
クィ−ン
UFO-PART2
コゾフ・カ−ク・テツ・ラビット
グラウンドホッグス
ロリ−・ギャラガ−
ユ−ライア・ヒ−プ
バッド・カンパニ−
パリス
サヴォイ・ブラウン
ラマタム
フォガット 以下近日登場
テンペスト
ロビン・トロワ−
ナッズ
クィ−ン
白いナイトガウンを着て、世界を眺め天上の囁きに耳を傾ける。 そう、荘厳な神々の意思を受け継いだ音の伝道師それがクィ−ン。 風を感じるように耳を澄ますと新しい展望が開けてくる。 私たちがずっと待ち続けていたのはこういう音楽だったのかもしれない。 少なくとも彼らのしたたかな旋律の中にはそういった想いが隠されていると思います。 音楽を語るときには、その国の伝統的な文化を無視できない時があります。 特にクィ−ンの壮大な旋律の中にはそういった伝統性を感ぜずにはいられません。 よく言われることですがオペラとの共通点が非常に多いのも事実ですから。 クィ−ンが初めて目の前に登場した時にはレッド・ツェッペリンの亜流だと思いました。 女子達の支持を受けてあっという間にトップへと登りつめた時にはアイドルなんだと思うことにしました。 セカンドアルバムの頃になると彼らはプログレッシヴロックかもしれないと感じる。 しかし、キラ−・クィ−ンやボヘミアン・ラブソディ-を聴いて世界が絶句したのです。 クィ−ンはやはり凄い、私達の感性の遥か彼方を行っていた、もしかしたら彼らはロックを根底から変えるかも知れないと思うようになりました。 クィ−ンをひとつの側面から捕らえてしまうと彼ら自身を見失ってしまう、そんな万華鏡のような多面性ゆえに多くの人に困惑を残し、それがクィ−ンに対する正当な評価を妨げていました。 本国イギリスなどでは、クィ−ンが成功したら帽子を全部食ってやるという評論家まで出てくる始末だったのです。 当然、個性的であることは批判の対象ともなるのですから。 頭の固い御仁には付いていけなかったのも事実でしょうね。 彼らを最初に認めたのは何を隠そう日本のロックファン。 特に女の子は凄かった。 クィ−ンは日本が認めてやがて世界が認めた最初のロックバンドとなります。 彼女らの感性は凄いので理屈抜きでクィ−ンの本質を察知してしまうのでしょう。 クィ−ンのデビュ−アルバムからサ−ドアルバムのシア−・ハ−ト・アタックまでは試行錯誤の時期だったと思います。 ドラマチックな展開や曲調を充分にコントロ−ルできていないような気がしました。 しかし、そんな中ににあっても躍動感溢れる演奏と弾けんばかりのパワ−を見せ付けているのは流石ですね。 クィ−ンをカテゴライズしようすると失敗します。 どんどん本質から遠ざかってしまう。 彼らを枠の中に当てはめるのは無用な事なのです。 まずは心を無にして聴いてみる。 そうすると彼らの素晴らしい世界が広がっていきます。
クィ−ン
キ−プ・ユアセルフ・アライヴやセブン・シ−ズ・オブ・ライ、そしてナウ・アイム・ヒァ−がクィ−ンの動の世界を象徴していたとすれば、アルバム、オペラ座の夜に収録されて世界的な大ヒットとなったボヘミアン・ラブソディ-は静なるクィ−ンを代表する歌であったと言えるでしょう。 もちろん、この前作シァ−・ハ−ト・アタックの中にもキラ−・クィ−ンという佳曲が納められていたのですが、曲の雄大な構成、華麗なる旋律、ドラマチックな展開とどれをとっても、静なるクィ−ンの代表作であると皆が認めるところでしょう。 デビュ−以来恒に上昇志向で突っ走ってきたクィ−ンが、立ち止まり次なるステップを目指そうとした作品、それがこのオペラ座の夜であったと思います。 ジャケットをご覧いただければおわかりの通りこのオペラ座の夜と、次作の華麗なるレ−スは対になっている事を意識させるような構成になっていました。 これ以降はJAZZやニュ−ス・オブ・ザ・ワ−ルドのように、少しばかり暗中模索の時代もありましたので、より一層その完成度の高さが際立っています。 