァ−ナ&パトリック・キャンベル・ライオンズ
ラヴ&ミレニウム
レイ・デイヴィスキンクス  

ジョナサン・リッチマン&モダン・ラヴァ−ズ&ルビナ−ス 
ヴァンダイク・パ−クス 
ロニ−・レイン&スリムチャンス  以下近日登場
クラトゥ−
ジョン・ケイル
オレンジ・ジュ−ス

   ケヴィン・エア−ズ

元祖お昼寝パラダイスの大御所、それがケヴィン・エア−ズお兄さんでした。 まてよ、21世紀の今は、もういいおじさんの筈だったかな。 そんな彼の創作する夢のような旋律は一種独特なケヴィンワ−ルドを形成していました。 茫洋としてたおやか、そして流れ行くまどろみと幻のような時間。 私たちはまるで魔法にかかったようにのんびりとした彼の音楽に虜にされてしまいます。 それは、カンタベリ−の饒舌な香りを秘めて、少しばかりの気品と気だるさに溢れておりました。 いかにもダルくて眠たそうなケヴィンの声は、私達の根源的な欲求を満たしてくれるかのようです。 暖かな午後の昼下がり、ウトウトとしながら聴いていくと最高ですね、といったら彼に大変失礼になるでしょうか。 勿論、鋭い切っ先のような鋭利な歌もありはするのですが、それとて彼のダルなイメ−ジを変えるまでにはいたっておりません。 どうやら、不思議なケヴィンワ−ルドは、すべてのものをまどろませてしまうのかもしれませんね。 そうだね、ル−・リ−ドを地中海のリゾ−トにでも連れてきて、レコ−ディングさせたらもしかしてこんな歌を歌ってくれるかもしれません。 そんな素敵なケヴィンおじさんは、一時、スペインのイビサ島にずっと引き篭もり、夢の中を地で行くような世捨て人の生活をなされていましたが、最近、また活動を開始されたとの、ファンにとっては非常に有難いニュ−スも届いております。 このイビサ島にはソロア−ティストになった直後から入り浸っており、よっぽどのお気に入りの場所であったのでしょうね。 さて、時は1960年代の末期、鬼才デヴィッド・アレンやロバ−ト・ワイアットらと前衛集団ソフトマシ−ンの創設に関わることになります。 そのソフトマシ−ンで斬新なジャズロックやプログレッシヴロックを構築しながら、直ぐにそこから飛び出して不思議なケヴィン・ワ−ルドを開拓していきました。 どうやら、ジャズへの傾倒を強め始めたソフト・マシ−ンは彼の望むものではなかったようです。 確かに彼の場合はジャズのコンセプトよりも、アヴァンギャルドなポップスの方が似合っていました。 そんな彼の思惑により操られた音楽は私たちに泡沫の夢の世界を見せてくれたのです。 でも、もうあれから30年余りの月日が過ぎ去ってしまったのですね。 早いものだ。 このソロデビュ−当時の1970年前後の時期には、名作-月に撃つ-や-バナナ・ム−ア等を始めとする多くの傑作をリリ−スしています。 その後も1974年の夢博士の告白や1975年のスウィ−ト・デシ−ヴァ−、1978年のレインボ−・テイク・アウェイ等の傑作をリリ−スして暫しの隠居生活に入るわけです。 とは言えその後も結構コンスタントにアルバムをリリ−スしており、つまるところ、その茫洋とした音楽とは裏腹に結構マジで仕事熱心なお方なのかもしれません。 

