
ス−パ−デザイナ−・キ−フの作品を中心に
ニルヴァ−ナ
トントン・マク−ト
クレシダ
イエスの形而上学
こわれもの-イエス
危機-イエス
海洋地形学の物語-イエス
イ−スト・オブ・エデン
スプリング
スティルライフ
インディアン・サマ−
マンフレッドマン・チャプタ−・スリ−
ジョ−ンズィ−
ベカヘ−ズ・オペラ
レア・バ−ド
マクドナルド&ジャイルズ
ニルヴァ−ナ
幻想的な白い部屋に佇む女性と少女。 それは美しさとシュ−ルな感覚に溢れた風景でした。 それにしてもなんという美しさ。 おそらくは数あるキ−フの傑作の中でも、アフニティ−やスプリングのアルバムと並んで3本の指に入るほどの素晴らしいア−ト・ワ−クでありましょう。 この私達の目を釘付けにするアルバムは、何を隠そうヴァ−ティゴに移籍し満を持して勝負に出たニルヴァ−ナの4作目のアルバムに当たります。 ニルヴァ−ナとはいってもあのカ−ト・コバ−ンのグランジ系ニルヴァ−ナとは全然違っていまして、ブリティッシュ・サイケデリック・ポップの雄パトリック・キャンベル率いるニルヴァ−ナでありました。 デビュ−当時のアイランド時代は新しい感覚を先取りしたようなポップソングで一世を風靡しておりましたが、キング・クリムゾンやレッド・ツェッペリンが登場しブリティッシュ・ロックシ−ン自体が目覚しく変わり行く中で、ニルヴァ−ナも変革を余儀なくされたのでしょうかこの作品ではブログレッシヴロックとポップな音が絶妙に融合された大傑作となっています。 で、このプログレペ−ジへの登場と相成ったわけですが、一つのカテゴリ−で括ってしまうには余りにもその質量が大きすぎて収まりきれないほどの作品でした。 兎に角そのメロディ−ラインが流れるように素晴らしく美しい。 私は彼らと対峙している間中至福の時に浸ってしまうのです。 思えば、このわくわくするような感覚というのはマジカル・ミステリ−・ツァ−の頃のビ−トルズや絶頂期のトラフィック、それにバッド・フィンガ−にも似ていますね。 このアルバムは70年代の隠れた名盤として長い間語り継がれておりまして、コレクタ−羨望の逸品でしたがついにCDで発売されるようになってしまいましたね。 いい時代になったものだと想います。 やはり、いい音楽はできるだけ安く多くの人に聴いてもらいたいものです。 ところでこの作品、ポップセンス溢れる複数の歌をブログレッシヴに味付けしてト−タルな形で纏め上げ、アルバムの中に僅かに2曲だけというプログレッシヴロックらしい構成になっていますが、その内容は決して飽きさせる事無く、次から次へと目まぐるしく変わり行く様はまるでレイ・ブラッドベリの不思議な世界さながらでした。 それは、カ−ニバルの中の幻想のように私たちを捕らえて離しません。 この作品も1970年代の名盤として長く語られることでしょう。
トントン・マク−ト
トントン・マク−ト。 何とも愉快なこの名前に秘められた秘密は、その不思議な音楽のように私達の想いを捉えてしまいました。 そして、このトントン・マク−ト、ネオンというRCA配下のレ−ベルにたった1枚の素晴らしいアルバムを残して、霧の彼方へと消え去ってしまったのです。 このアルバムもCD化されるまでは、アフニティ−やスプリング、トゥリ-ズ同様羨望の1枚でありました。 それにしても、昨今のイギリスのネオプログレッシヴロックやカンタベリ−系、プログレッシヴトラッドのCD化の嵐は凄まじいですよね。 自分だけの秘密にしておきたかった素晴らしい音楽が白日の下に曝されるのはいささか残念な気もするのですが、少なくとも多くの人が知り得ることのなかった音と出会えることは結構なことだと思います。 また、日本人ほどプログレッシヴ・ロックに対して肯定的な民族も少ないのではないでしょうか。 日本人の意識はプログレッシヴロックに対して、美化されすぎているとの批判もあるでしょうが、かつてモダンジャズやフリ−ジャズをもっとも熱狂的に迎え入れた民族なのです。 