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深遠なる英国のトラディショナルミュ−ジックとフォ−クミュ−ジックの世界は、できることならば足を踏み入れたりせずに遠くから眺めておくだけがいいのかもしれません。 何故なら一度でもその深い扉を開けてしまうと、果てのない奥深さと病み付きになるほどの危険な魅力を秘めているからです。 また、余りにも貴重盤や名盤、それにレア・アイテムが多すぎるのも危険な魅力の要因となっていました。 一説によると英国フォ−クのコレクタ−の中には土地を売ってしまったり一財産を投げ打ってしまった人も数多いとのこと。 当時のアナログレコ−ドになると、目の玉が飛び出るほどの高価な値段で取引をされているのです。 ただはっきり言っておきますが高価だからその作品がとてつもなく素晴らしいかというとそうでもないと思います。 もちろん一定レベル以上の名作ではあるのですが、その価格に見合う価値があるかというとあながちそうでもない。 世の中には常識的な値段で手に入るそれ以上の名盤が数多く存在するのも事実なのですから。 これらの作品が貴重盤として取引されている最大の要因は当時の発売枚数が極端に少なかったことや、名作であったにしても当時のシ−ンでは受け入れられなかった作品が多かったということ。 その為に天文学的なレア・アイテムとなっているのです。 さあ、その扉を開けるかどうかはあなた次第ですが、やっぱり近づかん方がええんとちゃいますかとしかいいようがありません。
 P・S 下記にあげたア−ティスト達はその高価さゆえにまだ筆者の手に入っていないものも数多くあり、従ってこのペ−ジがいつ完成するのかは未定であります。

深遠なる英国トラディショナル・フォ−クのディ−プな面々達

メロウ・キャンドル 
チュ−ダ−ロッジ  
スパイロ・ジャイラ  
ダンドゥ・シャフト 
マイクヘロンズ・レプテ−ション 
ゲイ&テリ−ウッズ
トゥリ−ズ 
マリ−・セレステ 
ティカウィンダ 
バトリック・キャンベル・ライオンズ 
ユニコ−ン 
ノ−ス・ウィンド 

