スティッキ−フィンガ−ズ   1971年

ロ−リングスト−ンズが自らのレ−ベルを作って発売したこのアルバムは、軽快なスト−ンズフレ−バ−十分のギタ−カッティングによるブラウンシュガ−でスタ−トする。それは、あたかも華麗なる1970年代の幕開けに相応しいものでした。当時高校生だった私は、この曲のイントロの ちゃっちゃっ というギタ−のかっこいいフレ−ズをコピ−したくて思考錯誤し、結局 オ−プンGチュ−ニングでいとも簡単に弾けると分かったのは随分と時が経ってからのことでした。まっ、其れはさておき私とスト−ンズとの出会いを決定的なものとしたこのアルバムは、その後も、もっとも好きなアルバムの1枚となっております。 ベガ−ズバンケット、レット・イット・ブリ−ドと続いたア−シ−でどちらかと言えば玄人好みのするサウンドから、少しばかりブル−スより脱却したかのような印象を受けます。それは、当時凄まじい勢いで台頭してきたブリティシュロックをかなり意識していたからなのでしょう。流石は時代に敏感なスト−ンズですね。一説では故グラムパ−ソンズに提供したと言われている、アコ−スティクな名曲のワイルドホ−スや国籍不明で浮遊感のあるユ−ガッタム−ブ、そして名曲ブラウンシュガ−と遜色ない疾走感のあるビッチ、ブラスセクションもピッタリはまって最高だし、キ−ス・リチャ−のヴォ−カルがとても渋くてかっこよかったですよね。また、これぞスト−ンズと言わんばかりの怪しく揺れる幻想的なシスタ−モ−フィンなど佳曲ぞろいですね。結局、このアルバムはその後の万華鏡のように華開いたスト−ンズの1970年代の原点だと思います。アンディ−ウォ−ホ−ルによるジッパ−付の( アナログ盤  )ジャケットデザインも随分と印象的でした。なかジャケを出すとパンツ姿のスト−ンズが勢ぞろいしておりましたね。スト−ンズにしても、自らが設立したスト−ンズレ−ベルの第一弾ということで張り切っていたのではないでしょうか。私の大好きなミックティラ−もやっとスト−ンズに馴染んできた頃だったし、キ−スにしてもそのギタ−ワ−クに油が乗り出し始めた時期ですし、何と言っても、ブライアンジョ−ンズの死や、オルタモントの悲劇を乗り越え、新たな歴史をスタ−トさせるという意気込みが感じられた素晴らしい記念碑なんですよね。

  
スト−ンズとグラム・パ−ソンズ

スト−ンズレ−ベル初のアルバムとなったスティッキ−・フィンガ−ズの中でも、ひときわバラ−ドの名曲として光り輝いていたのがワイルド・ホ−スでしょう。 アコ−スティックの真摯な響きの中に静寂な美しさを湛えたこの名曲は、当時相当な話題となり今でもスト−ンズの代表曲の一つに数える人も多いのです。 そして、この名曲もともとはスト−ンズの盟友グラム・パ−ソンズに捧げられたものでした。 事実、グラム・パ−ソンズが結成したフライング・バリト−・ブラザ−スのアルバム、バリット・デラックスの中で歌われており、それはスト−ンズレ−ベル初のアルバム、スティッキ−・フィンガ−ズよりもいち早くリリ−スされていたのです。 そうなってくると、当然ながらグラムとスト−ンズの関係が気になるところなのですが、グラム・パ−ソンズが在籍していたザ・バ−ズの1968年のヨ−ロッパツア−の時にスト−ンズとの親交が深まったとのこと。 時代はそう、60年代屈指の名作ベガ−ズ・バンケットからレット・イット・ブリ−ドへと繋がっていたあの時代であり、スト−ンズ自身もアメリカ南部の音楽やカントリ−への傾倒を強めていた時期と一致します。 そして、運命の出会いのように彼らはお互いの音楽的な背景に惹かれあいました。 その結果、ワイルドホ−スという稀代の名曲が生まれたのです。 グラム・パ−ソンズは伝説のカントリ−ロックバンドであったインタ−ナショナル・サブマリン・バンドを結成し、その後行き詰まりを見せていたバ−ズに加入しました。 彼がスト−ンズ同様バ−ズに与えた影響も非常に大きく、マクロ的に捕らえるとその後のカリフォルニア・サウンドの原型を形作ったともいえるかも知れません。 もし、彼らとグラム・パ−ソンズが出会っていなかったらワイルド・ホ−スを始めとするカントリ−バラ−ドの名曲は生まれなかったかも知れないのです。 惜しい事に天才グラム・パ−ソンズは若くしてこの世を去ってしまいましたが、スト−ンズとアメリカンブル−スやカントリ−ミュ−ジックとの接点に彼グラム・パ−ソンズが存在し、スト−ンズのその後のダウン・トゥ・ア−ス的なキャリアにも重大な影響を及ぼしたのですね。 