 ニックギルダ−&ブライアン・イ−ノ

エレクトリックポップなサウンドに乗って夢の中を飛び続けましょう。 それは、果てしない夢旅行。 できることならば、私たちが遠い昔に置き忘れてきたものを探し出すまで飛びつづけていたい。 そんな気持ちになることって誰しもあるでしょう。 ニックギルダ−が生み出す心地よいエレクトリック音楽は、私達の遺伝子に直接働きかけるような刺激に満ちています。 それは、天才ブライアン・イ−ノも同じ事。 彼らはまるで未来からの使者のように電飾に彩られた泡沫の夢を届けてくれました。 ニック・ギルダ−のヒステリックな声さえも、計算し尽くされたようにエレクトリック・サウンドにマッチしています。 あの、全米NO・1に輝いた、ホット・チャイルド・イン・ザ・シティの高揚感と美しさを何と表現したらいいのでしょう。 そこには、未来の美しい音楽の一端が垣間見えたような気がいたします。 おそらくこの歌は、彼の最高傑作というよりも、1970年代後半の電飾ベスト・ソングといっても差し支えないでしょう。 ブライアン・イ−ノもまた伝説のロキシ−・ミュ−ジックから飛び立って、自らの電飾の夢の中に入り込んでしまった一人。 一世を風靡したグラムロックの幻影と虚栄に溺れる事無く格調高い作品を送り続けてくれました。 そんな彼の名作、ヒア・カム・ザ・ウォ−ムジェッツやト−キング・タイガ−・マウンテンでは、内証的な表現の証としてエレクトリックサウンドに彩られた煌びやかな旋律を生み出していました。 何とも心地よいサウンドとシュ−ルな響き。 そこには音楽としての根源的な悦楽が潜んでいるのです。 また彼の場合は、その手の先進的なミュ−ジシャン達との交流も盛んに行い、彼を中心とした一大コミュ−ンまで創り上げていましたね。 アンビエント・ミュ−ジックを最初に創生したのも彼。 アンドロイドは電気羊の夢を見るか-そう映画・ブレ−ドランナ−の雨にぬれたネオンの街ように、妖しく揺れる偽りの光たち。 まるで、彼らの音楽のように。 ニックギルダ−とブライアン・イ−ノは、それぞれ違ったコンセプトを持ちながら、1970年代というリアルな時代の中で煌めいています。 彼らが追求してきたのは恒に夢を電飾された音楽で形成するということ。 私たちは、その刹那的な虚構の中で弄ばれるだけ。 でも、それが本望と感じてしまうのは一体何故なのでしょう。 

  ラヴィン・スプ−ンフル

昔、グリニッジ・ヴィレッジの青春という名作映画がありました。 監督は確かピ−タ−・ボグダノビッチだったと思います。 私の記憶が確かなら封切りは1970年前後だった様な気がしますがさてどうでしょう。 何故こんな話をしたのかというと、その東海岸の学生の街グリニッジ・ヴィレッジにもっとも似つかわしい音楽となると、ラヴィン・スプ−ンフルかもしれないと思うからです。 彼らは、古き良き時代のアメリカの夢と希望を音楽に乗せて優しく歌ってくれました。 ザル・ヤフノスキ−やジョン・セバスチャンという名前に懐かしくも切ない郷愁を憶えるのは私だけではないでしょう。 最近またCMで使われて脚光を浴びた軽快な魔法を信じるかいや、うれしいあの娘、絶妙な浮遊感と優しさのディ・ドリ−ム、心に決めたかい、といったいかにも彼ららしい歌の数々は、ラヴィン・スプ−ンフルしか生み出せないような優しさと暖かさがありました。 それはあの時代の夢の形とといってしまっても差し支えないかもしれません。 ちょっと大人びて、それでいて親しみやすさも忘れないラヴィン・スプ−ンフル。 例えば、昼下がりの午後にお茶や旨いコ−ヒ−と一緒に楽しみたい逸品なのです。 ヤンガ−・ジェネレ−ションなんてその典型的な歌。 そんな時の、ラヴィン・スプ−ンフルの音楽は洒落た雰囲気とインテリジェンスを感じさせながら、何ともいえない不透明な空気とグッドタイム・ミュ−ジックに包まれていました。 あの異国情緒は一体何なのでしょう。 彼らの霧のかかったような不思議なヴォ−カルやコ−ラスに心温まる思いを抱くのは私だけではない筈です。 あの時代の良質のフォ−ク・ミュ−ジックというよりも、ボサノバやカリプソやブル−スをラヴィン・スプ−ンフルというフィルタ−を通して彼ら独自の音楽へと作り変えていました。 懐かしさとあの時代の香り。 それは、まだ希望を持ち続けられていた頃の大切な想い出と重なって、私たちを切なくさせてくれます。 まさに、愛すべきラヴィン・スプ−ンフル。 彼らの音楽は年月が過ぎ去ったとしても私達の心に永遠に残りつづけていくと思います。 

