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遥かなる南部の地バイヨ−カントリ−に憧れていたジョン・フォガティの声には、ソウルフルな力強さと共に遠い日に忘れてしまった懐かしさがあります。 彼らの生み出す音楽にはブル−スからカントリ−までアメリカの故郷の如き優しさと、幅広いル−ツを感じさせる逞しさが同居していました。 まるで丘に上がって吹かれる風のような爽やかさと、大地に根を張った信念があったのです。 ここでは、1960年代後半から1970年代にかけて数々の名曲を残しながら、マルディ・グラを最後に旅立ってしまったC・C・Rの足跡を訪ねてみたいと思います。



  クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバル

遠い彼方から声が聞こえてくる。 魂を揺さぶるような切ない声が。 それは、忘れかけていた情熱を再び呼び覚まし、歩き始めるための勇気を与えてくれるのです。 クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの歌にはそんな力強さがありました。 私はそれまでに、アイ・プット・ア・スペル・オン・ユ−のように激しく切ないブル−スを聴いた事がありません。 彼らのデビュ−アルバムのそれも最初の曲にこの歌を持ってきたことで、クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの決意と自信が伺えると思います。 直接魂に訴えかけてくる激しさに包まれて、衝撃的な想いに打ちのめされるのです。 ジョン・フォガティの、とてもデビュ−したての新人とは思えないほどのソウルフルでシャウトするヴォ−カル。 派手さはないものの実にア−シ−で味のある演奏。 そしてアメリカの心を伝えてくれるル−ツ・ミュ−ジック。 また、心に染みるブル−ス。 それらすべてのものがクリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの魅力として輝いていました。 彼らの出発点はブル−スなのですが、広大なその河を下っていくうちに、カントリ−やロックン・ロ−ルといったアメリカの心とも言える様々な音楽に出会い、それがクリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの原点となるのです。 そのブル−スに対する一途なまでの情熱は、微笑ましくもあり、やがて彼らの想いとして結晶することになります。 8分を越える名曲ス−ジ−Qでは既に南部への傾倒をあらわにして、彼らが憧れていたかの地への熱い想いを感じさせます。 ジョンのギタ−もヴォ−カルに負けず劣らす非常にカッコよかった。 ス−ジ−Qの何度となく繰り返されるリフレインの波の中に浸っていると、次第次第にクリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの不思議な感覚に支配されてしまいます。 それは、私たちの本能を擽ってやみません。 人は渇望と挫折の繰り返しの中から教訓を得ていくものですが、クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの音楽そのものが教訓でもあるのです。 ブル−スは決して黒人だけのものではないと。 おそらく、あの時代においてジョン・フォガティほど、ブル−スを歌いきった白人も居なかったでありましょう。 それは彼の熱いハ−トと魂を感じさせてくれます。 余りにも鮮烈なデビュ−ということになるのでしょうが、クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの本当の魅力はこれから発揮されることになります。

 バイヨ−・カントリ−

ニュ−オリンズやアトランタという街は遠くて近い街だと思いますが、殊のほかその想いが強かったのが何を隠そうジョン・フォガティだったのです。 それは彼らの音楽に対する衝動であったのかもしれません。 ブル−スやスワンプロック一色であった前作に較べると、かなりロックン・ロ−ル色が強くなったセカンド・アルバム、それがバイヨ−・カントリ−でした。 クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルのファン方なら既にご存知でしょうが、バイヨ−・カントリ−とは南部の湿原と森に囲まれた肥沃な大地のこと。 ジョン・フォガティはアルバムのタイトルにするほどその地に憧れを抱いていたのです。 それは、ブル−スやソウルの生まれた南部の土地に対する敬意と、黒人音楽に接する純粋な情熱がそうさせたのだと思います。 灼熱の大地と豊かな水。 それは人間の根源的なものを触発するのかもしれません。 確かに彼のシャウトする歌には黒人と見まがうほどのソウルが込められていました。 ジョン・フォガティの心を抉るような歌は、とても白人の歌とは思えないと良く言われていますが、単純に憧れるだけでその魂を表現できる筈も無く、天性の才能を感ぜずにはいられません。 そういった意味でも、クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの魅力はジョン・フォガティに尽きると思います。 ただ、それがやがては行き詰まりを見せることになる原因の一端でもあるのですが。 ボ−ン・オン・ザ・バイヨ−等の、相変わらずのスワンブ色の強い渋いノリは健在ですが、このアルバムに於いては何と言ってもプラウド・メアリ−でしょう。 彼らの歌の中でも3本の指に入る名曲中の名曲だと思います。 緩やかな河の流れに見をまかせるが如く、軽快に歌われるプラウド・メアリ−は、クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リバイバルの名曲というよりも、アメリカを代表する傑作でありました。 彼らが初めて見せたカントリ−への傾倒が、見事な成果となって実を結んだといえるのではないでしょうか。 ジョン・フォガティはこの名曲を作ることが出来たので、その後の活動に対する自信を深めたのだと言えます。 そして、この歌は21世紀になった今もなお好奇心を擽りつづけてくれます。 実は、私自身もこのプラウド・メアリ−によって、遥かなる広大な大地への憧れを誘われた一人なのですね。