 メロウキャンドル

崇高なる幻の名盤、ブリティッシュフォ−ク史上最高のレア・アイテム、20年余りに渡って羨望の眼差しを受け続けていた秀作等、このメロウキャンドルの抱擁の歌はあらゆる賛美の言葉を並べ立てても言葉が尽きないほどの名作といってしまえば言いすぎでしょうか。 おそらくは、ブリティッシュフォ−クやトラディショナルに精通されている人達にとって、このメロウキャンドルの最初で最後のアルバムは聖書のような存在にさえ成り得ているのではないでしょうか。 発売当時はほとんど話題にもならず静かに歴史の彼方へと消え去っていたのですが、やはりこれほどの名盤をコレクタ−達がほっとく筈もなく次第にその存在について語られる事が多くなってきました。 それは、人から人へと噂が噂を呼び何時の間にか伝説を創り上げてしまったのです。 ただ、余りにもレア・アイテム過ぎたので皆が羨望の眼差しを向ける頃には非常に高価な値段がついていたのでした。 ブリティッシュフォ−クの世界というのはロックの中に於いても実に特殊な環境だと思います。 実に何千というアイテムのアルバムがリリ−スされながら、ロックの世界の本流からは離れたところにありましたので一般のロックファンにはほとんど知られずに終わったレコ−ドがなんと多い事でしょう。 かくいう私もトゥリ−ズ、プレインソング位までなら知っていたのですが、それから先の世界には立ち入っていけないような深遠なものを感じておりました。 また幸か不幸か立ち入るべき知識や財力を当時は持ち合わせておりませんでしたので。 それ程奥行きの深い世界なのだと思います。 確かに一度入り込んでしまうと病み付きになってしまいそうな魅力がありました。 そんな中、ブリティッシュフォ−クの周辺では熱烈なファンとレコ−ド会社の良識あるリリ−スにより数々の名盤を生み出していったのです。 ですから、これほどCD化を待たれていた名盤も珍しかったのではないでしょうか。 しかし時はやって来ました。 1994年突如ポリド−ルのロックマスタ−シリ−ズのひとつとしてCD化されたのです。 私を含めて当時狂喜乱舞したファンのなんと多かったことでしょう。 ポリド−ルさん有難う。 しかしその影で泣いた人はもっと多かったかもしれませんね。 発売当初アナログ盤を手に入れていた方や高額な代償を払って買った人たちにとっては最後までCD化してほしくなかった作品でしょうから。 しかし、たとえCD化されたからといってもアナログレコ−ドの価値が下がることはないとは思います。 CDがどんなにクリア−な音を出してもアナログの情感やオ−ラの篭った音には敵わないのですから。 さて、このメロウキャンドルアルバムなのですが、ブリティッシュフォ−クきっての名盤というだけあってまるで天使の囁きのように心洗われるような神聖な歌声と、審美で崇高で美しい旋律に満ち満ちていました。 私たちが遠い昔に忘れ去ってきた大切なものを想い出させてくれるのです。 特にクロ−ダ−・シモンズとアリソン・ウィリアムスの2人の歌姫の限りなく透き通った聖なる響きを何と表現したらいいのでしょうか。 ピアノやギタ−を主体にしたアコ−スティカルでシンプルなバックに乗って流れる歌声は永遠にまで届いてしまいそうです。 音楽というものはロックであれジャズであれフォ−クであれジャンルも何も関係ないなと、音楽というものは唯音楽なんだという究極的な命題の答えを私たちに与えてくれました。 普段は無宗教のような私でもこの時ばかりは神のもとに膝まづいてしまいたいほどの感動を覚えてしまいます。 
ちょっと大袈裟に感激してしまいましたが、私自身かつてこれほどの衝撃を経験したことは確かにありませんでした。 その歌声は魂の根源にまで浸透し罪を洗い流してくれるのですね。 もうこうなってくると音楽というよりも宗教だと思います。 芸術というよりも神の領域なんですこれはもう。 事実2人の歌姫が教祖になるのなら今すぐにでも改教しまっせという輩が世界中には仰山おることでありましょう。 私が所有している1994年の再発CDはほとんど手に入らなくなった状態ですが、嬉しい事に昨年再々発されて( なんと今回の再々発はオリジナル使用の紙ジャケットらしいのです。凄い )おりますので今だったらまだ数10件かのレコ−ド屋さんを回れば手に入ると思われます。 ああ、それにしてもこんな名盤に出会ってしまったらブリティッシュフォ−クの深遠なる扉を開けずにはいられませんね。 

 チュ−ダ−・ロッジ

チュ−ダ−・ロッジ、何とも心優しき響きを伴うこのバンドもまた、メロウ・キャンドルと同様に深遠なるブリティッシュ・フォ−クの金字塔としてマニア延髄の幻の1枚でありました。 チュ−ダ−・ロッジにしてもメロウキャンドルにしてもブリティッシュ・フォ−クともいえるしプログレッシヴロックと呼んでもいいような優れた2面性を有しています。 私の秘蔵っ子トゥリ−ズも一般的にはそういったブリティッシュ・プログレフォ−クの範疇に入っておりました。 さて、このアルバムですが、縦糸と横糸を丹念に織り込んでいったような繊細な美しさと優しさと素晴らしさといったらもう尋常ではないですよ。 1968年から1972年にかけてのブリティッシュロックの隆盛といったら、ハ−ドロックにせよプログレにせよフォ−クにせよ本当に凄まじいものがありますね。 この時代に生まれた多くの名曲、名盤、は一部のビッグになったア−ティストを除けば残念ながら消え去ってしまい、その作品もほとんどが廃盤の憂き目にあっています。 数十年後、皮肉な事にそういった廃盤が熱狂的なコレクタ−やファンによって脚光を浴び復活する事になりました。 運命というものは解からないものですね。 それにしても、このチュ−ダ−・ロッジのアルバムは美しすぎる。 何度も言っておりますが美しすぎることはそれだけでもうシュ−ルなんです。 先程のメロウキャンドルが美しさの中にも静寂を切り裂いていくような張りつめたものがあるのに対し、チュ−ダ−・ロッジの場合は凛とした荒野の中に射し込んで来る陽射しのような暖かさを感じさせてくれます。 そういった意味で神というよりもより人間的な香りに包まれておりました。 親しみやすさといいますか、ブリティッシュ・フォ−クの崇高で独自な世界の中でもそのポップな旋律は抜きん出ていると思います。 爽やかな朝の光の中で聴いたらもう溜まりませんなといった感じですね。 例えが良いかどうかは解かりませんがツェッペリンの天国への階段の素晴らしい世界が広がっているといったら当たっているでしょうか。 チュ−ダ−・ロッジの歌姫アン・スチュワ−トもまたメロウキャンドルのお二人に負けず劣らずの神聖なる天使の如き歌声の持ち主でありました。 そんな歌声に包まれているとついついこのブリティッシュ・フォ−クの深遠なる世界に嵌り込んでしまいそうです。 多くの人がその魅力の虜になっていったことがあらためて理解できました。 その道の通の人々たちは、メロウキャンドルとチュ−ダ−・ロッジ、それにスパイロジャイラをブリティッシュ・フォ−クの3美神と呼んでその素晴らしい音楽を称えています。 ありがたいことに、チュ−ダ−・ロッジのアルバムもブリティッシュ・ロック・レジェンド・シリ−ズとして紙ジャケットで再発されておりますので、今だったらまだ駆けずり回れば間に合うと思います。 

