
抱きしめたいを始めて聴いた時に今までに無い不思議な衝撃を覚えた、シ−・ラヴズ・ユ−に触れた時に純粋に感動したました、そして、漠然としていながら何か時代が変わって行く予感を感じたのです。 ビ−トルズを語るときには気持ちが高ぶって言葉が見つからない。 それは、あの時代を共にした多くの人々の感想ではないでしょうか。 これほどの数多くの名曲を送り出してくれたグル−プは、過去にもこれから先にも決して現れることはないでしょう。 私たちは苺畑からの素晴らしい贈り物を永遠に語り継がなければいけないと思っています。
プリ−ズ・プリ−ズ・ミ− 1位連続30週
4人の若者がいた。 そして彼らは他の誰よりも輝いて見えた。 青春の甘酸っぱい香りと焦燥感。 誰もが感じるような同世代の心の想いや葛藤を歌にして共感を得たのです。 時代が彼らを待っていた。 彼らは信じられないようなスピ−ドで時代の頂点に立つ。 その名はビ−トルズ。 ロック史上かってないほどの成功を納めたビ−トルズの記念すべきデビュ−・アルバム、それがこのプリ−ズ・プリ−ズ・ミ−でした。 何といっても未熟さをカバ−して余りある素晴らしい旋律と類まれないハ−モニ−は、他の同じ時代のどのグル−プよりもずば抜けていました。 感覚として10年以上も進んでいるようなポップスだったのです。 そこには、キャバ−ンクラブを初めとする数々のライヴハウスで培われた、ビ−トバンドとしての優秀なキャリアも見えています。 そんなビ−トルズの姿に既に未来の予感を感じさせ、偉大なる幕開けを認識させるのに時間はかかりませんでした。 一番早くその匂いを感じ取ったのは女の子達。 彼女らは何時だって時代が動く瞬間を逃さない。 その、あっと言う間の出来事に世界が驚愕しました。 でもそれは静かなる序章に過ぎなかったのです。 ビ−トルズの偉大なる業績は21世紀になった今も、次世代へ引き継がれ輝き続けているのですから。 さて、このプリ−ズ・プリ−ズ・ミ−ですがポ−ルのカウントで始まるアイ・ソ−・ハ−・スタンディング・ゼア−からラストのツイスト・アンド・シャウトまで、どう冷静に考えても同世代のバンドとは明確な違いがありました。 魂を揺さぶるビ−ト、そしてメロディ-にオ−ラがあり、ハ−モニ−に女神が宿っているのです。 心奪われるとはこういう事をいうのでしょう。 このアルバムで私の1番のお気に入りはミズリ−と彼らの初のNO・1ヒットとなったプリ−ズ・プリ−ズ・ミ−。 ビ−トルズらしい茶目っ気と反骨精神と明るさが軽快な旋律に乗って歌われています。 もちろん若さゆえの未熟さも垣間見えるのですが、返ってそれが新鮮な印象を与えてくれるのです。 この頃のビ−トルズはカバ−曲もかなり歌っておりましたが、オリジナル以上に輝いてみえたのは流石といわざるを得ません。 そして、このデビュ−アルバムは30週間余りチャ−トのトップを守り続けるという快挙を成し遂げるのです。
ウィズ・ザ・ビ−トルズ 1位連続22週
映画バック・ビ−トで描かれていたように、このアルバムの写真を撮ったのはステュ・サトクリフの恋人アストリット。 その彼、ステュ・サトクリフはビ−トルズのメンバ−でありながらがビ−トルズが有名になる前にこの世を去ります。 何とも悲劇的な生涯でしたが、彼の意思はビ−トルズに受け継がれました。 そう、ビ−トルズという名付け親はステュ・サトクリフだったのです。 もはやウィズ・ザ・ビ−トルズをリリ−スする頃になるとビ−トルズは単なる新人バンドではありませんでした。 プリ−ズ・プリ−ズ・ミ−に続くサ−ド・シングル、フロム・ミ−・トゥ・ユ−とその後のシ−・ラヴズ・ユ−は立て続けにNO・1に収まり、アメリカでもその人気に火がつき始めていたのです。 まるで熱病に冒されたように世界中がビ−トルズの歌に酔いしれていました。 この頃になると、これはただ事ではないと大人たちも気付き始めていたのですね。 そして、驚異的な記録を打ち立てたアルバム、プリ−ズ・プリ−ズ・ミ−をチャ−トのトップから引き摺り降ろしたのがこのウィズ・ザ・ビ−トルズでした。 