  グリ−ン・リバ−

気だるい午後の陽射しに照らされて風に吹かれる。 軒下の安らぎ。 昔見たことのある風景。 人間って弱さと強さが同居しているから、素晴らしい感性が磨かれるのでしょう。 C・C・Rが歌っているのは実はそういうことなのかもしれないと、時々想ってしまいます。 少しばかり訳の解かんなかったファ−スト・アルバムのジャケットに較べると、このグリ−ン・リバ−のジャケットは、随分自分達の意思表示が上手になったなあという気がいたします。 既に自分たちの信念を見出していたのでしょう。 それは言うまでもなく南部の魂であるブル−スやソウル。 おそらくジョン・フォガティは彼自身の声がブル−スやソウルを歌うのに似合っていると気が付いていたのだと想います。 それにしてもグリ−ン・リバ−とは、このタイトルまたしても南部の土地に関係しているのでしょうか。 誰が何と言っても俺自身がC・C・Rだと語っているジョン・フォガティの姿。 他の3人のメンバ−が後ろの方でたたずんでいるのが微笑ましくもあります。 さて、このアルバムなのですが今までのブル−ス、スワンプロック、カントリ−といったC・C・Rのベ−スが見事に結晶した名作となっています。 何と言ってもひとつひとつの歌が其々独立して素晴らしいのですが、アルバム全体を通しても彼らの初期の総決算の如く作られている力作でした。 夏草の香りのような懐かしさ。 それもソウルのティストを見せながら。 ここにきて、C・C・Rの面々は自分達の進むべき方向性を完全に掴んだのではないでしょうか。 それが如実に感じられるのはジョン・フォガティの曲作りです。 デビュ−当時と較べてもあきらかに余裕のある歌作りが見えますし、返ってそれが新鮮な効果を上げることに成功しています。 若さと自信の両方を携えて順風万点の航海。 もし、彼らに躓きがあるとしたら、彼ら自信の中にこその原因があるのだとしか考え様が無いほど、充実した時期であったと思います。 軽快なロ−ド・ソングとしては、ハリ−・ニルソンの孤独のニュ−ヨ−クと双璧ではないかと思われるロディ。 かつて、ラヴィン・スプ−ンフルのジョン・セバスチャンが車を運転中にこの歌を聴いて、余りの素晴らしさにぶっ飛んでしまったといういわく付きの名曲です。 確かに何度耳にしてもため息が漏れるほどの名曲ですよね。 旅の途上で聴いて見たくなる趣がありました。 またプラウド・メアリ−の流れを汲む、バッド・ム−ン・ライジングもC・C・Rらしい佳曲です。 その他にも、全ての人に歌をやザ・ナイトタイム・イズ・ザ・ライトタイム等のゴスペルナンバ−も心に染みてしまいました。 ですから、C・C・Rの初期の作品で1枚となると誰もがこのアルバムを選ぶのではないでしょうか。
 
  ウィリ−・アンド・ザ・プア−ボ−イズ

ずっと一目散に走り続けてきたら、ふと立ち止まり、果たしてこの道が正しかったのかどうか確認したくなる、そんな自分達の総括を考える事が人の性というものなのでしょう。 それはもちろんC・C・Rにも言えること。 ジャグバンド・スタイルのジャケットをご覧いただければ一目瞭然でしょうが、このウィリ−・アンド・ザ・プア−ボ−イズは何時に無く軽めのC・C・Rが堪能できる作品でした。 軽めのといってもそこはそれC・C・Rのこと、アコ−スティックに彩られたブル−ス、ロックン・ロ−ル、カントリ−を軽快に聴かせてくれます。 彼らが好んでいる音楽への原点回帰という訳ではないのでしょうが、これまで以上に幅広い音作りとなっていました。 そしてそれは、少しばかり肩の力が抜けて、いい感じの仕上がりになっているのです。 ですから、そんな3枚目までのソウルフルな熱唱を期待していたら、意外な印象が強くなると思います。 思えばC・C・Rの音楽はアメリカのル−ツ・ミュ−ジックの全てを内包しているので、この軽妙なタッチも計算し尽くした上でのことなのかもしれないですね。 当時の一部ジャ−ナリズムからは、ビ−トルズのサ−ジェント・ペッパ−に対するC・C・Rからの回答であるといわれたこともあったのですが、彼ら自身はそこまで考えてのことではなかったのではないでしょうか。 あくまでも南部の音に拘っている、ただそれだけの事のような気がするのです。 ただ、アルバム全体のト−ンを統一しようとしたことは事実で、それがサ−ジェント・ペッパ−を意識していると感じられてしまうのでしょう。 ジョン・フォガティにしてみれば1曲1曲の完成度よりも、アルバムとしてのの完成度を優先したのです。 そう考えて見ると、アルバムのスタ−トにダウン・オン・ザ・コ−ナ−を持ってきたことも、充分納得の行く選曲だと言えますよね。 角を曲がったらまったく別の世界かもしれないのですから。 このウィリ−・アンド・ザ・プア−ボ−イズの中で一番輝いているのは、やはりアメリカのロック番組のテ−マソングにもなったザ・ミッドナイト・スペシャルでしょう。 軽快なシャッフルビ−トに乗ってメンバ−全員が楽しそうに歌っています。 こんなC・C・Rも結構いいもんだと感じてしまいますよね。 

