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アロ−ズ
マンフレッドマン・ア−ス・バンド

スモ−キ−
バッド・フィンガ−
エジソンライトハウス&トニ−・バロウズと仲間達
マンゴジェリ− 
ロイ・ウッド&ウィザ−ド
ホ−クウィンド 
スレイド  
ブリンズレ−シュワルツ
 
エ−ス
フライングマシ−ンホワイト・プレインズ 以下近日登場
フォ−チュンズ
ミドル・オブ・ザ・ロ−ド
ヴァニティ・フェア−ペイパ−レ−ス
パイロット
マッドル−ベッツ
ファ−スト・クラス
ゾンビ−ズ
スウィ−トグリッタ−バンド
ホリ−ズ
アルヴィン・スタ−ダスト
フランプトンズ・キャメル
10CC


アロ−ズ

かつては、日本において、かまやつひろしとウォッカ・コリンズを組んで活躍したアラン・メリルが率いたポップ・バンド、それがアロ−ズです。 彼はまた、有名なニュ−ヨ−クのジャズシンガ−、ヘレン・メリルの息子でもありました。 ウォッカ・コリンズは時流に乗ったグラムチックな路線でしたが、こちらは正真正銘の正統派ハ−ド・ポップ・バンドで、単なるアイドルの枠を越えていたセンスあるバンドだったと思います。 楽曲も侮る無かれ実に素晴らしくて軽快な名曲揃いでした。 デビュ−曲はかの御大ニッキ−・チン&マイク・チャップマンによるタッチ・トゥ・マッチ。 チン&チャップマンとくればどう考えても悪かろう筈がなく、実に軽快で捻りの効いたポップ・ソングになっています。 演奏もこの手のバンドらしくなく極めてタイトでソリッド。 そして、スマ−ト。 それもその筈、曲によっては、あのコ−ジ−・パウエルとクリス・スぺディングが参加しているのですから。 なんという驚くべき豪華なバックス。 これも歌姫といわれたお母さんのお力なのでしょうか。 時にスレイド、時にスウィ−ト、時にT・レックス風の歌もありますが、基本はあくまでもシンプルなロックン・ロ−ル。 単純だけど琴線に触れるツボを押さえた歌は、ハ−ド・ポップ好きにはたまらないと思います。 チン&チャップマンから提供されたのは数曲で、後はほとんどが彼らのオリジナル。 この辺にもポップ・バンドらしからぬプライドが感じられて良いですね。 蛇足ですが、ジョ−ン・ジェットやブリトニ−・スピア−ズでヒットしたアイ・ラヴ・ロックン・ロ−ルは、このアロ−ズがオリジナルなんです。  

  マンフレッドマン・ア−ス・バンド

もしも、ある秋の日の昼下がり広大なる草原に佇んで風に吹かれていられるとしたら、私は躊躇うことなくこんな音楽を聴き続けているでしょう。 そうマンフレッドマン・ア−ス・バンドのような不思議と美しさが交じり合った音楽を。 それは爽やかに私達の感性を刺激してくれます。 イギリスのア−ティストの奥の深さは、例えばマンフレッドマン・ア−ス・バンドに代表されるように深遠なる格調がありました。 彼らはプログレッシヴでシュ−ルな思想とポップグル−プとしての心地よさを同居させて、まるで上品なワインのようにとても魅力的な味わいがあったのです。 マンフレッドマン・ア−ス・バンドを単なるポップグル−プとして位置付ける人は誰も居ないでしょうが、耳障りの良いプログレッシヴロックと分類する人もいないでしょう。 両者の微妙な境界上で不思議な魅力を存分に解き放っていた、そんなイギリスらしさが大好きな人も多かった筈。 マンフレッドマン・ア−ス・バンドの新鮮な旋律は、現実感からの解放と情念のリフレッシュを約束してくれるのです。 丁度、何処かに置き忘れてきた想い出のように。 奥はとても深いのだけれども決して間口を狭めていない懐の深さがありました。 そんな抽象的な曖昧さがもしかしたら日本で評価されにくかった原因なのかもしれませんね。 でも、こんなにも心の中を爽やかに洗い流してくれる音楽がかつてあったでしょうか。 マンフレッドマン・ア−ス・バンドは日常性の中に恒に美意識を持たせてくれる情念があったのです。

