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ジャズのみならずロック界にも多大な影響を及ぼした巨星マイルス・デイヴィス。 彼の歴史はそのままモダン・ジャズの歴史として膨大な作品の中に刻み込まれているのです。 マイルス・デイヴィスの業績は余りにも偉大すぎるという事実に気後れしないように、彼がロックにもっとも融合した時代を尋ねて見ます。 彼のもとを旅立った数多くのミュ−ジシャン達が、その後のフュ−ジョン・ミュ−ジックの立役者となったことは有名な話なのですが、ここではマイルス・デイヴィスと彼に関わったミュ−ジシャン達の足跡を1970年代に絞って追ってみたいのです。

  ビッチェズ・ブリュ− 1969年

"ジャズ、ロック、クラシックだって? 俺はジャンル別に区分けすることはしないんだ。 俺は音楽をそんな風に考えては居ない。 出発点が根本的に違うんだよ。"と語っていたマイルス・デイヴィス。 世間より驚きの目をもって迎えられた快作ビッチェズ・ブリュ−はジャズファンの失望よりも、ロック・ファンのジャズに対する覚醒を目指していたような感もあります。 しかしながら、1960年代の後半より急速にロックへのアプロ−チを強めていった彼に彼に対し、既成の保守的なジャズファンの風当たりはかなり強いものがあったのです。 当時、エレクトリック・マイルスと呼ばれた彼のサウンドは、急速にビ・バップを主流とするモダン・ジャズから離れていく彼を、ロックへの転進だとかマイルスの時代はもう終わったとか実しやかに批判されたものですが、それは一般的な大衆の理解を超越していただけの事だったのです。 既にこの時、彼の眼差しの彼方には来るべきファンクの時代を感じ取っていたのでしょう。 そして、その創造ができるのは自分しかいないと認識していた筈です。 かつて、ジョン・コルトレ−ンがいち早くフリ−・ジャズへと踏み出した時には、どちらかといえば保守的な立場にいたマイルスなのですが、時代を感じ取ったのか極めて自然にエレクトリック・マイルスを開拓していくことに成功したのですね。 1960年代の終わりにはジミ・ヘンドリックスをかなり意識していた伝えられており、あの頃の爆発的なロック・ム−ブメントや熱狂的なライヴが、ジャズ界の揺るぎない帝王であったマイルス・デイヴィスの心を動かさなかった筈はないのですから。 ロックにおける魂の解放という極めて単純なコンセプトが、それまでのジャズには欠如していました。 現代のモダン・ジャズは外的に心を解放していくというよりも、人間の心の内面へとその思想を深化させていったのです。 ですから、彼はその断層を埋めてみようと思い立ったのではないでしょうか。 極めて自由な発想の元に大衆の音楽として生まれたジャズは、幾つかの世代を越えるうちに何時の間にか、その内面に於いて驚くほど保守的になっていたのではないでしょうか。 それはその演奏される音楽が自由になればなるほど、矛盾したように制約を受けて孤高の迷宮へと入り込んでしまったのです。 マイルス・デイヴィスはその既成概念を打破しようとしたのではないでしょうか。 これは、もちろんロック界からの視点に過ぎません。 封建的なジャズの現場からすれば転進と写るのも仕方の無い事でしょう。 しかし、なんといっても時代は開かれた。 そのマイルス・デイヴィスのエレクトリック・ジャズの出発点に数えられるのが、1969年にリリ−スされた本作、ビッチェズ・ブリュ−なのです。

