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ロ−リングスト−ン誌のジョン・ランド−をして「 ロックンロ−ルの未来を見た、その名はブル−ススプリングスティ−ン 」とまで言わしめた彼も最初は歌を歌うことが大好きなアメリカの下町の青年でした。 そんなブル−スも、やがては自らの才能に目覚める日がやって来ます。 若き日のやる瀬無い焦燥感と燃えるような情熱を歌にした彼は、あっという間に若者の支持を受け、そして世界のロックファンの羨望の眼差しのもとアメリカン・ヒ−ロ−となっていくのです。 まるでアメリカンドリ−ムを地で行くような成功を納めることになるのですが、彼の人生そのものは彼の歌のように栄光と挫折の繰り返しでした。 恒に心の中の弱さをさらけ出していた、その人間臭さと優しさこそがブル−ススプリングスティ−ン魅力ではないでしょうか。



  アズベリ−パ−クからの挨拶

若き日を懐かしむ時は誰にでもあると思うのですが、それは過去への決別と想い出への愛着の繰り返しなのではないでしょうか。 21世紀になった今、彼ブル−ス・スプリングスティ−ンはあの1970年代をどのように回想しているのでしょう。 多分ブル−ス・スプリングスティ−ンにとって幸せな1970年代だったと思うのですが、それは彼のみぞ知ることです。 当時、私は高校を卒業したばかりでした。 まだ時代は激動し揺れ動いていたと記憶しています。 彼もまた遠いアメリカのニュ−ジャ−ジ−において揺れ動く日々を送っていたのではないでしょうか。 そう、1972年春はまだ遠かった。 巷では評判のロックンロ−ルバンドであったスティ−ル・ミルも、メジャ−デビュ−を果すほどの実力はなく、若きブル−ス・スプリングスティ−ンにとっても焦燥の日々であったと思われます。 しかし、そんな彼にも転機が訪れます。 マイク・アベルとの出会いでした。 彼の取り計らいによりブル−スはCBSコロンビア・レコ−ドと契約に漕ぎ着け、幸運にもデビュ−を果すことになるのです。 それがこのアズベリ−パ−クからの挨拶という記念すべきアルバム。 若き日の彼の燃え滾る想いが凝縮されていました。 このアルバムは、いきなり光で目もくらみという名曲でスタ−トするのですが、既に彼のマシンガンのような歌い口は姿を見せ初めており思わず嬉しくさせられてしまいます。 しかしながら、後日彼が語っていたように自分はロックン・ロ−ラ−になりたかったのに、アベルとハモンドは第2のボブ・ディランにしたがっていたと。 確かにアコ−スティックな曲調も多いのですが、どっこいブル−スはちゃんとロックン・ロ−ルのハ−トを隠し味にしてくれています。 そう、このアルバムもバックの演奏のみがアベルとハモンドの意向で静やかに奏でているだけで、あの名作明日なき暴走のバック陣で再演するとしたら、きっと素晴らしいロックン・ロ−ルアルバムに生まれ変わると思います。 ここにはロイ・ビタンもいないし、クラレンス・クレモンスもいませんがブル−ス・スプリングスティ−ン自身はちゃんと存在しているのです。 ロックン・ロ−ルとともに。 何時の日かジョン・ランド−辺りが再プロデュ−スしてくれないでしょうかね。 若き日のブル−ス・スプリングスティ−ンはちょっと初々しくて眩しさもありますが、彼の情熱は脈々と息づいていました。 きっとアズベリ−パ−クや彼の心の中にも春が訪れていたことでしょう。 1973年、当時よくライヴで演奏されていた成長するってこと、フォ−・ユ−、スピリット・イン・ザナイト、都会で聖者になるのは大変だ等の名曲とともに、栄光への階段を上り始めたブル−ス。 それが輝かしい1970年代のロックシ−ンと重なってしまうのは私だけではないと思うのですが。 