少なくとも外国ではジョン・コルトレ−ンのフリ−・ジャズが好きだ何ていうひとはそんなに多くはないでしょうが、日本では五万といるのですから。 さて、このトントン・マク−トはジャズをベ−スしたプログレッシヴロックでありまして、その流れるような旋律とイギリス独特の霧のかかったような音が特徴です。 まるで名前そのもののようにどこかコミカルで茫洋としている音。 ジャズを独自の視点や感性で捉え、それをプログレッシヴロックへと展開させようとしています。 何も知らない人がこのアルバムを聴いたら、多分半分以上の確立でジャズのバンドだと認識してしまうのではないでしょうか。 特に2曲目のドント・メイク・ミ−・クライ等はまるでジャズそのもの、どことなくデュ−ク・ジョ−ダンのような趣さえ感じられます。 その歌でも根幹をなしているキ−ボ−ドのポ−ル・フレンチがこのグル−プの核であり、彼の感性がトントン・マク−トの音楽的背景の原点なのではないでしょうか。 時折見せてくれるイギリスらしいポップな感覚もその魅力のひとつでしょう。 プログレッシヴ・ロックにしては不思議なほど肩の凝らない音楽だと思います。 こういったネオ・プログレ系のバンドにはキャラバンも含めて驚くようなメロディ−ラインを奏でてくれるバンドが多いですよね。 イエスやEL&P等のようなテクニック至上主義のバンドとは違い、あくまでもそのたおやかな思想を楽しむべきバンドだと思います。 それもまた極めてイギリス的といえるのではないでしょうか。 レコ−ド屋さんで見かけたら直ぐ買って損はない稀代の名盤だと思います。
クレシダ
時として、ブリティッシュロックのその深遠の如き奥深さを痛感するのは、未だかつて遭遇していなかった素晴らしいミュ−ジシャンに出会った時ではないでしょうか。 当時のもっとも先進的なジャンルとしてのプログレッシヴロックも、混沌とした時代を象徴するかのように百花繚乱の如く様々なバンドが生まれ出て、その多くは人知れず歴史のかなたへと消えていってしまったのです。 しかし忘れてならないのはメジャ−になり得なかったからといって、その作品の資質が落ちているかというと必ずしもそうではなくて、むしろコマ−シャリズムに捕らわれないで究極的に芸術性を追求している場合が多いのではないのでしょうか。 このクレシダもそういった範疇に入るバンドだったと思います。 私自身、ヴァ−ティゴレ−ベルのクレシダというバンドは1970年当時から殆ど馴染みがなく、つい先だってキ−フのシュ−ルなア−トワ−クの関係から気になりだしたバンドなのでした。 何といっても衝撃的なデザインに目を奪われ、当然ながらその音に接してみたくなってくる。 まるで、仕組まれたワナに嵌ってしまったような快感。 そして想像していた通りの素晴らしさに心を奪われてしまいました。 クレシダの場合もあくまでもジャズの方法論を基本としており、俊逸なインプロヴィゼ−ションと疾走感を前面に押し出しています。 兎に角テクニックとアンサンブルが凄い、そして感性も研ぎ澄まされているという、タイプは違っていてもソフト・マシ−ンやニュ−クリアスと同じコンセプトを持っているといって良いでしょう。 思想性で勝負するというよりも感性の触発に重きをおいているのだと思います。 隠された秘密のように何かしらシェ−クスピア的な妖しさと神秘的な趣もありました。 暗鬱なプログレッシヴロックを奏でているかと思うと、突然ジャズの4ビ−トに変調されて何とも不思議な心地よさと驚きに包まれてしまいます。 丁度同じ時代にアメリカではマイルス・デイヴィスが同じようなコンセプトのもと、新しい音楽を開拓しようとしていました。 生まれた時が一緒で同じジャズの申し子でありながら到達する場所が違ってしまったのは、多分音楽に対する歴史的な背景と土地柄のせいなのでしょう。 そして、だからこそジャズとプログレッシヴロックの心地よい部分を見事に融合していたのだと想います。 余りにも素晴らしすぎるこのクレシダには、けっしてB級プログレッシヴバンドという汚名を着せてはいけないのではないでしょうか。