ですから、ボヘミアン・ラブソディ-はそんな新たなクィ−ンの姿を認識させるには充分過ぎるほど素晴らしい作品でした。 まさにクィ−ン、クィ−ンU、シァ−・ハ−ト・アタックと続く第1期黄金時代の終焉と、華々しく幕を開けた第2期黄金時代の到来を予感させてくれたのです。 流石にこの頃になると、クィ−ンのことをキワモノ扱いする人は少なくなっていたのですが、それでも彼らに対する好き嫌いの主張がはっきりと分かれているバンドであったことも事実です。 それは感性が許容できるかどうかという本能的な側面が強かったと思います。 数十年を経てこうやって改めて聴きなおすと、彼らの斬新な音作りと今もなお色褪せしていないメロディ−に驚かされます。 クィ−ンのコンセプトは余りにも進みすぎていたのかもしれませんね。 アルバムのクレジットにシンセサイザ−は使ってないよと記していたことは余りにも有名な話。 それは彼らの創り出す音楽に対するプライドであったのでしょう。
ニュ−ス・オブ・ザ・ワ−ルド / クィ−ン
デビュ−当時からのファンは別としても、1980年代以降のクィ−ンファンにはもっとも有名な、ウィ−・ウィル・ロック・ユ−とウィ−・ア−・ザ・チャンピオンの2曲が納められている本作は、クィ−ンが新たな飛躍を目指そうとした1977年の作品でした。 このアルバムでの決定的な変化は、前作までのト−タルな音作りから脱却し、独立した歌作りに専念しようとしている点でしょうか。 衝撃的なフレ−ズや煌びやかな魔法が無い変わりに、オ−ル・デッドを初めとする心安らぐ佳曲が私たちを優しく包んでくれます。 それは丁度、ビ−トルズがサ−ジェント・ペッパ−からホワイト・アルバムへと変化した時のコンセプトに似ていました。 クィ−ン自身本質的なものへの回帰が必要だと感じていたのではないでしょうか。 それは、取りも直さず歌であることの原点を認識することに他ならないのです。 軽快なカリプソ風なナンバ−、うつろな恋などは、今までのドラマチックなクィ−ンからは考えられないような洒落たナンバ-ですから。 でも、一皮剥けたクィ−ンも悪くない、そんな気にさせられる作品だと思います。 このアルバムがリリ−スされた1977年という年は実はとても不安定な時代でありました。 ロックにとっての過渡期であったのです。 イギリスでは、ニュ−・ウェ−ブやパンク・ロックが吹き荒れていた時代なのですが、クィ−ン程の力量を持つものにとってはまったくその影響はありませんでした。 レッド・ツェッペリンが頂点を極めた後、その後を引き継ぐのは自分たちだという感があったのかもしれません。 それは、まるで宿命であるかのように。
クィ−ン ・ フレディ−・マ−キュリ−よ永遠に
クィ−ンの頭脳であったフレディ−・マ−キュリ−がこの世を去ってから永い時が過ぎてしまいました。 彼なくしてのクィ−ンは考えられないほど彼イコ−ル、クィ−ンだったのです。 彼にとってもクィ−ンにとっても何とも悲劇的な結末でしたが彼の想い出は永遠にファンの胸に生き続けることでしょう。 このメイド・イン・ヘヴンはそんな彼に対する追悼アルバム。 化粧品のコマ−シャルにも使われたアイ・ワズ・ボ−ン・・・を始めとして涙を誘うほどの名曲揃いでした。 フレディ−・マ−キュリ−のご冥福を祈りたいと思います。
UFO-PART2
