ジョンメイオ−ル&ブル−スブレイカ−ズ
アレクシス・コ−ナ−
ヤ−ドバ−ズ
ロ−リングスト−ンズ
アニマルズ
スモ−ル・フェイセス
スペンサ−ディヴィス・グル−プ
ミック・ティラ−
クリ−ム
フリ−トウッド・マック 

サヴォイ・ブラウン
チッキン・シャンク
テン・イヤ−ズ・アフタ−
ロリ−・ギャラガ−
キ−フハ−トレ−バンド  
ハンブル・パイ
フリ−
クライマックス・シカゴ・ブル−スバンド 
グラウンド・ホッグス 以下近日登場
エリックバ−トン&ウォ−
テイスト
ドクタ−フィ−ルグッド
ゲイリ−・ム−ア



  ジョンメイオ−ル&ブル−スブレイカ−ズ 

歴史が動く時はいつだって運命的なもの。 ジョンメイオ−ル&ブル−スブレイカ−ズがこのアルバムで残してくれた業績はブリティッシュブル−スの夜明けに相応しい素晴らしきものだったのです。 ジョンメイオ−ルはまたブリティッシュブル−スの先駆者として数多くのブル−スミュ−ジシャンを輩出いたしました。 後にクリ−ムを結成する事になるエリック・クラプトンとジャック・ブル−ス、フリ−トウッド・マックのピ−タ−・グリ−ンとミック・フリ−トウッド、そしてスト−ンズに加入することになるミック・ティラ−、コロシアムのジョン・ハイズマン等が大きく羽ばたく前にブル−スブレイカ−ズに於いてキャリアを積んでいったのです。 まさにジョンメイオ−ルスク−ルといっても過言ではなかったかもしれません。 蛇足ですがゲイリ−・ム−アの名プル−スアルバム、スティル・ゴット・ザ・ブル−スのアルバムジャケットの正面には、ゲイリ−の子供時代と思しき少年の脇にこのアナログアルバムが置いてあり、裏ジャケットのゲイリ−・ム−ア自身の足元にはこのアルバムのCDが置かれていましたね。 何とも粋なデザインなのですが、このジョンメイオ−ル&ブル−スブレイカ−ズのアルバムがブリティッシュブル−スに果した役割をゲイリ−・ム−ア自身も良く知っていたのでしょう。 またゲイリ−自身も後にジョン・メイオ−ルと競演する事になります。 ウィリ−・ディクソンのオ−ル・ユア・ラヴで始まるこの作品は、何といってもエリック・クラブトンの凄まじいギタ−に息を呑みます。 ジョンメイオ−ルという神がかり的な師匠のせいも在るのでしょうが、まだブル−スの壁に突き当たる前のエリック・クラブトンが自由奔放に暴れまくり、その若き姿に圧倒されてしまいますね。 これが絶頂期の彼のブル−スギタ−。 火花散るとはこんなことをいうのでしょう。 またブル−スブレイカ−ズの面々もそんなエリックをしっかりサポ−トしておりました。 ジョンメイオ−ルの場合決してフロントマンとはならずに、その時代の輝ける才能をバックアップすることに長けていたのではないでしょうか。 もちろんその実力はありながらです。 また基本に忠実なプレイは彼のブル−スへの畏敬の念を表すものでしょう。 ジョンメイオ−ル&ブル−スブレイカ−ズがシカゴブル−スの正当な継承者として果した役割は大きく、彼がいなければ1970年代のブリティッシュロックさえ変わっていたでしょう。 またそのキャリアの永さも圧巻でありまして、何と21世紀になった今でさえ新作をリリ−スするというエネルギ−の持ち主です。 凄いですね。 作品も40枚を越えていました。 ブリティッシュブル−スと共に生き、ブル−スの申し子として歩き続けるジョンメイオ−ル、人は彼をブル−スの神様と呼びます。 