  青春の叫び

多感な青春時代を送ったニュ−ジャ−ジ−の街には、胸を熱くする想いとやるせない苛立ちや喧騒が混沌として漂っているのでしょう。 それがブル−ス・スプリングスティ−ンの輝かしい成功の源なのです。 青春が美しいだなんて、決して言わせないとポ−ル・ニザンが語ったように、未来に対する希望と不安の両方を携えながら暗闇で佇んでいる、それが若き日の現実の姿なのですから。季節は移ろい行くが故に例え様も無く愛おしいのです。 誰もが決別しようとして心に秘めつづけるそれが青時代なのですから。 自分の進むべき道を模索しながら、滾るような情熱を持て余し、夜が待ち遠しい日々。それが若さなのだと歌いつづけたブル−ス・スプリングスティ−ンのすべてがニュ−ジャ−ジ−の街角や、アズベリ−パ−クに点在しているのでしょう。 いつかスタ−になることを夢見て彷徨っていた若き日のブル−スも、夜になると車を飛ばすすべしか知らなかった若者も、みんなその日を迎える事を信じていた。 7月4日のアズベリ−パ−クや57番通りの出来事に描かれた下町の情景にはそんな切ない思いが揺れつづけています。 その佳曲が納められていたのが青春の叫びと題されたブル−ス・スプリングスティ−ンのセカンドアルバムでした。 彼の名声を決定づけたのはご存知、明日なき暴走だったのですが、まだ、彼がビッグになる前の初々しい姿が散りばめられており、その純粋さが眩しくて、懐かしい気持ちにさせられてしまいます。彼の生い立ちや青春時代を窺い知るにはこのアルバムのほうが最適でしょう。 そんな彼がこのアルバムに於いて愛情を込めて歌おうとしたのは、大義名分の仰々しいテ−マでもなく、平和に対する熱い思いでもなかったのです。 自分が立つ原点をニュ−ヨ−クの街角に決めた以上それが当然のこと。迷いながら歩いていく若者達を救い上げる事が彼自身の青春の証なのですから。 ブル−ス・スプリングスティ−ンの思惑通りに、ひとつひとつの楽曲が愛情を込めて、まるで映画でも見ているように描かれており、私たちは様々な青春を体験する事ができるのです。 アルバムの最後を飾るニュ−ヨ−ク・シティ・セレナ−デの余りにも美しすぎる旋律で幕を閉じた時に、生きている喜びを感じてしまうのは私だけではないでしょう。 ブル−ス・スプリングスティ−ンの優しさは人間を信じている点にあります。 それが全ての人の胸を打つのですね。

  明日なき暴走

どうしてもあの時代を閉じ込めてしまいたいアルバムとなると、そんなに多くはないと思うのですがこの明日なき暴走もそんな時代を映し出していた名作です。 ブル−ススプリングスティ−ンのこのサ−ドアルバム彼ばかりでなく多くの人々を幸福にしてくれました。 1975年という年はそんな天使が舞い降りた年だったのです。 このアルバムで描かれていたアメリカの若い世代の日常を、時には激しくまた、時には優しく歌い上げるその力強さに圧倒されました。 彼の現実と対峙しながらもまだ希望はあるのだぞという姿勢に共感し、そして、私たちが抱いていたアメリカンドリ−ムと言う言葉がもはや夢でしかないという現実を知らしめてくれ、様々な意味においてアメリカと言う国はまさに自由な国なんだと教えてくれました。 ブル−スのギタ−とヴォ−カルに絡み合う、クラレンスクレモンスのサックスと力強くサポ−トするロイビタンのピアノすべてが70年代の夢といってしまうには余りにも美し過ぎたアルバムでした。 そして、このアルバムにおいてブル−ス・スプリングスティ−ンのスタイルが確立されたといっても良いでしょう。 ロックンロ−ルにボブディランの言葉を乗せたような歌い口と、時にはジャ−ジ−に、また、ある時にはどんなハ−ドロックバンドよりも激しく唸り、マシンガンのように言葉を叩きつけて来るその歌は私たちを高揚させてくれたのです。 涙のサンダ−ロ−ドの情熱と美しさ。 また、明日なき暴走の激しさに見を委ねる時に新しい光が差してくるのです。 ロックンロ−ルの未来を見た、その名はブル−ススプリングスティ−ンとまでジョンランド−に言わしめたブル−ス。 彼の以後、日本を始めとして多くのミュ−ジシャンが彼のスタイルを模倣し、第2のブル−ススプリングスティ−ンが数多く登場してきたのは周知の事実ですね。 アメリカであったからこそ生まれた音であり、アメリカであったからこそ受け入れられたのではないでしょうか。 なぜなら彼の歌の中で描かれる日常は、あの当時のアメリカの切ないほど身近であり、現実からさほどほ遠くない苦悶と希望の世界だったのですから。 その詩はボブディランを越えたとさえいわれるほど素晴らしく写実的で、胸を打つ響きとロマンに溢れていました。 まるで映画の中に入り込んでしまったような気にさえさせてくれたものです。 都会で生き抜くことは切ないほど辛く、大変なことなのですが皆が同じ悲しみを共感し合えるロックミュ−ジシャン、それが彼の本領なのでしょう。 彼の詩の一節に・・・昼はどうしようもない夢を待ちわび、夜はマシンで突っ走る・・・と言うくだりがあります。 成功を夢見てライヴハウスで叩き上げてきたエネルギ−を一挙に噴出させた彼は、本が予想もしなかった程のスピ−ドでビッグになり、そして不幸にもそれ以後の苦悶の日々が待っていたのです。 それ故にもう二度と帰らないと解かっている日々の切なさに彼の思いが揺れていた。 そんな傑作だったと思います。