  コスモス・ファクトリ−

人それぞれに懐かしさを秘めた思い出というものがありますが、私には異常に暑かったことが心に残っている高校2年生の夏休みです。 混沌とした記憶の曖昧さと、何かを突き破りたい衝動が蓄積していました。 まだ、全共闘世代の幻想が燻っていた時であり、友のうち何人かは民生に荷担してアジテ−ションやらビラ配りに明け暮れていました。 私はといえば少しばかり覚めた目つきで彼らとは違う道を模索していたのです。 革命という名のもとの独裁。 どうしてもその矛盾した現実を感じてしまっていたので、単純に学生運動を信じるところまでは行ってなかったのですね。 もちろん、その少し前までの学生運動には理想と希望を見出していたのですが、あの浅間山荘の事件以来すっかりその考えは吹き飛んでしまいました。 まだ世の中の右も左も解からない高校生が冷ややかに自分の中で決断を下していたのです。 で、何処にその迷走する衝動の解決法を見つけたのかというと、当時、愛と平和と自由を歌っていたロック・ミュ−ジックの世界でした。 まだここには信ずるべき信念と情熱が残っているように思えたのです。 なんといってもウッド・ストックのロックフェスティバルが伝説として輝いていた時期だったので。 朝もやの中ではイエス、夜はツェッペリン、そして深夜はキングクリムゾンと随分鬱積した生活だったと思います。 そんな生活の中で、気が遠くなるような夏の暑い日には、いつも汗を流しながらC・C・Rのコスモス・ファクトリ−を聴きまくっていました。 コ−ラとC・C・R、それがあの夏の鎮魂歌。 ですから、このアルバムを聴くたびにあの混沌とした遠い日々が思い出されてしまうのです。 C・C・Rの最高傑作となるとアルバムの仕上がりで選ぶなら何と言ってもペンデュラム、そして個々の楽曲の素晴らしさで選ぶならこのコスモス・ファクトリ−という事になるでしょう。 私自身C・C・Rのアルバムの中で一番気に入っているのがコスモス・ファクトリ−です。 兎に角その発散されるエネルギ−が凄まじかったですね。 悶々としていた高校生の鬱積した気持ちを吹き飛ばすには充分過ぎるほどでした。 トラベリン・バンドやアップ・アラウンド・ザ・ベンドの激しいロツクンロ−ルパワ−には圧倒されましたし、フ−ル・ストップ・ザ・レインのしなやかな叙情性には思わず涙するほどだったのです。 しかし何と言っても出色の作品は悲しいうわさでしょう。 この歌は、あの当時のロックミュ−ジックが到達できる最高の地点まで行き着いていたとさえ思える程、素晴らしい作品でした。 ギタ−のリフやバンドのアンサンブルが見事なほどにア−シ−なC・C・Rの世界を構築していました。 もともとはグラディス・ナイト&ピッブスのソウルをC・C・Rらしいブル−ジ−なロックに仕立て上げていたのです。 何度聴いても心に染みる名曲ですね。 そして、アルバムの最後を締めくくるのはあの光ある限り。 C・C・Rのバラ−ドの中でも最高の部類に属するこの歌は、静かに、しかしながらとても力強く魂を触発してくれます。 まだ前に進みなさい、そして希望を決して捨てるなと。