   アレクシス・コ−ナ−・ヤ−ドバ−ズ

ブリティッシュ・ブル−スのキャリアの上では、ジョン・メイオ−ルにさえ一目置かれていたのがアレクシス・コ−ナ−その人でした。 彼が結成したユニット、ブル−ス・インコ−ポレイテッドがジョン・メイオ−ルとともにブリティッシュ・ブル−スの黎明期を担ったといっても過言ではないでしょう。 あのロ−リング・スト−ンズでさえビル・ワイマンを除く他のメンバ−全員がブル−ス・インコ−ポレイテッドに関わっていたのです。 特にブライアン・ジョ−ンズの存在感は当時から圧倒的であったと聞いています。 また、ジャック・ブル−ス、ジンジャ−・ベイカ−、グレアム・ボンゾも一時在籍しておりました。 まさに彼はブリティッシュ・ブル−スの重鎮といっても良いでしょう。 しかしながら、このアレクシス・コ−ナ−はイギリス本国での評価に較べ日本での人気は今ひとつで、ジョン・メイオ−ルと同じように1980年代までアルバムをリリ−スし続けるのですがこれといったヒットには恵まれませんでした。 唯一のヒット曲といえばCCS時代にリリ−スしたツェッペリンのカバ−、胸いっぱいの愛をぐらいでしょうか。 もちろん彼自身ヒット云々といった世俗的な現象には無関心のところがありましたね。 ブル−スと忠実に向かい合う余り、その音楽性が多分に地味過ぎたことがその原因だったのだろうと思われます。 ところで、エリック・クラプトンがブル−ス・ブレイカ−ズに加入する前にリ−ド・ギタ−を弾いていたのがヤ−ドバ−ズでした。 ポ−ル・サミュエル・スミスやキ−ス・レルフも輩出したこのバンドは、当初ロ−リング・スト−ンズの後釜としてブル−スクラブ出演を繰り返すようになります。 当時はスト−ンズに続くブル−スバンドとして着実に実績を積んでいくのですが、エリック以外のメンバ−は幅広い音楽性を目指していた感がありました。 ヒット曲フォ−・ユア・ラヴやハ−トせつなく等はその典型だったのではないでしょうか。 当然ながらエリックが演奏したかったのはピュア−なブル−スだったのですが、グル−プの方向性はよりポップなほうへと向い始め、嫌気がさしたエリック・クラプトンはジェフ・ベックをヤ−ドバ−ズに紹介して脱退してしまいます。 そのジャフ・ベック脱退後にヤ−ド・バ−ズを背負ったのがご存知のジミ−・ペイジで、レッド・ツェッペリンはその発展した姿だったのです。 思わずウ−ンと唸ってしまうほどの何とも戦国時代のような人模様でありました。   

  ロ−リング・スト−ンズ 12 X 5

私にとってのロ−リングスト−ンズの原体験はレット・イット・ブリ−ドやスティッキ−・フィンガ−ズであり、彼らのデビュ−時代の音に触れるのは暫らくたってからのことでした。 でもレッド・ツェッペリンやキングクリムゾンに埋もれる日々の中でも、このスト−ンズの12 X 5のアルバムタイトルはカッコイイなあと思って随分と気になっておりました。 このシンプルな姿勢に彼らのリズム・アンド・ブル−スに対するタイトな感覚が伝わって来るとは思いませんか。 当時のブリティッシュ・ビ−トグル−プのブル−スに対する心酔は相当なもので、その中からロ−リング・スト−ンズやブル−ス・プレイカ−ズ、そしてヤ−ド・バ−ズのようにその後のブリティッシュ・ロックの基盤を形作るバンドが登場してくるのです。 そんな当時のスト−ンズでもっとも注目されるのは、テクニック云々というよりも彼らがいかにアメリカの黒人音楽を自分達の中で消化し、ブル−スとして表現していったのかという過程につきると思います。 溢れるような情熱をどんなふうに閉じ込めていったのか、時代を追って行くと彼らの純粋なまでのブル−スに対峙する姿が浮き上がってくるのです。 ある意味ではこの時代のスト−ンズがもっともスト−ンズらしい姿であったのかもしれないですね。 また、この当時で面白いと思うのは王者スト−ンズであっても例外なく、イギリスのオリジナル・アルバムとアメリカでのリリ−ス盤とは曲順や曲数タイトル、デザインなどかなり違っているという今考えると信じられないようなことが常識となっていたことです。 何とも凄い事なのですがあのビ−トルズでさえもそうであったのですね。 そして、この12 X 5なのですが、ロ−リング・スト−ンズの憧れであったアメリカはチェススタジオでのレコ−ディンが6曲とロンドンでの録音が6曲のアメリカ編集盤でありました。 最大の聞物はもちろんタイム・イズ・オン・マイサイド、スト−ンズがバラ−ドも充分にこなせるということを証明して見せた名曲です。

