[PR]看護師の好条件な求人情報満載:転職活動なら看護師専門サイトにお任せ!



今もなお伝説のグル−プとして語り継がれているバッファロ−・スプリングフィ−ルド。 このグル−プから旅立った5人の若者達はその後のロックシ−ンに重要な影響を及ぼす事になるのです。 それは、神がかりなハ−モニ−でウェスト・コ−ストに進出したCSN&Yのニ−ル・ヤングとスティ−ブン・スティルスであり、カントリ−・ロックの草分け的な存在であったポコのジム・メッシ−ナとリッチ−・ヒュ−レイでありました。 それぞれが夢を求めて彷徨いながら、ひとつの時代を築き上げたのです。 ここでは、その偉大な足跡を追ってみたいと思います。 爽やかな風を感じながら。


1・ バッファロ−・スプリングフィ−ルド
2・ ニ−ル・ヤング
3・ CSN&Y
4・ スティ−ブン・スティルス
5・ マナサス
6・ クレイジ−・ホ−ス
7・ クロスビ−&ナッシュ
8・ ニ−ル・ヤング&クレイジ−・ホ−ス
9・ スティルス・ヤング・バンド
10・ ポコ



  バッファロ−・スプリングフィ−ルド

1966年ひとつの偶然から夢が生まれます。 ロスアンゼルスの交差点ですれ違ったニ−ル・ヤングとスティ−ブン・スティルス。 それがきっかけとなり伝説のバンド、バッファロ−・スプリングフィ−ルドが結成される事になるのです。 彼らがグル−プを結成した時は、黄金の1970年代に向って時代が大きく動いていた時でありました。 ウェスト・コ−ストではカントリ−・ロックの兆しが見え、ジェファ−ソン・エアプレインを初めとするサイケデリック・ブ−ムはその絶頂を迎えていました。 また、イギリスではビ−トルズがサ−ジェント・ペッパ−ズ・ロンリ−・ハ−トクラブバンドをリリ−スして、プログレッシヴロックの礎を築いたのです。 当然ながらこういった斬新なム−ブメントに、バッファロ−・スプリングフィ−ルドのメンバ−が影響を受けない筈は無く、彼らの作品はサイケデリックからジャズやフォ−ク、それにロックン・ロ−ルまでと幅広い音楽性を打ち出していました。 しかし、逆説的に考えるとその多様過ぎる音楽故に、彼らの方向性が見出せなかったと言う矛盾した状況もあったのです。 それは、メンバ−の個性を尊重した結果であったのでしょう。 ただそのことは、一度でも歯車が狂いだすと二度と基には戻れなくなるという危険性も充分に秘めていたのです。 事実、お互いの個性のぶつかり合いにより、バンドは収集の付かない所まで追い詰められて、解散の憂き目を見ることになるのです。 特にニ−ル・ヤングとスティ−ブン・スティルスのバトルは凄まじいものであったと伝えられていました。 ニ−ル・ヤングが晩年語っていたように、バッファロ−・スプリングフィ−ルドを結成した時は、このグル−プを10年位は楽に続けられると考えていたようですが。 しかしながら、僅か3年と言う短い活動期間の中で、バッファロ−・スプリングフィ−ルド、アゲイン、ラスト・タイム・アラウンドという3枚の素晴らしいアルバムを残しただけで解散してしまいます。 それは当然の帰結であったといえるでしょう。 バッファロ−・スプリングフィ−ルドとはひとつの時代を生み出す為のステップに過ぎなかったのです。 そこで、良くも悪しくも磨き上げられ培われた才能は、1970年と言うまさにロックにとって最高の舞台の中で輝くのですから。 ニ−ル・ヤングがソロになってからも、好んでライヴで取り上げているミスタ−・ソウルを初めとして、ロックン・ロ−ルウ−マンやブル−・バ−ド、それに折れた矢といった数々の名曲を残して彼らは旅立ちを始めます。 まだ、理想や夢が信じられ、皆がそれに向って歩き出していた時なのでした。 1969年とはそういう年だったのです。