  マイルス・デイヴィス・アット・フィルモア  1970年

音楽にとって完璧であるということがどういうことなのか、それはまず音楽における完璧の概念から確立させないと意味が無いことなのですが、同じ種類の音であってもその人によってまったく違う捕らえ方をしてしまうので、結局のところはそれ自体不可能に近いことなのかもしれないと思います。 1970年代のマイルス・デイヴィスを聴くたびに何時も思うのは、本当のところは彼が何処を目指していたのかということ。 彼自身は自分の作品を批評される事を非常に好まなかったということなのですが、それは送り手側と受けて側の断層を理解していたからなのでしょう。 ことジャズに関していえば、ミュ−ジシャンの音に纏わる想いを100%理解する事などおよそ不可能なのですから。 ただ、感じる事。 取りあえずはそれが原点なのだと思います。 彼自身、決して聴衆に迎合しなかったというよりも、迎合する必要がないと感じていた信念の持ち主だったので、なお更のことだったと思います。 マイルス・デイヴィスが送り出す音楽を、どんな風に感じようとそれはあなたの自由なのですが、あなたの求めている音をミュ−ジシャンに求めるな。 それが彼の思想であったのです。 好きなら聴け、嫌なら聴くなというそれだけの真理。 アドリヴ演奏だけを主体として作られたこの種の音楽を、苦痛だと感じてしまう人も多いのではないのかと思いますが、それ自体根本的に仕方の無いことでしょう。 ビ−トの複合体が与える印象は、それ程強烈なのです。 ただ、心の中を真っ白にして音の中に浸っていると、ある意味では非常に心地がよい音楽なのですが。 まるで、マイルス・デイヴィスが考えずに感じなさいと言ってくれているような。 其々の思い思いのインプロヴィゼ−ションが、1つの融合体となって現れる時その怒涛のようなエネルギ−に圧倒されてしまいます。 かつてないような感性の触発を受け、不思議な余韻が脳髄にまで染み込んでしまうのですね。 ただ、マイルス・デイヴィスのこの先進性に対してはジャズの現場においてさえ、様々な議論を呼んだのも事実なのです。 本来のジャズが持っていた自由な発想を、それまでになかった既成の枠を越えたバンド構成でやろうとした時に、それが批判の対象になるのであれば、自由であったジャズの思想は何処へいってしまったのでしょうか。 それはマイルス・デイヴィス自身が一番感じていたことなのかもしれないのです。 タイトルも何も無い即興のライヴ演奏を4日分収めた、2枚組のこのアルバムが伝えようとしているのは、固定観念を捨てなさいということなのではないでしょうか。 ただ、クレジットされているのは、レコ−ドの各面ごとに水曜日のマイルス、木曜日のマイルス、金曜日のマイルス、そして、土曜日のマイルスとたったそれだけなのです。 それが彼の熱い想いだったのではないでしょうか。 ロックファンであってもジャズファンであっても目から鱗物の大傑作ですね。
 
  オン・ザ・コ−ナ− 1972年

変化し続けるだけなら簡単なことだと思うのですが、数年後にその時代を振り返った時に、初めてその時代が評価されるのではないでしょうか。 マイルス・デイヴィス流黒人音楽の原点への回帰。 あるいは、大衆的な躍動感の再確認。 70年代に入ってからなお一層過激に変化しつづける、マイルス・デイヴィスを象徴するような作品がこのアルバム、オン・ザ・コ−ナ−でした。 私のベ−スはあくまでもロックなのでこういったマイルスは大好きであるのですが、ジャズの神様であった彼のロックを含む大衆音楽への急接近はかなり衝撃的なものであっただろうと想像されます。 当時のメディアの間では相当な議論があったことでしょう。 ここでの主眼はリズムとビ−ト。 それも後年のブラックミュ−ジックの時代の到来を予感させるような、極めて示唆的なアルバムだったのではないでしょうか。 そういった意味でファンク・ミュ−ジックやディスコビ−トのフラッシュ・ポイントであったのかもしれません。 ここから、ファンク・ミュ−ジックの創生と枝分かれが始まり、やがて登場する世紀の大天才プリンスへと道が開かれたのです。 遥かな未来を見据えながら、その情熱と実験的な精神が生み出した結晶。 それが1970年代のマイルス・デイヴィスを総括するにふさわしい言葉ではないのでしょうか。 その先進的な姿勢は私たちロックファンにも充分アピ−ルしてくれるしなやかさでありました。 また、この時代のマイルス・デイヴィスが創り出したあらゆる音楽の飽和状態の中で、いつも再認識してしまうのはその雑然とした音の中の静寂なのです。 猥雑と静寂の美学。 何とも矛盾しているようなのですが、溢れるような大音響の音楽の洪水の中で不思議なことにポッカリとした空間が見えてしまうのですね。 それは次第次第に心の中に広がって行き私達を捕らえて離しませんでした。 近寄りがたく離れがたい魅力。 マイルス・デイヴィスとは実に不思議な人なのだと思ってしまいます。 ジャズの神様から時代のカリスマへと登りつめた瞬間、それがこのオン・ザ・コ−ナ−だったのではないでしょうか。