つまり10ヶ月余りもNO・1を他のバンドに譲らなかったということになります。 記録が全てではないのですがそれにしても凄い。 このウィズ・ザ・ビ−トルズはファ−ストアルバムと較べても、明らかにオリジナルのクオリティの高さが目に付くようになります。 イット・ウォント・ビ−・ロングやオ−ル・マイ・ラヴィング、ナット・ア・セカンド・タイムといった名曲たちが華やかに歌われていて、その間をプリ−ズ・ミスタ−・ポストマンなどのカバ−曲が埋めるという図式も堂に入っていました。 特にオ−ル・マイ・ラヴィングの素晴らしさは特筆もので、当時これほどの頻繁なコ−ド進行を行う歌は無かったし、それがまた琴線に触れる旋律となっていたのですから驚きです。 また、イット・ウォント・ビ−・ロングの軽快なビ−トもそれまでにない斬新な感覚のものでした。 軽快なポップスからバラ−ドまで彼らの素晴らしい才能が芽生えています。 まだ彼らは世界を視野に入れていなかったのですが、世界は彼らを待っていたのです。 それは名曲抱きしめたいで一挙に爆発することになります。
ア・ハ−ド・ディズ・ナイト 1位連続21週
アメリカでもついにビ−トルズ旋風が吹き荒れました。 シングル、抱きしめたいは広大なアメリカ大陸を席巻し、世界中を吹き荒れたのです。 1964年2月の事でした。 それは、もはや単なるス−パ−アイドルの誕生という問題ではなくなり、社会現象となって彼らの歌だけに留まらず、その行動やライフスタイルまでが賛否両論を巻き起こしたのです。 音楽史上かってないことでした。 そんな中でビ−トルズが初めて制作した映画ア・ハ−ド・ディズ・ナイトは、2作目の映画ヘルプに較べると彼らの当時の凄まじい状況をわりと忠実に伝えてくれていたと思います。 時にはドキュメンタリ−・タッチに彩られ、またあるときはドラマ仕立てであり、エンタ−ティメントであったのですが、決してプロパガンダとならないような良識がありました。 それは多分に、当時の熱狂的な状況を冷静に再現しようと努めた結果なのでしょう。 そのサウンドトラックが納めらたサ−ドアルバム、ア・ハ−ド・ディズ・ナイトはビ−トルズ初の全曲オリジナルが収録されたアルバムとなったのです。 そのせいか全体的にビ−トルズらしい統一感があり、同じト−ンで纏められていました。 但し、ア・ハ−ド・ディズ・ナイトを始めとして、所々にマイナ−を基調とした暗めの旋律が顔を覗かせているのは、ビ−トルズが置かれていた当時の過酷な状況を象徴しているのだと思います。 あまりも凄様じい人気を手にしてしまった悲劇。 栄光と引き換えに自由を奪われてしまった困惑。 映画ア・ハ−ド・ディズ・ナイトの副題はそういった過酷な状況の記録ではなかったのでしょうか。 しかし、ビ−トルズ自信の過酷な日々とは裏腹に、作曲力は天才的な資質には益々磨きが係り、キャント・バイ・ミ−・ラヴやアイ・フィ−ル・ファイン、テル・ミ−・ホワイ、アンド・アイ・ラブ・ハ−、エニィ・タイム・アット・オ−ルなどの名曲を続々と送り出します。 湯水のようなといったら大袈裟になってしまいますが、その驚異的な能力には目を見張らせるものがありましたね。 また、もう一方では過酷な自分たちを見つめるもう一人の自分というものを意識していたのではないでしょうか。 ジョン・レノンには特にそういったシニカルな側面が当時からあったと思われます。 それはビ−トルズを裏から支えるコンセプトだったのです。
フォ−・セ−ル 1位連続15週