  ニ−ル・ヤング

人は流離いの旅路の果てに、何処にその安らぐべき場所を見つけるのでしょうか。 かつて孤独の旅路と題されたニ−ル・ヤングの名曲ハ−ト・オブ・ゴ−ルドは、1970年代のドロップアウト世代のバイブルとして輝いていました。 痛いほど、あるいは切ないほどに心を揺らされる音。 ニ−ル・ヤングの歌声には魂に直接訴えかけて来る響きがあったのです。 バッファロ−・スプリングフィ−ルドを解散し、ソロとして活動を再開しながらも、彼は自ら原点を見失うことなく歩き続けて、そのリベラルな姿勢を崩そうとはしませんでした。 錆尽きるよりは燃え尽きたいという信念は、真実が故に私たちの心を打つのです。 どういう状況に陥っても信じられるものがあるとするならば、それがニ−ル・ヤングその人だったのですね。 21世紀に入った今もなお進み続ける事をやめようとしない彼の姿に、失われてしまった夢を見出すのは私だけではないでしょう。 それは、僅かに残された希望であり、願望なのです。 願わくばそれが永遠に続くことを祈りましょう。 ニ−ル・ヤングとともに。       ニ−ル・ヤングに間する詳しい解説はこちら

  クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤング

忘れてしまっていた事を、また再びこの手の中に呼び戻して語り明かそう。 丁度あの時代がそうであったように。 この世に完璧なものが存在するとしたら、それは良く晴れた日曜日の朝に聴こえてくる、クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングのハ−モニ−。 そう、1970年の幕開けは彼らの奇跡的な歌声で始まったのです。 それは唐突な幸せと喜び。 ウェスト・コ−ストの若者が彼らの音楽に揺れました。 スティ−ブン・スティルスが、バッファロ−・スリングフィ−ルドからの遠い旅立ちの果てに辿り着いたのが、この素晴らしいクロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングであったのです。 最初はクロスビ−・スティルス&ナッシュの3人編成でスタ−トし、やがて盟友であり、またライバルでもあるニ−ル・ヤングを迎え入れて、クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングとして再スタ−トを切るのです。 それにしても、第1期クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングの最初で最後のスタジオ録音盤となった、デジャ・ビュ−はロック史上に残る最高傑作でありました。 ブル−ジ−で土の香りさえするアコ−スティック・ギタ−に誘われて、いきなり完璧なハ−モニ−のキャリ−・オンでスタ−トします。 それは、まだ歩き始めたばかりのカントリ−・ロックでもなかったし、1960年代のカリフォルニアを飾ったフォ−ク・ロックとも違っていた。 クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングの音楽は、まったく新しい感覚のアコ−スティック・ミュ−ジックであったのです。 バッファロ−の遺産を受け継いだニ−ル・ヤングとスティ−ヴン・スティルスに対し、これまた西海岸の伝説的なグル−プであったバ−ズのデビッド・クロスビ−、それに遥々とイギリスからやって来た、1960年代の名バンド・ホリ−ズのグラハム・ナッシュといった、層々たるキャリアの持ち主ばかりだったのですね。 当然ながら火花の散るような凄まじいバトルが展開されながら、一糸乱れぬ息の合ったプレイ。 そして、あのハ−モニ−。 私たちは、奇跡を飛び越えて神秘的な崇高ささえ感じてしまいます。 また、其々が個性的な作曲能力を発揮して、4人のそれぞれの作品をアルバムに均等に配置するといったことも、当時としてはまったく異例の事でした。 私はなかでもグラハム・ナッシュが一番好きで、ティ−チ・ユア・チルドレンや僕達の家を何度となく聴き返した事を憶えています。 彼のホリ−ズで培われたメロディ−メイカ−としての才能は一級品で、その音楽には類まれなき優しさと美しさに溢れていました。 まるで、心洗われるような旋律だったのです。 特に僕達の家が懐かしく感じられるのは、学生運動を題材とした映画、いちご白書に彼らの歌が使われていたこともあって、当時の閉鎖的な状況と時代を変えて行くという革新的な希望が混ざり合ってしまうからでしょう。 まるで魅入られたようにこの歌の題材と重なり合ってしまうのですね。 ニ−ル・ヤングのヘルプレスもまた名曲でありました。 スティ−ル・ギタ−の哀しげな音色に、彼の切ない歌声が重なって刹那さの極みといった風情を感じさせてくれました。 ここから、彼の原点が始まったと言っても過言ではないでしょう。 また、スティ−ヴン・スティルスやデビッド・クロスビ−も玄人受けのする洒落た名演を残してくれています。 人は彼らのことを1970年の奇跡と呼びます。 時代が彼らを待望していました。 そして、クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングによってもたらされた新しい波は、カリフォルニアから世界へと広がって行ったのです。