 スパイロジャイラ

冬に近付く頃のイギリス北部やスコットランドあるいはアイルランドの、あの荒涼として哀愁を秘めた空や風景のことを考えると胸が熱くなります。 限りなく澄み切っていても冷たすぎる風、そして暗く淀んだ雲や燐として清楚な香りを振りまく空気。 そこには私たちがどんなにあがいても感じることの出来ない北国の冬の厳しさが潜んでいるのです。 私たちは遥かなる時を越えて届けられた素晴らしい音楽の片隅にその面影を偲ぶだけ。 崇高なるブリティッシュフォ−ク3美神の中でも一際シュ−ルな佇まいとプログレッシヴな雰囲気を見せていたのがこのスパイロジャイラでしょう。 それは北国の荒野に見事に調和していました。 まるで谷間を渡る風のように。 スパイロジャイラは3美神の中でももっともロックのフィ−リングと躍動感に溢れています。 それは、跳ねるようなリズムがアルバム全体を支配し、およそブリティッシュフォ−クらしくない雄大な曲調が紡がれているからなのでした。 メロウ・キャンドルやチュ−ダ−・ロツジとともに幻のグル−プとしてその名声を欲しいままにして、今でもブリティッシュフォ−クの伝説として語り継がれていますが、3枚目の名盤ベルズ、ブ−ツ&シャンブルズを始めとして、初々しいファ−ストや秀逸なセカンド等今やすべてのアルバムがCD化されておりマニアにとっては嬉しい限りです。 数少ないアナログ・ディスクを血眼になって探し回ったのは今や昔の話、本当につくづくいい時代になったものだと思いますね。 ヴォ−カルの紅一点、バ−バラ・ガスキンはブリティッシュフォ−クのア−ティストとしては珍しく、カンタベリ−系のミュ−ジシャン、ハット・フィ−ルド&ノ−スのアルバムにも参加したことの在る人。 スパイロ・ジャイラの音楽とはまったくリンクしないのですが、音楽に対する先進的な取り組みは共通するものがあります。 そういえば、メロウ・キャンドルやチュ−ダ−・ロッジの審美な面持ちの歌姫達と較べたら、少しばかりくすんだ魅力が感じられるのは気のせいなのでしょうか。 また、もう一人のヴォ−カル、マ−ティン・コッカ−ハムの荒野を渡るような渋い声も味わいがあります。 それは風の優しさを感じるように響いていました。 気のせいかもしれませんが、時々デヴッド・ボウイのように聞こえてしまうのは私だけでしょうか。 名作アルバム、ベルズ、ブ−ツ&シャンブルズの中のパラレル・ラインズ・ネヴァ−・セパレイトを聴く度にそう思ってしまいます。 ところで、彼女や彼の魅力とは別にもう一方でスパイロ・ジャイラの魅力を引き立てていたのが、ジュリアン・カザックのヴァイオリンの神秘的な調べと、スタン・サルツマンのフル−トのシュ−ルな響きでしょう。 この二人の御仁はほとんど目立たないのですが、スパイロ・ジャイラの音楽の根源的な崇高さを醸し出していました。 彼等なくしてスパイロ・ジャイラの神聖さは生まれなかったかもしれません。 いつの日かあの荒野に佇み彼等の調べに触れてみたい、それはかなわぬ夢なのかもしれませんが、そんな気にさせてくれる素晴らしいアルバムでした。