  アニマルズ ・ スモ−ル・フェイセス ・ スペンサ−デイヴィス・グル−プ

アニマルズにはエリック・バ−トンとチャス・チャンドラ−という強力な2人のフロント・マンがおりました。 また、ロ−リング・スト−ンズ以外では日本でもっともポピュラ−なブリティッシュブル−スバンドであったと思います。 それというのも、悲しき願いや朝日の当たる家といった大ヒットがあったせいで、確か日本のアフタ−ヌ−ン・ショ−にもゲスト出演したことを憶えています。 何故アフタ−ヌ−ン・ショ−なのか脈絡もありませんが、当時はそういった時代だったのですね。 エリック・バ−トンとアニマルズの場合は、まさにブル−ス一辺倒でありまして、ブル−スを含めたR&Bの新たな世界を構築しようとしていたスト−ンズに較べるとやや地味な感は否めませんでした。 ですが、エリック・バ−トンの深く、黒いヴォ−カルは決してミック・ジャガ−と較べても遜色ありません。 あの渋くしわがれたエリックの声は感性を揺さぶり、触発する、ブル−ス魂の極みと言えると思います。 当時、エリックの熱唱の右に出るものはいませんでした。 彼のコンセプトはブル−スの新たな展開というよりも、ブル−スそのものの再生にあったのではないでしょうか。 それも、ブル−スを愛すればこその忠実なる再生。 それこそが彼の生き様なのです。 チャスはアニマルズ脱退後ジミ・ヘンドリックスと関わってくる事になります。 また、エリック・バ−トンの場合はアニマルズを率いながらブリティッシュブル−スの王道を歩いて行くになるのです。 スモ−ル・フェイセスもまたブル−スやR&Bを独自の視点で解体していったバンドだったと思います。 既にスティ−ヴ・マリオットの黒さ加減は秀逸でありまして、一見ポップス風に感じられる彼らの歌の端々にはソウルフルなハ−トがありました。 それは市場を意識しながら、いかにしてブル−スを続けるかという命題のひとつの方法論であったと思います。 やがて、ハンブル・パイで見事に開花するあの重厚で骨太なブル−ス感覚がこの時に培われたのですね。 初期のヒット曲シャ・ラ・ラ・ラ・リ−やアイ・キャント・メイク・イットなどのR&B感覚といったらもう最高で、モ−タウンのR&Bと較べても何の違和感も無く感じられます。 センスの問題なのですが、おそらくはあの時代のバンドの中でもR&Bを忠実に再現しようとしていたのかもしれません。 バランス感覚が飛び抜けていたということになります。 考えてみますとスモ−ル・フェイセスは、ブル−スをもっともスマ−トに増殖させていたのかもしれないですね。 それはスティ−ヴ・マリオットの抜きん出たセンスの賜物だったのだと思います。 また、盟友ロニ−・レインはスモ−ル・フェイセスからフェイセスへとバンドを発展させて、ブリティッシュロックの黄金時代を築くことになります。 スペンサ−デイヴィス・グル−プはこの3つのバンドの中でもブル−スバンドらしいブル−スバンドでした。 その意味ではスト−ンズと同じような路線を進んでいたといえるでしょう。 若き天才児スティ−ヴィ−・ウインウッドを配して1つの時代を築きますが、彼らもブル−スの呪縛から逃れられなかったバンドのひとつでありまして、その意味でも正統的なブリティッシュブル−スバンドであったといえるのかもしれません。 しかしながら、皮肉なことにスティ−ヴィ−の場合はブル−スから距離を置いた時に初めてその天才的な感覚を開花させる事になります。 