ヒプノシスがブリティッシュロックに果した役割はとても大きなものがあると思います。 極端な言い方をすれば、1970年当時のアルバムデザインでカツコイイなと思うものは殆どがヒプノシスの作品か、それ以外だったらキ−フかロジャ−・ディ−ンだったくらいですから。 そして、暗中模索の時期から脱却して見事に翻ったUFOの復活第1弾がこの現象でした。 そのアルバムデザインを担当していたのがヒプノシスであり、まるで彼らの成功を予感させるようにジャケットに存在感があり輝いていました。 前にも書いたようにイメ−ジというのはかなり大切なんです。 そして、このアルパム以降ス−パ−ギタリスト、マイケル・シェンカ−のもとUFOとヒプノシスは素晴らしい関係を形作っていきます。 マイケル・シェンカ−のギタ−は非常に官能を感じさせて直情的であり、また情熱の迸りがありました。 その意味で非常にク−ルでありながら情熱的なプレイをするジミ−・ペイジと較べると対極的な位置に君臨していたと思います。 どちらかといえばリッチ−ブラックモア−と同じ香りがするのですが、彼よりも天才的な感性を持っていたのではないでしょうか。 マイケル・シェンカ−の瞬間を切り裂くギタ−リフは、誰にも真似が出来ないほど素晴らしく天性の素質を感じてしまいます。 彼の疾走感は圧倒的なパワ−が感じられました。 また作曲面に於いても、ハ−ドロツクのみならず叙情的な側面や非常に土臭い香りも見せてくれて、単なるハ−ドロックバンドというカテゴリ−には収まりきれないものがありました。 特に再出発となった現象ではそんな感性が生かされていたのではないでしょうか。 ドラマティック性というのはブリティッシュロックのお家芸なのですが、UFOほどそのカッコよさを際立たせてくれたバンドもそうザラにはいなかったと思います。 単純な事なのですが、このカッコイイということは一流のギタリストの必要条件であり、それがないと多くの人の心を掴むことはできません。 テクニックがあるとか早弾きとかいうこととは別にして、ただカッコイイと、それが一流のギタリストのステイタスなのです。 言葉を変えれば存在感があるということなのでしょうか。 遅れてきたス−パ−バンド、UFO。 そして、UFOはマイケル・シェンカ−そのものなのです。
コゾフ・カ−ク・テツ・ラビット
サムライというバンドいた日本人ロッカ−山内テツの実質的な海外デビュ−となったコゾフ・カ−ク・テツ・ラビット。 フリ−を暫し離れてのびのびとしているポ−ル・コゾフにサイモン・カ−ク、それに、アメリカで活躍していたラビッドの4人編成でコンピレ−ション風な意味合いの強いバンドでした。 事実、その後にはテツこと山内テツがフリ−へ正式参加したので、もしかしたら彼の実力を試す意味合いもあったのかもしれません。 ご存知のように、テツは後年フリ−を経てあのフェイセスに加入する事になりますね。 ところで、コゾフ・カ−ク・テツ・ラビットのサウンドの方は、驚くほどタイトでブル−ジィ−な演奏を展開し、ソウルフレ−バ−溢れるエリック・バ−トン張りのカッコイイ音楽を聴かせてくれます。 どちらかといえば、フリ−のサウンドの延長線上にありますが、フリ−の重い音よりも少しばかり洗練されたライトなブル−スでした。 アルバムのスタ−トソングのブル−・グラスはもろフリ−サウンドで、ポ−ルロジャ−スが居ないだけジャンと思わせるのですが、2曲目のサミ−ズ・オ−ル・ライトからは彼らのカラ−を見せ始めます。 非常に良質のブル−スロックでした。 そうはいっても随所にフリ−の幻影が顔を覗かせる場面もあり、ニヤッとさせられるのですが彼らの凄いところは過去を引き摺っていないこと。 プチ・フリ−とでも申しましょうか、これが実にいい味を出しているんですね。 野球で言えばロ−テ−ションの谷間のピッチャ−が完封してしまったような儲けもんの1枚なのです。 フリ−の粘っこさを少しばかり薄めて、都会的な雰囲気を注ぎ込んだ趣がありました。 特に、サミ−ズ・オ−ルライト、アンナ、イエロ−・ハウス、ダイイング・ファイヤ−等のバラ−ドは出色の出来で思わず泣けてしまいます。 う-ん、これは決してフリ−では出せなかった音でしょう。 多分ポ−ル・コゾフとサイモン・カ−クはこんなブル−スを演りたかったのかもしれません。 アルバム1枚で終わってしまうにはもったいないような秀作だったと思います。