まるで絵画のように美しい色彩のジャケット。 静かに佇む4人の若者。 当時の狂気に近い喧騒を払拭するかのような穏やかな佇まいがあると思います。 数あるビ−トルズのアルバムの中でも1,2を争う美しさではないでしょうか。 ビ−トルズのアルバムは過去何度となく再発売されており、このアルバムのリリ−スされた時期によって微妙にジャケットの色の濃淡や雰囲気が違っていたのは面白いところです。 当時のビ−トルズにはアルバム1枚さえもゆっくり作る時間が与えられてなかったのではないでしょうか。 ライヴに追われ、取材に追われ、そしてファンに追われて世界を駆け巡っていたのです無理も無いでしょう。 それが、このアルバムの全14曲中6曲もカバ−曲が占めるという異例の構成になった理由だと思われます。 ビ−トルズ・ミ−ツ・カントリ−と言われるようにこのフォ−・セ−ルはカントリ−色の非常に濃い内容になっています。 このアルバムをリリ−スする頃の彼らは、既に頂点に達していたのですが、彼らにだって長年憧れてきたアイドルが存在していました。 それが、エルヴィス・プレスリ−。 アメリカ・ツア−中にエルヴィス・プレスリ−を表敬訪問し、ビ−トルズがとても喜んでいたという記事を目にして微笑ましくもありました。 何故なら、彼らはエルヴィス・プレスリ−よりもビッグ・ネ−ムになっていたのですから。 そんなエルヴィス・プレスリ−に対する想いと、このアルバムのカントリ−色の強さとは決して無縁ではなかったでしょう。 さて、先程も申しましたようにこのレコ−ドを録音する時間は限られたものだったと思えます。 ア・ハ−ド・ディズ・ナイトでみせた統一感も見られないし、ファ−ストやセカンドのような勢いも感じられません。 唯、そんな中にあってビ−トルズ史上出色の名曲と私が豪語するノ−・リプライや、ミディアム・テンポの名作エイト・ディズ・ア・ウィ−クなどの素晴らしい歌を創作しているのは流石と言わざるを得ません。 天才はどんな状況下であっても傑作を作ってしまうんですね。 また、チャック・ベリ−のロックン・ロ−ル・ミュ−ジックもカバ−曲ながら、まるで自分の歌のように歌いまくっているジョン・レノンの勢いに圧倒されてしまいます。 この歌と同じくカバ−のミスタ−・ム−ンライトはジョンがリ−ドヴォ−カルをとっている歌の中では最高傑作の部類に属するのではないでしょうか。 この時期のジョンのロックン・ロ−ルをシャウトするヴォ−カルは、見事としか言い様がなく、彼の迸る情熱が伝わってきて最高だったと思います。
ヘルプ 1位連続15週
ヘルプ−4人はアイドルと副題がついているように、およそ彼ららしくない駄作であったと思われる映画ヘルプとタイアップして作られたアルバムなのですが、歌の方は素晴らしい名曲が揃っていました。 リチャ−ド・レスタ−はビ−トルズにモンキ−ズの役割をさせたかったのでしょうか。 ビ−トルズにしてもすべてを拒否するまでには力がなかったのでしょうね、おそらく。 もっとブライアン・エプスタインに頑張って欲しかったなあと思いますが。 まっ、そんなことは抜きにしてビ−トルズの数ある名曲のうちでも、もっともポピュラ−な名曲イエスタディを始めとして、表題作のヘルプ、涙の乗車券、ディジ−・ミス・リジ−等溢れるような名曲のオン・パレ−ドでした。 何度もいっているのですが、この頃のジョンのヴォ−カルは兎に角凄い。 おそらくは1960年代最高のロックン・ロ−ラ−であったのではないでしょうか。 さて、このヘルプなのですが、これ以降の芸術性重視路線の分岐点となった作品でもあり、試行錯誤が感じられる極めて不安定な要素も内包していました。 まさにヘルプであったと思われます。 この時期のビ−トルズというのは殺人的にスケジュ−ルに終われておりまして、ご多分にもれずじっくりと腰を落ち着けて作曲できる状況ではなかったのですが、そんな中でもこれほどの名曲を揃えて来るのですから流石と言わざるを得ないでしょう。 もしかしたら、映画の撮影というのは、そんな殺人的なスケジュ−ルから逃れられる唯一の手段であったのかもしれないですね。 そうであれば、ポ−ルにしてもジョンにしても映画のクオリティに対し寛容であった事が頷けます。 ところで、名曲イエスタディでは当時のビ−ト・グル−プのエレクトリック重視の音楽的風潮からガラリと変わって、アコ−スティックギタ−で演奏するという画期的な離れ業をやってのけました。 今でこそアコ−スティックだけの演奏は普通でありなんてことはないのですが、当時はフォ−クミュ−ジックを除けばとても衝撃的なことでした。 もちろん、ロックミュ−ジックの世界で最初を辿っていけばすべてビ−トルズに行き着くと言われるほどなのですが、それにしても本当に驚かされましたね。 彼らが恒に前向きであった事が、新たな創造性を次々と掻き立て優れた作品を残す原動力となったのでしょう。 その芸術性に目覚めたビ−トルズはいよいよ本領を発揮し始めることになります。