 ストロ−クス・21世紀のアンニュイな天使-彼等はニュ−ヨ−クから飛び立った

それはヴェルベット・アンダ−グラウンドやドア−ズの幻影かそれとも神がかり的なテレヴィジョンの生まれ変わりなのか。 21世紀になって突如として現れたストロ−クスは現代が生んだ奇跡といえるでしょう。 私は彼等の刺激的で感性を触発してくれる旋律や、狂気を秘めた素晴らしい音楽の中に1970年代の幻影と夢を感じてしまいます。 その懐かしい香りに胸が熱くなるのはおそらく私だけではないでしょう。 火花を散らすように延々とリフを刻むギタ−はヴェルベットじゃんと、また、タイトなドラムに絡みつく退廃的なリズムと洗練された旋律はテレヴィジョンだあと、1970年代のロック小僧には涙なくして語れない。 時折見せてくれるヴォ−カルは、ああ、何ということかトム・ヴァ−ラインそのものではないですか。 溜息。 そして、21世紀まで生き延びてきたおじさんたちはストロ−クスの出現に幸せをかみ締めているところです。 でも本当にストロ−クスが届けてくれた夢のような世界は素晴らしすぎる。 ニュ−ヨ−クという街はまた傷ついた天使を生んでしまったのか。 ザ・モダン・エイジという歌の美しさは研ぎ澄まされた刃のよう。 そして、ヴァレリ−・リ−ガルは白昼夢。 サム・ディは遠い街角で見かけたデジャ・ヴュ−。 このアルバムに納められた11の物語は11の幻惑を生み出してくれました。 何故今なのか解かりませんが、彼等は彗星が飛来するようにこの世界に現れたのです。 天使が舞い降りた日、今を現実に感じながらまるでタイムスリップしたような感覚の心地よさ。 ストロ−クスはあの時代に確かに存在したアンニュイな香りを数十年ぶりかで思い出させてくれました。 本当はこのペ−ジに取り上げるには余りも新しすぎるバンドなのですが、ストロ−クスの中に脈々と息づいている音楽は、紛れもなく1970年代の音なのですからお許しいただきたいと思います。 さて、溜息ばかりついていては話になりませんが、いかんせん私が購入したのが輸入盤と言うこともあり、彼等に関する情報は皆無でありましてお恥ずかしい限りです。 誰か詳しい事を知っている方がいらっしゃったら教えていただきたいですね。 ただ、ストロ−クスの場合は音がすべてを物語っていました。 煌めきながら深遠の底へと落ち込んでいくフレ−ズや、正常な感性を見事に幻惑させてくれるサウンドはとても魅力的なのです。 これが1970年代の香り。 彼等の音に虜になってしまったらノ−マルな生活なんてバカらしく思えるかもしれません。 アンニュイと夢を携えて現代に蘇ったストロ−クス、それは私たちが長い間待ちつづけていた音なのかもしれません。 さあ、みんなしてストロ-クスの幻の世界へと旅立ちましょう。 

   ア−ス&ファイヤ−

1970年代の音楽を懐かしむ方々ならばきっと憶えていらっしゃることだろうと思いますが、一時旋風の如くアメリカやイギリスそれに日本をも席巻したダッチ・サウンドブ−ムというのがありました。 一番有名だったのはショッキング・ブル−というバンドで、今でも数年ごとにリバイバル・ヒットするヴィ−ナスや悲しき鉄道員、グッド・サリ−、ショッキング・ユ−等のヒットがありました。 そのショッキング・ブル−に続くダッチ・サウンドの雄として注目を集めていたのがこの ア−ス&ファイヤ−です。 ただ、前述のショッキング・ブル−と彼等が決定的に違っていたのはそのプログレッシヴロックに限りなく近い方向性や先進的なサウンドでした。 ア−ス&ファイヤ−の場合はシ−ズンという超メガヒットの名曲があったものの、あくまでもポップグル−プのコンセプトからは離れたところに位置しています。 それは彼等のジャケット・デザインをあのロジャ−ディ−ンが担当していた事ことでも明らかでしょう。 私には、ロジャ−ディ−ンが描いたこのア−ス&ファイヤ−のこの作品は、イエスの数枚のジャケットやグリ−ン・スレイドのデザインと並ぶ大傑作であったと思います。 ただ、あくまでもオランダの出身らしくと言ってしまえば御幣がありますが、サウンドや思想的に確固たるものを打ち出すことには固執していませんでした。 その意味でア−ス&ファイヤ−のサウンドは非常に耳に馴染みやすく、気軽に楽しめるハ−ドなプログレッシヴ・ロックになっているのです。 だだ、アルバム全体を包んでいるのはやはりオランダらしいプログレスな香り。 イギリス特有の暗く重たく淀んでいるような感性とは若干違うのです。 雲の切れ間から光が差し込んでいるような風景。 それがア−ス&ファイヤ−の世界だと思います。 特に先程も述べた名曲シ−ズンは、神聖でシュ−ルなブログレッシヴロックの香りと爽やかで程よいポップフレ−バ−が効いた1970年代の傑作 と呼べるものでした。 日本でもかなりヒットしましたので憶えておいでの方も多いことでしょう。 今聴いてもイントロのあのぞくぞくするような感覚は溜まりません。 私は確か高校生の時だったと思いますが、彼等のこのシングルばかりを繰り返し聴いていた時期がありました。 そういえばア−ス&ファイヤ−の音楽性は、あの思春期の微妙な時期に見事にフィットするような感性に溢れていたんですよね。 

