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いよいよ構築開始ご期待ください

デレク・アンド・ドミノス
デラニ−&ボニ−
ホビ−・ウィットロック  

エリック・クラプトン&デイヴ・メイソン 
隠れた名盤 マイク・ヘロンズ・レプテ−ション
ドン・ニックス
ボブ・ウェア−
ヴィネガ−・ジョ−
ノ−マン・グリ−ンバウム
ロジャ−・ティリソン 
ジェシ・エド・ディヴィス 
ア−ニ−・グラハム 以下近日登場 

 デレク・アンド・ドミノス

幸運は遠い国からもたらされた、飛びっきりの爽やかな風に乗って。 人は人生の中で幾たびかの転機を迎えるのですが、デレクことエリック・クラプトンほどスワンプロックとの劇的なめぐり合いをした人も少ないでしょう。 デラニ−&ボニ−との運命的な出会いがなければこの素晴らしいという言葉だけでは形容できないほどの名作、デレク・アンド・ドミノスのレイラは生まれることがなかったのです。 そしてもう1つの幸運は名プロデュ−サ−トム・ダウトの紹介で、レイラ・セッションにデュアン・オ−ルマンが参加したこと。 この若きブル−ス・ギタリストはエリック・クラプトンの眠っていた魂を呼び起こし、稀代の名演を繰り広げさせることになるのです。 まさに火花散るスライド・ギタ−の応酬は凄まじいほどの緊迫感が漂っていました。 それを南部のたおやかな旋律が優しく包んでくれて、何ともいえぬア−シ−な世界を創り上げていたのです。 心地よさと緊迫感そして南部の香り。 それがレイラの真髄でしょう。 デュアン・オ−ルマンにしても、もっとも油の乗っていた時期であり、名を上げるチャンスであったのですから当然といえば当然の名演だったのかもしれません。 イ−ト・ア・ピ−チセッションやフィルモア・ライヴの中のデュアン・オ−ルマンが輝きながら燃え滾っています。 残念ながら彼はこの1年後にオ−トバイの事故で死亡してしまいますが、このレイラ・セッションはそんな彼の数少ない名演をとどめた傑作となりました。 69年から70年にかけて
エリック・クラプトンはデラニ−&ボニ−&フレンズのメンバ−としてツア−に参加します。 当時、知名度においては世界的なミュ−ジシャンであったエリック・クラブトンが、まだ無名に近かった彼らと活動を共にすること自体意外な気がしましたが、その答えはこのレイラという歴史的な名盤を聴いて頂ければお判りいただけると思います。 ス−パ−・バンド、ブラインド・フェイスの失敗で挫折していたエリック・クラプトンにとって、この心優しきスワンプロックの世界がとても魅力的に見えたことは充分に想像出来るからです。 アイ・ルックド・アウェイという軽快な歌から始まるこのアルバムは、ブル−スからサザンフレ−バ−溢れるカントリ−ロックまでスワンプロックの真髄を見せてくれています。 デュアン・オ−ルマンの驚異的なスライド・ギタ−とエリック・クラプトンの青空を突き抜けたような軽快なギタ−は見事としかいいようがありません。 この前にスワンプロックのソロアルバムがあったとは言え彼のこの明るさはクリ−ム時代を知るものにとっては意外な気がしました。 当時はエリック・クラプトンのこの転身に批判的な人も多かったのですが、歴史的な名曲レイラを聴いてみればそんな批判はたわごとに聞こえてくることでしょう。 この名曲についてはもう触れるまでもないでしょうが20世紀のロックの輝かしい金字塔だといえます。 ドミノスの面々である、ボビ−・ウィットロック、カ−ル・レイドル、ジム・ゴ−ドンの演奏やサポ−トも素晴らしく、名作が生まれるときはすべてが神の摂理にかなうようなことなのだと思わずにはいられません。 2枚組みのアルバムにも関わらず無駄な歌が1曲も見当たらず、まさに名曲名演の連続となっていました。 私たちはこのレイラをスワンプロックの情熱を時代の中にとどめた名作と呼びましょう。