ラバ−ソウル 1位連続13週
時代が動く時はある日突然にやって来ます。 ビ−トルズの中の何かが変わってしまった。 それは彼ら自身の内なる触発だったのか、それとも熱狂的な聴衆と環境に作用されたのか、またはビ−トルズの地位が確立してしまった安堵からくるものなのか、全てがそうであり全てがそうでないような気がします。 幸運にもこの時期、ビ−トルズにとって久しぶりにじっくりと腰を落ち着けて作曲活動に専念できる時間と環境を与えられてたのでした。 この当時のもう1つの状況で特筆すべきは彼らの音楽に対するスタンスの変化という事になるでしょう。 余りにも熱狂的過ぎるファンの前に彼ら自身の方向性を方向転換せざるを得なかったのです。 当然ながらビ−トルズにとってのライヴ活動というものは魅力のあるものではなくなっていました。 それはア−ティストにとって致命的なことなのですが、ビ−トルズの場合はそれが運命を変えることになるのです。 彼らは初めてこのラバ−ソウルにおいて、ライヴで演奏不可能な音楽のレコ−ディングに着手しました。 このこと自体今でこそ何の不思議もないことなのですが、この時代においては画期的というよりも暴挙に近いものがあったと思います。 演奏テクニックの未熟さという点を除けば、レコ−ディングしリリ−スした曲をライヴで演奏して見せるということは当然の事であり、ライヴでのお披露目がある意味でその歌の完結でさえあったのです。 ですからこのラバ−ソウルは、ビ−トルズが世界で初めてレコ−ディング活動のみに専念することを決意したもっとも重要な時期のアルバムということになるでしよう。 彼らがずっと暖めてきてアイディアをやっと実現できる日がやって来たのです。 ちょっと聴き流すと解かりづらいのですが、ハ−モニ−1つをとっても融合することのみに捕らわれず、音階をずらしたパ−トを重ねていくという離れ業を施し、ギタ−のフレ−ズも複雑に響かせ、それ以前のアルバムと較べても数段輝きを増しています。 ジョ−ジ・ハリスンのギタ−については酷評もあったのですが、このラバ−ソウルではそれを払拭するほどの伸びやかなプレイが目立って来ました。 ドライヴ・マイ・カ−のジョ−ジのイントロを聴けば全てが納得いただけると思います。 また、シタ−ルなどの未知なる楽器にも挑戦し見事に消化するという器用や田多彩さも見せてくれましたね。 ジャケットが象徴するような暗鬱で静やかなト−ンの中に、軽快で爽快で流れるような旋律が隠されている。 それは彼らの革新的な手法だったと思います。 また、全体を1つのベ−ル包む事によりアルバムのカラ−を出すことにも成功していました。 このアルバムの評価は主にジャ−ナリズムからの賛美で始まり、やがては聴衆へと浸透していきました。 ファンの中にはこの変化に納得できない人も居たかも知れませんが、それはやがて賞賛へと代わるのです。 このラバ−ソウルは1965年の奇跡ということではなくて、彼らが本領をいよいよ発揮し始めたということになるでしょう。 それは、イン・マイ・ライフやユ−・ウォント・シ−・ミ−という稀代の名曲に象徴されるようにビ−トルズの類稀なる才能の発芽でもあったのです。
リボルバ− 1位連続 9週