 ミック・ティラ−

私の場合ミック・ティラ−について語ろうとするととても冷静でいられなくなります。 まだ10代の時に目にしたスト−ンズの幻のライヴ・フィルム、レディ−ス・アンド・ジェントルメンの中で一番光っていたのは、ミック・ジャガ−でもキ−ス・リチャ−ドでもなく何を隠そうミック・ティラ−その人だったのです。 オリジナルアルバムでいえば山羊の頭のス−プの頃ですね。 あの妖艶でシュ−ルなフィルムの中でも彼がひときわ際立っていました。 世の中にこんなにも美しいギタリストがいるのだろうかと思わせるほどの容姿は本当に尋常ではなかったのです。 それは映画スタ−でも敵わないのではないのかと思える程。 一説によるとそのハンサムさの余り嫉妬したミック・ジャガ−にスト−ンズを追われたという噂まで実しやかに囁かれたのですから。 男の私でさえそう思うのですから、女性の人気たるや凄まじいものがあったと想像出来ます。 しかしそんなことよりも特筆すべきことは何といっても彼の素晴らしいギタ−テクニック。 大御所ジョン・メイオ−ルに見出され、鍛えられたその類稀なきギタ−テクニックは、よくぞこの若さでそこまでと感嘆せしめるほどの天才的なものだったのです。 その当時でも、テクニックだけみると旨いといえる人は数多くいたのですが、ミック・ティラ−の場合はそのテクニックはもちろんのこと、その音色の端々に妖艶といいますかセクシ−な情念が醸し出されていたのです。 情感を感じさせてくれるギタリストなんてそうザラには居ないでしょう。 特に彼のスライドギタ−は絶品でありました。 これまた幻のライヴアルバム、ナスティ−ミュ−ジックの中で聴かれる彼のプレイは悶絶してしまうほど素晴らしいのです。 それはロック史上はじめて官能的な領域に到達した瞬間でした。 私は始めてこのアルバムを耳にした時に何なんだこのギタ−はと気絶しそうになったくらいなのですから。 それまでのアルバムでもカッコイイギタ−を披露してはいたのですが、ライヴでのプレイには火花散る艶っぽさと凄まじさがあったのです。 どうしてこんな名ライヴが正規リリ−スされないのか不思議でなりませんが、そんなことよりもその時代の情念を密かに閉じ込めておきたかったのかもしれないですね。 何時か封印を解く日を待ちながら。 

  クリ−ム

ブル−スから遠ざかろうとして結局ブル−スへと回帰してしまった。 エリック・クラプトンはこのクリ−ム時代、そんな事ばかり考えていたのかもしれません。 ジャケットは明らかに西海岸のサイケデリックブ−ムの影響を受けており、ブル−スの限界を感じていたエリック・クラプトンとジャック・ブル−スにとってそれはとても魅力的に映ったのかもしれません。 自分とってのブル−スとの距離を推し量ること、それがクリ−ムとしての活動の全てだったような気がします。 ですから、ビ−トルズに通じるようなポップな歌も必然的に受け入れられたのでしょう。 そのコンセプトはジャック・ブル−スもの。 エリック・クラプトンは、このクリ−ムに於いてジャック・ブル−スに主導権を渡すことによって、彼自身はプレイに徹する役割を全うしようとしていたのではないでしょうか。 それがライヴ・アルバムで爆発する衝撃的なプレイを生んでいくのです。 エリックのギタ−は元よりベ−スのジャック・ブル−ス、ドラムスのジンジャ−・ベイカ−は当代きってのテクニシャンとして知れ渡っており、三位一体となったそのインプロヴィゼ−ションは圧倒的な衝撃性がありました。 まあテクニック至上主義というわけでは無かったのですが、ビ−トルズに対抗するアンチテ−ゼはその部分しかなかったのですね。 延々と続くアドリヴに感覚が麻痺したような錯覚が生まれ、ドラッグブ−ムの勢いに乗ってクリ−ムとしての重要な思想が確立されたのです。 今でもクリ−ムの名盤はライヴ・アルバムという定説がありますが、それはライヴに於いてこそ実力が発揮されるという名プレ−ヤ−が居ればこそ。 ジャズの領域であったインプロヴィゼ−ションをロックにおいて展開しクリ−ムの時代を築くのです。 それは1970年代へと続く1つの道筋でした。 時はまだ試行錯誤の時代だったのです。 

   