  デラニ−&ボニ−

デラニ−&ボニ−はレオン・ラッセルとの出会いからウェスト・コ−ストで注目を浴びるデュオに成長して行きます。 当時、レオン・ラッセルは既にスタジオ・ミュ−ジシャンとしての地位を確立しておりまして、様々なミュ−ジシャンとの交流から独自なスワンプロックを構築していました。 すでにバックグラウンドの帝王の風格さえあったのです。 彼のシェルタ−ピ−プルからはマ−ク・ベノ、リタ・ク−リッジ、ボビ−・ウィットロックを始めとする多くのア−ティストが巣立って行く事になります。 そんなレオンとデラニ−&ボニ−の共同作業は、後にスワンプロックと呼ばれていくジャンルを形成するのです。 スワンプロックの定義とは特に無いと思いますが、カントリ−フレ−バ−とブル−ス、ソウル、ロックの融合ということになるのでしょうか。 レオン・ラッセルの個性の強い音楽と軽やかでソウルフルなデラニ−&ボニ−の音楽は絶妙な味を醸し出していました。 非常に粘っこいけどしつこくないス−プのようなもの。 ご本家レオン・ラッセルがあくが強すぎて敬遠されることが多かった事に較べると、このデュオの場合は軽やかさとしなやかに入り込める魅力がありました。 自然に安らげるのにソウルフルであり何度となく聴き帰したくなる旋律。 特にスタイルに捕らわれないところもスワンプロックの魅力だと思うのですが、大雑把に言えばアメリカン・ミュ−ジックだったら何でもありの大陸的なところがありますね。 そんな彼らのイギリス公演はかの地の多くのミュ−ジャンを弾き付けることになります。 まあ、確かに当時のブリティッシュロックシ−ンからするとデラニ−&ボニ−&フレンズの音楽はカルチャ−ショックであったのかもしれません。 エリック・クラプトン、ジョ−ジ・ハリソン、デイヴ・メイソン、ジョ−・コッカ−等はその後の方向性にさえ影響を受けるようになり、その意味でデラニ−&ボニ−が果した役割は極めて重要なものであったと言わざるを得ません。 デラニ−&ボニ−&フレンズにはエリック・クラプトンも顔を覗かせておりまして、そこからデレク&ドミノスが生まれたのは先程も述べましたように有名な話。 また、フレンズのメンバ−はデレク&ドミノスの他にもマッドドッグス・イングリッシュメンにも参加しており、シェルタ−・ピ−プルを含めると非常に複雑な相関関係が成立していました。 いずれにせよデラニ−&ボニ−の登場からアメリカン・ル−ツロックの1つの歴史が始まったのは事実であり、その後見人のレオン・ラッセルを含めて改めて評価されるべきだと思います。

 ボビ−・ウィットロック

デラニ−&ボニ−&フレンズとデレク・アンド・ドミノスというスワンプロック発祥のバンドで、極めて重要な役割を担ってきたのがボビ−・ウィットロックでした。 思えば彼の音楽活動の歴史はスワンプロックの歴史そのものといえるかも知れません。 渋い、渋すぎると思える程の彼の声や、土臭さの溢れる感性はスワンプロックによく似合っておりまして独特な味わいを出しています。 歌にしても決して、上手いとは言えないのですが、何ともいえず朴訥とした微笑ましいほどの魅力があったのです。 私はジャンルは違うのですがその一途さゆえにイギリスのロリ−・ギャラガ−との共通点を多く感じていました。 実直にプレイに徹する姿や、決してフロントマンにはなれなかった控えめさがそんな印象を持ってしまうのでしょうか。 両者とも類稀ない才能を持っており、作曲の能力も素晴らしいものがあったと思います。 その素晴らしき人ボビ−・ウィットロックがデレク・アンド・ドミノスで輝かした才能はその後のエリック・クラプトンにも多大な影響を与えたのではないでしょうか。エリック・クラプトンを南部の地へ導いたのがデラニ−&ボニ−だとすれば、彼にスワンプロックの種を植え付けたのがボビ−・ウィットロックという事になるのかもしれません。 2人の競作、恋は悲しきもの、アイ・ルックド・アウェイ、テル・ザ・トゥル−ス、エニィ・ディ、等をあらためて聴くとその才能の一端が窺い知れるというもの。 そこにはスワンプロックを開拓したボビ−・ウィットロックの人間性や誇りがありました。 デレク・アンド・ドミノス解散後は4枚のソロ・アルバムをリリ−スしますが、私はファ−ストアルバム、ボビ−・ウィットロックと4枚目のラストアルバム、ロック・ユア・ソックス・オフが一番気に入っています。 特に後者の中の名曲ロング・ロング・タイムとメイク・イット・スル−・ザ・ナイトは自らの人生を語るような素晴らしい歌で、夕暮れ時などに聴いた日には涙、涙の嵐になる事請け合いです。 おそらく歴史に残る名曲でしょう。 残念ながらロック・ユア・ソックス・オフ発表後は目立った活躍がなかったのですが、近年久々にニュ−アルバムをリリ−スしてくれたようですね。 