グラウンドホッグス
それは1960年代の後半のこと。 ブリティッシュロックの黎明期において進取なミュ−ジシャン達のブル−スからハ−ドロックへと変遷を続けていく過程の中で、数多くの特筆すべきロックバンドが誕生してきましたが、このグラウンドホッグスもそんな範疇に入れられるべきバンドでした。 リ−ダ−のトニ−・マクフィ−はシカゴブル−スの正当な継承者としてその才能を余す事無く発揮し、クリ−ムやレッドツェッペリンとはまったく違ったブル−スロックを完成させたのです。 それもその筈、トニ−・マクフィ−はシカゴブル−スの雄ジョン・リ−・フッカ−の、イギリス公演のサポ−トも務めたことのある生粋のブル−スマンでありまして、その資質や経歴については筋金入りだったといえるでしょう。 延々と繰り返されるシャ−プでハ−ドなリフと伝統的なブル−スのコ−ド進行が見事に噛み合って、一度虜になってしまうと実に癖になってしまいそうな重厚でヘヴィ−なサウンドなのです。 単純だけど奥が深いとでもいいましょうか、中々離れられない不思議な魅力がありました。 クリ−ムが確立させたウ−マン・パワ−全開の演奏は、鳥肌が立つほど心地よいものがあります。 やはり、グラウンド・ホッグスはあのリフですよね。 残念な事に日本に於いては殆ど話題にもならなかったバンドでしたが、本国イギリスやヨ−ロッパでは絶大なる人気を誇っていたとのことでした。 良くも悪くもレッドツェッペリン等とと較べると実に味わいのある渋さがその原因だったと思われます。 そういった風に考えると、彼らの音楽は時を同じくしてアメリカで登場したグランド・ファンク・レ−ルロ−ドに共通するものがあるのではないでしょうか。 どちらも、独自な視点と大衆性を持ちつつブル−スを改革して行ったという点において、その功績がもっと認められて然るべきでしょう。 名作、サンク・キリスト・フォ-・ザ・ボンブを生み出した1970年代初頭からの数年間、つまりこのホッグウォッシュあたりまでがグラウンドホッグスの全盛時代だったと思いますが、ロ−リング・スト−ンズと同じように驚くべきは現在に至るまで活動を継承している数少ないバンドの一つでもあります。 巨匠トニ−・マクフィ−に乾杯。
ロリ−・ギャラガ−
一寸だけ期待していると見事に裏切られてしまう。 でも、何時だって新しい事の始まりはそんなもの。 距離を置いて待ち続けていたらそんなに気にならなくなって来る。 これまでの彼のソロ・アルバムはそんな感じだったのです。 そんな彼とはイギリスのブル−スボ−イ、ロリ−・ギャラガ−。 ティスト解散後ソロとして活動してきたそんな彼の最高傑作がこのタトゥ−でした。 ついに待ち続けた甲斐があったと思わせる快作なんですこのタトゥ−は。 人柄の良さの割にはメンバ−に恵まれなかった彼の絶頂期の作品だと思います。 丁度スワンプロックに興味を示し始めた時期のエリック・クラプトンのような渋いヴォ−カル。 ということはあまり上手ではない。 しかし何ともいえない味があるんですねこれが。 本職のキダ−はというと若いけどこれが実に凄いんです。 エリック・クラプトンも真っ青になりそうなテクニックとブル−ス・フィ−リングを見せてくれます。 そういえばロ−リング・スト−ンズのミック・ティラ−が脱退した後の後任ギタリストにも名前が挙がったことがありましたね。 エリック・クラプトンを始めとする先輩達がブル−スの厚い壁に潰されていったのに対し、彼の場合はそんなことは何処吹く風とさらりとブル−スに親しんでいました。 新世代といってしまえばそれまでなのですが、なんとも伸びやかな事だと思ってしまいます。 しかし、それでいいんだとクレイドル・ロックを聴くと納得させられました。 