  ペンデュラム

心象風景を音楽に表してくれる。 それはその時その時の記録として心の中に刻み込まれるのだと思います。 C・C・Rの名曲雨を見たかいを聴くたびにいつもそんなことが心を過ぎってしまうのでした。 それにしても、1970年代のロックはどうしてこんなにもピッタリとCMにフィットするんでしょう。 最近よくテレビで流れている《物より想い出シリ−ズ》にもC・C・Rの雨を見たかいが上手に使われていましたよね。 私は今でも、この歌のあのアコ−スティックギタ−のイントロが始まるたびに胸がときめいてしまいます。 このアルバムが発売された当時はハ−ド・ロックやブログレッシヴ・ロックが飛ぶ鳥を落とすような勢いで台頭してきていた時期であり、そんな中での彼らのこの作品は私の目にも極めて地味に映っていました。 ジャケットも非常に渋かった。 しかしながらその内容はC・C・Rの集大成といえるような、素晴らしい作品で構成されていました。 まるで、4人で創る最後のアルバムとなることを予感していたかのような気さえいたします。 前作コスモス・ファクトリ−のパワ−をそのままに切なくしっとりと歌い上げた傑作、それがこのペンデュラムの全容だと思います。 ペンデュラムとは振り子のこと。 おそらくジャケットもそれを意識しているのでしょうが、音楽もまた永遠に終わる事の無い振り子のようにアメリカのル−ツ・ミュ−ジックで飾られていました。 前作まではC・C・R特有のワイルドな感覚とソウルフルな情熱をそのままに表現していたのですが、このアルバムではそんな彼らの持ち味に加えて、ひとつひとつの歌がとても極め細やかに創り上げられているような印象を受けます。 良く考えられているなと思えるのです。 アンサンブルにしてもすっかり一流の職人気質のように潤沢でありました。 もしかしたら、ジョン・フォガティの心の中でもC・C・Rの終焉を予感していたのかもしれないですね。 ハ−ドなリフとブル−ジィ−な歌で幕を開けるペイガン・ベイビ−も、切なく歌うお得意のバラ−ドハイダウェイも、また、南部のソウル・フィ−リング溢れるボ-ン・トゥ・ム−ヴにしても、何故かしら美しすぎる故に果かなさを際立たせていました。 ヘイ・トゥナイトやモリ−ナでは最高のロックン・ロ−ルも披露してくれますが、C・C・Rの魅力はやはりこういった楽曲でこそ発揮されますよね。 こうして見るとこのペンデュラムは、アルパムの最初から最後まで捨て曲なしの、まさにC・C・Rの金字塔であったと思います。 何時までも心に残りつづける想い出の結晶。 それがこの作品なのです。 

  マルディ・グラ

1970年代という時代には、まだ、アメリカの文化にしても未知な部分が多くて、その欠落した隙間をポパイとかGOROとかいった若者向けの情報誌やロック雑誌が埋めてくれていたものです。 また、当時のロックバンドのアルバムタイトルや曲名からも、そういったアメリカ文化の一端を伺い知ることが多々ありました。 考えてみますと、文化の表面的な交わりから奥深く進んだ時代が1970年代であったのではないでしょうか。 という訳で、このマルディ・グラ( 収穫祭 )という言葉を初めて知ったのもこのC・C・Rのアルバムタイトルのお陰だったのです。 そういえば、ポ−ル・サイモンもセカンド・ソロアルバム、ひとりごとの中で夢のマルディ・グラという曲を歌っていましたね。 前置きが長くなりましたが、C・C・Rとしてのラスト・アルバムとなったマルディ・グラは、極めてカントリ−色の強いアルバムになっておりました。 名作ペンデュラムのリリ−ス後、ジョン・フォガティの兄であるトム・フォガティが脱退していたので、C・C・R名義にはなっているものの従来のC・C・Rとは違った印象を受けてしまうのは私だけではないでしょう。 ここでは、あのソウル溢れるヴォ−カルや迸る情熱が意識して押さえられているように感じてしまいます。 ですから、この作品は実質的にC・C・Rマ−クUと呼んで良かったのかもしれないのですね。 後年になってジョンのカントリ−ミュ−ジック好きが表面化するのですが、当時はここまでカントリ−に執着することがとても意外に思えました。 正直言って期待を裏切られたような困惑があったのです。 やはり彼らにはブル−スやロックン・ロ−ルが一番似合って居ますから。 しかし、そういった燻りかけた気持ちを抱きながら、何度も何度も聴き込んでいくと、実に今までの彼らとは違った味わいが出てくることに気付いてしまいます。 アメリカのル−ツへの回帰、C・C・Rの狙いはここにあったのではないでしょうか。 何故ならアメリカ音楽の全ての原点はカントリ−&ウェスタンなのですから。 そう考えると収穫祭というタイトルもなぜか現実味を帯びてきますね。 そういえば、初めてC・C・Rのジャケットから彼らの顔写真が消えたのもこのアルバムが最初にして最後のことでした。




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