フリ−トウッド・マック ・ サヴォイ・ブラウン ・ チッキン・シャック ・ テン・イヤ−ズ・アフタ−

イギリスの中期ブル−ス史上燦然と輝く4大ブリティッシュブル−ス・バンド、それがフリ−トウッド・マックを始めとするこの4つのブル−スバンドでした。 彼らの場合特筆すべきことはブル−スとのスタンスの取り方。 実に忠実にそれも敬意をもってシカゴ・ブル−スの伝統を引き継いでいたのです。 その意味でジョン・メイオ−ルの意思を受け継いだ正統派ブル−ス・メンといってもよいでしょう。 フリ−トウッド・マックはポップパンドに変身し1970年代に大ブレイクをするのですが、その母体となったのがミック・フリ−トウッドとピ−タ−・グリ−ンが在籍していた頃の第1期フリ−トウッド・マックでした。 彼らの場合何といってもピ−タ−・グリ−ンの炸裂する泣きのブル−ス・ギタ−とジェレミ−・スペンサ−のボトルネック、それにダニ−・カ−ワンの味のあるブル−スギタ−といったように3人のキダリストが醸し出すブル−スフレ−ズがその魅力だったのです。 シカゴブル−スの雄エルモア・ジェイムスを敬愛するというだけあって、ジェレミ−・スペンサ−のギタ−もピ−タ−・グリ−ンに負けず劣らず俊逸でありましたが、余りにもシカゴブル−スに拘りすぎたためかこの時代商業的に成功することはありませんでした。 後年、サンタナによって大ヒットするブラック・マジック・ウ−マンも実は彼らの作品だったのです。 さて、フリ−トウッド・マックにピ−タ−グリ−ンがいればサヴォイ・ブラウンにはキム・シモンズがおりました。 この人のまるでデルタ・ブル−スの化身のような初期のブル−スプレイには目を見張らせるものがありましたね。 彼らの場合もシカゴブル−スを経て70年代に入ると大ブギ−バンドへと変遷するのですが、何と言ってもデッカ時代のブル−スアルバムはその忠実で真摯な姿が浮き彫りにされ衝撃的であったと思います。 胸をうつフレ−ズ、泣くギタ−、白人ブル−スメンには珍しいほどブル−スの持つ根源的な悲壮感を見事に表現しきっていたのです。 サヴォイ・ブラウンのモット詳しい解説はこちらへ チッキン・シャックもシカゴブル−ス・バンドとして一世を風靡いたします。 リ−ダ−のスタン・ウェッブ率いるこのブル−ス・バンドもまた成功という言葉とは無縁であったのですが、フレディ・キングばりのギタ−を聴かせるスタン・ウェッブは当時のブリティッシュブル−ス界でも一目置かれた存在でありました。 何といってもブル−スとは彼の人生の一部であったのです。 そんな純粋な彼の姿勢がプル−スに対する愛情を表しているのではないでしょうか。 大御所マイク・ヴァ−ノンに見出されてブル−・ホライゾンより華麗なデビュ−を飾るのですが、スタン・ウェッブという人は純粋なあまりに非常にむらっけの多かった人らしいのです。 そんな彼の移り気は70年代に入って、突如サヴォイ・ブラウンと訳も無く合体してしまうということをやってのけ周囲を驚かせてしまいます。 彼らの代表作はやはりセカンドアルバムのO・K・ケンプでしょうか。 あの時代のイギリスにおける良質のブル−スが満載されていました。 さて、このコ−ナ−の最後になりますがこの4つのバンドの中でも、もっともカリスマ性を有していたのがテン・イヤ−ズ・アフタ−のアルヴィン・リ−でしょう。 このペ−ジ上でも何度となく語っているのですが、兎に角彼のブル−ス・ギタ−は凄まじいものがありました。 驚異の早弾きと情感溢れるプレイ。 まるでブル−スとはこんな風に演るんだよと誇らしげに見せてくれる、彼アルヴィン・リ−はブル−スの申し子と言っても差し支えないでしょう。 ブル−スに生きブル−スに死す、そんな気障な言葉さえ似合ってしまうほど。 この素敵な音楽に対するおよそ考えられる最高のスタンスを持ちえていたと誰もが認めるところでしょう。 テン・イヤ−ズ・アフタ−のモット詳しい解説はこちらへ