 ダンドゥ−・シャフト

風よ歌え、ダンドゥ−・シャフトのロマンと永遠の伝説のために。 という訳でのっけからやけに力が入ってしまいましたが、一般的にはキ−フの素晴らしいあの木馬のデザインによるセカンドアルバムの方が名盤の誉れが高いのですが、どうして、どうしてこの記念すべきデビュ−アルバムにこそダンドゥ−・シャフトの魅力と類稀ない本質が内包されていると思います。 おまけにリリ−スした会社がヤングブラッドという超マイナ−だったのでこれまた超レア盤ときていました。 確かにこのアルバム、ブリティッシュフォ−クの3美神と較べれば華やかさはなく地味な印象は拭えないのですが。 しかし、ブリティッシュフォ−クやトラディショナルとは本来そういったものなのです。 3美神は別格なのではないでしょうか。 ただ、素朴さの魅力からいえばダンドゥ−・シャフトの方が上。 あのスコットランドやアイルランドの荒涼とした原野に育まれた音楽とは、そういった必然性を有するべきものなのではないでしょうか。 深閑とした空気に光がさすように。 そういった意味でこのアルバムは、伝統的なフェアポ−ト・コンベンションやスティ−ライ・スパン等に通ずる、まさにトラディショナルの王道を感じさせてくれると言えるでしょう。 質素だけれど心洗われる響き、それがトラディショナル。 雪の降る日に窓越しの風景を見ながら聴いて御覧なさいまし、きっと感動ものでございますよ。 多くの人たちはその心の故郷を求めて迷宮に迷い込んでしまいました。 掻く言う私もその深遠なる扉を開けつつあるのです。 嗚呼、どうしよう。 さて伝統的な音楽と共に、時折見せてくれるプログレッシヴな旋律やシュ−ルな響きもダンドゥ−・シャフトの神秘的な一面を伝えてくれます。 それは幻想的な抒情詩のようでもありました。 また、フル−トを効果的に使っていることも神秘的な香りを生み出す原因のひとつかもしれません。 アコ−スティックギタ−に絡んでくるこのフル−トの音色が何ともいえずいいんですよね。 トラディショナルとフル−トという楽器はまるで磁石のように引き合っているのではないでしょうか。 そのほかにもチェロやマンドリンといつた古典的な楽器たちがダンドゥ−・シャフトの荘厳な雰囲気を醸し出しています。 ヴォ−カルのデイヴ・ク−パ−の枯れた声も素晴らしいですね。 また、この手のバンドには非常に珍しくレ−ベルが変わりながらも1970年代に4枚のアルバムをリリ−スしています。 実は息の長いバンドだったんですね。  

 マイクヘロンズ・レプテ−ション

インクレディブル・ストリングス・バンドのフロントマンであったマイク・ヘロンが、1975年にリリ−スしたナイスなアルバムがこのマイクヘロンズ・レプテ−ションです。 インクレディブル時代の伸びやかで牧歌的なトラディショナルフォ−クから較べると、アメリカ南部に傾倒したダウン・トゥ・ア−ス的な要素が非常に強いのですが、そこはかとない陰鬱な表情や哀愁感のある旋律はイギリスのお方ならではといったところでしょうか。 私は最初は迂闊にも、このアルバムをスワンプロックのコ−ナ−に載せてしまいましたが、イギリストラディショナルとフォ−クの伝統を感じさせるこの作品はここに納めるのが1番適当だと思います。 それにしても、マイク・ヘロンの声は万華鏡のように変化して不思議な世界を構築していました。 時にはエリオット・マ−フィ−のようであり、イアン・ハンタ−のようでもあり、またバッド・フィンガ−と思しきナンバ−も見受けられるのです。 いづれも英国フォ−クやトラディショナルとは接点のない私の大好きな人達なので困惑と喜びと無国籍な感覚が重なってしまいました。 ヴァイオリンや小鳥のさえずりといった音も効果的で彼の独自な音楽を形成するのに役立っています。     
マスク・ヘロンズ・レプテ−ションに関する解説はこちらにもあります

