1・ オ−ルマン・ブラザ−ス・バンド
2・ レ−ナ−ド・スキナ−ド
3・ アトランタ・リズム・セクション
4・ マ−シャル・タッカ−・バンド
5・ ルブラン&カ−
6・ ウェット・ウィリ−
7・ エルヴィン・ビショップ
8・ ボズ・スキャッグス&デュアン・オ−ルマン
9・ ニルス・ロフグレン
10・ チャ−リ−ダニエルズ・バンド  
以下近日登場
11・ ボイヤ−&タルトン 





 オ−ルマン・ブラザ−ス・バンド

1971年10月29日悲劇は突然に訪れました。 オ−ルマン・ブラザ−ス・バンドの天才ギタリスト、デュアン・オ−ルマンがオ−トバイの事故で死亡してしまったのです。 それは、フィルモア・イ−スト・ライヴと並んで傑作との誉れも高いアルバム、イ−ト・ア・ピ−チの録音中のことでした。 打ちひしがれたオ−ルマン・ブラザ−ス・バンドの心情を現すかのようにイ−ト・ア・ピ−チの1曲目は、時はもう無駄にできないというナンバ−でした。 心中察するに余りあるというところでしょうか。 しかし、デュアン・オ−ルマンの最後の録音となったこのアルバムは、フィルモア・イ−スト・ライヴからブラザ−ス・アンド・シスタ−ズへと繋がっていく橋渡しを見事に果していました。 フィルモアのライヴに収録できなかった未発表ナンバ−も収められており、それはおそらくデュアン・オ−ルマンへの彼らなりの追悼の意味もあったのでしょう。 また、メリッサやブル−・スカイ等のカントリ−フレイバ−溢れる名曲も、やがてはブラザ−ス・アンド・シスタ−ズのジェシカへの布石となっておりました。 ジョ−ジア州メイコンは別名ピ−チ・ステ−トと呼ばれており、彼らのフランチャイズであったこの街に敬意を表して、この素敵なアルバムタイトルにしたのではないでしょうか。 サザンロックの歴史はその創始者であるオ−ルマン・ブラザ−ス・バンドから始まり、レ−ナ−ド・スキナ−ドやウェット・ウィリ−、アトランタ・リズム・セクション等の多くの後輩達に引き継がれて行きます。 まだ、サザンロックという呼ばれ方が一般的でなかった頃オ−ルマン・ブラザ−ス・バンドはブル−スバンドと考えられておりました。 もちろん、ブル−ス自体が南部から生まれた音楽でありますので当然のことなのですが。 彼らの世紀の名盤と言われているフィルモア・イ−スト・ライヴの印象が余りにも強すぎたせいでしょうか、エリザベス・リ−ドの追憶のような新しい風を感じさせる曲よりも、ステイツボロ・ブル−スやユ−・ドント・ラヴ・ミ−に自然と惹かれてしまうのです。 ですが黒人音楽の主流であるシカゴ・ブル−スなどと較べるとかなり自由な発想の元にブル−スを解体しており、そこに南部のロックやカントリ−やスワンプを融合させたのです。 ブル−スを主体として南部の土の香りのするア−シ−なサウンドを味付けした、それがサザンロックだったのですね。 このフィルモア・イ−スト・ライヴにおけるデュアン・オ−ルマンのスライド・ギタ−は凄まじいの一言です。 また、自由奔放なインプロヴィゼ−ションも空前絶後の物凄さであり、サポ−ト陣の質の高さを証明していました。 そのミュ−ジシャンとしての絶頂の時における超絶的なテクニックは、比類まれなきほど熱く燃え滾っています。 多くのロックファンを感嘆せしめて、多くのミュ−ジシャンにため息をつかせたのです。 おそらくはこのアルバムを超えるライヴ・アルバムは見当たらないのではないのかと思える程の歴史的な名盤でした。 失意の日々もやがては過ぎ去ってゆき、彼らはイ−ト・ア・ピ−チに続いて次なる名作ブラザ−ス・アンド・シスタ−ズをリリ−スすることになります。 このブラザ−ス・アンド・シスタ−ズには、もちろんデビュ−アルバムから納められてきたブル−スナンバ−も収録されているのですが、ウェストコ−ストにも通じるようなカントリ−・ロックが増えており、ここでのリ−ダ−・シップは完全にディッキ−・ベッツへと移ってしまっています。 およそオ−ルマン・ブラザ−ス・バンドらしくない軽快なカントリ−・ロック、ジェシカなどはその典型だと思いますね。 古くからのオ−ルマン・ブラザ−ス・バンドファンは戸惑ってしまったかもしれませんが、これも彼らのひとつの姿として認めるべきでしょう。 あくまでも前向きに進んでいくこと、それが彼らの原点だったのかもしれません。 