日本ではビ−トルズの最高傑作ということになると誰もがサ−ジェントペパ−を挙げると思うのですが、欧米に於いては意外にもこのリボルバ−やラバ−・ソウルの評価が高かったりもするのです。 もちろんリボルバ−といえども当時のロックミュ−ジックの臨界点を越えてしまったサ−ジェントペパ−には及ばない点も多々ありますが、ある意味でビ−トルズらしさを残しながら前衛音楽への挑戦やポップミュ−ジックの殻を打ち破ろうとする意識が感じられました。 ところで、この時期のビ−トルズにとってその音楽形成上もっとも重要な存在となったのがジェフ・エメリックではないでしょうか。 もちろん、プロデュ−サ−でありアレンジャ−であったジョ−ジ・マ−チンや、マネ−ジャ−のブライアン・エブスタインも彼らにとって無くてはならない存在であったのですが、ビ−トルズが作曲した歌をまとめ上げる時に、ジェフ・エメリックの録音技術と斬新なノウハウとアイディアがなければ、リボルバ−以降の革新的な音作りが進まなかったと思います。 彼の素性については未だに謎の部分も多いのですが、少なくとも1966年というまだ音楽業界のテクノロジ−が未発達な状況において、いち早く録音技術の向上とエレクトリック処理の導入に着目した点は評価してしかるべきでしょう。 もし彼がいなければリボルバ−中最大の問題作トゥモロウ・ネバ−・ノウズも生まれていなかったかも知れないのです。 テ−プの逆回転やテ−プの音の上に何度も音を重ねるという作業や、その重ねた音の1部分を抽出するというまるでシンセサイザ−のようなことをこなしてあのトゥモロウ・ネバ−・ノウズが生み出されたのですね。 もちろんねアイディアを出すのはジョンやポ−ルであったのですが、それを形にしたのはジョ−ジ・マ−チンとジェフ・エメリックなのです。 ところで、リボルバ−の録音中にビ−トルズの録音技術のノウハウやアイディアを盗みに来た人達がいます。 何を隠そうそれはシド・バレット率いるピンク・フロイドの面々。 彼らがトゥモロウ・ネバ−・ノウズの斬新な録音風景を目の当りにして、触発され大いなる感銘を受けたことは明らかな事実だと思います。 何故なら、ピンク・フロイドのデビュ−アルバムの中にはトゥモロウ・ネバ−・ノウズに共通する部分が数多く見受けられるからです。 さて、新しいビ−トルズの出発点となったラバ−ソウルではまだロマンチックな旋律が数多く残されていたのですが、このリボルバ−でもエリナ・リグビ−やヒア−・ゼア−・アンド・エブリホエア−等のビ−トルズらしい名曲が沢山ありました。 時代を切り開くような斬新な感覚と優れた名曲が混在し、リボルバ−という新しい世界を構築していたのです。
サ−ジェト・ペッパ−ズ・ロンリ−ハ−ツクラブバンド 1位連続22週
ビ−トルズの最高傑作として語り継がれているサ−ジェト・ペッパ−ズ・ロンリ−ハ−ツクラブバンドは、ジヨン・レノンの個性がもっとも顕著に表れた作品ではないでしょうか。 ポ−ル・マッカ−トニ−はジョ−ジ・マ−チンと共に脇役に徹するようなサポ−ト振りを見せています。 それは思想的な意味合いにおいてということなのですが。 思想性では一歩ゆずったポ−ルもことメロディ−ラインに関しては彼の本領を発揮しています。 しかし、惜しむらくはこのアルバムにおいては彼の天才的な煌めきは最高のものとはいえないでしょう。 さて、このサ−ジェト・ペッパ−ズですが、芸術志向を強く意識させるようなコンセプトは、日本における彼らのアルバムの中でも最高の評価をされておりまして、今でも数あるビ−トルズのアルバムの中でも最高の名盤として君臨していました。 しかし、欧米に於いてはこのアルバムの位置付けは必ずしも重要なものとはなっておりません。 意外な気もいたしますがリボルバ−やラバ−・ソウルの引き立て役ような評価さえ受けているのです。 私もこのアルバム、正直なところ彼らのアルバムの中では5番目か6番目くらいの出来に位置すると思っています。 何故なら、リボルバ−まではどんな斬新な歌や先進的な曲調を創作してもあくまでもビ−トルズであったのですが、このサ−ジェト・ペッパ−ズ・ロンリ−ハ−ツクラブバンドにおいてはそれまでのビ−トルズらしさが極めて希薄なのでした。 従来からの素晴らしくそして類稀ない旋律をあえて押さえ込んで、ポップな世界とは対極的な自意識過剰とも思える思考を展開しているのです。 