距離をおくからこそここまで演れるというほどの凄い名演で、ロリ−・ギャラガ−のギタ−が炸裂する様は鳥肌が立つほどです。 本場のブル−スギタリストにも決して引けを取らないようなテクニックとフィ−リング。 それは明らかにかって先輩たちとは違っていました。 また、ライク・ユ−・エニィ・モア−などの哀愁感のあるナンバ−も卒なくこなしてしまう天才ですね。 多分、ブル−スの神様ロバ−ト・ジョンソンを意識していると思われる、アコ−スティック・スライドギタ−のフ−ル・ザット・カミングもただ素晴らしいの一言です。 何とも味のある名演。 この人本当に若いのと疑ってしまいます。 かって白人ギタリストでこれほどのアコ−スティック・スライドギタ−を弾ける人を私は知りません。 デュアン・オ−ルマンよりもライ・ク−ダ−よりも明らかに格が違うといった感があるのです。 まさにロバ−ト・ジョンソンのように悪魔に魂を売り渡したのではないかと思ってしまいます。 遅れて来た天才ギタリスト、ロリ−・ギャラガ−。 ブル−スは彼の為にその時代を用意していたのでしょう。
ユ−ライア・ヒ−プ
7月の朝彼らは輝き始めた。 それまでの鬱積した日々が嘘のような快作、対自核は彼らユ−ライア・ヒ−プの名前を世界にしらしめました。 1971年のことです。 シングルカットされた対自核は日本でも大ヒットを記録して、それまで無名だった彼らが一躍トップグル−プの仲間入りを果した事をよく憶えています。 開き直ったといったら言い過ぎになるでしょうが、迷いをすべて払拭したような作品でした。 当時は、ケン・ヘンズレ−のキ−ボ−ドの疾走感溢れるプレイで、ディ−プパ−プルと比較される事が多かったユ−ライア・ヒ−プですが、こと叙情性とドラマチックな旋律は彼らをも凌駕していたと思います。 ユ−ライア・ヒ−プはうたかたの夢のような世界を淑やかに歌にしていました。 ケン・ヘンズレ−の不思議なキ−ボ−ドの曲調はその根幹を成すものです。 時折見せてくれる狂気の煌めき。 このアルバムに納められた名曲、7月の朝は彼らのそんな叙情性を象徴する作品だったと思いますね。 単なるハ−ドロックバンドと線を画していた部分は、ミック・ボックスの卓越したギタ−にも現れていました。 ファズト−ンをやワウワウを駆使して独特なユ−ライア・ヒ−プの旋律を作っているのです。 あるときは哀愁に染まり、またあるときは伸びやかに歌っていました。 彼は息の長かったこのバンドに一番最後まで残っていた人でもあります。 ユ−ライア・ヒ−プの基本的なコンセプトというのは、どちらかといえば、プログレッシヴロックにも会い通じていて、その展開は極めてイギリス的であったのではないでしょうか。 確かに対自核以降はプログレッシヴロックへの傾倒も見せ初めていきます。 やがて、それは対自核と並ぶ名作マジシャンズ・バ−スディで見事に花開くのでした。 この傑作において彼らの思想は完成したと言っていいでしょう。 お国柄といってしまえばそれまででしょうが、やはりイギリス的なバンドでしたね。 メンバ−チェンジを繰り返した割には息の長いバンドで、何と1990年近くまで活動をしていました。
バッドカンパニ−
ヒプノシスのデザインによるシンプルなジャケット。 それはバッドカンパニ−がロックの原点へ回帰するという決意の現れだったのではないでしょうか。 ス−パ−グル−プとして結成時より話題をさらっていたのですが、皮肉にも時代はス−パ−グル−プの時代ではなくなっていた、そんな時だったからこそ彼らはロックの原点からスタ−トしようとしたのです。 もはや、ハ−ドロックが風化しようとしていた1974年、アルバムをスタ−トするのはキャント・ゲット・イナッフの、混沌とした当時の状況に活をいれるような、ミック・ラルフスが弾くかっこいい鳥肌の立つイントロ。 本来ロックとはこんなにいいもんなんだよと無言のうちに伝えてくれました。 