  エミット・ロ−ズ

もしかしたら、このアルバムは20世紀最大の名盤ということになるのかもしれません。 そんな素敵なアルバムを届けてくれたエミット・ロ−ズは誠実な天使のような人。 晴れた空のように輝く。 そして、その旋律は、そよ風のように限りなく優しくささやいている。 彼は私たちがポップミュ−ジックに求めるすべてのものを持っていました。 理屈抜きで聴きたくなってしまうという饒舌な旋律は、無条件で幸せな時間を約束してくれます。 まるで、ビ−トルズのように。 考えてみると、それがポップスの原点なのでしょうね。 彼は心の中に虹を架けてくれる人なのです。 その美しい音に触れていると、白日夢のように移ろいながら過していた日々が浮かんできました。 30年前、とある1月の雨上がりの日、輸入盤のハ−ゲンセ−ルの会場で私は不思議なジャケットのアルバムと出会います。 数年前にロック雑誌で見かけたことのあるそのアルバムはエミット・ロ−ズの作品でした。 何となく気にはなっていたものの買うまではなかったのですが、その時は妙に惹かれてしまい買って帰ったのです。 そして、彼の優雅な音楽に触れてみて私はびっくりしてしまいました。 何と詩情豊かなメロディ−と夢のように優しい歌であったことか。 1曲目のウィズ・マイ・フェイス・オン・ザ・フロア−のピアノのイントロの格調に溢れて何と流麗なこと。 余りの清楚な美しさにおもわず溜息さえ出てきそうでした。 ロックが頂点を極めつつあった1970年代に於いても、ここまで完璧なポップスというのはそうザラには見当たりません。 真の名盤とはこういうアルバムのことを呼ぶのです。 シ−ズ・サッチ・ア・ビュ−ティ−やロング・タイム・ユ−・シ−、それにフレッシュ・アズ・ア・ディジ−の素晴らしさも言葉にならないほど。 この時代にこれだけ完成されたポッブスを創りえたエミット・ロ−ズとは一体どういう人物だったのでしょう。 彼についての情報があまりにも少なすぎるので私たちはただもどかしいばかりです。 遅れて来たビ−トルズ世代の代表エミット・ロ−ズは、その素晴らしい作品とは裏腹に商業的な成功は納めませんでした。 何とも切ない話ですが、あの時代にはそんな不条理な事が日常茶飯事でしたので仕方のないことでしょう。 でも、彼が見せてくれた夢の続きは今でも私達の想い出として輝いています。