  アルヴィン・リ−&テン・イヤ−ズ・アフタ−

お気楽にペ−ジを構築しているつもりでも、時としてジレンマに陥り何にも書きたくなくなってしまう事が多々あります。 俺、何でこんな事やっているのだろうとか、いい加減止めちゃってもいいんじゃないとか、生来の怠け癖が顔を覗かせて悪魔の囁きを受け入れたくなってしまうのです。 そんな時は決まってブル−スのアルバムを聞くことにしています。 ブル−スを聴いていると癒されるというか、感性を優しく触発してくれるのですね。 スト−ンズのエモショ−ナル・レスキュ−ではないのですが、魂を救ってくれる、ブル−スにはそんな根源的なものがあると思います。 例えば、ウィスキ−でもヴァ−ボンでもビ−ルでも良いのですが、何がしかのお酒を友にするともう何も言う事はないといった感じ。 そして、アルヴィン・リ−&テン・イヤ−ズ・アフタ−にもそんな落ち込んだ気分を随分と救ってもらった気がします。 10年後どころか、21世紀になった今もレコ−ド棚から取り出してきては聴いているのですから、アルヴィン・リ−もきっと満足しているに違いありません。  ブリティッシュブル−ス界の中でも一匹狼的な感の強いアルヴィン・リ−ですが、孤高の早弾きギタリストとしての実力は実証済みでありまして、日本でも早くから人気のあった一人なのです。 しかしながら、ブル−スの申し子としての名声を欲しいままにしたのかというと、あながちそうとばかりもいえません。 思えば、かのウッドストックで大ブレイクして以来、恒にブル−スに対するスタンスの取り方に微妙な食い違いが出てくるのです。 テン・イヤ−ズ・アフタ−の場合は、元来よりシカゴブル−ス系統のブギ−やアップテンポのナンバ−を得意としており、非常にロックン・ロ−ル色の強いブル−スを演奏していました。 それがバンドとしての人気が出るに連れ、よりブル−スから離れていく過程を取って行きます。 ブル−スという古くからの、ある意味ではトラディショナルな音楽に固執していたのでは時代の流れに乗れないと解かっていたのでしょう。 自分の求めている音楽と大衆的な欲求のジレンマにもっとも苦しんでいたのは、アルヴィン・リ−その人自身だったのかもしれないですね。

  ロリ−・ギャラガ−

エリック・クラプトンやジミ−・ペイジそしてジェフ・ベックなどのブリティッシュロック3大ギタリストの御大達と較べても、そのテクニックや才能やブル−スのハ−トが決して見劣りする事のない数少ないミュ−ジシャンがロリ−・ギャラガ−だと思います。 その天才的なブル−スギタ−や類稀ない資質に較べれば日本での評価は余りにも低すぎるといわざるを得ませんが、それは同じく天才ブル−スギタリストであったミック・ティラ−の人生と重なり合ってしまいます。 スト−ンズを脱退した後のミック・ティラ−は、その才能に較べれば極めて不遇のミュ−ジシャン人生を送ったのではないかと思いますが、ロリ−・ギャラガ−の場合もミック・ティラ−ほどではないにせよ、正当な評価とは程遠かったのではないでしょうか。 テイスト時代からソロに至るまで玄人筋には絶大な評価を受けながら、それが世界的なレベルでの商業的な成功とまではいかなかったのです。 まさに熱いという言葉がよく似合う彼の情熱的なギタ−プレイは、その若さゆえの衝動的な情感に溢れ聴く者をグイグイと引き込んでくれる魅力がありました。 掛値なしの真摯な姿に心を揺り動かされるのです。 それは本当に音楽を、あるいはブル−スを愛しているのだなと私たちを納得させるものがありました。 良くも悪くも一流のミュ−ジシャンに見られるような達観などしてなくて一途なほどの純粋なブル−スとの対峙、それは前出のエリック・クラプトンやジミ−・ペイジそしてジェフ・ベックらがブル−スから離れながら自らの音楽を切り開いていったのとは余りにも対照的です。 実に実直な人なのでしょう。 だからこういった人間の良い人との場合などは、よっぽどやり手のマネ−ジャ−でも付いていない限り商業的成功は望めないのかもしれません。 彼の最高傑作のひとつであるアゲインスト・ザ・グレインでの燃え尽きるようなギタ−プレイは魂を振るわせるほど素晴らしく、その震えるような余韻が今でも私達の脳裏に鮮烈に焼きついています。 