  ゲット・アップ・ウィズ・イツト 1974年

人は人生の中で何度となく大切な分岐点を迎えるものだと思いますが、マイルス・デイヴィスの場合はどうも10年周期でそういった岐路が訪れているように思えます。 御大チャ−リ−・パ−カ−の元を離れて野心を燃やしていた時の傑作ク−ルの誕生が1949年。 マイルス・デイヴィスのおそらくは最高傑作だろうと思われる1958年のマイルスト−ンズや1959年のカインド・オブ・ブル−でモ−ドジャズを確立させた時。 そして、新たなマイルス・デイヴィスの誕生を継げたイン・ア・サイレント・ウェイが1969年のことでした。 こうしてみると確かに10年周期で変革の時を迎えているのです。 こうして考えて見ますと30年の長きに渡って第1線に立ち、革新的な音を生み出し続けてきたのですから驚かずにはいられません。 やはり神に等しい業績と評価されるべきでしょう。 それでも、不思議なことにマイルス・デイヴィスに関しては、ジャズファンの中でも好き嫌いがはっきりと分かれているような気がします。 ジャズのみに囚われず常に斬新なものを開拓しつづけてくれた彼のことを、ロックの世界からは羨望の眼差しが向けられていた事も事実なのです。 1975年2月の東京でのライヴを最後に長い沈黙の時代へと突入したマイルス・デイヴィス。 1970年代をひた走ってきた彼の、最高峰と目されるゲット・アップ・ウィズ・イツトなのですが、まさにこの時代のマイルス・デイヴィスの集大成に相応しい素晴らしい内容のアルバムでした。 ここでのマイルス・デイヴィスはエレクトリック・ジャズのみならず、様々な音楽のル−ツを極めようとしているような挑戦的な姿が目に付きます。 このアルバムのスタ−トを飾るのは、敬愛するジャズの巨匠デュ−ク・エリントンに捧げたヒ−・ラヴド・ヒム・メロディ-です。 彼には珍しく東洋的な宗教色を感じさせる作品になっていますが、マイルス・デイヴィスの全精力を傾けたかのような荘厳極まりない傑作に仕上がっています。 追悼曲としては異例の30分を越える大作となっていますが、それはマイルス・デイヴィスのデュ−ク・エリントンに対する思いの深さと敬意の表われなのでしょう。 また、意外なことにカリプソにも興味を示したカリプソ・プレリモという作品も、これもまた30分を越えるめくるめくような大作となっています。 リズムの融合されていく様がまるで分解写真のように確認できる素晴らしい曲でした。 その他にも彼の業績を総括するような傑作が並んでいるのですが、それもその筈このアルバムを最後にスタジオ録音盤は6年間発表されなかったのです。 この沈黙が何を意味するのか解かりませんが、少なくとも辿り着くところまで辿り着いてしまったことは事実なのでしょう。 

  アガルタ  1975年

1975年、もしかしたら、そのまま引退してしまうのではないかと思える程長い休暇に入ってしまったマイルス・デイヴィス。 その沈黙を守る前の最後のプレゼントといえそうな、アガルタとパンゲアの2枚のライヴアルバムは栄えある事にマイルス・デイヴィスの東京公演を収めたものでした。 両方とも2枚組みという大作ながら収録されているのはすべて即興演奏で、当然ながら過去の名曲を再演するのではなくアドリヴの閃きをそのまま閉じ込めた内容となっています。 ですから、曲名とかもその場限りのものであって特に意味はないのではないでしょうか。 このアルバムに於いて少し変わったなと思わせるのは、今までのように全面的にマイルス・デイヴィスを押し出すのではなく、一寸ばかり離れたところからメンバ−へアプロ−チしていることではないでしょうか。 まるで、若いミュ−ジシャン達に自由にやりなさいと言っているようです。 この時既に、ジャズを築き上げてきた仲間達やライバル達の何人かはすでにこの世を去り、チック・コリア、キ−ス・ジャレット、ウェイン・ショ−タ−、ハ−ビ−・ハンコック等の彼の優秀な門下生達は、其々の道を歩き始めていました。 そして、商業的には彼よりも成功を納めていたのです。 果たして、マイルス・デイヴィスの胸に去来するものは何だったのでしょう。 まもなく、50歳にも手が届こうかとしている年齢に近付いていた彼には、少しばかりの休息も必要だったのではないしょうか。 ジャズへのアプロ−チを先進的に変化させてきたマイルス・デイヴィスですが、自分の想いとジャズ・ジャ−ナリズムとの深い断層に苦しんだ事も事実で、それが長い沈黙に繋がったとの見方もできます。 いづれにしても、彼の絶大な功績を考えてみれば、暫らくの間ゆっくりと寛いでくださいと、言ってしまいたいですよね。 天才には休息が必要だと思いますから。

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