  レ−ナ−ド・スキナ−ド

アル・ク−パ−が遥かニュ−ヨ−クからアトランタを訪れたのが1973年のことでした。 彼はその時のアトランタの熱気に魅入られて自らのレコ−ドレ−ベル、サンズ・オブ・サウスを設立します。 そのサンズ・オブ・サウスからデビュ−したのがサザンロックの雄レ−ナ−ド・スキナ−ドでありました。 かつてニ−ル・ヤングの名作ハ−ヴェストの中の歌アラバマに対する返答として作られたスウィ−ト・ホ−ム・アラバマは、サザンフレ−バ−溢れる軽快なロックン・ロ−ルで大ヒットし彼らの名を一躍知らしめた名曲です。 アル・ク−パ−が虜になったアトランタの熱気を凝縮した名曲であったと思いますね。 ギタ−の歯切れの良いリズムがこの1曲だけで私たちをアトランタへと導いてくれました。 オ−ルマン・ブラザ−ス・バンドがブル−スをその音楽性の基本としたのに対し、レ−ナ−ド・スキナ−ドは豪快なロックンロ−ルと粘り気のあるア−シ−なサウンドが特徴だと思います。 トリプルリ−ドギタ−という信じられないようなユニゾンの迫力で圧倒する彼らの歌は、ただ乗りの良いだけではなく時として哀愁を帯び、また時として切なくなるような旋律も聴かせてくれました。 南部という旅愁を掻き立てるような土地柄のせいなのでしょうか、豪快でありながらも何処かに陰りのある音楽が私たちの心を捕らえてしまいます。 この辺りのメロディアスな展開と言うのはアル・ク−パ−のプロデュ−スと決して無関係ではないでしょう。 何故ならトリプルリ−ドギタ−が形作る豪放なサウンドをビリ−・パウエルのキ−ボ−ドがきちっとサポ−トしているからです。 特にデビュ−アルバムに納められていたシングス・ゴ−イン・オンに於ける彼の充分にロ−ルしたキ−ボ−ドプレイは特筆ものであります。 またキ−ボ−ドほど南部的な味付けをするのに適している楽器も少なくないでしょう。 このコンセプトというのはアル・ク−パ−がキ−ボ−ドの名手であった事を考えると納得できますよね。 それにしても、トリプルリ−ドギタ−とは何と凄まじいのでしょう。 大きなうねりのような音の波が次から次へと押し寄せて、どっぷりと漬かりきってしまいそうに心地よい響きでした。 レ−ナ−ド・スキナ−ドの最高傑作は何と言ってもセカンド・ヘルピングだと思います。 前記のスウィ−ト・ホ−ム・アラバマ、アイ・ニ−ド・ユ−、ドント・アスク・ミ−・ノ−・クウェション等を初めとして圧倒的な名曲揃いでありました。 何を隠そう掻く言う私もこのアルバムで彼らにノックアウトされてしまいましたね。