  メインストリ−トのならず者    1972年
 
スト−ンズのアルバムにしては珍しくつかみ所のない、散漫で猥雑な音作りに最初は余り好きになれませんでした。もちろん、ダイスをころがせロックスオフ、レットイットル−スなど名曲も多いのですが、スティッキ−フィンガ−ズのシャ−プな切れ味に比べると、どうも霧のかかったような重たい印象が強かったのです。 スト−ンズの身上としているのは、圧倒的に畳み掛けるロックでは無いにしても、ズシンとボディに効いてくるカッコイイ音だった筈です。タイトではない部分が妙に目立ってしまい、そして、おまけにスト−ンズ初めての2枚ぐみアルバムということで全体を通して捕らえどころの無い雰囲気がありましたね。ところが、数年後改めて聞きなおしてみた時に、そのまったく違った印象にびっくりしてしまいました。それは、ジャケットが表しているように徹底的に黒さと猥雑さに漬かりきってしまった余裕を、感じきれる歳に私自身が到達した結果だったのかもしれません。正に、レットイットル−スですよね。もし、意識してそれを狙っていたのだとしたらやはりスト−ンズは凄いなあ。そうやって考えるとジャケットの写真やタイトルの意味が何となく見えてきます。キ−ス・リチャ−ドも張り切って味のあるヴォ−カルを披露してくれ微笑ましくもありました。後で分かったことなのですが、スト−ンズの場合はアルバムを作る時に何十曲もの曲の中から数曲をアルバム用にピックアップするとのことで、当然グレ−ドが非常に高くなるわけです。ところが、このメインストリ−トのならず者の場合は想像なのですが、録音した曲を全部使っちゃったんじゃないでしょうか。それもほとんど一発取りに近い状態で。どうもそんな気にさせるナイスなアルバムですね。余談になりますがLP盤のジャケットには色んな写真の付録がついておりまして、それをしげしげと眺めながら聴いていくのもまた一興でありました。 蛇足ですが、スト−ンズの初日本公演を東京ド−ムに聴きに行く前日、このアルバムを聴きまくったことがあります。 あれは何だったのだろうかという気がいたしますが、そんな不思議な魅力が実は隠されいたのかもしれません。

  傑作ブ−トレッグ ・ ウェルカム・トゥ・ニュ−ヨ−ク 

ナスティ・ミュ−ジックには遥かにおよばないものの、これもスト−ンズの傑作ブ−トレッグアルバムです。 1972年のニュ−ヨ−ク公演のライヴテ−プをこっそり入手した誰かさんが発売してくれたもので、やはり何といってもキ−スとミック・ティラ−の妖艶なギタ−が素晴らしい逸品。 この、めくるめくような音の洪水を前にしてしまうと、たったいま飛んでいったお金のことなど忘れてしまえるというもの。 このアルバムも興味とお金があったらぜひ買いの1枚ですよ。 何といってもスト−ンズ史上最高の時期の最高のライヴ演奏が堪能できます。 きっとあなたはミック・ティラ−の余りの素晴らしさに度肝を抜かれる事でしょう。 また、数あるスト−ンズもののブ−トの中でも比較的安く手に入る逸品でもあります。 それにしても、ブ−トは金がかかる。 そして、一旦取り付かれると簡単に離れられないんですよね。 誰もが一度ははまり込んでしまう無限地獄のようなものでした。 かくいう私もこいつに遣られちゃいまして、暫らくの間は名盤ブ−トレッグ探しに躍起になっていた時期がありました。 今思えばインフルエンザにかかっていたようなもんです。 このウェルカム・トゥ・ニュ−ヨ−クみたいな傑作ブ−トレッグを手にしてしまうと、何ともいえない優越感というか世界中で俺だけのスト−ンズなんだと言うような、訳のわかんない錯覚に陥ってしまうんですね。 これがコワイ、1つを手にいれると、また、次なる名盤探しに躍起になるのです。 当たり外れがあるとも知らないで、まったく賭けみたいなもんなんだからコイツは。 この頃のセクシ−なスト−ンズの面影は、これまたオクラ入りとなってしまった幻のフィルム、レディ−ス・アンド・ジェントルメンで堪能できるのですが、よろしかったソロソロこのフィルムもDVDなんかで出してくれないでしょうかね。 兎に角ミック・ティラ−の妖艶さといったらもう。 この美少年が官能的なギタ−バトルをキ−スと繰り広げる訳ですから溜まりませんよね。 余りにも才能がありすぎたので、スト−ンズをやめざるを得なかったというのが私の結論なのですがいかがでしょうか。 もともとは、かのジョン・メイオ−ルに師事して、その類稀内ないブル−スギタ−には定評があった訳ですから当然といえば当然だったのかもしれませんね。 スト−ンズ脱退後は鳴かず飛ばずだったのが聊か残念ではありますが。