 パトリック・キャンベル・ライオンズ&ニルヴァ−ナ

過ぎ去った夢を拾い集めてひとつのアルパムに纏めてみました。 それがニルヴァ−ナという幻惑の世界。 パトリック・キャンベル・ライオンズ率いるニルヴァ−ナは、早熟過ぎたと思われる優れた感性と上品な香りを漂わせて、幻惑された時代を通り過ぎて行きました。 ヨ−ロッパ貴族のように煌びやかさと哀愁を携えて。 それは、見るはずのない夢。 私たちが幻想と呼んでいる移ろいをおぼろげな形にして見せてくれるのです。 ノスタルジックな音楽にシュ−ルな感性を注ぎ込む事、それが彼等の極めて重要なコンセプトになっていました。 そして、それはとても自然に実行されたのです。 ニルヴァ−ナの創る優れたメロディ−ラインは、出会った人達の誰もを永遠の虜にしてしまいました。 一度でも、彼等の音楽の魅力を知ってしまうともう離れる事が出来ません。 ポ−ル・マッカ−トニ−の優雅な旋律に、ノスタルジックな想い出を加えて淡いヴェ−ルで包んでしまうと、ニルヴァ−ナの美しすぎる音楽の出来上がり。 彼等の場合ノスタルジックなソフトロックとか実験的なプログレッシヴロックとか、はたまたサイケデリックポップとか様々な呼ばれ方をしますが、その素晴らしい作品の前ではそんなことはどうでもいいことに思えてしまいます。 そんな1967年から1968年に架けてのアイランド時代の歌には、彼等の秀逸な作曲者としての原点が凝縮されていました。 セカンドアルバム、オ−ル・オブ・アスに納められていた、レインボ−クラッシャ−の眩暈を覚えそうな優雅さは一体何なのでしょうか。 この時代にこれだけの名曲を作ってしまったパトリック・キャンベル・ライオンズは、やはり天才と呼ばねばならないでしょう。 ビ−トルズやツェッペリンがロックの時代を登りつめ横臥を極めていた頃、その影でこんなにも美しく素晴らしい世界が構築されていたなんてなんという奇跡なのでしょうね。 運命とは過酷であり、そして、寛容でもあるという言葉を改めて想いおこしてしまいます。 人は想い出だけでは生きていけないのですが、想い出無しでも生きてはいけない。 彼等の音楽に触れているとそんな哲学的なことを考えてしまいます。 あるときは1950年代のロマン溢れる映画であり、またあるときは古きよき1960年代への郷愁。 ニルヴァ−ナは私達の夢のような願望を音楽という形にしてくれるのかもしれません。 それは誰しも望んでいることなのでしょう。

  ラブ&ミレニウム

1960年代後半のアメリカ西海岸におけるフラワ−ム−ヴメントは、今にして思えばあの時代にだけ存在する事を許された夢のような現象であったのではないでしょうか。 愛と自由と希望が光り輝くように花開いた一方で、ベトナム戦争による暗い影や平和に対する様々なアプロ−チが錯綜し、芸術においてはかつてないような混沌とした状況を生み出していました。 そして、スコット・マッケンジ−の名曲花のサンフランシスコやママスパパスの夢のカリフォルニアに代表されるように、音楽の世界で初めて思想的な背景が統一されたコミュ−ンを形成し、全世界の音楽の本流に一大革命を齎したのです。 ラブとミレニウムは、そんなフラワ−ム−ヴメントから誕生した正統派のフォ−ク・ロックバンドでした。 ラブはカリフォルニアサウンドの申し子のような爽やかなフォ−クロックを奏で、フラワ−ム−ヴメントのグル−プの中でも極めて正統派の音楽を聴かせてくれるバンドであったと思います。 透明感に彩られたその音楽は夢と希望の象徴のように聴こえますが、よく聴き込むとその不思議な旋律とシュ−ルな歌に幻想的な背景が感じられました。 まるで夢と絶望が裏返しとなっているような不安感をそそられるのです。 それはリ−ダ−でありコンポ−ザ−でもあったア−サ−・リ−の戦略的なコンセプトなのでしょう。 才能豊かな彼は時代の音を敏感に察知し表現しています。 また、当時アメリカが置かれていた過酷な状況とも無関係ではなかったでしょう。 ラヴは大ブレイクをするようなヒットはなかったのですが、あの時代の香りを純粋に届けてくれる素晴らしいグル−プだったと思います。 いっぽうのミレニウムの方は前衛性と芸術志向の非常に強いバンドでありました。 ポピュラ−音楽における数々の実験的な試みを反映させようとしていましたが、けっして自己主張の強いだけものにはなっていず親しみやすいメロディ−と爽やかなハ−モニ−に包まれています。 実は彼等のビギンというアルバムは隠れた名盤としてカリフォルニア・ミュ−ジックのファンの間では長い間語り継がれていました。 この伝説のアルバムも、最近やっとCD化され陽の目を見るようになって喜んだ人達もかなり多いことでしょうね。 また、何といっても彼等の場合伝説のプロデュ−サ−であり、カリフォルニア・ミュ−ジックの立役者、カ−ト・ベッチャ−が在籍したバンドというこでも知れ渡っていました。 この時代の西海岸のロックを語る上で欠かせないカ−ト・ベッチャ−は、ミレニウム解散後も多くのセッションに携わりますが、どちらかと言えばミュ−ジシャンよりもプロデュ−サ−の方が生に会っていた人だと思います。 