 ゲイ&テリ−・ウッズ

冬来たりなば春遠からじ。 深遠なるブリティッシュフォ−クの森の中にも一筋の光が射し込むことがあります。 それは異端児というよりも新しい時代への進化なのかもしれません。 ブリティッシュフォ−クやトラディショナルしては極めて珍しいほど陽性で明るい旋律が魅力のゲイ&テリ−・ウッズでしたが、この世界独特のくすんだ空のような陰りのある響きも忘れてはいませんでした。 私たちがまだ見たこともない荒涼とした原野。 それはまるで、彼らの故郷である遠いアイルランドの空のようにモノト−ンな景色を想像させてくれますが、そんな重厚なバックグラウンドの中にもカリフォルニアのような乾いた風が吹いているのです。 ウェストコ−スト・サウンドのように透明で疾走感のある音。 そのアンバランスな素晴らしさが何ともいえません。 ブリティッシュフォ−クの中にもこんな色鮮やかな旋律を奏でる人たちがいるなんて意外ことですが、そういえば私の好きなマイク・ヘロンズ・レプテ−ションの世界にも共通する部分が多いですね。 どちらも止め処もなく深いブリティッシュフォ−クの森から旅立って彼ら独自の作風を確立していた人達です。 明るさは滅びの印しとかいう有名な言葉もありますが、彼らの透明感溢れる歌がブリティッシュフォ−クの一つの起爆剤となったことは確かだと思います。 独断的に言わせて貰えばゲイ&テリ−・ウッズの歌にはリンダ・ロンシュタッドの感性を感じました。 なんかアサイラムからデビュ−していたとしても何の違和感もなかったと思うのは私だけではないでしょう。 そんなゲイ&テリ−・ウッズの歌は陽だまりの暖かさのように心を和ませてくれて私たちは安心感に包まれてしまいます。 一般的に名作といわれているデビュ−アルバムのバックウッズ等は、そのいかにもといったジャケットの素晴らしさも手伝って、コレクタ−ズ・アイテムとして絶大なる人気と伝説と途方もない値段を誇っていますが、この4作目にしてラストアルバムとなったテンダ−・フックスもなかなかの出来ばえの名盤でした。 ゲイ&テリ−・ウッズの歌を聴いていると、曇った空の向こう側はいつも晴れているということを改めて教えてくれるのです。

 トゥリ−ズ

英国ロックの深遠なるメロウ・キャンドルやチュ−ダ−・ロッジと出会う前には、私にとって最大の目標であり捜し求めつづけた貴重盤がこのトゥリ−ズのオン・ザ・ショアでした。 最初の出会いは1970年のことで、とあるロック雑誌の裏広告に掲載されていたジャケット写真にくぎ付けになったのです。 森に囲まれた庭園と思しき芝生の上で水を撒く少女。 そのシチュエ−ション自体は実に童話やファンタジ−の世界そのものであり、何処にでもある風景でした。 しかし、よくよくその写真を注視してみると、まるで精神が無くなってしまったように一点を見つめ続ける少女の眼光の鋭さや、人形のように無表情な顔ににハッとさせられてしまうのです。 これは当時としてはかなり衝撃的なデザインだったと思います。 それからというものずっと気になり続けていたのですが、購入することはなく時が過ぎてしまい、私の手に入ったのは80年代も後半にさしかかってからでした。 それもオリジナル盤ではなく再プレス盤として。 もう、オリジナル盤は目の玉が飛び出るような価格で取引されていたのです。 音のほうもとにかく素晴らしくて、トラディショナル・フォ−クとプログレッシヴ・ロックが錯綜したような幻想的な世界を形作っていました。 メロウ・キャンドルにしてもチュ−ダ−・ロッジにしても、このトゥリ−ズにしてもすべてCD化されており、いい時代になったものだと思います。 ひと昔前には車1台分と同じ値段で取引されたという噂までとびかったものでした。 
トゥリ−ズに関する詳しい解説はこちらへ