  スティ−ヴン・スティルス

クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングのメンバ−の中でも、日本ではダントツの人気を誇ったニ−ル・ヤングから較べるといささか見劣りはするものの、スティ−ヴン・スティルスもまた渋いながら玄人受けのする粋なミュ−ジシャンでした。 この方もニ−ル・ヤング同様自意識の非常に強い方でありまして、自分が何もかも仕切ってしまわないと気のすまないタイプだと思います。 そういった意味でニ−ル・ヤングと並び立つ筈も無く、会っては別れ、離れては再会するというまるで優柔不断な夫婦のように、不安定な関係でありました。 
そんな彼の初めてのソロアルバム、スティ−ヴン・スティルスのジャケットを目にした時の印象は、なんじゃこりゃという奇妙なものでしたね。 その、真っ白な雪の世界の中にギタ−を抱えて佇む彼の姿は、なんとも不思議な雰囲気があったのです。 う-ん、これがこの人の美意識なのかなと少し意外な気がいたしました。 クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングにおいては、デビッド・クロスビ−と共にダ−クサイドな部分を受け持っておりましたが、このソロアルバムもご多分に漏れずかなり暗い。 愛への賛歌などというタイトルのラヴソングが有ったりもするのですが、やはり暗い。 しかしながら、聴き込んでいくととても味わいの有る潤沢な旋律なのです。 もしかすると、それがこの人のカッコよさなのかなと思ってしまいます。 1曲、1曲に彼の人となりが凝縮されていて、気負いも無く自然に振舞っている感がありました。 そして、スティ−ヴン・スティルスのロマンチストとしての優しさが溢れているのです。 また、このアルバムにおけるサポ−ト陣の顔ぶれも実に凄い。 ギタ−にエリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、コ−ラスにはリタ・ク−リッジ、ジョン・セバスチャン、デビッド・クロスビ−、グラハム・ナッシュ、ドラムスにリンゴ・スタ−等と層々たるメンバ−でしたね。 バック・ミュ−ジシャンの選出については何の脈絡もないと取れなくもないのですが、それもまた彼の幅広い人脈の表れなのでしょう。 考えてみますと、スティ−ヴン・スティルスの底辺にも原体験としてのブル−スやロックン・ロ−ルが流れており、そこからどう脱却していくのかが彼の個性であったと思われます。 バッファロ−・スプリングフィ−ルド時代に試行錯誤を繰り返し、クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤング時代において自らの方向性を決定付けたのですね。 そういった意味でソロアルバムこそが彼の本質であったのかもしれません。 