  闇に吠える街

まるで何かを一掃するように遠くを見つめる瞳。 それも少しばかり空ろに。 トレ−ドマ−クだった髭をすっかりそってしまって何となく垢抜けたブル−ス・スプリングスティ−ン。 それはこの4年間の苦闘を物語っていたのです。 明日なき暴走という素晴らしいアルバムで世界中を凌駕して、瞬く間にスタ−ダムへと登りつめ最高のものを手にした筈なのですが、その後に彼を待っていたのは苦悶の日々でした。 音楽の創造とは関係のない契約上の裁判沙汰に巻き込まれてしまって、彼自身の創作活動を休止せざる得なくなったことは、ブル−ス・スプリングスティ−ンのみならず全世界のロックファンにとって不幸な事でした。 それにしても4年間という月日は長すぎたものですね。 彼が輝きを放っていた1975年からすれば時代は余りにもかけ離れたところまで来ていたような気がいたします。 時代はパンクロック全盛の時だったのです。 しかしながら、この闇に吠える街と題された久々のアルバムは、永いブランクを感じさせないほどの秀作でありました。 もちろんあの燃え滾るような情熱の迸りや、切ない情感は随分と薄れてしまったのですが、ここにあるのは間違いもなく1978年のブル−ス・スプリングスティ−ンの真摯な姿です。 明日なき暴走とザ・リバ−という名作に挟まれて、少しばかり肩身の狭い思いもしていますが、中々如何して私生活の匂いが感じられる名盤だと思います。 普段着のブル−ス・スプリングスティ−ンという訳ですね。 彼はこのアルバムのスタ−トソング、バッドランドの中で意味じくも・・・夢破れた心を立て直そうと歌っています。 永い戦いの後では意味深い言葉ですね。 この歌1曲で彼が戻ってきてくれたという嬉しい想いが募りました。 ファンにすれば待った甲斐があったというものですね。 また、レ−シング・イン・ザ・ストリ−トてはあのブル−ス・スプリングスティ−ンの姿も目にする事ができましたので少々の満足感もありました。 そして、名曲プロミスト・ランドの中では・・・俺は約束の地を信じていると歌っているのです。 何とも象徴的ですが彼にとっての約束の地とは一体何処であったのでしょうか。 それを解く鍵ぎは次回作ザ・リバ−の中に隠されていると思います。