 アトランタ・リズム・セクション

サザンロックを発掘するきっかけとなったアル・ク−パ−のアトランタでのレコ−ディングに、バックバンドとして参加していたのがこのアトランタ・リズム・セクションなのです。 そういった意味で考えるとアトランタ・リズム・セクションがサザンロックの誕生に寄与した役割は多大な物であったのかもしれません。 そもそも、アル・ク−パ−がアトランタ汲んだりまでやって来てレコ−ディングを行う事になったのは、スタジオ・ワンという素晴らしいレコ−ディング・スタジオがあったからなのですね。 そのスタジオ・ワンを設立したのがバディ・ブイという南部の顔役プロデュ−サ−であったのですが、そのスタジオに俊腕セッションメンとして集められたメンバ−が結成したバンドがアトランタ・リズム・セクションということになるのです。 しかしながら、彼らのサウンドはアトランタというよりも、よりカリフォルニアに近い乾いたサウンドでありました。 ひとつひとつの曲が非常にポップで耳に馴染みやすく、それに南部特有の粘り気とファンキ−な香りを織り込んでいます。 ただ、先程も申しましたようにあくまでもメロディ−が軽快で乾いており、爽やかなカントリ−フレ−バ−を満喫させてくれました。 丁度イ−グルスとレ−ナ−ド・スキナ−ドが合体したような雰囲気なのです。 アトランタがどれくらい暑い所なのか想像もつきませんが、きっとホットなハ−トをより熱くしてくれるのが、彼らのポップなサザンロックであったのでしょう。 アトランタ・リズム・セクションにおいて特筆的なことはギタリストのバリ−・ベイリ−の存在でしょう。 日本では余り知られておりませんが、ファンキ−な音からロックン・ロ−ルまで卒なくこなす見事なテクニックは、かなり玄人受けするギタリストであると思います。 さすがは元スタジオ・ミュ−ジシャンの面目躍如といったところですね。 私が一番気に入っているのはポリド−ルに移籍してからのレッド・テ−プです。 アトランタ・リズム・セクションの油の乗った演奏が堪能できるサザンロックの名作でありました。 

  マ−シャル・タッカ−・バンド

デビュ−当時はオ−ルマン・ブラザ−ス・バンドの弟分とか呼ばれたりもしましたが、マ−シャル・タッカ−・バンドはサザンロックのア−ティストの中でも極めてカントリ−色の濃いバンドでありました。 その意味でもキャプリコ−ンレコ−ドの中では異色の存在であったと思います。 オ−ルマン・ブラザ−ス・バンドがブル−スを自らの原点としていたのに対し、彼らはカントリ−ミュ−ジックにそのル−ツを求めました。 それは、リ−ダ−でありほとんどの曲の作曲を担当したトイ・コ−ルドウェルのコンセプトであったのかもしれません。 まあ、ブル−スにしてもカントリ−にしてもアメリカの音楽の象徴たるル−ツ・ミュ−ジックでありますので、彼らにすれば音楽に関わる人生の心の故郷であったのでしょう。 いづれにしても、マ−シャル・タッカ−・バンドの創り出すサザンロツクは軽やかに疾走し、伸びやかにスウィングしておりまして穏やかなひと時を約束してくれます。 ギタ−を初めとするそれぞれの楽器のアンサンブルと各パ−トのインプロヴィゼ−ションが素晴らしく高度で、時としてジャズに通じるようなハイ・テンションの超絶的な演奏も聴かせてくれました。 かと思えば、こころにグッと染みてくるようなロッカ−バラ−ドも、しっとりと切なくそして訥々と歌ってくれて、南部のミュ−ジシャン特有のサ−ビス満点のところがありましたね。 トライ・ワン・モア・タイムやわからずやなどは彼らの代表的な出色のバラ−ドであったと思います。 オ−ルマン・ブラザ−ス・バンドが恒に悲壮感溢れるほどの極限状態で驚異的なテクニックを披露したのに対し、彼らの場合は1歩引いたところで彼らなりのサザンロックを淡々と演奏しているように思えました。 いい意味でマイ・ペ−スであったのですね。 この辺りもトイ・コ−ルドウェルの趣味なのかなあ。 また、マ−シャル・タッカ−・バンドの演奏に個性的な味付けをしていたのが、ジェリ−・ユ−バンクスの感性豊かなフル−トの音色です。 それはなんとも不思議で心地よい響きでありました。 サザンロックとフル−トという組み合わせは意外なような気がしますが、これが隠し味のようにビリッと利いているんですよ。 ともすれば、一本調子になりがちなサザンロックの縦乗り演奏を見事に装飾してくれて、マ−シャル・タッカ−・バンド特有の不思議な雰囲気を醸し出すのに成功していたのですね。 マ−シャル・タッカ−・バンドの演奏に包まれて、時にはこんな風にのんびりとサザンロックに浸るのもいいのかもしれません。