 マリ−・セレステ

ブリティッシュ・トラディショナルのアルバムは星の数のようにリリ−スされていましたが、多分このホ−ムペ−ジ上で最大のレア・アイテムであろうと思われるのがこのマリ−・セレステのアンド・ゼン・パハップスでしょう。 このアルバムが発売されたのは1971年のこと、オリジナル・アルバムとしては僅か50枚のリリ−スという驚異の貴重盤でありました。 もともとはマリ−・セレステが友人のみに配布するために50枚プレスしたらしいのですが、それが何時の間にか市場に出回り幻のアルバムと呼ばれ、その筋の人たちの羨望の眼差しを受ける事になるのです。 確かにプライヴェ−トプレスであろうと思われるように音質がさほど良くありません。 曲によってムラがあるし、明らかにホ−ム・レコ−ディングのような雑音とバランスの悪さが気にかかります。 特にヘッド・ホンで静かにして聴くと尚の事その点が気にかかりますね。 しかし、この作品にはそれを補って余りある情感の豊かさと純粋に澄み切った天使のような歌声があり、ブリティッシュ・トラディショナルの伝統を引き継ぐ素晴らしさに溢れていました。 素朴が故に心洗われるといったような。 マリ−・セレステの男女のヴォ−カルも妙に気負ったところがなく自然に耳に馴染みます。 このバンドが繰り広げるアコ−スティックな世界は世俗を超越したように清楚でありまして、丘を渡る風のように爽快です。 やはり1970年代の名盤と呼んでいい逸品でしょう。 私たちはこの作品に音楽としての原点を見るような想いがします。 いい意味でのこの時代のブリティッシュ・トラディショナルの情熱が結実した結果なのではないでしょうか。 ただし、それは天文学的な値段で取り引きされることとは別問題ですね。 このアルバムの場合は状況が状況だから仕方がないのでしょうが、本来、貴重盤を探し回るコレクタ−と呼ばれる人たちと、音楽を愛して好きなレコ−ドを探す人たちとは似て非なるものなのではないでしょうか。 多分、前者の場合はもともとは音楽を愛することから始まったのでしょうが、コレクタ−になるにつれてタ−ンテ−ブルの上にその貴重なアルバムを、乗せる事が出来ないのではないのかなと勘ぐってしまいます。 音楽を愛する人であればそれがレア・アイテムであっても、その作品を理解するまで繰り返し聴くでしょうね。 それが作者に対する配慮だと思います。 というわけで、このアルバムもCD化になり私自身やっと聴く事ができたのですが、これからもこういったブリティッシュ・トラディショナルの奥深いCDをどんどんリリ−スして欲しいものです。

 ティカ・ウィンダ

ティカ・ウィンダは自主制作盤という形で1枚のアルバムを残しただけで消えてしまった1975年の幻のグル−プです。 よってご多分に漏れずこちらの方もマリ−・セレステ同様オリジナル盤はとてつもないレア・アイテムとなっていました。 この手のアルバムの常で、セピア色の女性をあしらったジャケットも大変素晴らしく、それがまた高価な取引に拍車をかけていたのではないでしょうか。 ブリティッシュ・トラディショナルのアルバムでデザインがいいものは大抵音の方もいいですよね。 コレクタ−ならずとも手元に置いておきたいと考えてしまう1枚でしょうね。 嬉しいことに、マリ−・セレステ同様にCD化になっていますので現在では簡単に手に入りますから、興味のある方は大きなCD屋さんに問い合わせてみて下さい。 ところで、このティカ・ウィンダは女性2人と男性2人からなるグル−プでありまして、多彩な様相を見せるブリティッシュ・トラディショナルの中でも極めてオ−ソドックスで純粋な音楽を奏でる幻の人たちです。 その意味でフェアポ−ト・コンベンションやスティ−ライ・スパンの流れを汲むものといっても良いでしょう。 彼らの場合何処といって新しいことはやっていないのですが、多くのトラディショナルがそうであるように魂を触発される清らかな響きに満ち満ちています。 ギタ−と歌声だけというシンプルな構成もまったく気にならないほど歌に奥行きが感じられました。 とても自主制作盤とは思えないほど音質も良いし、楽曲や旋律、そしてその芳しさも最高だったのです。 見事に調和したコ−ラスも洗練されておりまったく非の打ちようがない。 私はこのティカ・ウィンダに始めてスティ−ライ・スパンを聴いた時のような新鮮な感動を覚えます。 音楽の素晴らしさとは一体何なのかを改めて問いただせてくれるような深み。 特にアン・ブリッグスの名曲を訥々と歌う姿は感動を通り越して涙さえ覚えました。 嗚呼、私も歳をとっちゃったなあ。 ビ−トルズの歌に64歳になったらという名曲がありますが、私なぞは64歳になったらきっとこんな音楽に囲まれているのではないかなと思います。 素朴さゆえの暖かさと清楚さ。 ブリティッシュ・トラディショナルという音楽はどうしてこうも崇高な気持ちにさせてくれるのでしょうか。 遠く離れたイギリスの地の素朴な旋律が私たち日本人の心まで揺さぶるとは彼ら自身考えもしなかったことでしょうね。 