あのギタ−のイントロは何度聴いても心に染みますね。 誰かに聴いてもらってかっこよさを自慢したいそんなミ−ハ−な気分にも苛まれようというものです。 多分、多くの人の共感を得るだろう最高のスタ−トソングであったと思いますが、当時の状況は極めて閉鎖的でもあったのでした。 しかし、バッドカンパニ−は時代の流れを受け止めて私たちが忘れ去っていたものを再び蘇らせてくれたのです。 ポ−ル・ロジャ−スという人は器用な人ではないのですが、その一途なまでの音楽に対する思い入れは私達の心を揺り動かしていました。 フリ−時代からブル−スに生まれブル−スに葬り去られるような人生が彼の生き方だったのですが、バッドカンパニ−ではブル−スを含めたロックに関わる本来のロックグル−プとしての原点を示そうとしたのです。 それは、成熟し進化しすぎて閉鎖的な状況に追い込まれてしまったロックに対するアンチテ−ゼだったのではないでしょうか。 どんな時代であっても輝くべき時を心得ていれば答えは見出せるのだということでしょう。 ミック・ラルフスのギタ−もモット・ザ・フ−プル時代よりも一層シンプルであり、サイモン・カ−クのドラムもフリ−時代からの実直なドラミングでした。 異色だったのはボズ・バレル、プログレッシヴロックの帝王キング・クリムゾンからの加入でしたが、キング・クリムゾンよりもバッドカンパニ−の方が似合っていたと思うのは私だけではないでしょう。 困難な状況を打破してこそ一流というもの。 彼らはそれを見事に見せてくれたのです。 当然のように、また彗星のように1つの時代を築き上げたバッドカンパニ−ですが、惜しむらくはデビュ−・アルバムを越える傑作はその後作品からは生まれなかったという事。 確かにセカンドアルバムのストレイトシュ−タ−やラン・ウィズ・ザ・パックもそれなりの傑作ではあったのですが、デビュ−アルバムを越えるには至りませんでした。 皮肉にも彼らの最高のスタ−トが最高の到達点だったのです。
バリス
時は巡る、その輝いた瞬間を記憶にとどめながら無情にも通り過ぎてゆくのです。 21世紀になった今、パリスのことを知っていらっしゃる方はそんなには多くはないと思うのですが、1976年当時の日本ではかなり有名でカッコイイロックバンドでありました。 ブ−ムの火付け役は私の尊敬するロック解説者S氏。 確か氏が某国営FM放送のレギュラ−番組の中で盛んに取り上げていらっしゃって、それがもとで日本では一世を風靡したと記憶しています。 結局のところアルバムは2枚だけだったのですが、デビュ−アルバムはツェッペリンもぶっ飛ぶような臨場感溢れるハ−ドロック、そしてセカンドはカッコ良さにファンキ−な味わいまで加わって玄人筋も唸らせるほどの傑作でした。 そういえば、デビュ−当時は第2のツェッペリンなんて呼び方もされましたっけ。 バリスの音は近未来的な香りと先進的な情熱に包まれていたのです。 特にセカンドアルバムのスタ−トソング、ブル−ロビンは程よいポップさとファンキ−なリズムと哀愁のある旋律が融合した見事な名曲でしたね。 私が数あるパリスの名曲の中でも一番好きな歌です。 そして、この名曲を作ったのが知る人ぞ知るあのボブ・ウェルチなのでした。 ボブ・ウェルチは、ビッグバンドになる前のフリ−トウッド・マックにも席を置き脱退後にパリスを結成します。 そして、パリス解散後ソロとして活躍しそのポップな歌で世界的にブレイクするのですが、パリス時代から既にその才能は開花していました。 もちろん、それより以前のフリ−トウッド・マックの名盤-枯木の中でもでも素晴らしい名曲センチメンタル・レディを披露し、類稀なる才能の一端を伺わせていましたね。 ボブ・ウェルチは時代の臭覚に敏感であり、その展開に於いても非常に長けていた人で、まさに当時の最先端を行く未来のロックンロ−ルだったと思います。 ジャケット1つを取り上げてみても彼のセンスが伺えようというもの。 ただセカンドアルバム、ビッグタウン2061の裏ジャケに載っている、ファッション雑誌の広告のような写真は良く解かんないなという気もいたしましたが。 聴いていてゾクゾクするほどのカッコイイバンドというのはそうザラにはお目にかかれないのですが、パリスはそんな希少なバンドの1つだったのです。