何かが違うぞという違和感が纏わりついて離れません。 それが今までのビ−トルズのアルバムにはなかった困惑を生み出す状況だったのです。 よく言われることなのですが、初めてアルバムにト−タル性を持たせた傑作という言葉さえむなしく聞こえてしまうのではないでしょうか。 日本のように芸術性や先進性が非常に高いといったように好意的に受け止めてくれれば良いのでしょうが、欧米に於いてはビ−トルズに対する辛辣な意見でもちゃんと主張するという気質があるので、サ−ジェト・ペッパ−ズもご多分に漏れず評論家の批判の槍玉となっていました。 つまり、凝り過ぎているわりにはその意図が見えてこないということなのですね。 もしかしたら彼らは、通俗的なものの中に斬新な構築を行おうとしたのかもしれませんが、意図した結果は得られなかったようです。 それでも、一定のレベルを超えている傑作には違いないのですが。 彼らにとって久しぶりの連続1位が、20週を越える大ヒットアルバムとなったことがそれを証明していると思います。
マジカル・ミステリ−・ツア− 1位連続 8週
もともとオリジナルは、イギリスで6曲入りEPレコ−ド2枚組みとして発売されたアルバムであり、ご存知のようにビ−トルズ主演・演出のテレビ映画マジカル・ミステリ−・ツア−のサウンドトラックとしても使われていました。 その後、アメリカで再編集をされ現在のような11曲入りLP大傑作アルバムになっています。 オリジナルの6曲とは表題作のマジカル・ミステリ−・ツァ−を始めとする現在のレコ−ドのA面に収録されているアイ・アム・ザ・ウォルラスまでの歌です。 さて、このマジカル・ミステリ−・ツア−なのですが英米に於いては散漫すぎるという批判も多いアルバムで、どちらかといえばサウンドトラックアルバム、イエロ−・サブマリンと同じく番外編みたいな扱いを受けていました。 しかしながら、オリジナル部分のマジカル・ミステリ−・ツア−やアイ・アム・ザ・ウォルラス、ユア−・マザ−・シュッド・ノウ、フ−ル・オン・ザヒルといった超名曲の目白押しで、私にとってはビ−トルズのアルバムの中でもベスト3に入る大名盤だと思っています。 また、追加された編集部分の歌に目を移しても歴史的な名曲ストロベリ−・フィ−ルズ・フォ−エバ−を筆頭に、ハロ−・グッドバイ、愛こそはすべて、ペニ−レイン等シングルの大ヒット曲が入っておりどう見ても傑作と呼ぶしかないと思うのですが。 確かにサ−ジェント・ペッパ−のようなト−タル性はないし、取って付けたような感は否めないのですがそれを補って余りある名曲が輝いています。 思想性とか芸術性とかいったような観点ではこのアルバムを語ってはいけないのではないしょうか。 特にビ−トルズのというよりも、ジョン・レノンの観念論や芸術論の主柱となっているアイ・アム・ザ・ウォルラスは素晴らしいの一言。 この1曲の中にシュ−ル・レアリズムからニヒリズムに至るまで彼らの深遠なる思想が凝縮されていると思います。 リボルバ−以降の斬新なサウンド・コラ−ジュの手法が見事に実を結んだ結果ではないでしょうか。 インド音楽からクラシックまで取り入れた相変わらずの好奇心旺盛な演出も見事に消化されていました。 この時期のビ−トルズにとってもっとも衝撃的だったことは、アルバムの評価云々よりも長年のマネ−ジャ−であったブライアン・エプスタインの死でありましょう。 彼らを支えつづけていた支柱を無くしてしまったことは、その後の彼らの活動に暗雲を落としてきます。 既に天文学的な名声は手中にしていたものの、ブライアンというビ−トルズの核をなくしてしまったことは、彼らにとって余りにも大きな損失だったといわざるを得ないでしょう。
ザ・ビ−トルズ-ホワイト・アルバム 1位連続 10週