  ルブラン&カ−

サザンロックの中でも爽やかなハ−モニ−と清涼感漂う旋律が素晴らしかったルブラン&カ−。 まるでグレン・フライが遥々と南部に来て歌っているようでありました。 何となくウェスト・コ−ストの青い空が似合いそうな歌ですものね。 そういえば名盤探検隊のキャッチフレ−ズにシティポップとサザンロックの融合という風に紹介されていましたっけ。 ルブラン&カ−の創り出す音はサザンロック特有の土臭い香りを払拭して、軽やかなメロディ−のみを生み出そうとしたかのような気持ちが伝わります。 それは、いい意味での従来のサザンロックには無かった新鮮で斬新な感覚であったと思いますね。 また、そのハ−モニ−が凄いんです。 まるで往年のイ−グルスのようでありました。 彼らがデビュ−するのは1970年代の後半になってからなので、当然ながらサザンロックの熱狂的なブ−ムも終焉しており、そういったところからも新たなサザンロックを模索しようとしたのかもしれません。 アラバマ州にある、かの有名なマッスル・ショ−ルズでスタジオ・ミュ−ジシャンとして名を馳せていた、ピ−ト・カ−とレニ−・ルブランが組んだデュオがこのルブラン&カ−でありまして、当然ながらテクニックは超一流でした。 なにせマッスル・ショ−ルズにおいて長年鍛えられてきたのだから、その感覚は相当なものだという気がいたします。 ルブラン&カ−の音楽は何気なく聴いてしまうと軽快なシティポップと写ってしまうのかもしれませんが、ちょっと待てよこの辺りのフレ−ズはマ−シャル・タッカ−・バンド風だよなとか、グル−ヴ感がまるでアトランタ・リズム・セクションだねとかいった隠し味がありまして、思わずニヤッとさせられてしまいます。 やはり彼らは只者ではないのですよ。 ルブラン&カ−の届けてくれた名曲の数々はサザンロックの到達点と言うわけではないのですが、ひとつの可能性であったと考えればその評価も違ってくるのではないでしょうか。  

  ウェット・ウィリ−

ウェット・ウィリ−は並み居るサザンロックのバンドの中でもファンキ−でソウルフルな香りのする異色な存在でした。 それも飛びっきりのカッコよさを兼ね備えていたのです。 ことブラックミュ−ジック関して言えばミュ−ジシャン側の感性よって音の仕上がり具合がグッと違ってくるので、そこのところがとても重要なポイントになってきます。 ウェット・ウィリ−の場合はその危うい部分をいとも容易くクリア−しておりました。 生まれたときから南部独特のソウルミュ−ジックに囲まれていたとはいえ、胸の奥に響いてくる豊かなセンスがなければ心を掴めません。 また、フィラデルフィア・ソウルとまではいかないのものの、粋で都会的なフィ−リングのソウルミュ−ジックも気持ちよく決めてくれます。 こうしてみると彼らも中々器用なところもあったのですね。 ウェット・ウィリ−の音は、結論を申しますとあらゆるブラックミュ−ジックのエッセンスを凝縮したような音楽なのです。 それも贅沢なス−プのように煮込まれていました。 もちろん南部のバンドなのでゴスペル、ソウルというのはお手の物なのですが、ことサザンロックに限って見渡しますとここまで徹底的にソウルミュ−ジックを掘り下げたグル−プも彼ら意外にいなかったのではないかと思います。 あえて言うならばロ−リング・スト−ンズが名作ブラック・アンド・ブル−に於いて展開したブラックミュ−ジックがとても似ていましたね。 ただ、ウェット・ウィリ−の場合は徹底的に拘っているところがありまして、一途なまでのその姿は爽やかささえ感じさせてくれたのです。 私は確か1974年頃だったと思いますが、あるテレビのロック番組で彼らのステ−ジを見る機会があったのですが、そこでのヴォ−カルのジミ−・ホ−ルの粘っこい歌と、絡みつくような女性コ−ラスウィリエッツのバッキングヴォ−カル、それにソウルフルなハ−モニカの調べが非常に印象的でありました。 当時はキャプリコ−ンレ−ベルにもこんなにファンキ−なバンドがいたのかというような新鮮な驚きでしたね。 プロデュ−サ−はあのトム・ダウト。 当然ながら彼らのソウルフルな売りを前面に押し出した完璧なプロデュ−スになっております。 代表作はキ−プ・オン・スマイリンと少しばかりソウル臭さが抜けてきたザ・ウェッタ−・ザ・ベタ−でしょうか。 どちらも、聴き込めば聴き込むほどに心に染みてくる実に味わい深い傑作でありました。

