
いよいよ構築開始ご期待ください

デレク・アンド・ドミノス
デラニ−&ボニ−
ホビ−・ウィットロック
エリック・クラプトン&デイヴ・メイソン
隠れた名盤 マイク・ヘロンズ・レプテ−ション
ドン・ニックス
ボブ・ウェア−
ヴィネガ−・ジョ−
ノ−マン・グリ−ンバウム
ロジャ−・ティリソン
ジェシ・エド・ディヴィス
ア−ニ−・グラハム 以下近日登場
デレク・アンド・ドミノス
幸運は遠い国からもたらされた、飛びっきりの爽やかな風に乗って。 人は人生の中で幾たびかの転機を迎えるのですが、デレクことエリック・クラプトンほどスワンプロックとの劇的なめぐり合いをした人も少ないでしょう。 デラニ−&ボニ−との運命的な出会いがなければこの素晴らしいという言葉だけでは形容できないほどの名作、デレク・アンド・ドミノスのレイラは生まれることがなかったのです。 そしてもう1つの幸運は名プロデュ−サ−トム・ダウトの紹介で、レイラ・セッションにデュアン・オ−ルマンが参加したこと。 この若きブル−ス・ギタリストはエリック・クラプトンの眠っていた魂を呼び起こし、稀代の名演を繰り広げさせることになるのです。 まさに火花散るスライド・ギタ−の応酬は凄まじいほどの緊迫感が漂っていました。 それを南部のたおやかな旋律が優しく包んでくれて、何ともいえぬア−シ−な世界を創り上げていたのです。 心地よさと緊迫感そして南部の香り。 それがレイラの真髄でしょう。 デュアン・オ−ルマンにしても、もっとも油の乗っていた時期であり、名を上げるチャンスであったのですから当然といえば当然の名演だったのかもしれません。 イ−ト・ア・ピ−チセッションやフィルモア・ライヴの中のデュアン・オ−ルマンが輝きながら燃え滾っています。 残念ながら彼はこの1年後にオ−トバイの事故で死亡してしまいますが、このレイラ・セッションはそんな彼の数少ない名演をとどめた傑作となりました。 69年から70年にかけてエリック・クラプトンはデラニ−&ボニ−&フレンズのメンバ−としてツア−に参加します。 当時、知名度においては世界的なミュ−ジシャンであったエリック・クラブトンが、まだ無名に近かった彼らと活動を共にすること自体意外な気がしましたが、その答えはこのレイラという歴史的な名盤を聴いて頂ければお判りいただけると思います。 ス−パ−・バンド、ブラインド・フェイスの失敗で挫折していたエリック・クラプトンにとって、この心優しきスワンプロックの世界がとても魅力的に見えたことは充分に想像出来るからです。 アイ・ルックド・アウェイという軽快な歌から始まるこのアルバムは、ブル−スからサザンフレ−バ−溢れるカントリ−ロックまでスワンプロックの真髄を見せてくれています。 デュアン・オ−ルマンの驚異的なスライド・ギタ−とエリック・クラプトンの青空を突き抜けたような軽快なギタ−は見事としかいいようがありません。 この前にスワンプロックのソロアルバムがあったとは言え彼のこの明るさはクリ−ム時代を知るものにとっては意外な気がしました。 当時はエリック・クラプトンのこの転身に批判的な人も多かったのですが、歴史的な名曲レイラを聴いてみればそんな批判はたわごとに聞こえてくることでしょう。 この名曲についてはもう触れるまでもないでしょうが20世紀のロックの輝かしい金字塔だといえます。 ドミノスの面々である、ボビ−・ウィットロック、カ−ル・レイドル、ジム・ゴ−ドンの演奏やサポ−トも素晴らしく、名作が生まれるときはすべてが神の摂理にかなうようなことなのだと思わずにはいられません。 2枚組みのアルバムにも関わらず無駄な歌が1曲も見当たらず、まさに名曲名演の連続となっていました。 私たちはこのレイラをスワンプロックの情熱を時代の中にとどめた名作と呼びましょう。
デラニ−&ボニ−