ビ−トルズ初の2枚組み大作となった通称ホワイト・アルバムは、彼等のレコ−ドの中でももっとも散漫で纏まりのない印象を持たれています。 しかし、この作品ほど味わい深い歌が多くて彼等の真実の姿と当時の状況を知らしめてくれる傑作は他には見当たりません。 いままでは、ポ−ルやジョンの優れた個性を融合させようと試みていたジョ−ジ・マ−ティンは、このホワイト・アルバムに於いて、其々の才能を逆に個別に際立たせようとしたのです。 散漫に感じられるのは、歌によって4人で一緒に創ったり、2人だけでレコ−ディングしたり、あるいは各々が別のミュ−ジシャンを使って創ったりしているからでしょう。 このアルバムの名曲のひとつ、ジョ−ジのホワイル・マイ・ギタ−・ジェントリ−・ウィ−プスではエリック・クラプトンがギタ−を弾いたりしているのです。 それは、今までの彼等には無いことだったのですが、かつてのビ−トルズのカラ−に左右されない自由な解放感を生み出すという良い結果にも繋がっています。 名曲ハッピネス・イズ・ウォ−ム・ア・ガンやヘルタ−・スケルタ−やワイルド・ハニ−・パイなどは従来のコンセプトでは生まれ得なかったでしょう。 もちろん、こんな歌まで入れる必要はないんじゃあないかというものも幾つかありはしますが、多くの作品の場合自由な発想と素晴らしい輝きを見せてくれていました。 ロックにおいて2枚組の大作を創る場合、ア−ティストはどんな意図を持つのでしょうか。 実はその答えこそがビ−トルズのこのホワイト・アルバムだったのです。 永いロックの歴史の中でも、数々の有名なミュ−ジシャン達が2枚組みのアルバムに挑戦し、見事な傑作を残してきていました。 つまり、そのミュ−ジシャンの資質に合った本当の意味での傑作を作ろうと思えば、2枚組み分のスペ−スと余裕が必要になるからです。 ただ、今回のビ−トルズのホワイト・アルバムの場合はそういったコンセプトではありませんでした。 ポ−ルとジョン、そしてジョ−ジ・マ−ティンは、本来ならば1枚のアルバムに入れ込める量の歌と、入るはずのなかった歌達を見事に融合させて彼等の舞台裏を表現しようとしたのです。 それは、ある意味では赤裸々なビ−トルズと言うことになるのでしょう。 また、そのこと自体長い間偶像化され続けていた彼等の虚構の姿からの脱却でもあったのです。
アビイ・ロ−ド 1位連続 20週
さてさて、ビ−トルズ史上最大の傑作、歴史に残る大名盤、そして20世紀が生んだ最高傑作。 おそらくは、そんな言葉さえ空しくなってしまうほどの名作、それがこのアビイ・ロ−ドというアルバムでしょう。 よく知られているように、このアビイ・ロ−ドは実質的なビ−トルズのラストアルバムでありまして、ホワイト・アルバムの荒削りで未消化の部分や、レット・イット・ビ−セッションでの不協和音が発生していたもやもやを払拭しようとしている4人の真摯な姿が伝わってきます。 ここでは、ビ−トルズという巨大な怪物を再び甦らせようとするポ−ル・マッカ−トニ−と、ビ−トルズの幻影を葬り去ろうとしているジョン・レノンの確執も目立たないほどの名演が繰り広げられていました。 この時代の彼等の心は、其々違う方向に向っていたとしても、やる時にはやるんだという強い意志と何よりも恒に時代をリ−ドし続けていたプライドが、こんな素晴らしいアルバムを作らせたのだと思います。 さて、このアビイ・ロ−ドですが、やがては崩壊してしまうだろうビ−トルズの未来を予見していたように、彼等がポップミュ−ジックの方法論を確立させたコンセプトの集大成となっていました。 つまり、デビュ−アルバムからこのアビイ・ロ−ドというアルバムに至るまでの歴史が凝縮されているのです。 アナログ盤でいうところのA面は、ビ−トルズのもっともビ−トルズらしい優れたメロディ−と上質の歌曲で構成されており、鳥肌が立つほどのほどの名曲が用意されていました。 ブル−スをビ−トルズらしい形で表現し消化したジョンのカム・トゥゲザ−、ジョ−ジの才能が見事に開花したような名曲サムシング、 いかにもといった感じのメロディ−ラインが俊逸なポ−ルのマックスウェルズ・シルバ−・ハンマ−、そして、仄々としたリンゴの雰囲気とカントリ−への傾倒が強く滲み出ていたオクトパス・ガ−デンなど、溜息が出そうなほどの名曲と名演が揃っていましたね。 