  ザ・リバ−

それは幕開けだったのでしょうか、それとも終焉だったのか、ザ・リバ−と題されたブル−ス・スプリングスティ−ンの初めてのこの2枚組のアルバムには、少なくとも私たちが求めている彼の全てのものがありました。 かつての7月4日のアズベリ−パ−クやロザリ−タ、あるいは裏通り、ジャングル・ランドのようなドラマチックな歌は影を潜めたものの、優しさや、愛や希望に溢れた佳曲が多く、その曲調も明るさに満ちています。 こんな彼の姿はかつてないものでした。 この変化は何なのでしょう。 その秘密は裏ジャケットにあるのかもしれません。 かつての労働者階級のヒ−ロ−や若者の代弁者であり青春の香りを誇っていた前向きな姿から、人間として愛を携えた優しさと落ち着き。 ここには夢破れた旅人を救ってくれるような安らぎがあったのです。 ザ・タイズ・ザット・バンド、シェリ−・ダ−リン、ジャクソン・ケイジ、トゥ−・ハ−ツと続くA面の圧倒的な勢いと、インディペンデンス・ディやザ・リバ−等の静寂な歌との対比も見事だったと思います。 また、Eストリ−トバンドの面々も脂の乗り切った演奏を見せてくれ、永い時を供にしてきたチ−ムワ−クの良さが際立っていました。 ただ、あの明日なき暴走の頃の情熱を期待するのは酷というものなのでしょうが、少しばかり大人になったブル−ス・スプリングスティ−ンの姿に寂しさを感じたことも事実です。 時は過ぎてゆくのだというそんな切ない想いも感じられたので。 それはまるで、この後の混迷する時代を象徴していたのかもしれません。 そう問題のアコ−スティック・アルバム、ネブラスカでの迷い続ける彼の姿など見たくもないと思ったのは私だけではない筈です。 一部には人間らしい赤裸々な側面が見えて、それはまたそれで評価できるとの意見もありますが、やはりブル−ス・スプリングスティ−ンにはブル−ス・スプリングスティ−ンでいてほしかったですね。 ましてや、ボ−ン・イン・ザ・USAが彼のアルバムの中で最高の売上を記録するなんて信じたくもないことでした。 このボ−ン・イン・ザ・USAは、ブル−スの思惑とは関係なくアメリカの当時の戦争に利用され、戦意の高揚に一役買ってしまいました。 ブル−ス・スプリングスティ−ンとしては非常に不本意だったでしょうが、この時代にはこのことに対してあからさまに抵抗するだけの意欲がなかったことは少々残念であったですね。 彼と共に1970年代を駆け抜けてきたファンであれば、そういった遣る瀬無さに割り切れない想いがあった筈です。 少なくとも、私たちが求め続けていたブル−ス・スプリングスティ−ンは1980年代の幕開けと共に姿を変えてしまったのではないでしょうか。 まるで混迷する時代の証として。 その挫折感がネブラスカに結実したのだと思います。 それは実に優しく傷つくやすく誠実であった彼の姿を現すものでしょう。