   エリック・クラプトン&デイヴ・メイソン

エリック・クラプトンがスワンプロックに傾倒していったことについては前述していますので、クリ−ム時代からの良きライバルであったデイヴ・メイソンのことを中心に話を進めてみたいと思います。 エリック・クラプトンがクリ−ムで頂点を極めていた頃、彼デイヴ・メイソンはトラフィックから離脱したり、また復帰したりと不安定な日々を送っていました。 そもそも、音楽的な創造性ではクリ−ムよりも評価を受けていたトラフィックだったのですが、大衆的な支持やコマ−シャルベ−スでは大きく水を開けられていたのです。 トラフィックの二人のフロントマン、スティ−ヴィ・ウインウッドとデイヴ・メイソンは結成当時から衝突が絶えず、このバンドを維持していく上での大きな障害になっていました。 しかしながら、デイヴ・メイソンの才能を高く評価していたスティ−ヴィ−にとってはトラフィックの将来にとって必要な人材でもあったのです。 まさに痛し痒しといったところでしょうか。 2人の確執の最大の原因はデイヴのアメリカ音楽への傾倒にありました。 当時としては珍しいほどアメリカのカントリ−や南部の音楽への憧れを抱き続け、それが元でやがてはトラフィックを離れる事になってしまいます。 時は、エリック・クラプトンがスティ−ヴィ・ウインウッドとブラインド・フェイスを結成しようかとしていた時期なので、デイヴの方が遥かに早くアメリカへの傾倒を見せていたということになりますね。 そして1969年、歴史的な出会いであるデラニ−&ボニ−&フレンズへと参加することになるのです。 これがスワンプロックを形作る上での運命的な出来事でした。  という訳で前振りが長くなってしまいましたが、デイヴ・メイソンは1970年になってこのスワンプロックの名作アロ−ン・トゥゲザ−をリリ−スするのです。 エリック・クラプトンのギタ−が剛だったとすると彼デイヴ・メイソンはまさしく柔のギタリストでした。 彼のしなやかな音色は独特な哀愁を帯びてメイソン節とさえ呼ばれたのです。 イギリス的な透明感とアメリカの泥臭さの見事な融合。 それがアロ−ン・トゥゲザ−の魅力だと思います。 そして、このスワンプロックの名作にはレオン・ラッセルやデラニ−&ボニ−&フレンズ、そして盟友ジム・キャパルディ、リタ、ク−リッジ、ジョン・サイモン等が参加しておりあたかもアメリカのミュ−ジシャンのソロアルバムのような様相をていしていました。 この後、彼はエリック・クラプトンにデレク・アンド・ドミノスへの参加を誘われたり、トラフィックの再結成に携わったりするのですが、結局はソロとして独自の道を歩く事になります。 アロ−ン・トゥゲザ−、それは彼の人生そのままに重なりながら、恒に安息の地を求め続けていた自身へ対する呼びかけであったのかもしれないですね。

 マイク・ヘロンズ・レプテ−ション

知る人ぞ知る、ほんわかブリティッシュフォ−クの元祖インクレディブル・ストリングス・バンドのリ−ダ−がこのマイク・ヘロンでした。 同じディ−プなブリティッシュフォ−クにはヘロンという別の優れものバンドがあったのでよく混同しがちなのですが、両者の共通点はブリティッシュフォ−クの深遠な世界に属するというだけで音楽性はまったく違っております。 さて、インクレディブル・ストリングス・バンド解散後のマイク・ヘロンは、それまでの音楽性をガラリと変えて、明らかにアメリカに傾倒したと思われるほど実にア−シ−で味わいのあるスワンプロックを聴かせてくれました。 渋すぎるという意見もありましょうが実に男だねといったスワンプロックと繊細なイギリスらしさが同居しています。 そういえば何処となくザ・バンドを思わせるような旋律や驚くべきことにバッドフィンガ−のようなポップなメロディ−も輝いていますしね。 そのたおやかさと新鮮な気風がが実に良い。 とはいってもブリティッシュフォ−クの輝かしい伝統を背負っていた人なので、その深遠でディ−プな気配を感じることもできます。 それもまたこのアルバムの微妙な味付けなっているのですね。 そういったところでアメリカとイギリスの絶妙なバランスの上に開花した作品となっておりました。 こういうアルバムこそ隠れた大名盤と呼んでいいのではないでしょうか。 聴き終わった後の爽快感は格別でありました。 そういえば解散直後のソロアルバムもアメリカ南部の香りのするスワンプロックの名盤であったと伝え聞いておりましたぞ。 残念ながら私はまだそのアルバムを聴いた事がないので何ともいえませんが、おそらくこのアルバムはその延長線上にある音だと思われます。 本作は1975年にリリ−スされており、彼のマイク・ヘロンズ・レプテ−ションとうバンド名義になっておりますが、実際のところはソロアルバムと考えてもよいでしょう。 この人、本当はこんな音楽がやりたかったのではないのだろうかと思わせるほど、インクレディブル・ストリング・バンドを払拭しておりますね。 