イエス-イエスの形而上学についてはこちらへ
美しき浮遊感、そして、イエス。 計算され尽くした世界の中に氷の花びらが咲き誇る。 昔から考えていましたが、イエスを愛する人たちにはロマンチストが多いと思います。 豊かな創造力とシュ−ルな誘惑で、優しく魅了してくれるピンクフロイドとは明らかに違うコンセプト。 情念の名のもとに、錯綜した世界を構築し、そして、破壊し続ける紅王とも対極的な位置にいる筈ですから。 だから、あえてロマンチストが愛せる集団であると断言するのです。 それはプログレッシヴロックというカテゴリ−の中でも、奇跡的な出来事だったのかもしれません。 だからこそ、彼らが美のもとに構築していった観念的な美しさは、永遠に輝きつづけるのです。 昨日から明日へと。
イエス
ブリティッシュ・プログレッシヴロックの大きな流れは、ソフトマシ−ンやニュ−クリアス、クレシダ、アフニティ−などのようにジャズを基盤としたグル−プと、イエスやエマ−ソン・レイク&パ−マ−、アトミック・ル−スタ−、ナイス等のようにクラシックの影響を受けたもの、そして、そのどれにも属さないサ−ド・イヤ−・バンドやジェスロ・タル、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンのようなシュ−ルで観念的なバンド達に分類されると思います。 そして、ここで取り上げた「こわれもの」から「危機」を経て「海洋地形学の物語」へと続くイエスの黄金時代こそもっともクラシックとの接点を多くした時期だったのです。 初期のイエスにおいては、ピ−タ-・バンクスというどちらかといえばジャズの影響を強く受けたギタリストが居たせいもあり、ジャズへのアプロ−チが強く現れていました。 蛇足ながら彼ピ−タ−・バンクスはイエス脱退後フラッシュというネオ・プログレバンドで一世を風靡することになります。 そのジャズの要素が強かったイエスの方向性が転換期を迎えるのはサ−ドアルバムからでありまして、クラシカルな資質が一気に花開いたのが名作の誉れ高い「こわれもの」ということになるでしょう。 また、形而上学や実存主義との関連を取り沙汰されたのも、あの時代のプログレッシヴロックの特徴でありまして、イエスもその壮大な思想性と先進的な資質を持ち合わせていたバンドでした。 そういえば、イエスのセカンドアルバムの時間と言葉というタイトルは実存主義の雄ハイデッガ−の思想、つまり存在と無そのものですよね。 もちろんそういった思想的な背景と、この時期にスティ−ヴ・ハウやリック・ウェクマンというイエスに対して新しい息吹を注入できる天才達の加入も大きかったと思います。 ただ、クラシックに接近する余りイエス自身「危機」を始めとする大作主義に陥ってしまったことも否めません。 まるで、交響曲のように何十分も延々と演奏される曲は、長いロックの歴史の中でも1970年代だけの得意な現象だったのです。 プログレッシヴロックは長ければ良いという訳では決してないのですが、長さを競う事がある種のステ−タスとして歓迎されていました。 何故なら、優れた感性と驚異的な演奏力と天性の才能がなければ大作を生み出す事が不可能だったのですから。 それに、プログレッシヴロックに関わることで私達の自尊心も擽ってくれるのです。 大作主義を許容できるギリギリの限界が「危機」であったとするならば、この「こわれもの」こそ本来のイエスの姿が凝縮されていると言っても良いのではないでしょうか。 心洗われるような旋律にハッとする小作品から、危機に至る前のセミロングの美しき佳曲にまでイエスの真髄が息づいていますので。
イエス-イエスの最高傑作 「危機 」についてはこちらへ