デラニ−&ボニ−はレオン・ラッセルとの出会いからウェスト・コ−ストで注目を浴びるデュオに成長して行きます。 当時、レオン・ラッセルは既にスタジオ・ミュ−ジシャンとしての地位を確立しておりまして、様々なミュ−ジシャンとの交流から独自なスワンプロックを構築していました。 すでにバックグラウンドの帝王の風格さえあったのです。 彼のシェルタ−ピ−プルからはマ−ク・ベノ、リタ・ク−リッジ、ボビ−・ウィットロックを始めとする多くのア−ティストが巣立って行く事になります。 そんなレオンとデラニ−&ボニ−の共同作業は、後にスワンプロックと呼ばれていくジャンルを形成するのです。 スワンプロックの定義とは特に無いと思いますが、カントリ−フレ−バ−とブル−ス、ソウル、ロックの融合ということになるのでしょうか。 レオン・ラッセルの個性の強い音楽と軽やかでソウルフルなデラニ−&ボニ−の音楽は絶妙な味を醸し出していました。 非常に粘っこいけどしつこくないス−プのようなもの。 ご本家レオン・ラッセルがあくが強すぎて敬遠されることが多かった事に較べると、このデュオの場合は軽やかさとしなやかに入り込める魅力がありました。 自然に安らげるのにソウルフルであり何度となく聴き帰したくなる旋律。 特にスタイルに捕らわれないところもスワンプロックの魅力だと思うのですが、大雑把に言えばアメリカン・ミュ−ジックだったら何でもありの大陸的なところがありますね。 そんな彼らのイギリス公演はかの地の多くのミュ−ジャンを弾き付けることになります。 まあ、確かに当時のブリティッシュロックシ−ンからするとデラニ−&ボニ−&フレンズの音楽はカルチャ−ショックであったのかもしれません。 エリック・クラプトン、ジョ−ジ・ハリソン、デイヴ・メイソン、ジョ−・コッカ−等はその後の方向性にさえ影響を受けるようになり、その意味でデラニ−&ボニ−が果した役割は極めて重要なものであったと言わざるを得ません。 デラニ−&ボニ−&フレンズにはエリック・クラプトンも顔を覗かせておりまして、そこからデレク&ドミノスが生まれたのは先程も述べましたように有名な話。 また、フレンズのメンバ−はデレク&ドミノスの他にもマッドドッグス・イングリッシュメンにも参加しており、シェルタ−・ピ−プルを含めると非常に複雑な相関関係が成立していました。 いずれにせよデラニ−&ボニ−の登場からアメリカン・ル−ツロックの1つの歴史が始まったのは事実であり、その後見人のレオン・ラッセルを含めて改めて評価されるべきだと思います。
ボビ−・ウィットロック
デラニ−&ボニ−&フレンズとデレク・アンド・ドミノスというスワンプロック発祥のバンドで、極めて重要な役割を担ってきたのがボビ−・ウィットロックでした。 思えば彼の音楽活動の歴史はスワンプロックの歴史そのものといえるかも知れません。 渋い、渋すぎると思える程の彼の声や、土臭さの溢れる感性はスワンプロックによく似合っておりまして独特な味わいを出しています。 歌にしても決して、上手いとは言えないのですが、何ともいえず朴訥とした微笑ましいほどの魅力があったのです。 私はジャンルは違うのですがその一途さゆえにイギリスのロリ−・ギャラガ−との共通点を多く感じていました。 実直にプレイに徹する姿や、決してフロントマンにはなれなかった控えめさがそんな印象を持ってしまうのでしょうか。 両者とも類稀ない才能を持っており、作曲の能力も素晴らしいものがあったと思います。 その素晴らしき人ボビ−・ウィットロックがデレク・アンド・ドミノスで輝かした才能はその後のエリック・クラプトンにも多大な影響を与えたのではないでしょうか。エリック・クラプトンを南部の地へ導いたのがデラニ−&ボニ−だとすれば、彼にスワンプロックの種を植え付けたのがボビ−・ウィットロックという事になるのかもしれません。 2人の競作、恋は悲しきもの、アイ・ルックド・アウェイ、テル・ザ・トゥル−ス、エニィ・ディ、等をあらためて聴くとその才能の一端が窺い知れるというもの。 そこにはスワンプロックを開拓したボビ−・ウィットロックの人間性や誇りがありました。 