  マナサス

スティ−ヴン・スティルス親分を筆頭に、クリス・ヒルマン、ジョ−・ララ、ダラス・ティラ−、ポ−ル・ハリスなど名だたるミュ−ジシャンを集めて結成されたのがマナサスでした。 ソロ・アルバムの限界を感じたのか、また再びバンドとしての活動を再開したスティ−ヴン・スティルスは、自らの過去を振り返ることなく実にファンキ−でタイトなロックン・ロ−ルアルバムを届けてくれました。 もちろん、彼の魅力であるあのねっとりとしたリズムも健在で、それを実に堅実で達者なバック陣がサポ−トして、バンドならではのキチッとしたアンサンブルを展開しています。 ともすれば、ス−パ−バンドというのは収集の付かない結果に終わる事が多いのですが、マナサスの場合はお互いが旨い具合に牽制し合って見事な調和を生み出していました。 時にはブラックミュ−ジックのようにファンキ−に、そしてラテン調のリズムを弾ませながら、また時にはザ・バンドを思わせるようなア−シ−なサウンドは、今まで無いほどこくの有る重厚な音の壁を創り出していたのです。 特にデビュ−アルバム、マナサスはロック史に残るような大傑作で、2枚組の大作にもかかわらず一気に聴かせてくれる魅力有る構成になっていました。 アナログアルバムでいうところの、A面1曲目のソング・オブ・ラヴから5曲目のボウス・オブ・アスに至るまでの怒涛の如き音の世界は圧巻で、スティ−ヴン・スティルスの音楽人生の中でもかつて無いほどの力強さに溢れています。 また、驚くほど綺麗で繊細なアコ−スティックサウンドも交えて、マナサスの独創的な音楽を支えていました。 スティ−ヴン・スティルスはもしかするとシャイでナイ−ブだったのかもしれません。 それが何のてへらいも無くうまい具合に表現できたことがマナサスの成功へと繋がったのでしょう。 完璧なまでにリ−ダ−シップが取れて、なおかつ当時のバック・ミュ−ジシャン最強の布陣と思われるメンバ−を得た訳ですから出来上がった作品が悪かろう筈がありません。 やっと理想の音に出会えた爽やかさが溢れていました。 初期のドゥビ−ブラザ−スにも通じるような、渋くて味の有るカッコイイ音が彼らの持ち味で、やっとスティ−ヴン・スティルスの世界を構築したような感がありましたね。 結局のところバンドとしての活動は2枚のアルバムだけで終わってしまったのですが、 のちにファイヤ−・フォ−ルが取り上げたイッツ・ダズント・マタ−などを初めとする名曲の数々は、今もなおマナサスの金字塔として色褪せる事無く輝いています。 

  クレイジ−・ホ−ス

ギタ−のダニ−・ウィットン、ベ−スのビリ−・タルボット、そして、ドラムスにラルフ・モリ−ナの最強トリオが何を隠そう伝説のクレイジ−・ホ−スなのです。 1969年、始めてニ−ル・ヤングをサポ−トして名作ニ−ル・ヤング・ウィズ・クレイジ−・ホ−スを発表し、一躍その名前を知られる存在となったのですが、3人編成とは思えないほどの、アンプを最高出力にしたパワ−溢れるサウンドとうねるような音の洪水が聴く者を圧倒しました。 ニ−ル・ヤングなくしてクレイジ−・ホ−スは語れないし、また、クレイジ−・ホ−スなくしてニ−ル・ヤングも語れないほど両者はまるで一卵性双生児のように一体であり、その固い絆は1970年代のロック界に数々の伝説的な演奏を残してきたのです。 それは、21世紀に入った今も続いており、これほどまでに長年にわたり密接な関係を保ってきたミュ−ジシャンも彼ら意外は皆無なのではないでしょうか。 考えてみますとニ−ル・ヤングの運命を左右するような節目節目にクレイジ−・ホ−スの姿があったのです。 ソロデビュ−2作目のニ−ル・ヤング・ウィズ・クレイジ−・ホ−ス、ダニ−・ウィットンの追悼の意味で彼に捧げられた今宵その夜、新たな旅立ちを誓ったズマ、私がニ−ルの最高傑作だと思っているアメリカン・スタ−ズン・バ−ズ、そして、パンクロックに対するニ−ル・ヤングなりの回答であったラスト・ネバ−・スリ−プスなど、もはや、クレイジ−・ホ−スなくしてニ−ル・ヤングの傑作は生まれ得なかったと言い切ってもいいでしょう。 事実、私を含めてニ−ル・ヤングの根強いファンの間には、クレイジ−・ホ−スと組んだときの彼のアルバムにはずれ無しということが定説となっていました。 さて、そのクレイジ−・ホ−スなのですがニ−ル・ヤングのサポ−ト意外でも自らのオリジナルアルバムを3枚発表しています。 不思議な事に彼らのみのアルバムは、ニ−ル・ヤングと組んだときのあのパワ−が感じられず、どちらかといえば渋いスワンプロックやブル−ス、それにウェストコ−ストサウンドを爽やかに聴かせてくれました。 まあ、多少の物足りなさは残るもののそれはそれで実に味わいの有る作品だったのです。 名盤との誉れの高いデビュ−作、クレイジ−・ホ−スは1971年に発表されてその時はプロデュ−スとピアノでジャック・ニッチェもメンバ−に名を連ねておりました。 また、ゲストがことのほか豪華でありまして、ゲストギタ−に当時グリンを結成したばかりのニルス・ロフグレンに、スライドギタ−ではライ・ク−ダ−と驚くほどの面子をそろえてデビュ−を飾ったのです。 そして、ロッド・スチュワ−トを初めとして多くのミュ−ジシャンが取り上げた、あの名曲、もう話したくないではライ・ク−ダ−の絶品、哀愁のスライドギタ−が胸を締めつけて切なくなるほど素晴らしいものでした。 最高のメンバ−であったダニ−・ウィットンを失うという不幸を乗り越えながらも、息の長い活動を続けたクレイジ−・ホ−ス。 今やニ−ル・ヤングとともにベテランの域に入ってしまったのですが、どっこいロックの気骨は衰える事無く頑張ってくれています。 