  山羊の頭のス−プ    1973年

実は、このアルバムもスト−ンズのアルバムにしては珍しいくらい聞き込んでないアルバムでした。確か、リリ−スされてから10年位は聞いてなかったような気がします。前作と同じようにつかみ所のない出来栄えで、どうも、この頃のスト−ンズは何かしら迷いきって自分たちの進むべき方向さえ見失っていたのではないでしょうか。 あのスト−ンズ独特の腰にまとわり着くようなねちっとした音の厚さが余り感じられないのです。珍しくといったら失礼になるでしょうが、その一因としては、其々の曲調が透明感のある美しさで統一されているせいなのでしょうか。これは、どう考えてもスト−ンズらしくない。当時のライヴがスト−ンズ史上最高のレベルで行われていた事と比較すると、このあたりのギャップに戸惑ってしまうのは私だけではないでしょう。歴史に残るナスティ・ミュ−ジックの驚愕のライヴが丁度この辺りなんですよね。ライヴ・イン・ニュ−ヨ−クも同じ年代ではなかったかなあ。ブ−トレッグのライヴで感じられるこの時代のスト−ンズがおそらく史上最強であったでしょう。こんなことを言ってしまったら熱狂的なスト−ンズファンに怒られそうですね。 その1つの理由にはアルバム発売前にジャケット写真とタイトルがやたら話題になったせいがあるのかもしれません。そういえばジャケットの不鮮明さがそのまま音にまで影響しているようですね。スト−ンズバラ−ドとしては出色の
アンジ−を始めとして、夢からさめて、シルヴァ−トレイン等決して1曲、1曲の出来は悪くはないのですが、アルバムを通して聞いたときにスト−ンズらしさが感じられないのは私だけなんでしょうか。ただ、これはあくまでも高レベルなアルバムを作りつづけたスト−ンズゆえの話であって、そこら辺のロックアルバムの中ではやはり、ずば抜けて素晴らしいのですが。どうもこの時期というのは、次なる新たなステップへと進むための充電期間だったような気がしますね。それは、次回作のイッツオンリ−ロックンロ−ルで見事に証明されましたから。

 
ライヴこそスト−ンズ

幻に終わってしまった日本公演。 当時、天文学的な狂騒に打ち勝ってチケットを手にしながらもポシャッてしまった御仁の心中お察し申し上げます。 1973年の1月28,29,30,31日から、2月1日。 この日の事を忘れられないスト−ンズファンは数多いことだと思います。 今となっては懐かしい想い出なのかも知れませんが、まさに悲劇的な結末でありました。 しかし、正直なところ地方都市に住んでおりました私にとっては、ザマアミロと言ったいたいけない気持ちも、少しだけあったことも事実でした。 まあ、それくらいスト−ンズのコンサ−トは嫉妬も含めた社会現象でありえたのです。 特にこの時期は、何といってもロ−リング・スト−ンズ史上最強の時期であっただけに返す返すも残念としか言い様がありません。 そして、皮肉なことに1970年から1973年のスト−ンズこそ最強であったにも関わらず、正規ライヴ盤が1枚もリリ−スされていないという謎。 あれだけの驚異的な臨場感とセクシ−な演奏力を誇っていたのに、う-ん、どうしてなんだろう。 これだけは、ミツク・ジャガ−とキ−スに聞いてみないと解からないことなのでしょうね。 1970年代も後半になってからラヴ・ユ−・ライヴなる10年ぶりのライヴアルバムをリリ−スしてくれるのですが、この時にはもうミツク・ティラ−はいなかったのです。 勿論ロン・ウッドの渋いプレイも素晴らしかったのですが、キ−スとミック・ティラ−の醸し出す妖しさは誰も再現できませんでした。 ご存知のようにスト−ンズの真髄は何といってもライヴなんですよ。 これについては衆目の一致するところでありましょう。 熱狂的なスト−ンズ・ファンはこの断層を埋める為、ナスティ・ミュ−ジックやウェルカム・トゥ・ニュ−ヨ−ク、そして、ライヴ・イン・パ−ス、ブリュッセル・ア・フェア−などのブ−トレッグに手を染め、満たされない心を癒すしかなかったのです。 キ−ス・リチャ−ドの官能的なギタ−カッティングに纏わりつくミックの驚異的なスライド・ギタ−、火花散るバトルとはこういうことをいうのでしょうが、あの時代のスト−ンズにはそれがありました。 あのブラウン・シュガ−の妖艶なギタ−リフで始まるライヴを、1度でいいから体験してみたかったと思うのは、誰もが願っている果かない夢なのです。


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