 バトリック・キャンベル・ライオンズ

もし、ハンフリ−・ボガ−ドが生きていて、1970年代に彼の映画を作るとしたらその時の音楽は絶対にこんな洒落た歌を使いたいと思います。 古きよき時代のロマンティシズム、月の光に照らされた泡沫の夢、バトリック・キャンベル・ライオンズの歌にはそんな懐かしさと饒舌な響きが満ち満ちていました。 ご存知ニルヴァ−ナのバトリック・キャンベル・ライオンズがソロ名義でリリ−スした名作、それがこのミ−・アンド・マイ・フレンドです。 このアルバムもまたコレクタ−ズ・アイテムとして伝説を創りだしていた逸品。 リズ・モンゴメリ−が描いた淡いジャケットの素晴らしさと相まって、今尚1973年にリリ−スされたアナログ盤を探し回っている御仁は世界中に数知れずということ。 確かにアナログ盤の広いジャケットを手元に置いておきたいような素晴らしさです。 このアルバム1枚が悲喜こもごもの人生を生み出しているのでしょうね。 彼の歌は、ブリティッシュ・トラディショナルやフォ−クというよりも古きよき時代の面影を感じさせるノスタルジックな旋律に彩られていました。 そういった意味では、もっともアメリカの風を感じさせてくれる音楽だっのかもしれませんね。 忘れ去っていた想い出を呼び覚ましてくれるような音と沈んでいくような感性。 それは、ニルヴァ−ナの時よりも一層優しさを増しています。 たとえば、ギルバ−ト・オサリバンをもっとナイ−ヴにして1950年代のヴェ−ルで包んでしまうと、バトリック・キャンベル・ライオンズの世界になってしまうような気がしますがいかがでしょう。 あと、少しばかり刺激的なサイケデリック風味を利かせると、はい、ミ−・アンド・マイ・フレンドの出来上がり。 ここには、絶望へ至る前の輝きと希望があります。 この傑作は実を申しますと、バトリック・キャンベル・ライオンズにとってかなりハ−ドな時期の作品であったとの事。 でも、私たちにはそんな辛さを感じさせないほどの希望を与えてくれます。 もともと、音楽とはそういうもの。 送り手側から送られたものは、何時の間にか受けて側の私達の心の中で千差万別に変化していくのです。 稀代のメロディ−メイカ−、ポ−ル・マッカ−トニ−にも引けを取らない素晴らしいメロディ−は、21世紀になった今も決して色褪せること無く輝き続けています。 私たちを夢の世界へと誘いながら。 永遠なる未来へと向って。