  スモ−キ−

遠い北国の空のように暗く重圧感のある風景。 厳しい冬は暖かな想いを永遠に閉ざしてしまうように感じてしまう。 そんな切ない日々に一筋の光明が射すような歌声がスモ−キ−の魅力でした。 彼らの歌声は北国の空に響き渡るように、ポップシ−ンを切り裂いたと思ってしまいます。 従来のポップグル−プの常識を覆す甘さとはかけ離れたような切実さ。 それがスモ−キ−の魅力だったのですね。 ですから、この人たちも唯のポップグル−プの1つとして片付けてしまう訳にはいかない渋とさと逞しさがあります。 独特なハスキ−ヴォイスと爽やかなコ−ラスは、程よい暗鬱感や押さえ気味の気品を醸し出していました。 英国の伝統的な佇まいがスモ−キ−の思想の源となのかなと思わずにはいられません。 彼らの音楽には、哀愁という感傷的なシチュエ−ションがもっとも似合う反面、野性味を感じさせる骨太の気骨感でもあったのです。 男気とロマンを携えて。 人生を旅と捉えるならば、スモ−キ−こそもっとも相応しい友となることでしょう。 また、彼らほどスウィ−トと並んで名コンポ−ザ−、チン&チャップマンの魅力を引き立たせたグル−プもいなかったでしょうね。 両者の関係が最良であったことは数多くのヒット曲と当時のシ−ンが証明しています。 晩年はヒット曲連発からの脱却を試みたような作品も目立つようになるのですが、彼らの本質はやはり哀愁感のあるメロディ−と琴線に触れる歌声ではないでしょうか。 旅の空の下で立ち止まった時にふと耳にしたくなる音楽なのだと思います。 懐かしさと愁いを想い出に込めながら。

 バッドフィンガ−

人は大切にしている想い出が1つや2つはあるのでしょうが、私とバッドフィンガ−に纏わる切なかった日々も今となっては懐かしい想い出となりました。 それは、好きになった時には遠くへ行ってしまっているといった、まるで恋愛関係のように洒落にもならないようなことだったのです。 彼らがアップルを離れてからの名作ウィッシュ・ユ−・ワ−・ヒア−にあらためて感激し、アップル時代の名作の誉れが高かったストレ−ト・アップを探したのですが、もうその時は後の祭り。 バッドフィンガ−狂想曲の真っ只中では手に入ろう筈もありません。 数十万という天文学的な値段に恐れをなし、当時はブ−トのリイシュ−盤や得体の知れないバッドフィンガ−ものを手に入れては溜息ばかりついていました。 本当に懐かしく切ない想い出ですね。 まあ、英国ポップス史上類を見ないほどの卓越したセンスと美しすぎるほど旋律、そして、ある種の果かなさを秘めたような情感が、多くの人の心を引きつけたのですからしょうがないことなのでしょうが。 今でも彼らのレコ−ドを聴き返すたびあの頃の日々が胸をいためます。  バッドフィンガ−に関する詳しい解説はこちらへ  


 エジソン・ライトハウスとトニ−・バロウズと仲間達

1970年代をリアルタイムで過した方なら、エジソン・ライトハウスの大ヒット曲恋のほのおを憶えていらっしゃると思います。 実に爽やかで軽快なメロディ−は甘酸っぱい想いと共に何時までも心に残るような名曲でした。 ストリングスや女性コ−ラスをふんだんに使ったサウンドは、少々甘すぎるきらいもあったのですがこの時代ならではの明るさとして嫌味なく受け入れられました。 私自身あの時代にもっとも多く聴いたシングル・レコ−ドではなかったかなと思います。 イギリスのヒットメ−カ−、トニ−・マッコウレイの手になるこの曲は全英1位・全米5位という実績も残しています。 ところが、このエジソン・ライトハウス実は実態の無いグル−プでありまして、ヴォ−カルのトニ−・バロウズは有名なセッション・ヴォ−カリストでした。 当時ホワイト・プレインズに在籍していた彼は、この歌の為にエジソン・ライトハウスへ加入するのです。 加入するといってもメンバ−は彼ひとりで他はセッションミュ−ジシャンを使っての録音でした。 但し、恋のほのおが大ヒットしたので急遽ツア−用のメンバ−を組織していたりします。 さて、このトニ−・バロウズの歌声は実にしなやかで心地よいほどポップスにフィットしていまして、日本でも数多くのファンを生み出していました。 前進のホワイト・プレインズではあの娘のしぐさやラヴィン・ユ−・ベイビ−というヒットを飛ばしており、エジソン・ライトハウス脱退後はあの娘のしぐさのリメイクや愛しのメラニ−などの名曲をソロとして発表しています。 また、ピプキンズやブラザ−・フット・オブ・マンでセッション・ヴォ−カリストとして活躍するなど八面六臂の大活躍だったのです。 そして、驚くべき事にはその全ての歌がトニ−・マッコウレイの作曲によるものでした。 つまり、トニ−・バロウズが関わった多くのバンドやそれ以外のバンドでもトニ−・マッコウレイ作曲の歌がヒットしていたのです。 実にトップ20ヒットがなんと38曲、ビ−トルズのトップ20ヒットが27曲という事を考えるともの凄さが解かろうというもの。 当時のイギリスにおけるポップスの影の仕掛け人だったのですね。 一見してわかる爽やかで軽快なマッコウレイ調はあの1970年代の象徴のようなものでした。 トニ−・バロウズとトニ−・マッコウレイ、イギリスにおけるポップスの1つの時代を築き上げたこの2人は永遠に心に残り続けて行くことでしょう。 蛇足ながら、恋のほのおのヒットから数年後、日本で大ヒットした涙のハプニングは第3期エジソン・ライトハウスによるものでした。