極めつけはジョンのアイ・ウォント・ユ−。 当時台頭していたレッド・ツェッペリンを代表とするハ−ドロックの新しい波や、ピンクフロイド等によるプログレッシヴロックへの解答として、ビ−トルズが示したヘヴィ−なロックナンバ−でした。 ジョンのブル−なフィ−リングが見事に表現されていたと思います。 そして、問題のB面ですが、ひとつひとつの歌が独立していたA面と違い、多くの歌をつなぎ合わせて分断し、また繋いでひとつの世界を創り上げるというポ−ルお得意の手法が始めて登場していました。 ここでは息をもつかせぬほどの疾走感と小気味よいリズム、そして転がるような展開の妙味に数々の名曲が絡んで、先進的なビ−トルズの才能と魔法が華やかに披露されています。 まるでこれが最後の作品だと解かっていたように。 ビ−トルズという万華鏡の世界、それがこのアビイ・ロ−ドのB面だったのです。 また、ジョ−ジのヒア・カム・ザ・サンやジョンのビコ−ズなどの名曲も涙を誘います。 やはり、ビ−トルズは最後にやってくれたなという感じでしょうか。
レット・イット・ビ− 1位連続 8週
映画レット・イット・ビ−は暗く重かった印象しか残っていないのですが、始めてみるビ−トルズのレコ−ディング・セッションには新鮮な驚きを隠せませんでした。 ジョンとオノ・ヨ−コとの関係や、控え目で孤独そうなジョ−ジ・ハリスンの姿や、ジョンとポ−ルの確執の深さや、おどけてみせるリンゴ・スタ−の寂しそうな後姿等、私たちがビ−トルズに抱いていた幻想を見事に粉砕してくれたのです。 カメラは秘密を暴露するように4人のレコ−ディングや私生活を追いかけながら、やがて来る解散を予見させていました。 そして、この映画はドキュメンタリ−のようでもありながら、一方ではビ−トルズという虚構の世界を描いているようにも思えたのです。 彼等が築き上げてきたものが余りにも大きすぎたので、この人間的なセッションを見るにつけ妙に親近感を抱けたのは私だけではないでしょう。 また、何よりもビ−トルズが歌を創り上げていく過程がリアルに描写されており、今までは完成品しか聴く事の出来なかった歌の原型や、その過程を知る事が出来て非常に興奮した事を憶えています。 今でこそ、アウト・テイクスは花盛りなので驚きもしませんが、当時は同じ歌の違うテイクが沢山存在するという事実が信じられなかったですね。 さて、このレット・イット・ビ−は、ご存知のように当初ゲット・バックというタイトルでリリ−スされる予定でしたが、結局のところレット・イット・ビ−という意味深いタイトルに落ち着きました。 そして、時系列からいうとアビイ・ロ−ドよりも早くレコ−ディングされながら、結局は諸々の事情によりビ−トルズ最後のアルバムとなってしまうのです。 ゲット・バックというタイトルには、ビ−トルズが昔のように蘇るための想いが込められていましたが、そう願っていたのはポ−ル・マッカ−トニ−だけのように見えました。 で、アルバムの内容の方はというと、名作アビイ・ロ−ドには及ばないもののそんなに悪くないというのが正直な感想です。 タイトル曲のレット・イット・ビ−やロング・アンド・ワイディング・ロ−ド等の名曲を筆頭にゲット・バックやアイヴ・ガット・ア・フイ−リングのようなパワフルなナンバ−もとても格好よく仕上がっていました。 ただ、プロデュ−スやミキシング上の問題なのか、あるいは意図してのことなのか非常に荒削りで緻密さのない印象は否めません。 多分、ポ−ルはこのアルバムをライブアルバムのように作りたかったのではないでしょうか。 実際ゲット・バックのようにライヴ音源のものもあり、もしかしたらビ−トルズ初のライヴアルバムになる予定だったのかもしれません。 栄光のビ−トルズの最後を飾る作品としては少し寂しいような気もいたしますが、偶像化され過ぎていた彼等の真実を伝えてくれるアルバムとしては、このレット・イット・ビ−がもっとも相応しかったと思います。