  ユニコ−ン

風に揺れたら消えてしまいそうな淡雪のささやき。 そして、透明感と空ろさ。 ユニコ−ンの作り出す音楽には何ともいい難い不思議な世界がありました。 見えそうで見えてこないような不安定さ。 彼等の場合はブリティッシュ・トラディショナルやフォ−クというよりも、伝統的なブリティッシュポップのバンドだと思います。 1971年から1977年までの間に僅か4枚のアルバムしか残してなくて、オマケにレ−ベルを3度も変わっているという幻のグル−プでした。 これといったシングルヒットも記憶にありませんが、ひとつひとつの歌は実に絶品。 彼等の歌には、ただひたすらにアメリカを目指しているという切迫感がなくて、その分初々しくて爽やかな印象を与えてくれます。 果たしてそれは本人達の思惑なのでしょうか、それとも計算外の意外性?。 私の場合、こんな風な爽やか系のア−ティストはそのル−ツを、ついついバッドフィンガ−へと帰結させてしまうのですが、ユニコ−ンも第2のバッドフィンガ−となるべき要素を十二分に持っていました。 そういえば、アル・スチュワ−トにも似ているなあ。 彼等のフワフワとした旋律には、ともすれば中途半端な苛立ちを覚える御仁もいらっしゃるでしょうが、ユニコ−ンの場合はそんな曖昧さが溜まらない魅力なんですね。 例えば男の場合、お酒を飲みに行くなら絶対男同士でなけりゃあダメという人と、女の娘がいなけりゃあダメという人と居るでしょう。 しかし、一旦飲み始めてしまうと、どうでもいいようになってしまう。 そんな感じ。 解かるかなあ。 ところで、ユニコ−ンの場合はその素晴らしい音とは裏腹にアルバムジャケットには恵まれていませんでしたねえ。 セカンドアルバムを除けば何とも不可解なジャケットが多すぎる。 何故なんでしょう。 悲しいかなこのベスト盤がいちばん彼等の音らしいジャケットですよね。 北風の吹く季節が終わって、何処か遠くへと旅立ちたい時にはねきっと彼等の歌を聴いていることでしょう。 それは早すぎた早春の光。 そう、まだ少しばかり冷たさを残したままの。

 ノ−スウィンド

北の風に吹かれて彼らの向うところは遥かなるアメリカ大陸だったのでしょうか。 ノ−スウィンドといういかにも郷愁を誘うようなグル−プ名。 そして、これまた感性を擽るような優れたジャケット。 そこに写されているのは、旅路の果てに辿り着いたような最果ての街の海辺の風景。 イギリスの北の方に行くと存在しそうな海岸、それは切ないほど遣る瀬無いノ−スウィンドの音楽を象徴している気がします。 ブリティッシュ・トラッドというよりも明らかにアメリカ西海岸を目指した音は、アメリカにもなり切れずかといってイギリスの香りも閉じ込めてしまったいい意味での中途半端な曖昧さがありました。 例えば先入観なしに彼らの音楽を耳にしてみると、果たして何処の国のバンドであろうと迷ってしまうに違いありません。 同じくイギリス出身のハイウェイと同じような世界があると思いました。 よく言われるイギリスの中のアメリカという音ですね。 かつて、フィフス・アベニュ−・バンドがそのデビュ−作にして最後の作品となった名作で見せてくれたような、ピュア−で饒舌な音楽と感性にも通じていると思います。 そういえばこれら2つのバンドは、遠い距離を隔てながら時を同じくして存在していたという事になりますね。 このアルバムに溢れるノ−スウィンドのたおやかで類なれなき旋律は、トラディショナルの伝統を感じさせる清楚で素晴らしい響きに満ちています。 それは心和むような一流のブリティッシュ・トラディショナルと西海岸の雰囲気が融合したようなポップソングとなっていました。 透明感溢れるというよりも何処か霧に囲まれたような曖昧さ。 まるで、ふわふわとした空気と優しくそよぐ風のような感覚。 何処かしら国籍不明の旅人達の不思議な音楽。 ノ−スウィンドのフォ−クロックとトラディショナルに彩られたメロディ−が、爽やかな風のように優しく包んでくれます。 それは、少しばかりの哀愁と思い出を含んで。 あの時代のブリティッシュ・ロックの森の片隅でこんなに素晴らしい音楽が生まれていたなんて本当に驚いてしまいます。 これこそ新の名盤といってもさしつかえないでしょう。 このアルバム、実をいいますとマニアの間では随分と昔から脚光を浴びていた素晴らしい逸品なんです。 郷愁を誘うジャケットも本当に深みのあるト−ンといい、美しさといい俊逸でありました。 いつか、晴れた日に海辺の街に佇みながら浸りきってみたい音楽ですね。 




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