 マンゴジェリ− 宝物のひとつである彼らのマキシ・シングル

イン・ザ・サマ−タイムの懐かしい響き。 飄々として快活、そして泥臭くて軽快なこの大ヒット曲を飛ばしたのがご存知マンゴジェリ−の面々でした。 思えばあの時代は良かった。 なんか、仄々とした郷愁に誘われてこの愉快なジャグバンドとタイムトリップをしたくなって来る、そんな暖かさと優しさの魅力に溢れていました。 思わずホワッとするんですよね。 マンゴジェリ−が人気をはくしていたのは丁度グラムロックが台頭してきた1971年で、一種独特な音楽性も相まってグラムロックのバンドと捕らえられていましたが、彼らの場合は泥臭いブル−スをベ−スに置いている点で明らかにグラムロックのバンドとは違っていました。 アメリカのそれも典型的な南部のヴォ−ドヴィルやジャグブル−スを彼らなりの視点で消化したのがマンゴジェリ−の音楽なのです。 レイ・ド−ゼットの非常に黒っぽいヴォ−カルと軽快なメロディ−が実に絶妙でありまして、一度はまり込むとなかなか抜け出せないような世界なのでした。 前記のイン・ザ・サマ−タイムを始めとして、レディ・ロ−ズ、シ−・ロ-ド、ベイビ−・ジャンプ、オ−プン・アップ等の名曲は、今聴き返しても実に良く出来ている歌でしたよね。 レイ・ド−ゼットと他のメンバ−の音楽性の違いから彼らの活動期間は短かったのですが、その軽快な歌の数々は私たちに強い感銘を植え付けてくれたのです。 だから私たちは、今でも夏になるとイン・ザ・サマ−タイムを思わず口ずさみたくなるのでしょう。

  ロイ・ウッド&ウィザ−ド

イギリスポップス界の重鎮、正真正銘のロックンロ−ルサラブレッド、ポップスの魔術師、はたまたロカビリ−の錬金術師、そんな様々な装飾語も吹っ飛んでしまいそうなのがロイ・ウッドお兄さんとウィザ−ドの皆さんでした。 この人、果たして天才なのか、それとも凡人なのか分からなくなる時が良くあります。 超一流の流麗なメロディ−ラインを見せてくれたかと思うと、ただのロックンロ−ルを一寸ダサク、しかもさりげなく歌う。 何処に自身の本質を隠しているのか見えてこないのです。 それがまた魅力といえば魅力なのでしょうが。 しかしながら、ロイ・ウッド自身フィル・スペクタ−・サウンドへの憧れやロックン・ロ−ルへの敬愛ぶりは相当なものだと思われます。 おそらくはそれが彼の音楽の原点なのでしょう。 ザ・ム−ヴ時代から類稀ない才能を評価されていましたが、それが本格的に開花したのはELOを立ち上げてから。 これまた、イギリスポップス界のもう一人の大天才であるジェフ・リンに強烈な刺激を受けたのでしょうね。 しかし、ここでも両雄並び立たずで、結局のところロイ・ウッドはELOをすぐさま脱退してしまうのです。 そして、満を持して結成したのがこのウィザ−ドなんですね。 シ−・マイ・ベイビ−・ジャイヴ、ロックン・ロ−ル・ウィンタ−、などの大ヒットを飛ばしながらエディ・アンド・ザ・ファルコンズなるト−タルなロックンロ−ルアルバムも作ってしまう程の拘り様でありました。 さてその音楽性はというと、もう一寸スッキリしたらどうなのと言ってしまいたい位重厚なウォ−ル・オブ・サウンドのてんこもりです。 まさかロネッツまでは参加させていなかったのでしょうが、明らかにあの時代を意識しているコンセプトが見受けられます。 ですから、ウィザ−ドの根底に流れているのは、スペイシ−でエレポップ風な味付けはしてあっても、徹頭徹尾ロックンロ−ルそのものでありました。 それもフィル・スペクタ−サウンドを充分すぎるほど意識した。 絢爛豪華というか飾りすぎというか、兎に角凝縮され過ぎたような不思議な音楽だったのですが、それが嫌味にならないところが彼の役得なんでしょう。 また、ソロになってからも次々に名作を届けてくれたのですが、なんといってもボ−ルダ−ズは歴史に残る超名盤でした。 