「危機」は刃のような緊張感と神秘的な美に包まれた作品です。 初めての出会いのときの衝撃は今でも忘れえません。 困惑するほど美しい旋律の中に輝くク−ルな感性。 氷の花びらが咲き誇ると表現したように、決して情熱をひけらかすことのないプライド。 卓越した構成力。 美しさ。 そのどれもが、私をイエスの世界へと導いてくれたのです。 かつてこれほどまでに、衝撃的でスリルに満ちた旋律があったでしょうか。 ですからこそ、イエスには神聖な朝の光が似合っていると思うのです。 プログレッシヴロックとい画一的なカテゴリ−の中でも極め付きの美しさを誇っていた作品 「こわれもの」を簡単に越えてしまった最高傑作。 それが、この「危機」に相応しい評価でありましょう。 彼らはここにおいて自らのステイタスを確立しました。 名声という誇りと共に。 多くの人が、あの時、このアルバムでイエスと出会った筈なのです。 ゆらめくような淡い光の中に散りばめられた小宇宙。 美という名の疾走感。 超人的なテクニックと研ぎ澄まされた感性が生み出すアンサンブル。 そして、芸術と思想の一体化。 イエスはまるで神のように音楽という宇宙を生み出して行きます。 まるで、私たちを永遠の彼方へと導くように。
海洋地形学の物語-イエス
さて、イエス全盛期の最後の作品であり、難解であると言う理由から賛否両論を生んだ問題作であり、そしてまた、イエス独自の叙情性と宗教性と感性に溢れた傑作、それが、この海洋地形学の物語です。 哲学的で難解でありすぎるとの批判を受けた最大の理由は、その宗教的な歌詞にありました。 それも、ヒンズ−教という西洋人にとっても、東洋人にとっても極めて難解な宗教の。 幸いにして日本人であった私は、難解で宗教的な英語など解る筈も無く、ただ、そのたおやかで疾走する美しい旋律にのみ心を奪われておりました。 純粋に音楽的な見地からだけ判断すると、イエスのアルバムの中でも極め付けな世界を構築していたと思われます。 ある時は牧歌的であり、シュ−ルであり、また、ある時は、疑念を鋏む余地のない程計算され尽くしたメロディ−に埋め尽くされていたのです。 確かに、アナログの2枚組みアルバムなのに、収録されている曲は僅かに4曲のみという、長尺な歌が先進的であったとされるあの時代においてさえ、敬遠されてしまうような要素を持ってはいました。 1曲あたりが20分前後という、ピンク・フロイドの「原子心母」や「エコ−ズ」に匹敵するような作品が4曲も入っていた訳ですから。 でも、一旦この作品に針を落とすと、清楚でめくりめく審美的な世界の虜になってしまうことは間違いありません。 前にも言ったように、ここには鋭い刃のような緊張感はありませんが、その代わりに、余裕ともとれるようなゆったりとした旋律と優美な光に溢れています。 頂点まで登りつめたイエスの孤高の輝き、それが、海洋地形学の物語なのです。
そして、それはイエスの終焉をも告げる果かない輝きでもありました。 このアルバムを最後にイエスの中核をなしていたリック・ウェイクマンも脱退しています。
イ−スト・オブ・エデン
押し寄せてくる不安を静かに感じながら、何も出来ないでいる苛立ち。 それはイ−スト・オブ・エデンが創りだしていた不思議な音楽の生み出す時間に似ています。 錯乱-と題されたこのイ−スト・オブ・エデンのセカンド・アルバムは、迷路のように複雑な英国プログレッシヴ界に於いてもひときわ異彩を放つ作品でした。 感性を壊してしまうように響くデイヴ・ア−バスの妖しげなヴァイオリン。 そして、ゆっくりと侵略するように押し寄せてくる暗澹たるリズムの波。 それは私達の焦燥感を煽って言い知れぬ不安へと駆り立てます。 聖書にも記されたエデンの東には一体何が待っているのでしょう。 そんなイ−スト・オブ・エデンの魅力は、なんといってもデイヴ・ア−バスの醸し出すヴァイオリンの不思議な音色に尽きると思います。 時にシュ−ルに時に妖艶に煌めく響き。 彼らの場合は、同じヴァイオリンを使ってプログレッシヴロックを展開したガ−ヴド・エア−とはまったく違ったコンセプトを持っていました。 