  キ−フ・ハ−トレ−・バンド

彼、キ−フ・ハ−トレ−もまたジョンメイオ−ルのブル−スブレイカ−ズの卒業生でしたが、エリック・クラプトンやピ−タ−・グリ−ン等の生粋のブル−ス優等生からすると、聊か変わった経歴を歩んでいます。 彼の場合まず始めにブル−スありきだったのですが、ブル−スから派生するあらゆる音楽に対して柔軟な姿勢をみせており、そのコンセプトが見事に結実したのがリトル・ビッグ・バンドという大傑作アルバムでした。 まさにバック・トゥ・ザ・ル−ツという訳ですね。 この作品は、バックバンドにホ−ン・セクションをズラリと並べてブル−スを演奏し、オリジナルメンバ−を含めた総勢20人余りの圧倒的なパワ−と炸裂するような臨場感で、今までにないブル−スの世界を切り開く事に成功しました。 もともとジャズにも興味を持っていたというキ−フ・ハ−トレ−の面目躍如といったところでしょうか。 また、20分を越える大作レッグ・オ−バ−チュアでは意識的にジャズとブル−スの融合を試みて成功していました。 もちろん、彼らがこのアルバムを発表する数年前には、アル・ク−パ−がBS&Tを立ち上げており、ブラスロック自体はそんなに珍しいものではありませんでしたが、ブル−スに限ってだけ言えばキ−フ・ハ−トレ−・バンドが初めての試みだったと思います。 その永い歴史の中でブル−スが成熟する過程に於いては、ビッグバンドに支えられて発展していった経過があるわけですが、1960年代から1970年代にかけては、これまたアル・ク−パ−のブル−スプロジェクト等を除けばロックバンドの構成で展開されていた訳です。 そんな固定観念に楔を打ち込むようなキ−フ・ハ−トレ−・バンドの快演には思わず拍手をしないではいられません。

   ハンブル・パイ&フリ−

ハンブル・パイとフリ−に共通するのは数あるブリティッシュブル−スのバンドの中でも、どちらもえろう重いですなという重厚な感覚ではおまへんやろか。 特にハンブル・パイのスティ−ブ・マリオットというお方はその傾向が強く、名作ロッキン・ザ・フィルモア等はコ−ルタ−ルに足を捕られたようないぶし銀の重さがありました。 盟友、ピ−タ−・フラプトンに変わってここでは完全にスティ・マリが仕切っておりますな。 別に無視された訳ではないんですけれど、このロッキン・ザ・フィルモアを最後にピ−タ−・フランプトンは脱退いたします。 その後の彼の活躍はご存知の通りですね。 ところで、ハンブル・パイの前に進めへんがなといったヘヴィ−なブル−スはその独特なテンポに嵌ってしまうと妙に病み付きになってしまうんですね。 事実、ハンブル・パイの虜になった人たちはこのル−ズなノリにやられてしまうんです。 何というかブル−スというよりもディ−プなソウルに近い感覚なんですね。 そういえば、アイク&ティナ・タ−ナ−のソウルフルな歌い口にもよう似とるがな。 ロッキン・ザ・フィルモアを経てスモ−キン、イ−ト・イットまであたりが彼ら傑作でしょうね。 フリ−のポ−ル・ロジャ−スもまたスティ−ブ・マリオットと同じことでした。 彼の場合ヴォ−カリストしての資質の方が評価されておりましたが、どうして、どうしてディ−プなブル−スのハ−トは誰にも負けないくらいのものがあります。 なんか曲と曲の間にフェイントを入れられたような感じなんですわ。 フリ−もコ−ルタ−ルの上を鉄アレイを持って歩いているようなもので、1970年代のハ−ドロックのテンポとは明らかにずれております。 ところが驚くべき事にそれが実は格好良いということを改めて彼らは教えてくれました。 重さゆえの衝撃性と新たな感覚。 ミシシッピ−流域で生まれたブル−スとはもともとこういうものだったのです。 それが川を遡ってシカゴに辿り着いた事で現在のシカゴブル−スのようなアップテンポブル−スに変わったのでした。 名曲オ−ル・ライト・ナウの入っているファイヤ−ウォ−タ−とハイウェイがお薦めです。 思いますに、この2つのバンドのル−ズな感覚というのは天性のものでありましょうな。 そういった意味でこのハンブル・パイとフリ−は、ブリティシュ・ブル−スの中でもブル−スの重圧にひるむ事無く独自の消化の仕方をした第2世代のブル−ス・バンドということになるのではないでしょうか。  