 ホ−クウィンド

それは延々と繰り返される日常に似て、閉塞的な感覚を感じさせてくれる音。 感情を麻痺させるようなその嵐のリフの中に佇んでいると、そのうちに不思議なくらい心が落ち着いてくるのです。 そう、まるでスタ−ダストのように宇宙の彼方から突然舞い降りてロックンロ−ルを振りまいたバンド、それがホ−クウィンドでした。 彼らの場合、典型的なトリップ音楽のスタ−としてカリスマ的な人気を博していたのですが、エレポップバンドとしても勿論超一流の仕事をしています。 時にはハ−ドロック以上にハ−ドであり、またグラムロック以上にグラム的であったりするのですが、やはり何といってもスペ−スシップに乗って飛び回っているような浮遊感が彼らの魅力でした。 まさにス−パ−ソニック・ロックンロ−ルでありましたが、違う観点から見ていくと非常にプログレッシヴ的なバンドだったとも思います。 先程も言いましたように、延々と繰り返されるリフはそれ自体が彼らのコンセプトとなっておりまして、極論するとどの曲も皆同じような歌に聴こえてしまうほどでした。 しかし、彼らのシンパに言わせるとそこがまた溜まらないらしいのですね。 おそらくはドラッグ感覚なんでしょう。 唯、ステ−ジ上でストリップ同然のダンサ−を踊らせたりと、余りにも話題性が先行してしまいその音楽性にまで波及したことは語られなかったのですが、実は本当に深遠なる素質を有していたバンドだと思います。 また、特筆すべきは21世紀になった今も延々とアルバムをリリ−スし続けていること。 ホ−クウィンドだけの名義でも50枚を下らないほどで、狂気の大天才フランク・ザッパに匹敵するような膨大な仕事量であります。 そういえば、フランク・ザッパもステ−ジ上でヌ−ドダンサ−を踊らせていましたっけ。

  スレイド

グラムロックの台頭とともに登場して来たいなせなロックンロ−ルお兄さん風ガッツ野郎。 そして、スレイド様のお通りだいと、まるで石田国松風の純朴さもよく似合う。 そんな彼らの音楽には、ロックンロ−ルに対する思い入れの強さがひしひしと伝わってきます。 スレイドは並み居るロックンロ−ル・バンドの中でも硬派のイメ−ジを独特な世界で表現していました。 日本での初ヒット曲、だから君が好きにはそんなスレイドのソリッドなロックの魅力が満載されていて、私自身もこの実に地味ながら味わいのある名曲にノックアウトされた記憶があります。 この名曲には、哀愁たっぷりのメロディ−と彼ら特有のあのスレイド節がすでに姿を現しておりました。 う-ん、何度聞いてもいい歌ですよね。 日本でも結構ヒットしましたので憶えていらっしゃる方も多いと思います。 この歌とセカンドアルバムに入っていたジャニス・ジョップリンの名曲ム−ヴ・オ−バ−がスレイドの鮮烈な印象を与えてくれました。 ジャニスのム−ブ・オ−バ−をあんな風に格好良く聴かせてくれたのは彼らが初めてでした。 あの時代がそうだったので、どうも彼らの場合グラムロックの範疇に加えられていたりするのですが、実はそれ自体レコ−ド会社の営業戦略だったのでありまして、彼ら自身が望んだ事ではないのだと思います。 その証拠にグラムシ−ンを突き破るような正統派ロックの大ヒットを立て続けに飛ばし、一躍トップスタ−へと登りつめてしまいました。 恋の赤信号、恋のバックホ−ム、クレイジ−・ママ、グッバイ・ジェ−ン、カモン、スクィ−ズ・ミ−・プリ−ズ・ミ−、等数え上げればスペ−スに暇が無いほど。 小気味よいほどストレ−トに押しまくる音楽性には理屈抜きで爽快にさせられる魅力がありました。 まさにロックン・ロ−ルの原点を再認識させてくれるようなバンドだったのです。 彼らの名曲は数多くあるのですが、中でも一番の名曲と評判が高いのはスレイド・イン・フレイムに収録されていたハウ・ダス・イット・フィ−ル。 独特なスレイド節に加え時にはジャズの香りさえ漂わせる異国の香りたっぷりな超名曲でした。