  ザ・ライジング-2002年

ブル−ス・スプリングスティ−ンが帰ってきた。 気の遠くなるような時の流れを経て、やっと私達のもとに帰ってきてくれた。そんな感傷的な想いと、人としての優しさをあらためて認識させてくれる、そんな21世紀の快作がザ・ライジングと題されたアルバムです。 盟友Eストリ−トバンドとの競演は何と18年ぶりになるという。 ロイ・ビタンは元気だったの?。クラレンス・クレモンスは何処に行っていたんだよ。 スティ−ヴ・ヴァンザントやニルス・ロフグレンも相変わらずだ。 嗚呼懐かしい、でも、そんなにも時が過ぎ去ってしまったのかという、感慨深い郷愁が胸を焦がします。 彼がEストリ−トバンドを従えなければならなかったのは、9月11日のせいなのか。? もし、そうだとしたら、ブル−ス・スプリングスティ−ンは間違いなく私たちを虜にした時代の彼に戻っている。 人間としての観点に立ち、熱い胸の想いを言葉に乗せること、それは、紛れもなく明日なき暴走の頃のブル−ス・スプリングスティ−ンなのです。 彼の視点はどちらかが悪で、どちらかが善だという単純なものでは決して無い。 その現象に立ち向かう時の人間としての姿勢を、彼なりの想いで語ってくれる。 だからこそ、その切なさが私達の共感を呼ぶのです。 思想のために死ななければいけなかった者達の、想いさえ救い上げようとする姿勢こそ、彼が人間として音楽に託してきた誠実性なのではないでしょうか。 でも、ブル−ス・スプリングスティ−ンもすっかりハゲちゃったね。 私たちにとってのブル−スは、今でも、あの明日なき暴走のジャケットの中のブル−スなんですよね。 時の流れを痛切に感ぜずにはいられません。 ロックン・ロ−ルのハ−トを持ちながら、何時の間にか優しいおじさんになってしまったんですね。でも、その枯れた味わいもとても素晴らしい。 確かにこのアルバムでは、あの往年のEストリ−トバンドと組んだ時の迸るようなエネルギ−は見当たりません。 むしろ、静かに燃えようとする冷静な力強ささえ感じてしまいます。 それは本来のブル−ス・スプリングスティ−ンの対極的なものである筈なのですが、Eストリ−トバンドの見事なサポ−トにより静かなる炎を燃やすことに成功しました。 そう、このライジングの根底に一貫して流れているのは、もう一度燃え尽きてみようという彼らしい前向きな姿勢なのです。 私達の心の中で、人間として、あるいはロックン・ロ−ルを愛するものとして、これだけは失わないでおこうと思う心を認識させてくれる人、それがブル−ス・スプリングスティ−ンなのではないでしょうか。 名曲、ハングリ−・ハ−トを想い起こさせる歌、ウェイティン・オン・ア・サニ−ディに思わず涙してしまうのは、きっと私だけではないと思います。



  追憶のハイウェイ61-ボブ・ディラン

ボブ・ディランの最高傑作のひとつである追憶のハイウェイ61はリリ−スされた時にはファンの間で賛否両論を巻き起こしました。 今にして思えば他愛のないことに思えるのですが、当時はフォ−クギタ−からエレキギタ−へと持ち変えることがファンを裏切る行為として問題視されたのです。 何と保守的なと感じますがそういう時代だったのでしょう。 私みたいに遡って追憶のハイウェイ61へと辿り着いたものにとっては、こんなに素晴らしいアルバムはないと思えましたが。 ただ、当時のエレクトリックミュ−ジックに対するイメ−ジが体制側に迎合したかのような、また言葉を変えればコマ−シャリズムに接近したような印象を与えた事も事実でしょう。 ボブ・ディランはすでにカリスマになりつつあったのです。 当時は名曲ライク・ア・ロ−リングスト−ンを毎日のように聞き込んだ記憶があります。 あの軽快なキ−ボ−ドの演奏はもちろんアル・ク−パ−。 名作が誕生する現場には恒に伝説が付き纏うのですが、アル・ク−パ−もまたそういった伝説を形作った一人でした。 このミディアムテンポの軽快な旋律は、ブル−ス・スプリングスティ−ンも好んで使用したパタ−ンでしたが、もともとはボブ・ディランがこのアルバムで完成させたもの。 そういった意味でボブ・ディランはブル−スのお師匠さんということになるのかもしれません。 日本でも吉田拓郎が好んで用いていましたね。 また、アコ−スティックギタ−で切々と歌い上げた廃墟の街もライク・ア・ロ−リングスト−ンと対を成す名曲でした。 何と11分にも及ぶこの歌はボブ・ディランの鬼気迫る歌唱力の迫力に圧倒され、その揺るぎない信念と魂に訴えかける情念は、まるで私たちを導いてくれる神のようでもありました。 歌が始めて力を持ちえた瞬間であったのです。 ジャケットをご覧いただければお分かりだと思いますが、まだボブ・ディランも若すぎるほど若い。 密やかな野望に燃えていた時期だったのではないでしょうか。 彼がこのアルバムで残してくれた功績は余りにも大きく、その後のロックの流れにも重大な影響を及ぼしました。 ブル−スやエリオット・マ−フィを始めとする、いわゆるディランズチルドレンと呼ばれた人たちの誕生がそれに当たります。 ブル−ス・スプリングスティ−ンにしても全てはここからスタ−トしたのですね。 