サヴォイ・ブラウン
ストリ−ト・コ−ナ−・ト−キング、街角ではいつも哀しみと喜びが交錯していた。 ブラック・ミュ−ジックはもともと南部の街角から派生して世界へと広がっていったのです。 イギリスにはスト−ンズを始めとして古くからブル−スに憑かれたミュ−ジシャンやバンドが数多く生まれていますが、このサヴォイ・ブラウンもそのひとつ。 日本では華々しい人気はなかったのですが、本国イギリスでは根強い人気がありまして、何と15枚ものアルバムをリリ−スしています。 驚きですね。 ブリティッシュ・ブル−スの流れは、アレクシス・コ−ナ−やジョン・メイオ−ルから始まり、スト−ンズ、ヤ−ド・バ−ズ、エリック・クラプトン、スモ−ル・フェイセス等が引き継いで、フリ−トウッド・マック、サヴォイ・ブラウン、チッキン・シャック、テン・イヤ−ズ・アフタ−等が形作ったのだと思います。 ですから、サヴォイ・ブラウンはブリティッシュ・ブル−スの王道をゆくバンドだといっても過言ではないでしょう。 デビュ−当時の彼らはチャキチャキのブル−スバンドだったのですが、後にはブギ−主体のロックンロ−ルバンドヘと転進しています。 ブギ−をユニゾンでかき鳴らすサヴォイ・ブラウンも確かにかっこよかったんですけど、私はブル−スを独自に掘り下げていたブル−・マタ−の頃が大好きでしたね。 そう何といってもサヴォイ・ブラウンはデッカ時代の初期に尽きます。 そんなデッカ時代でも名作の誉れが高かったのが前記のブル−・マタ−だったのではないでしょうか。 そしてこのアルバムでの圧巻はマディ・ウォ−タ−ズのルイジアナ・ブル−ス。 この曲におけるキム・シモンズのスライドギタ−はぶっ飛ぶほど凄まじかったですね。 かってこれほどのスライドギタ−を聴かせてくれるギタリストがいたでしょうか。 オ−ルマンブラザ−ス・バンドのデュアン・オ−ルマンも、ルイジアナ・ブル−スを演っていますがキムもデュアンも甲乙つけがたい歴史的名演と言えるでしょうね。 そもそも、ギタ−のキム・シモンズがブル−ス狂のマイク・バ−ノンと出会ってからサヴォイ・ブラウンの華麗なるブル−ス人生が始まりました。 デッカ・レコ−ド時代初期のサヴォイ・ブラウンは、アメリカ南部のストイックなまでのブル−スを追求し、非常に渋くてア−シ−な香りに包まれていたのです。 まるで1950年代のブル−スを再現したような雰囲気は、商業的に見ると成功する要素は少なかったのですが、玄人筋を堪能させるには充分のものがありました。 何も知らない人が彼らのブル−スを聴いたらきっと南部のバンドだと思ったことでしょうね。 遥かなイギリスの地に於いても、本物のブル−スが演れるということを証明した数少ないバンドでしょう。
ラマタム
忘れていた想い出を一寸だけ覗いてみる。 そんな懐かしさに立ち返るのもたまにはいいでしょう。 ス−パ−エキセントリック女性ギタリスト、エイプリル・ロ−トン率いるラマタム。 彼らはそんな懐かしさを感じさせてくれるバンドでした。 今でこそロックバンドの女性ギタリストは星の数ほど見受けられますが、当時は皆無に近い状態でありました。 テクニックはという流石にジミ−・ペイジやリッチ−・ブラックモアやエリッククラプトンには遠く及ばなかったと思いますが、ロックバンドのフロントマンを自負するだけのことはあったのではないでしょうか。 