  キンクスとレイ・デイヴィス

元祖お昼寝ソングの神様ことレイ・デイヴィス率いるキンクスは、ブリティッシュの薫り高いまるでビクトリア王朝のミルク・ティ−みたいにまどろんだ音楽を奏でてくれました。 それも暖かな飛びっきりの午後の陽射しさながらに。 もともとはザ・フ−やヤ−ド・バ−ズ、それにスモ−ル・フェイセス達ともタメを張るビ−ト・グル−プとしてスタ−トを切ったのですが、如何せんレイおじさんのダルな個性に犯されて、辿り着いたところはお昼寝と大衆芸能の世界だったのです。 そんなキンクス及びレイ・デイヴィスの作品の中でも最高のお昼寝アルバムとなるとこのマスウェル・ヒルビリ−ズしかありますまい。 ここではお昼寝をしている時の現実と夢の境目のような曖昧な心地よさの音楽が展開されています。 このアルバムがリリ−スされたのは1972年。 時代はプログレッシヴロックやグラムロックなどの新しい息吹に燃え盛っていました。 そんな中良くもまあここまで時代の流れに逆らえるものだと、レイおじさんの確固たる個性に敬意を表してしまいます。 実を申しますと、イギリスを震撼させたビ−ト・グル−プ路線からロ−ラ対パワ−マン・・・等の万華鏡路線を経て大衆芸能ソ−プオペラ路線へと辿り着く、ほんの一瞬の切なくなるような隙間を埋める作品がこのマスウェル・ヒルビリ−ズだったのです。 イギリスのパブに集う人のいいおっさん達の日常や街の様子、大衆化された文化や生業の素晴らしさ、そしてその日を精一杯生きながら深刻さなんて何処吹く風といった極楽トンボ達。 多分レイ・デイヴィスが子供の頃から親しんできた世界がそこにはあったのです。 まあ、ギネスでも飲みながらゆっくりやろうやといった優しさに溢れていました。 人間とは面白いものでプログレッシヴロック等の緊張感のあるスリリングなロックに惹かれたかと思えば、ホッと息を抜きたくなるような音楽も必要になります。 そんな、疲れきった日々の清涼剤となるようなキンクスの音楽こそ私たちが最後に辿り着くべきものなのかもしれませんね。 丁度、アメリカにはザ・バンドがあるようにイギリスにはこのキンクスとレイ・デイヴィスがいて私達の心を慰めてくれました。 都度都度聴くようなアルバムでは決してないのですが何年かに一度は絶対に聴きたくなるような作品。 それってレイ・デイヴィスの生き様そのものかもしれませんね。

 ジョナサン・リッチマン&モダン・ラヴァ−ズ&ルビナ−ス

何時までたっても青春の初々しさと甘酸っぱい香りを身に纏いひたむきに歌を歌い続ける人。 ジョナサン・リッチマン&モダン・ラヴァ−ズにはそんな古きよき時代のイメ−ジに包まれています。 そう、ひと昔前のアメリカのホ−ム・ドラマに出てくるような気のいいお兄さん。 永遠の夢見るヤングボ−イ。 そんな彼も、デビュ−当時はパンクロックやニュ−ウェ−ブのバンドのように扱われていたのです。 確かにデビュ−の頃は、ベルヴェット・アンダ−・グラウンドのようなアヴァンギャルドな側面も見せていましたね。 しかし、アルバムを重ねるごとに霧のかかったような不思議な彼等のサウンドが顔を覗かせてきました。 それはルビナ−スにも共通するバ−クレ−サウンドのシュ−ルな香り。 本当にこのレ−ベルの音楽たちは夢の中のような世界に満ちています。 何というかなあ、演奏している音楽はジョナサン・リッチマン&モダン・ラヴァ−ズにしても、ルビナ−スにしても単純なロックンロ−ルに聴こえるのですが、 そのバックボ−ンには非日常的な不思議な音だらけなのです。 現実感が希薄で小粋なロックンロ−ルが幻想的な空気に包まれている。 爽やかなんだけれど、なんか不思議。 旨く表現できませんが、それが意図されたものなのか、レ−ベルのカラ−なのか、たまたまそういったミュ−ジシャンが集まっただけなのかよく分かりません。 音と音の隙間が際立っていて淡い透明感に溢れているのです。 もしかしたら、音楽とはジョナサン・リッチマン&モダン・ラヴァ−ズにとって夢そのものなのかもしれません。 それが彼の茫洋とした個性と一途な人柄で輝きを増している。 そんな感じなのかなあ。 ジョナサン・リッチマン&モダン・ラヴァ−ズやルビナ−スの素晴らしい音を聴きつづけていると、私まで夢の中で浮遊してしまいそうです。 考えてみると、彼等は非常に奥の深い哲学的なコンセプトを持っていたのかもしれないですね。 それは何時までたっても解き明かされない謎のようもの。 ジョナサン・リッチマン&モダン・ラヴァ−ズにはそんな甘酸っぱい秘密が似合っています。