  ニルス・ロフグレン

無邪気で粋なロックンロ−ル小僧、それがニルス・ロフグレンでした。 古くはニ−ル・ヤングとも交流が深く自らもグリンというバンドを率いていましたが、彼が実力に見合った評価を受ける事になるのはこのソロアルバムになってからなのです。 敬愛するキ−ス・リチャ−ドに捧げたキ−ス・ドント・ゴ−を始めてとして数々の名曲を配したアルバムでした。 ニルス・ロフグレンの自由奔放なギタ−は情熱に溢れ、情感を刺激し華やかに歌っていました。 彼のギタ−にはまるで絵画のような鮮やかさがあったのです。 多分四六時中、ギタ−を離さずにギタ−とともに生きているそんなイメ−ジさえ浮かんでしまいます。 その後クライ・タフやアイ・ケイム・トゥ・ダンスという名作を発表し続け、後年には念願のブル−ス・スプリングスティ−ンに招聘されてEストリ−トバンドに参加することになるのですが、彼の原点はこのロフグレンというアルバムだったと思います。  ニルス・ロフグレンに関する詳しい解説はこちら

  エリオット・マ−フィ−

虚構と欲望と夢の街ニュ−ヨ−ク。 野望が渦巻く果ての切なさが風に揺れている。 そんな夜の都会に哀しく響く詩、大都会の吟遊詩人それがエリオット・マ−フィ−でした。 彼の哀愁を帯び、そして魂を振り絞るような歌声に心揺すられたのは私だけではないでしょう。 刹那的な叫びは都会の息吹だったのでしょうか。 まるで絶望の淵に佇むかのような彼の世界はディランズ・チルドレンの中でも飛び抜けて輝いていたと思います。 ブル−ス・スプリングスティ−ンが太陽だとすれば彼は月。 静やかにニュ−ヨ−クを照らしていたのです。 最高の実力を持ちながら最高の成功は手に入れられなかった、そんな運命の悪戯に翻弄されながらも自らの信念に生きた男。 時代の彼方に行ってしまったとしても、この素晴らしいミュ−ジシャンのことを私は決して忘れないでしょう。  エリオット・マ−フィ−に関する詳しい解説はこちらへ 

  トム・ペティ&ハ−トブレイカ−ズ

想い出だけに生きるなと男は言う。 まるでジョン・ウェインがヒ−ロ−であった時代のアメリカの輝かしい残像を現代に蘇らしてくれたロックヒ−ロ−、それがトム・ペティ&ハ−トブレイカ−ズでした。 そんな彼らのデビュ−ヒットがアメリカン・ガ−ルという名曲でしたが、いかにもアメリカらしい軽快なビ−トと甘く切ない旋律が10代の頃の思い出を呼び起こしてくれます。 単なる郷愁とは違う懐かしさがありました。 誰もが通り過ぎた時代の証。 そして、余りにも素晴らしすぎるこの歌は彼らを象徴する歌となっていきます。 覚えている方もいらっしゃるでしょうが映画 「羊たちの沈黙 」の中でとても効果的に使われていましたね。 こんな使われ方をするなんてトム・ペティ&ハ−トブレイカ−ズがアメリカにおいていかに愛されていたかが解かろうというもの。 彼らはアメリカそのものであったのかもしれません。 1970年代のロックシ−ンを確かに切り裂いたアメリカン・ガ−ル。 意外にもこの名曲がいなせな彼らの足かせになったことも事実なのですが、あの時代を代表する歌として称えられるべきでしょう。 ところで、ブル−ス・スプリングスティ−ンが大都会に纏わる世界を歌い上げたとすれば、彼らは広大な原野に点在する町々の人生を歌い上げたと思います。 それは大多数のアメリカの人々の日常であり、何処にでもある風景なのです。 よく郊外に出かけると思うのですが、日本中何処へいっても延々と似たような風景が続き、似たような生活感が匂ってくる。 もちろん、そんなことは無くそれぞれの人生にそれぞれの違った生活が在り、それは単なる幻想だと解かっているのです。 しかし、そんな思いに駆られるほど個性の見えにくい時代なのかもしれないですね。 トム・ペティ&ハ−トブレイカ−ズはそんな日常をひとつひとつ愛情を込めて歌い上げ、アメリカという国の現実を描こうとしたのではないでしょうか。 彼らがデビュ−したのは1976年、もうアメリカに暗い影を投げかけたヴェトナム戦争は終わっていました。 希望が見えていたのです。 一般的には3作目で1979年リリ−スの破壊が傑作とされていますが、私は初々しさと弾けるような若さが残るデビュ−アルバム、アメリカン・カ−ルが一番好きでした。 ロックンロ−ルとはこんなに素晴らしいんだよと彼らが言ってくれているようで、諦めかけていたロックを再認識する事にもなったのです。 彼らは1980年代の後半には念願であったボブ・ディランとの競演を果し、それがもとでジェフ・リン、ジョ−ジ・ハリソン、ロイ・オ−ビソンそしてポプ・ディラン等とトラヴェリング・ウィルベリ−ズを結成します。 このグル−プで2枚の傑作をリリ−スするとまた、ソロやハ−トブレイカ−ズの活動に戻り現在に至る訳なのですが、ロックンロ−ルのハ−トを忘れずに生き抜いてきた数少ないひとりだと思います。