何故なら、初期のイ−スト・オブ・エデンはその音楽的な根底に、カンタベリ−フリ−ジャズの影響を強く見て取れるからです。 彼らの最高傑作と目されているこの錯乱では特にその影響が顕著で、プログレッシヴロックとジャズの狭間で揺れ動くイ−スト・オブ・エデンの特異な資質が見事に傑出していました。 方法論は違うとは言えソフトマシ−ンやニュ−クリアスと同じく、前衛ジャズの申し子といっても差し支えないかもしれませんね。 また、時にはヴァイオリンとフル−トという極めて古典的な楽器を駆使して斬新なロックを作り出しています。 演出されたのではなく、自然に染み出してくるエキゾチックで古典的な空間。 それはいつか見た幻のように私たちを優しく包んでくれました。 彼らの思いはイギリスから遠く離れたまだ見ぬ異国の土地へと繋がっていたのでしょうか。 少し感覚は違っていても、あの伝説のサ−ド・イヤ−・バンドにも近い感性や温度があると思います。 それは現実とも夢ともつかない不思議な感覚なのです。 そう、かつてエデンの東で展開されたのではないかという。
スプリング
30年という長い歳月は多くのものを風化させてしまいますが、もう過ぎ去ってしまった想い出の中においてさえ、確かにその時代の鮮やかだった印象を留めていることを私たちは知っています。 それは、感性の奥深いところに潜んでいつかまた蘇るときをうかがっているのでしょう。 のどかな春の田園風景の中に鮮烈な赤い服の兵士。 このデザインもキ−フの素晴らしいア−トワ−クと感性が、夢の優しさと非常な現実を見事に表現している傑作だと思います。 ご多分に漏れずこの作品もまた幻の名盤としてマニアの間で語り継がれていた、英国はネオン・レ−ベルのスプリングの最初で最後の大傑作アルバムでした。 それは、長い封印を解かれたバビロンの宝物のように輝きを放っています。 特に当時イギリスでリリ−スされたレコ−ドはキ−フによる3枚続きの見開きジャケットになっており、それだけでも充分にプレミアものの1枚なのですが、ネオンというマイナ−なレ−ベルから発売されていた関係もあったし、日本ではリリ−スされていないという極めて入手困難なアルバムだったのでその後相当な価格で取引されていました。 さて、そのスプリングなのですが、特筆すべきことは何と3人ものメロトロン奏者がいる点でしょう。 この時代のプログレッシヴロックを語る上で絶対に欠かせない楽器がシンセサイザ−とメロトロンだと思うのですが、それも通常はひとりだけキ−ボ−ド奏者がいれば事足りること。 しかしながら、スプリングの場合は3人もの奏者がゆったりとしていながらも奥深い音と幻想的な旋律を見事に作り上げていたのです。 それは、いつか見た夢のような優しさと曖昧さ、もしスプリングにスリリングな衝撃をお望みでしたらお薦めできないかもしれませんが。 3台のメロトロンが醸し出す茫洋として超現実的な世界は、知らないうちに虜になってしまいそうな素敵な香りと牧歌的佇まいがあります。 まるで饒舌なスコッチのように。 スプリングの創生する音の世界はイギリスの田舎の田園風景を髣髴とさせるメロトロンの旋律の中に、キラリと光る刃のような衝撃が隠れているのではないでしょうか。 そんな何とも英国的で荘厳な雰囲気はとてもシュ−ルであり、アコ-スティックな香りをふりまく空間は何とも不思議な広がりと時間の流れを感じさせてくれます。 緩やかなプログレッシヴロックと静寂なフォ−クとの見事な調和。 それは、白昼夢とも違うスプリング独自のたおやかさなのです。
スティルライフ