まあ、そんな事はさておき、ラマタムのブリティッシュロックの王道を邁進するような旋律は、次代を担えるだけの資質が充分にあったと思われます。 それはツェッペリンやパ−プルの正統的な後継者と成り得る資格があったのです。 このデビュ−アルバムもそんな豊かな才能に溢れていまして、ハ−ドなロックから叙情性に彩られたナンバ−までラマタムらしさを強調した構成になっていました。 衝撃と繊細と情緒を併せ持つ感性。 それこそまさに伝統的なブリティッシュロックの姿。 ただ、残念な事にセカンドアルバムもリリ−スされていると思うのですが、どうしても記憶にない。 まさかファ−ストだけで解散してなかったと思いますが。 エイプリル・ロ−トンの名声もラマタムの名前も何時の間にか時代の中から消え去ってしまいました。 デビュ−当時はレコ−ド会社の強力なプロモ−ションもあり、また次代を担っていくだけの充分な実力があっただけに残念な気もいたしますが、それが世の無常というものなのでしょう。 成功するには運も大切だと感じさせてくれたバンドでありました。
フォガット
日本では考えられないほどの絶大な人気を誇っていたフォガットは、当初よりアメリカ進出を睨んでいたブリティッシュバンドでした。 アメリカでの売上がゴ−ルドディスク6枚、プラチナディスク1枚、ダブルプラチナ1枚とディ−プパ−プルをしのぐほどの驚くべき大人気だったのです。 あの頃のヒットチャ−トでは本国イギリスよりもアメリカに於いて上位にランクされていたので私自身暫らくはアメリカのバンドだと思い込んでいました。 当時日本でもブギ−の帝王ステイタス・クォ−の対抗馬として脚光を浴びた時期もありましたが、ブリティッシュバンドでありながら非常にアメリカを意識した、言葉を変えればブル−スを基調にしたサウンドが日本ではあまり認められなかったのだと思います。 無理もありません、当時は単純なブギ−やロックンロ−ルやブル−スよりも、ツェッペリンやディ−プパ−プルのようなドラマティックでスリリングなブリティッシュロックが人気でしたから。 ブギ−やブル−スというのは僅かなコ−ドしか使わないわりには非常に奥の深い音楽なのですが、そこのところの妙味が解かるようになるにはロックを聴き始めてからある程度キャリアを積まないとダメかもしれませんね。 フォガットも演っているブル−スの古典的名曲スウィ−ト・ホ−ム・シカゴにしても、それぞれ演奏するミュ−ジシャンによってまったく違った表情を見せるのですから。 ロバ−ト・ジョンソンやマジック・サムのナンバ−もいいけれどフォガットだった負けちゃあいません。 そういえば、70年代日本に於いても東のキャロル、西のファニ・カンといわれていたファニ−・カンパニ−も、この名曲をスウィ−ト・ホ−ム・大阪という歌にアレンジして歌っていましたっけ。 ギタリストはあの桑名マサヒロさんでした。 ところで、このアルバム電撃のフォガットは何を隠そう私が始めて買った彼らのアルバムでした。 レッド・ツェッペリンやエアロ・スミスの十八番だった、トレイン・ケプト・ア・ロ−リンことハニ−・ハッシュのギタ−がめっちゃ格好良かったので買ったのですが、ホ−ム・イン・マイ・ハンドの段々と盛り上げてくれる演出にも参ってしまいましたね。 彼らの作品の中でも傑作の1枚でしょう。 その他にも4枚目のロックン・ロ−ル・アウトロ−ズや5枚目のフ−ル・フォ−・ザ・シティもお薦めです。 ところで、このフォガットですが殆どのメンバ−がサヴォイプラウン出身者でありながら、キム・シモンズほどディ−プなミシシッピ−ブル−スに拘らなかった姿勢が受けたのか、前述のように本家よりも早くビッグネ−ムになってしまいます。 もちろんキム・シモンズ率いるサヴォイも遅ればせながらストリ−ト・コ−ナ−・ト−キングをチャ−トの上位に送り込み後塵を拝するのですが、それがブギ−への傾倒を見せ初めてからというのは何とも皮肉な話でした。