 ヴァン・ダイク・パ−クス

アメリカの夢を追いつづける人。 それがヴァン・ダイク・パ−クス。 音楽とは彼が旅するための道具のひとつなのかもしれません。 どちらかといえばミュ−ジシャンというよりも、ビ−チ・ボ−イズやライ・ク−ダ−やカリフォルニア関連のアルバムを始めとするプロデュ−サ−や映画音楽関連の仕事をして多大な名声を得た彼も、歴史に残る2枚の名作を残してくれています。 1枚はソング・サイクルというちょっと趣味性は強かったものの中々の素敵なアルバム、そしてもう一枚はディスカバ−・アメリカというル−ツ・ミュ−ジックの見本のようなカリプソ音楽の逸品。 いずれのアルバムも彼の暖かさと優しさと夢のような郷愁に溢れていました。 日本人の私にさえそう感じられたのですから、きっとアメリカの人々にはもっと深い印象を与えたのではないでしょうか。 ただ、ソング・サイクルの方はよくビ−トルズのサ−ジェント・ペッパ−ズと並び賞されるといったこともありましたが、流石にそこまでの傑作ではなかったと思います。 ストリングスを多用して現代音楽のような魔法を見せてくれたのですが、多少斬新過ぎるきらいがあって素直に音楽を楽しむという事にはなっていなかったと思います。 ちょっと凝りすぎたのかなあといったところでしょうか。 その後、4年の歳月を経てリリ−スされたディスカバ−・アメリカでは、その名のとおりにカリプソを中心としたアメリカン・ミュ−ジックのル−ツを辿る秀作になっていました。 もともとは、ダンディ−な彼が自らの生き様に似合う歌として、あるいはもっともアメリカを象徴する歌としてこのカリプソを選んだのではないでしょうか。 そう、このアルバムでのコンセプトは粋なカリプソ。 時に軽快に、また時にはロマンチックに歌う彼の姿はニック・デ・カロの名作イタリアン・グラフィティ-と重なってしまいます。 古きよき時代のアメリカを探して旅に出たヴァン・ダイク・パ−クスは、カリプソという伝統的な音楽の中にアメリカそのものを発見したのでしょう。 洒落たお酒でも飲みながら月夜の晩に語り明かしたい、そんな想い出を擽ってくれる優しさに溢れていました。 きっと、ヴァン・ダイク・パ−クスはパパ・ヘミングウェイを敬愛していたのではないのかなと思います。 この素敵なアルバムにはロ−ウェル・ジョ−ジを始めとするリトル・フィ−トの面々も応援に駆けつけて名作の誕生に花を添えていました。   

  ロニ−・レイン&スリム・チャンス

黄昏時に優しく流れ来る調べ、それはロニ−・レイン&スリム・チャンスの切なくも甘く、そして郷愁を誘う歌の数々でした。 人間味溢れるロニ−・レインの世界には、私たちが忘れ去ってしまった遠い日の懐かしさが息づいています。 人生の街角には人それぞれの機微がありますが、たとえ疲れきってしまってもこんなに素晴らしい歌を耳にすると、また、やり直せそうな勇気が湧いてきますよね。
ロニ−・レイン&スリム・チャンスに関する詳しい解説はこちらへ






[PR]口が臭う人の共通点…:臭いが見える対策は?