  クロスビ−&ナッシュ

クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングの中でも一番メロディ-ラインの美しさを誇っていたのがグラハム・ナッシュでしょう。 例えば、ティ−チ・ユア・チルドレンや僕達の家を始めとして、彼らの歌の中で、ああ、いいなあと思う歌は殆どがグラハム・ナッシュの作品でありました。 その彼がデビッド・クロスビ−と組んで素晴らしいハ−モニ−を聴かせてくれたのがクロスビ−&ナッシュでした。 クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤング時代には脇役のイメ−ジばかりが強かった彼らなのですが、何と言ってもその存在を改めて最確認させたのがクロスビ−&ナッシュというこのアルバムだったのです。 もとをただせば、ザ・バ−ズとホリ−ズというビッグネ−ムのバンド出身の二人であり、キャリアからいえばスティ−ヴン・スティルスやニ−ル・ヤングよりも遥かに格上だった訳ですから。 1曲目のサウスバウンド・トレインはロ−ドソングとしても出色の名曲でありまして、この歌を聴くだけでもこのアルバムを購入する価値があるような名曲中の名曲だと思います。 歴史に残る歌とはこういう歌のことを言うのでしょう。 哀愁のあるハ−モニ−と切なくなるような旋律が私たちを果てしない旅情へと誘ってくれるのでした。 私もこの歌を聴いて、広大なアメリカ大陸を列車に乗って旅をする夢を見たものです。 おそらくは、多くの人々がそういった想いを抱かせてもらったのではないでしょうか。 古くからのファンには懐かしいあのグラハム・ナッシュ節が堪能できて嬉しい限りでありました。 また、ラストを飾るイミグレイション・マンも佳曲であったと思います。 そういえばシカゴなんていう名曲もあったなあ。 この人たちの才能は枯渇という言葉を知らないのでしょう。 考えてみますと、クロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングの明の部分を一人で形作っていた彼、グラハム・ナッシュなのですが、骨太な部分を担当していたデビッド・クロスビ−とのコンビは実に味のある深みがあったのです。 決してコマ−シャルに偏り過ぎないバランスを、デビッド・クロスビ−のハ−ドな歌がうまく調和していたのですね。 そういった意味でもこの2人は絶妙のコンビであったといえるのではないでしょうか。 2人でやることの意義を十分理解していた、そんな優しさがそこかしこに溢れていたのです。 