 ドン・ニックス

人の運命はどんな風に転がっていくか解かりません。 結果として幸運であったならばそれでいいのでしょうが、人は時としてその過程に興味を示したりするものなのです。 シェルタ−ピ−プルの仲間達とスワンプロックの中核を担いながらも、何故かしら一部の歌を除いて遠く離れたイギリスはアップルスタジオで制作されたドン・ニックスの名盤、それがホ−ボ−ズ、ヒ−ロ−ズ・アンド・ストリ−ト・コ−ナ−・クラウンズでした。 彼にとって実にしなやかさを感じさせてくれる久々の快作といえるでしょう。 勿論その接点は、エリック・クラブトン−デラニ−&ボニ−&フレンズ-ジョ−ジ・ハリソンと繋がって行く延長線上に彼がいることは明白なのですが、それにしてもシェルタ−ピ−プルから離れてアルバムを制作するなんて意外な気がいたしました。 しかし、それよりももっと驚いたのは、このアルバムがアメリカの泥臭さとイギリスの洗練されたトラディショナルな雰囲気が交錯した超名盤に仕上がっていたことです。 これは彼の意図したことなのかそれともたんなる偶然の産物なのでしょうか。 兎に角幸運は突然に訪れたのですね。 もともとはシェルタ−ピ−プルの一員として、ア−シ−な音作りと南部の奥深いブル−スには定評かあったドン・ニックスですが、ここまで見事にイギリスの空気に馴染ませてしまうなんて凄い。 1曲目のシ−ズ・ア・フレンド・オブ・マイン等は異国の風に吹かれているような心地よさがあります。 ここには南部の匂いとも違うしイギリス荒野の香りとも違っている世界がありました。 そして、ただ1ついえるのはどの歌も素晴らしいほどの名曲であるということ。 歌を追いながら、これはアップル、これはマッスル・ショ−ルズと想像を巡らすのも一興でしょうか。 そういえば、2曲目の収録後に入っている声はどうみてもジョ−ジ・ハリソンでしょう。 いかにも控えめなところが彼らしいですね。

 ボブ・ウェア−

偉大なるアメリカンバンド、グレイトフル・デッドの一員でありキングフィッシュのメンバ−でもあるボブ・ウェア−の隠れた大名盤がこのエ−スと題されたソロアルバムでした。 私も歳をとってしまったのでしょうか、最近やたらと大名盤という最高の評価を乱発いたしております。 そんな事でええんかいなと言わんといて下さいまし。 確かに、本来ならば大名盤というレッテルは永いロックの歴史の中でも数10枚に留めておくべきなんでしょうね。 しかしねぇ、ロックミュ−ジシャン性善説を唱える私といたしましては、彼らが一生懸命につくったアルバムが悪かろう筈がないという観点についつい立ってしまうのですね。 やはり歳をとってしまったのでしょうか。 という訳で本題に入りますが、このボブ・ウェア−のソロアルバムは、霞がかかってなんやら茫洋とした御大グレイトフル・デッドの不思議なまどろみ音楽に較べると、実にシャキッとしておりまして潔さが感じられます。 うん、実にいい。 ひとつひとつの音にメリハリがあるんですねぇ。 そして、実に骨太の粘着力があってその上優しいというスワンプロックの見本のような音楽を展開してくれているのです。 スワンプロックの心地よさとはこういうことなのかなと思ってしまいます。 また、時にはベイ・シティ・ロ−ラ−ズ張りのロックンロ−ルを臆面もなく披露してくれたりもしていました。 うん、実にええで。 ボブ・ウェア−の人柄のよさが滲み出ているといいますか、彼の人生そのものがこのアルバムに反映されているのではないのかなと考えてしまいました。 ところで、この期に及んで懺悔いたします。 嗚呼神様お許しくださいませ、私は昔のことですがバ−ゲンのどさくさに紛れて何と98円という、激安というよりもタダ同然の値段でこの大名盤アルバを手に入れてしまったのです。 この果報者。 