鮮やかなスカ−レットと淡いピンクの織り成す花びらの絶妙な色彩の美しさ。 それは日常の何処にでも転がっているようなよくある風景ですが、どんな幻想的な風景よりもシュ−ルな印象を私たちに与えてしまうのは何故なのでしょう。 現実に忠実であるリアルな表現が、時としてその美しさの余り現実からかけ離れてしまう不思議。 そして、ジャケットの裏側に隠された秘密。 そんな風に、誰もがこの素晴らしいジャケットにきっと心を奪われてしまうことでしょう。 これはスティルライフからの素晴らしい贈り物。 1970初頭、雨後の筍のように数多く登場してきたプログレッシヴロックのバンドの中でも、ひときわ謎に包まれたこのスティル・ライフはメンバ−の名前さえも解からないという極めつけのミステリアスなプログレッシヴバンドでした。 それにしても、このCDを前にして溜息をついてしまっている御仁も多いのではないでしょうか。 こうやってCD化されてしまうと自分だけの秘密だった音楽が白日の下に曝されてしまうからです。 大枚はたいて手に入れたのにというやり切れなさが残るでしょう。 もっとも、私のように当時買いそびれてしまったものにとっては実にあり難い復興盤なのですが。 今までもこのホ−ムペ−ジでも数多くの貴重盤を取り上げてまいりましたが、ことその希少性ということにかけては、キャサリン・ハウやスプリング、ヴァシュティ・バニアン、メロウキャンドル、ティカウィンダと並べても遜色ないと思います。 スティルライフのジャケットのように美しい旋律と、ジャズやソウルフルなフレ−バ−満点のオルガンが織り成す音楽は、実にブリティッシュプログレッシヴらしい荘厳な佇まいさえ感じさせてくれます。 流れるような音の世界の裏側に見え隠れする不思議な感覚。 このバンドの主役は何といってもキ−ボ−ドなのです。 超人的なテクニックとブログレッシヴな感覚のアンサンブルも絶妙でありますが、これだけの実力を持ちながらも成功しなかったという事自体、謎のような気がいたします。 彼らの音楽はメロディアスで繊細な部分とダイナミックで豪快な響きが実に心地よく融合されていました。 それは、観念的というよりもむしろ躍動感に溢れた情熱といってよいのではないでしょうか。 ジャズのインプロヴィゼ−ションとクラシックの趣を湛えながら燐としているのです。 こういった第3世代のプログレッシヴバンドの実力を目の当りにするにつけ、当時のブリティッシュロックの奥行きの深さと壮大さに改めて驚かされてしまいます。 これだけの感性とテクニックを持ったバンドが、僅か1枚のアルバムをリリ−スしただけで消え去ってしまうなんて何とも信じがたい事ですが、それもブリティッシュロック黎明期のロマンと考えれば少しは救われるかもしれません。
インディアン・サマ−
小春日和には心地よい風に吹かれて遠い異国に想いを馳せるのがいいのかもしれない。 例えばモロッコのタンジ−ルやマラケッシュ。 栄華を誇ったその街でポ−ル・ボウルズの夢を訪ねて暫しの幻想に揺らいで見せましょう。 だからという訳ではないのですが、インディアン・サマ−のただ1枚残されたアルバムには何処かエキゾチックな佇まいがありました。 これまた、キ−フによるジャケットも俊逸でした。 しかし、キ−フの手がけたア−ティストというのはそのジャケットの素晴らしさに反比例して何故かメジャ−になった人が少ないですよね。 ところでこのインディアン・サマ−、正統派ブリティッシュロックの伝統を受け継ぎながら、彼ら独自のプログレッシヴな感性で素晴らしい世界を見せています。 縦横無尽に疾走するキ−ボ−ドやハ−ドなリズムセクションに絡む叙情的な旋律は、プログレ・ハ−ドロックの重鎮ユ−ライア・ヒ−プやEL&Pの感覚に似ていますね。 スピ−ド感がありながらファンタジックでシュ−ルな演奏は重厚に響いてきました。 ただ、それであっても仰々しいロックになっていないのは、彼らのセンスと気品の賜物なのでしょう。 まるでイギリスのくすんだ空のように。 彼らの音を聴いていると、まるで大空を飛んでゆくように不思議な風景が次から次へと流れて行きます。 テクニックや全体のアンサンブルも相当なレベルがあり、とても1枚のアルバムだけで終わってしまうには惜しいような気がするのですが、当時のような群雄割拠の時代では運も味方につけない限り生き残れなかったのかも知れませんね。 