  ニ−ル・ヤング&クレイジ−ホ−ス

荒野の草原に風が似合っているように、あるいは絶望と希望が隣り合わせのように、ニ−ル・ヤングとクレイジ−・ホ−スは核分裂を繰り返しながら巨大なユニットに成長してしまいました。 双方が双方を必要としながらも、不思議なことに時には火と水のように反発し、まるで我が道を行くが如く反目し合う。 ドキュメンタリ−映画 《イヤ−・オブ・ザ・ホ−ス》 ではそういった彼らの日常が辛辣に描かれており、それまでは、友情溢れる無二の親友という印象だけが強かった私には、ライヴを行いながら火花を散らす彼らの関係に意外な気がしたものです。 しかしながら、それは絶対的な信頼関係で結ばれているからこそなせる技なのでしょう。 それが真の絆というものなのかもしれません。 30年の永きに渡って苦楽を共にすれば、当然ながら私達の想像を絶するような関係が生まれるものなのでしょうね。 ですから、クレイジ−・ホ−スと組んだ時のニ−ル・ヤングは天下無敵であり、アルバムの仕上がりはそれ以外の時のアルバムの追随を許さないほどでありまして、ウィズ・クレイジ−・ホ−スのアルバムははずれ無しという事がファンの間の定説になっています。 それは1+1が2になるというような単純なものではなく、1+1が100にもなってしまうほどの驚くべき相乗作用を発揮するのでした。 1970年代のロックがどの時代のロックよりも優れている点は、2つあると思います。 1つは人間主体のテクニック至上主義。 これは他の時代の音楽の、技術及び演奏能力が劣っていることを批判しているのではなく、1970年代に於いては究極の領域にまで挑戦しようとする姿勢があったのです。 人間の力だけで技術の限界まで辿り着く。 その情熱に心動かされるのです。 それは神へと近付く事であり、多くのロックファンの熱い共感を得るものだったのでした。 別の言い方をすると商業主義に流されない純粋さがあったと思います。 音楽業界に於いてもテクノロジ−が過度に発達すると、技術に対する執着が無意味なものと思われがちなのですが、それは大きな間違いなのです。 確かに、素人であっても様々な機器を駆使してエリック・クラプトンのようなギタ−フレ−ズを弾く事は可能なのですが、それと心に伝わってくる感動は相反していると思います。 デジタル変換した音には情念が篭らないからです。 これには、様々な異論もあることでしょうが、私の直感はそう告げています。 1970年代のロックでもう1つ優れている点は、感性が研ぎ澄まされていたということ。 これには色々な原因が考えられるのですが、時代と情熱と運命が旨い具合に作用したとしか言い様がありません。 言うなればロックにとって奇跡の時代であったと思えるのです。 上昇志向と芸術主義がいい意味で融合した、そういう時代であったのですね。 ですから、もうお分かりでしょうが、ニ−ル・ヤングとクレイジ−・ホ−スにはそのどちらもが内包されていたのです。 