 クライマックス・シカゴ・ブル−ス・バンド

名前からしていかにもいった感じのクライマックス・シカゴ・ブル−ス・バンドですが、ちゃきちゃきのシカゴ・ブル−スを演るのかといえば必ずしもそうでないのが彼らの油断のならないところです。 自分らの名前さえ途中で変えてしまうんですからますます目も話せませんな。 そう、ブル−スだけに決して囚われる事のない柔軟な姿勢こそクライマックス・シカゴ・ブル−ス・バンドの持ち味でありました。 それは必然的なものというよりも彼らの感覚や趣味の問題なのでしょう。 得意のシカゴ・ブル−スにリズム&ブル−ス、そしてソウルからファンクまでとおよそ考えられる黒人音楽のエッセンスをすべて内包しております。 彼らは1968年に結成されたのですが1971年のタイトリ−・ニット、1972年のリッチ・マン、そして、1973年のFMライブがこのバンドの最高傑作でしょう。 特にFMライブはアメリカでもブレイクするきっかけとなった名作でしたね。 地味ではあったものの自分らのブル−スにという音楽に対するスタンスを明確に表現できていたと思います。 そういった意味で彼らもブル−スの呪縛から逃れた第2世代のブル−スバンドということになるでしょう。 また、80年代には驚くべき事にブル−スから進化したAORのようなことまでやっておりましたぞ。 しかし、これがまた実に良く出来ていて格好いいから始末が悪い。 あの摩天楼が滝のようになっているジャケットのヤツですね。 私もこのAORもどきのフライング・ザ・フラッグという無国籍なアルバムは実に良く聴きました。 少しアンニュイな雨の日なんかには兎に角最高です。 

 グラウンド・ホッグス

愛すべきブル−ス・バンド、グラウンド・ホッグスのギタリストであるトニ−・マクフィ−は、非常に拘りの強い人だったのではないでしょうか。 言葉を変えれば星一徹も顔負けの頑固一徹。 大リ−グボ−ル2号だってなんのそのといった感じであります。 顔だけ見ると西部劇に出てくる強盗団の手下といった感じか、もしくはイタリアの田舎の床屋のおっさんといった感じかな。 まっ、気のよさがモロに出ているお方だと思います。 兎に角デビュ−当時から一貫してこれほどブル−スのリフに拘りつづけた人も珍しいのではないでしょうか。 決して難しことは何もやっていない、その代わり延々と繰り返されるブル−スのリフが、次第次第に何とも心地よい空間を作ってくれます。 感覚や感性が麻痺して少しハイになれるのですね。 この辺りの根源的な資質は何かクリ−ムやドア−ズ、それに私の大好きなホット・ツナの世界に似ているなあ。 大傑作アルバム、サンク・キリスト・フォ−・ザ・ボンブ等で見られる怒涛の如きブル−スリフはその典型でしょう。 またグラウンド・ホッグスは南部のバンドのようなア−シ−なブル−スとブリティッシュらしいハ−ドなロックのバランスも絶妙でありました。 アコ−スティックな音の使い方も非常に上手い。 いわく渋いけどカッコイイというヤツですね。 イギリスのブル−スバンドにしてはこの土臭さという感覚は極めて異例だと思います。 ですから、私たちはグラウンド・ホッグスを聴いている内にアメリカ南部のブル−スバンドのような錯覚に陥ってしまうのですね。 そんな訳で、毎日聴くわけじゃあないけれど、なぜか節目節目で聴きたくなってしまうナイスなブル−スアルバムなのでした。



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