確かに多かったんだこの手のバンドは。 そういえば蛇足ながらヴォ−カルのボブ・ジャクソンの声もケン・ヘンズレ−やグレッグ・レイクと同じト−ンですよね。 彼らがデビュ−した時は、日本ではおろか本国イギリスでもほとんど話題にも上がらなかったのですが、ネオンレ−ベルというコレクタ−の間では昔から注目されていたマイナ−なレ−ベルから発売されていたので、数年前にめでたくCD化されました。 この僅か10枚ほどのアルバムしかリリ−スしなかったネオン・レ−ベルは、1970年当時から一部のマニアの熱狂的な話題に上がっており、今でもその初版のアルバムを血眼になって探し回っているコレクタ−が多いと聞くと、ネオンレ−ベル恐るべしといった感がありますね。
マンフレッドマン・チャプタ−・スリ−
キ−フのシュ−ルな人形モノでは、クレシダと並んでこのマンフレッドマン・チャプタ−・スリ−のアルバムジャケットが双璧でありましょう。 番外編ではダンド−・シャフトの木馬というのもありましたが。 何といいますか、可愛くていたいけな人形達がただ並んでいるだけなのに、鬼気迫る情念のようなものを感じてしまうのは私だけでしょうか。 人形というのはジッと見つめているとなんだか怖くなってしまいますよね。 というわけで、鬼才マンフレッド・マンが満を持して( マンを辞して?
あれあれ変なシャレになってもうたぞ )結成したジャズ感覚溢れるバンドがこのマンフレッドマン・チャプタ−・スリ−でした。 思えばこの1970年という年はアメリカでもブラスロック( 嗚呼懐かしや )の嵐が吹き荒れておりまして、シカゴやBS&Tが熱狂的に受け入れられていたのです。 そういえば、ドリ−ムスなんていう洒落たバンドもいたなあ。 そんなアメリカ発祥の新しい動きがイギリスのミュ−ジシャンにも影響を及ぼさない訳がありません。 しかしながら、そこはそれストレ−トかつ大胆なアメリカとは違い、一味も二味も捻くれたブリティッシュの面々のこと当然ながら単純なブラスロックなんてことは有り得ませんでしたね。 マンフレッドマン・チャプタ−・スリ−の場合は、ブラスロックにイギリスらしいくすんだジャズの味付けやプログレッシヴな香りをつけた、なかなか一筋縄ではいかないジャズロックに仕上がっています。 アドリヴやインプロヴィゼ−ションというよりも感性勝負といった感がありますね。 こんなところがいかにもブリティッシュといつたところなのでしょうか。 ブラスロックとは彼らにとって手段でこそあれ目的では有り得ないのです。 また、その後のマンフレッドマン・ア−スバンドで完成されるシュ−ルなメロディ−ラインの美しさも、実はこの時に誕生していました。 もともと、ジャズロック自体はヒュ−・ホッパ−やキ−ス・ティペットをはじめとするカンタベリ−系に集約されると思うのですが、同じジャズロックであってもこのマンフレッドマン・チャプタ−・スリ−はカンタベリ−系のバンドとはすこしぱかり毛色が違っております。 前進がポップバントだったという特異な経歴が、彼らの不思議な特性を生み出しているのではないでしょうか。
ジョ−ンズィ−
ジョ−ンズィ−のノ−・オルタネイティブと題されたファ−スト・アルバムは、プログレファンにとって古くからCD化が待ち望まれていた1枚です。 イギリスにおけるプログレッシヴ・ロックの裾野の広さは、トラディショナル・ミュ−ジックに匹敵するほどの広がりと深さを見せていますが、それにしても近年になってこんなにも沢山のアルバムが再発されるに当たって、私自身なんとも多くのバンドを見過ごしていたのかと反省いたしております。 しかし、1970年代を青春として過した人ならお分かりのとおり、あの時代LP1枚2500円から3000円くらいしましたからね。 今、CDが2500円で買えるのとは貨幣価値がまったく違っていたのです。 