  スティルス・ヤング・バンド

一体仲が良いのやら、悪いのやらまったく分からなくなってしまう、そんな二人がスティ−ヴン・スティルスとニ−ル・ヤングでした。 まあ、このお二人の御仁はグル−プ結成当時から諸説紛々でありまして、彼らの仲の良し悪しがクロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングの命運を左右していたのです。 当時は、ス−パ−グル−プであり成功も納めていた彼らが僅か2枚のアルバムで早々と終焉を迎えてしまったのも、この二人の関係悪化によるものと聞いています。 そういった意味で、クロスビ−&ナッシュのほのぼのコンビから較べると非常にスリリングな間柄であった訳ですね。 確かに両雄並び立たずの言葉もあるように、傑出した才能同士であればなかなか和気藹々とはいかないのでしょう。 まあ、どちらも個性が強そうだもんな。 しかし、面白い事にこの4人の人たちは、この後も再結成、解散と融合離散を何度となく繰り返していきます。 まるで、浪花の夫婦のように。 嫌いだけれども何故かしら離れられないというヤツなのでしょうか。 さて、そんなお二人なのですが、何を思ったか突如としてスティルス・ヤング・バンドなるグル−プを結成いたします。 1976年の事でした。 長年にわたって彼らの確執を見てきた私達にとっては、おいおいといった感も無きにしも非ずなのですが、ともあれこの御仁たちの素晴らしい作品に出会えるのであれば、そんな些細な事などどうでもよくなってしまうのですから不思議なものです。 という訳で、さあやっとレビュ−まで漕ぎ着けたぞと。 さて、このアルバムなのですが、そんな彼らの関係を表すようにさぞや一触即発のスリリングな展開満載かと思いきや、意外にも仄々と創り上げられており彼らもそれ相応に歳をとったのかなと思わせられました。 そして、何といっても、アルバムを飾るロング・メイ・ユ−・ランの素晴らしさに目を奪われます。 いかにもニ−ル・ヤングらしい哀愁を帯びたメロディ−と、孤独の旅路の頃からはまったく考えられないような明るさに溢れている稀代の名曲でした。 ここには何かから吹っ切れたようなニ−ル・ヤングが佇んでいます。 この名曲に限らずアルバムの中に納められた5曲のニ−ル・ヤングの歌は、驚くほどに彼が引きづり続けていた暗い影が払拭されていました。 盟友、ダニ−・ウィットンの死からやっと立ち直れたのでしょうか、ズマからこのアルバムにかけて流れているのは未来へ向って歩き始めたようなニ−ルの姿。 私たちはそこにある種の決意を見て取りました。 スティ−ヴン・スティルスも久しぶりで素晴らしい作品を提供しているのですが、いかんせんニ−ルの陰に隠れてしまっています。 当初はスティ−ヴン・スティルス主導で進められたレコ−ディングであったのですが、やはりニ−ル・ヤングのアクの強さには敵わなかったようですね。 このまま一緒にツア−にも出発し、もしかしたらクロスビ−・スティルス・ナッシュ・&ヤングの再結成かと喜んだのも束の間、案の定ニ−ル・ヤングがツア−を途中でキャンセルしてしまい、私たちの期待も夢と終わってしまいました。 まあ、そんなところがいかにもニ−ル・ヤングらしいと言ってしまえばそれまでですけどね。

  ポコ

バッファロ−・スプリングフィ−ルド解散後に、リッチ−・フュ−レイとジム・メッシ−ナやランディ−・メイズナ−等が結成したカントリ−フレイバ−溢れる軽快なロックバンドがポコでした。 セカンドアルバムからはランディ−・メイズナ−に代わってあのティモシ−・シュミットも加入しています。 そんな彼らは、イ−グルスが登場するまではアメリカ西海岸のカントリ−ロックを代表する存在であり、後に花開くウェスト・コ−ストミュ−ジックの草分けでもありました。 母体となったバッファロ−・スプリングフィ−ルドが、カントリ−ロックのみならず実験的な音楽を展開する集合体であったのに対して、ポコはあくまでも土の香りと爽やかな風を感じさせてくれるシンプルなバンドです。 そういった意味でもっともアメリカらしいバンドだったと言えるのかもしれません。 派手さはないものの草の根のように着実に大地に根を張った音楽、それがポコの魅力ではないでしょうか。 ポコのカントリ−フレイバ−は懐かしい香りにも満ちています。 また、メンバ−の入れ替わりの激しかったわりには息の長いグル−プでありまして、1969年にピッキン・アップ・ザ・ピ−セスでデビュ−を飾ってから1980年代にまで渡って10数枚のアルバムをリリ−スしていました。 ポコの作品はどのアルバムにしても仄々とした優しさに包まれていましたが、私のお気に入りは4作目のフロム・ザ・インサイドや5作目のグッド・フィ−リン等の黄金期の作品ですね。 また、まったくメンバ−が変わってしまってからリリ−スされた、9枚目のシマロンの薔薇や次の作品のインディアン・サマ−も中々の佳作だったと思います。 でも、昔からのファンにとってはやはりピッキン・アップ・ザ・ピ−セスこそが最高傑作ということになるのでしょうね。 春になって風の爽やかさを感じるような季節になると、ついつい聴いて見たくなる素敵なバンドでありまして、いつになっても青春の甘酸っぱさを感じさせてくれるグル−プでした。 

続   く




[PR]最新の着うた全部が無料!:何曲でもポイントなしの取り放題