 ヴィネガ−・ジョ−

ご存知、今をときめくロバ−ト・パ−マ−がソロとなる前に在籍していたバンドがヴィネガ−・ジョ−でした。 当時は女性のパワフルなヴォ−カリスト、エルキ−・ブルックスとの2枚看板が売り物で、絢爛豪華なブリティッシュ・ロックの中にあっては極めて土臭い音を出す地味な存在でしたが、その理由として彼らの場合早くからアメリカ南部のア−シ−な音楽への傾倒を見せていたからでしょう。 ですから、その筋のファンの間でのみ評価の高い通好みのバンドだったのです。 ロバ−ト・パ−マ−の格好よさは当然としても、エルキ−・ブルックスのハスキ−でソウルフルなヴォ−カルも南部の音に見事なまでにマッチして必聴ものでした。 あの時代のイギリスでここまでスワンプロックに拘れたなんて信じられないくらいです。 ヴィネガ−・ジョ−の場合は単なる南部への憧れや思い入れということを越えておりまして、まるでその南部の地に骨を埋める位の覚悟と潔さが見て取れました。 それは、ロジャ−・ティリソンの名曲ロックン・ロ−ル・ジプシ−ズをセカンドアルバムで取り上げていた事を見ても明白だと思います。 普通イギリスのロックグル−プが、本国アメリカにおいてさえ知る人の少なかったロジャ−のこの歌を選曲するなんて、よっぽどセンスが良くてスワンプロックに精通していないとできない芸当ですからね。 ですから、その類稀なく豊かさを感じてしまう南部の響きは、素晴らしさの極みと言っておきましょう。 彼らの音楽に心安らぐような郷愁を感じしまうのは私だけではないと思います。 地味で骨太でありながらも暖かさと優しさを感じさせてくれるプル−スやホンキ−トンクやスワンキ−なロック。 その軽快な旋律に自然に体が反応してしまうのです。 何度も言うようですが単なるスワンプロック好きとかいったスタンスだけでは、こんなに生活感があって味のあるカッコイイ音は出せません。 何といったらよいでしょう、例えばザ・バンドがイギリスで暫らく暮らしたとしたら、きっとこんな音楽を作るだろうなといつた感じでしょうかね。 バックの演奏もその独特な空気に馴染みきっていて実に味わいに満ちています。 これをブリティッシュスワンプロックの名盤と呼ばずして何を名盤というのでしょうか。 スワンプロック好きの御仁なら何としても聴いて欲しい必殺のアルバムです。 彼らの場合多分にセカンドアルバムのジャケットが災いして、スワンプロックというよりもハ−ドロックバンドとのイメ−ジが強かったのではないでしょうか。 確かにあれは彼らの音楽とマツチしていませんでしたね。 しかし、その落差がまた良いのかなと思ったりもする今日この頃でした。

 ノ−マン・グリンバウム

実はこのコ−ナ−の超目玉、知る人ぞ知るスワンプロックとサイケデリックサウンドを融合させた御仁それがこのノ−マン・グリンバウムでした。 リリ−スしたアルバムもそんなに多くはなく、唯一のヒット曲といえばスピリット・イン・ザ・スカイくらいなのですが、彼の歌は実に朴訥とした中にもいぶし銀のような味があったのです。 自然の中でこそ生まれてくるようなスワンプロック。 そう、ジャンルにせよ音楽性にせよ画一的な枠で括れない所が彼の本質なのですね。 ル−ツミュ−ジックにも通じるような土の香りのする音楽や、お得意のカリフォルニア系スワンプロックに加えて、サイケデリックブ−ムを体験してきたア−ティスティックな感覚が生かされています。 彼の歌のそこかしこに1960年代後半のあのカリフォルニアの息吹が感じられました。 でも、彼の場合時代と共に走っているような先進的な感覚は無いし、そんな大層なお人ではもちろんない。 もちろん、当時流行っていたチッコリ−チップやスクイ−クみたいなエレポップ風味の歌もあったのですが、それはあくまでも彼の作品に薄味をつける程度に留められており、本当の魅力とは先にも述べたように茫洋とした人間性。 それが彼の音に携わる根幹なんです。 でも、時々T・レックス風の歌が聴こえたりしてちょっと混乱しちゃうんですよね。 カリフォルニアの片田舎でのんびりと暮らしながら優しさと人間味に溢れた音を追求する、それが心に染み込むスワンプロックになっているのでしょう。 そんな彼の代表作はやはりペタルマだと思いますね。 実はこのアルバム1970年代のスワンプロックの名盤としてマニアの間では密かな支持を集めていたのですが、最近やっと日本でも再発されたようです。 よかった、よかった。