今に価値に換算するとCD1枚を15000円くらいで買っていたということになるのかなあ。 まあ、兎に角貧乏な学生にとって、アルバムとはそうそう購入できるシロモノではなかったのですね。 というわけで、星の数ほどある欲しいアルバムの中から1枚のアルバムを絞り込んでいかないといけなかったので、少し趣味性の強い1枚とか脇道に枝分かれしている逸品とかは随分と見て見ない振りをしておりました。 このジョ−ンズィ−のアルバムもそういった1枚に数えられる作品ですね。 ジョ−ンズィ−はイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドの中でも極めて正統派の部類に属すると思います。 要するに、らしいという事なのですが逆にそれが個性のなさにも繋がっていました。 歌や表現力や演奏力、それに全体のコンセプトも平均点以上なのですが、これといって強烈にアピ−ルするものがないような気がします。 程よくシュ−ルで幻想的な、とてもいいアルバムなんですけどね。 その辺りの没個性的なところがあの時代の過当競争の中で生き残れなかった理由なのかなと考えてしまいます。 特に、このファ−ストアルバムに於いては明らかにキング・クリムゾンの名作クリムゾン・キングの宮殿の思想を踏襲し、そのサウンドを意識し過ぎているのではないでしょうか。 彼等の歌の裏側にはキング・クリムゾンの幻影が見え隠れしている、私にはそんな風に見えてしまうのです。 逆にいうとそれだけキング・クリムゾンの存在が大きすぎたということになるのでしょうか。
ベガ−ズ・オペラ
この人たちは、多くのプログレッシヴバンドがそうであるように、何といってもテクニックが傑出していました。 そして、プログレッシヴバンドとしての流麗なる感性や先進的な感覚が素晴らしいのです。 もちろん、テクニックにだけ関して言えば、キャリアを積むことにより望むべき方向へと進んでいけるのですが、こと感性についはまったくの別問題だと思います。 そう、これだけはもうどうしようもない天性の資質。 ですから、聴き手側の心を捕らえるだけの物を持ちえていないと、プログレッシヴバンドとしての成功は望めないのです。 ベガ−ズ・オペラにはそれがありました。 プログレッシヴバンドとしての潤沢な品位を纏っています。 そして、極めつけはイギリス伝統の香り高き叙情性と格調高く詩情溢れる旋律。 そんな、素晴らしいベガ−ズ・オペラですが、ヴォ−カルのマ−ティン・グリフィスのただ美しいだけでなく奥行きの深い声と、キ−ボ−ドのアラン・パ−クの流麗なプレイがこのグル−プの核となっていることは言うまでも無いでしょう。 このアルバム、パ−ス・ファンダ−はそんな彼らの3枚目のアルバムであり、リリ−スされた6枚の作品の中でもキ−フがデザインしたファ−ストと並んで最高傑作にあたるのではないでしょうか。 特に、スタンダ−ドのマッカ−サ−・パ−クは美しさと荘厳の極みを兼ね備えていて、おそらくは彼等の名曲の中でもベストだと思われます。 流れるような美しさとはこういうことをいうのでしょうか。 また、牧歌的な名曲ホ−ボ−もプログレらしからぬ粋な味を出していました。 彼等の場合はクラシカルな音楽の影響を多大に受けており、群雄割拠するブリティッシュ・プログレッシヴバンドの中でも、ナイスやEL&Pやイエスに通じるような透明な世界感があります。 また、アンサンブルの素晴らしさも特筆すべきでしょう。 流れるような旋律は美しさを通り越して芸術しての頂点を見せていました。 ただ、残念ながら成功はしなかった。 レ−ベルもあのヴァ−ティゴですし、この手のバンドには非常に理解のある会社であり、その為のノウハウも確立されていた筈なのですが。 ただ、アフィニティ−やクレシダやスティルライフのように超一流のバンドであっても、殆ど売れなかったというのがこのレ−ベルの特性でもありました。 でも、今からでも、しかるべき評価を与えるべきバンドだと思います。