デレク・アンド・ドミノス解散後は4枚のソロ・アルバムをリリ−スしますが、私はファ−ストアルバム、ボビ−・ウィットロックと4枚目のラストアルバム、ロック・ユア・ソックス・オフが一番気に入っています。 特に後者の中の名曲ロング・ロング・タイムとメイク・イット・スル−・ザ・ナイトは自らの人生を語るような素晴らしい歌で、夕暮れ時などに聴いた日には涙、涙の嵐になる事請け合いです。 おそらく歴史に残る名曲でしょう。 残念ながらロック・ユア・ソックス・オフ発表後は目立った活躍がなかったのですが、近年久々にニュ−アルバムをリリ−スしてくれたようですね。
エリック・クラプトン&デイヴ・メイソン
エリック・クラプトンがスワンプロックに傾倒していったことについては前述していますので、クリ−ム時代からの良きライバルであったデイヴ・メイソンのことを中心に話を進めてみたいと思います。 エリック・クラプトンがクリ−ムで頂点を極めていた頃、彼デイヴ・メイソンはトラフィックから離脱したり、また復帰したりと不安定な日々を送っていました。 そもそも、音楽的な創造性ではクリ−ムよりも評価を受けていたトラフィックだったのですが、大衆的な支持やコマ−シャルベ−スでは大きく水を開けられていたのです。 トラフィックの二人のフロントマン、スティ−ヴィ・ウインウッドとデイヴ・メイソンは結成当時から衝突が絶えず、このバンドを維持していく上での大きな障害になっていました。 しかしながら、デイヴ・メイソンの才能を高く評価していたスティ−ヴィ−にとってはトラフィックの将来にとって必要な人材でもあったのです。 まさに痛し痒しといったところでしょうか。 2人の確執の最大の原因はデイヴのアメリカ音楽への傾倒にありました。 当時としては珍しいほどアメリカのカントリ−や南部の音楽への憧れを抱き続け、それが元でやがてはトラフィックを離れる事になってしまいます。 時は、エリック・クラプトンがスティ−ヴィ・ウインウッドとブラインド・フェイスを結成しようかとしていた時期なので、デイヴの方が遥かに早くアメリカへの傾倒を見せていたということになりますね。 そして1969年、歴史的な出会いであるデラニ−&ボニ−&フレンズへと参加することになるのです。 これがスワンプロックを形作る上での運命的な出来事でした。 という訳で前振りが長くなってしまいましたが、デイヴ・メイソンは1970年になってこのスワンプロックの名作アロ−ン・トゥゲザ−をリリ−スするのです。 エリック・クラプトンのギタ−が剛だったとすると彼デイヴ・メイソンはまさしく柔のギタリストでした。 彼のしなやかな音色は独特な哀愁を帯びてメイソン節とさえ呼ばれたのです。 イギリス的な透明感とアメリカの泥臭さの見事な融合。 それがアロ−ン・トゥゲザ−の魅力だと思います。 そして、このスワンプロックの名作にはレオン・ラッセルやデラニ−&ボニ−&フレンズ、そして盟友ジム・キャパルディ、リタ、ク−リッジ、ジョン・サイモン等が参加しておりあたかもアメリカのミュ−ジシャンのソロアルバムのような様相をていしていました。 この後、彼はエリック・クラプトンにデレク・アンド・ドミノスへの参加を誘われたり、トラフィックの再結成に携わったりするのですが、結局はソロとして独自の道を歩く事になります。 アロ−ン・トゥゲザ−、それは彼の人生そのままに重なりながら、恒に安息の地を求め続けていた自身へ対する呼びかけであったのかもしれないですね。
マイク・ヘロンズ・レプテ−ション
知る人ぞ知る、ほんわかブリティッシュフォ−クの元祖インクレディブル・ストリングス・バンドのリ−ダ−がこのマイク・ヘロンでした。 同じディ−プなブリティッシュフォ−クにはヘロンという別の優れものバンドがあったのでよく混同しがちなのですが、両者の共通点はブリティッシュフォ−クの深遠な世界に属するというだけで音楽性はまったく違っております。 さて、