  ロジャ−ティリソン

永い旅をしている時、人は、好きな音楽も一緒でないと寂しさに居たたまれなくなってしまうものです。 生活の一部のように馴染んでいたメロディ−が暫しの孤独を和らげてくれるのでしょう。 そんな感傷的で出来すぎたシチュエ−ションさえ違和感の無い男、永遠の放浪者、そして流離いのカウボ−イ、それがロジャ−ティリソンなのです。 まるでホ−ボ−の人生そのままの彼にはロマンチックな生き様が似合っていました。 ロジャ−ティリソンの心象風景が彼の歌となり私たちの心を揺らすのです。 かつて、かのイギリスのロバ−ト・パ−マ−が在籍していたバンド、ヴィネガ−・ジョ−や、このアルバムのプロデュ−サ−であるジェシ・エド・ディヴィスも彼のロックン・ロ−ル・ジプシ−ズをカバ−していました。 2人に共通するのはソウルフルなロックロ−ル・ハ−ト。 名作ロジャ−ティリソンズ・アルバムに納められているワン・グッド・フレンドは、まるでロバ−ト・パ−マ−が歌っているように聴こえてしまいます。 どちらも色男という点でも共通していましたね。 しかしながらジャケットに映された、いかにも優男ふうの風貌とは裏腹に彼の歌声には渋さと南部らしい力強さが脈々としていたのです。 ガツンと気合を入れられたような心地よさ。 彼、ロジャ−ティリソンは南部の男の心意気を思う存分堪能させてくれるのです。 古き良きアメリカの伝統そのままに。 カントリ−、ブル−ス、スワンプロックといったアメリカ音楽の原点のような彼の音楽には、私たちを優しく鼓舞してくる気骨がありました。 特に飾るでもなく、思いのままを訥々と、そして極めて素朴に歌い上げる彼の姿は、時代の流れとは関係の無い生き方さえも充分に魅力的なものだということを教えてくれましたのです。 それは彼の人間性の誠実さ故のことなのでしょう。 永遠のカウボ−イ、ロジャ−ティリソン。 流離いという言葉がいちばん似合う人だったのかもしれませんね。

  ジェシ・エド・ディヴィス

永遠のようにたおやかなル−ツ・ミュ−ジックを奏でてくれたジェシ・エド・ディヴィス。 彼の優しさを秘めたスライドギタ−は心へ語りかけてくれる響きがありました。 悲しい運命に翻弄されることもなく、むしろそれらを払拭するが如く気骨あるギタ−・プレイは、多くのミュ−ジシャン達の心を掴んでいきました。 鮮烈なデビュ−とまではいきませんが、彼がル−ツ・ミュ−ジックやスワンプロック黎明期に果した役割は、計り知れないほど大きなものがあったのです。 静かに流れ行くような彼のメロディ−は彼の人生そのままに1つの時代を築き上げていきました。 ジェシ・エド・ディヴィスに関する詳しい解説はこちらへ

  ア−ニ−・グラハム

いわずと知れたブリティッシュ・トラディショナル史上に燦然と輝くア−ニ−・グラハムの大名盤ですが、その香り高い音楽は陰りのあるル−ツ・ミュ−ジックとしても一級品の輝きを見せていました。 ジャケット同様に何とも味わいのある旋律は思わず溜息を誘うほどの気品に満ちていたのです。 ご多分に漏れず非常にレアな1枚としてファンの延髄の的であったのですが、最近ではCD化され容易く手に入るようになりました。 また、深遠なるブリティッシュの御仁にしては珍しいほどのアメリカ志向が強く伺えますが、それもその筈バックを努めているのはあのブリンズレイ・シュワルツだったのです。 まさに夢のような出会いが結実した1枚と言えるでしょう。  ア−ニ−・グラハムに関する詳しい解説はこちらへ





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