  ボブ・シ−ガ−&シルバ−バレットバンド

広大な荒野を駆け抜ける風。 流離いと放蕩に明け暮れた日々も、年とともに落着きを取り戻す、まあ、そんな人生もいいなと憧れてしまいます。 いかにも無骨そうで要領の悪いお兄さんといった感じ。 だけど一途なお方。 ボブ・シ−ガ−っていつもそんなイメ−ジがありません。? 彼も、どちらかといえば都会派というよりもカントリ−派のロッカ−でしたね。 でも、出身は意外にもデトロイト。 古くからイ−グルスのグレン・フライとも親交があったとか。 男臭さの匂ってくるような風貌といかしたダミ声がロックンロ−ルを歌わせると最高に決まって来るんです。 こんなタイプの人って圧倒的にアメリカに多いんですよね。 いかにもカントリ−のお膝元らしく茫洋とした流れる雲のような旋律がボブ・シ−ガ−&シルバ−バレットバンドの持ち味ではなかったでしょうか。 だから彼らの歌はバリバリのロックンロ−ルというよりも、心に染みるバラ−ドの方が圧倒的に多かったんですね。 私、個人的にはウォ−レン・ゼボンを髣髴とさせるアゲインスト・ザ・ウィンドが1番のお気に入りでした。 代表曲スティル・ザ・セイムに表されているように哀愁を感じさせながら、大人の男の淑やかな落ち着きもありました。 ですから、卒業白書という映画の主題歌にもなって大ヒットした、オ−ルドタイム・ロックンロ−ルは彼らとしては意外なタイプのアップテンポの歌だったと思います。 旅から旅へといった生活がもっとも似合っていそうで、いかにもアメリカらしい流離いの伝統を受け継いだボブ・シ−ガ−&シルバ−バレットバンド。 日本では決してメジャ−にはなり得なかったのですが、本国アメリカでは根強い人気を誇っていました。  

  ウォ−レン・ゼボン

もし、ブル−ススプリングスティ−ンと対等に渡り合えるロックンロ−ル・シンガ−は誰かと問われれば、私は何のためらいもなくウォ−レン・ゼボンを上げるでしょう。 一見優男風の風貌からは想像も出来ないほどの骨太で男らしい声と、心を揺り動かしてやまない独特な旋律。 彼の歌は聴いているうちに自然と切ない旅心を誘われてしまいます。 彼自身、流離い人-ホ−ボ−の宿命を背負いながらも、一流の詩人であり哲学者でもあったのではないでしょうか。 ご多分に漏れず日本では殆ど売れなかった一人ですが、一度好きになってしまうと病み付きになってしまう素晴らしいシンガ−なんです。
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