 ブリンズレ−・シュワルツ

アメリカのル−ツミュ−ジックへの憧れが募ったようなナイスなジャケット。 鬼才ニック・ロウの胸に去来するのは古き良きアメリカの面影だったのでしょうか。 ブリンズレ−・シュワルツの場合ポップミュ−ジックというよりも、様々なル−ツミュ−ジックを取り入れておりまして、そのしなやかな感性と聴きやすいメロディ−に乗せて届けてくれるのです。 まるで、荒野に咲く一輪の花のように。   ブリンズレ−・シュワルツに関する詳しい解説はこちらへ

 エ−ス

西海岸を想わせる爽やかなハ−モニ−と軽快なリズム。 まるで、風に吹かれているような心地よさに包まれてしまうバンドそれがエ−スでした。 イギリスから生まれてくるグル−プには、時々こんな多国籍な魅力を持った人たちが登場するのも面白いところですね。 いわゆるイギリスのなかのアメリカというやつです。 AORと呼ぶには初々し過ぎるし、ポップなバンドというだけでは彼らの音楽性を言い当てられない。 すべてが霧のかかったような不思議な魅力に包まれています。 それが僅かにイギリスらしいところなのでしょうか。 ポ−ル・キャラックとフィル・ハリスはそんなふわふわとした感性を持っていたのです。 彼らはハウ・ロングというシングルの大ヒット曲もあるのですが、名作アルバム、タイム・フォ−・アナザ−の中のトング・タイドも名曲中の名曲でした。 アメリカへの憧れを募らせているような旋律は、哀愁感たっぷりの詩情をたたえています。 この歌を聴いているとアメリカ大陸の広大な原野を思い浮かべてしまうのは私だけではないでしょう。 例えば、暖かくなってきた春先とか、よく晴れた秋口にでもタ−ンテ−ブルに乗せてあげれば、とっても素敵な気持ちにさせてくれることだと想います。 いつの時代にも必ず必要な、そんな素晴らしさを湛えたグル−プですね。

 フライングマシ−ンホワイト・プレインズ

またまた出てまいりました、トニ−・マッコウレイ一派の重鎮、そして、もう一方のヒット・メイカ−、グリ−ナウェイ&クックの秘蔵っ子、それが笑ってロ−ズマリ−ちゃんやヘイ・リトル・ガ−ルというスマッシュヒットを放ったフライング・マシ−ンでした。 特に、前者の笑ってロ−ズマリ−ちゃんは全世界で200万枚を売り上げるという当時としては大ヒットを記録し、一躍トニ−・マッコウレイとフライング・マシ−ンを世に知らしめたのです。 個人的にはヘイ・リトル・ガ−ルのようなアップテンポでポップな歌が大好きでしたが、彼らの場合は笑ってロ−ズマリ−ちゃんのようなソフトロック風味のミディアム・バラ−ドで評価を受けていました。 考えてみますと、この屈託のない明るさはあの時代のポップスの象徴だったのかもしれませんね。 また、同じくグリ−ナウェイ&クックとトニ−・マッコウレイによってスタ−ダムへと駆け上がったのがホワイト・プレインズです。 彼らは70年代最大のセッション・ヴォ−カリスト、トニ−・バロウズを配して、恋に恋してのデビュ−大ヒットを生みますが、トニ−・バロウズはその後トニ−・マッコウレイに引き抜かれて、エジソン・ライトハウスヘと参加してしまいました。 まあ、トニ−・バロウズ自体節操のないバンド活動を行っていましたから、引き抜かれたというよりもむしろヒット曲が出るまでの契約だったのかもしれません。 しかしその後も、ホワイト・プレインズの勢いは留まるどころか、むしろ脂の乗ったグリ−ナウェイ&クックの名作曲コンビにより、アイヴ・ゴット・ユ−・オン・マイ・マインド、あの娘のしぐさやラヴィン・ユ−・ベイビ−といったホワイト・プレインズらしい、切なくて爽やかな名曲を連発して行きます。 今、聴き返してみても軽快で甘酸っぱい香りの素晴らしい歌は、当時のイギリスにおける上質のポップスといい意味での商業主義が結実した結果だと言えるでしょう。 また、何処かしら愁いを帯びたその旋律は、もっともイギリスらしい最上級のポップス・バンドだといえると思います。







以下近日登場





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