  エルヴィン・ビショップ

シカゴブル−スと共に歩んできたエルヴィン・ビショップは少しばかり疲れていたのかもしれません。 大都会の喧騒から離れ故郷である南部の地に戻り、そののどかな環境の中で至玉の名作を完成させました。 それが充分にリラックスしたこのレット・イット・フロ−だったのです。 当時レイド・バックという言葉と音楽が流行っていましたので、この作品もそのような範疇の評価を受けていたのですが、私にはブル−スの原点に立ち返って新たな歩みを始めようとした彼の想いが感じられました。 その軽やかなサウンドは爽やかな風のようにサザンフロ−となってのどかな南部の地へと私たちを誘ってくれます。 何と言ってもエルヴィン・ビショップのギタ−が伸びやかに、そして楽しそうに歌っておりました。 まるでブル−スの重荷から解放されたように思うが侭好きな音楽に勤しんでいる、そんな卓越した心境だったのかもしれませんね。 その彼の心を表しているようなトラヴェリン・シュ−ズは名曲の多いレット・イット・フロ−の中でもひときわ傑出していました。 長年の旅路の果てに辿り着いた結論がこの歌だとすればそれは美しすぎる運命だったのかもしれません。 なんでも彼を故郷の南部へと導いたのはかのオ−ルマン・ブラザ−ス・バンドのディッキ−・ベッツだったとか。 その彼の仲介もあってか当時飛ぶ鳥の勢いであったキャプリコ−ンレ−ベルでこの名作を生み出すのです。 そういえば、ディッキ−・ベッツの感性に一致するような歌が多く含まれていると想います。 エルヴィン・ビショップという人間を語る時どうしてもシカゴブル−スとの関係が纏わりついてしまうのですが、ここでの彼はその先入観を払拭するようにのびのびと彼なりのサザンロックを奏でていました。 もともとは南部の地で生まれカントリ−ミュ−ジックに馴染んできたと本人も語っているようにサザンロックの土壌と決して無縁ではなかったのです。 ですから、このレット・イット・フロ−の中にはブル−スを含めてあらゆる南部の音楽が封印されており、まるで宝箱のように楽しませてくれました。 ジャケットの写真でも解かるように非常に釣りが好きだというエルヴィン・ビショップ。 環境に恵まれた彼はこの後も傑作を立て続けに発表してくれることになります。

  ボズ・スキャッグス&デュアン・オ−ルマン

ホズ・スキャッグスはAORのア−ティストだと思っている御仁には目の玉が飛び出るようなロックな1枚。 それが1969年にリリ−スされたこのアルバム、ボズ・スキャッグスでした。 サンフランシスコから遥々マッスルショ−ルズまで赴いて創り上げたサザンロックの快作だったのですが、なんといっても目を引くのはスライドギタ−で参加している当時まだ無名に近かったデュアン・オ−ルマンの存在です。 数あるブル−スの名曲の中でも3本の指に入るのではないのかと思われる名曲中の名曲ロ−ン・ミ−・ア・ダイムを初めとして、まだサザンロックという言葉もマッスルショ−ルズという土地の名前も売れていなかった時代に、これほどの名作が作られたというのは奇跡的なことではなかったのでしょうか。 そのロ−ン・ミ−・ア・ダイムは12分を超える大作ながら、プロロ−グのスロ−で静やかなブル−スから一転して流れるようにそして怒涛の如く押し寄せるエンディングまで、およそ考えられるブル−スの全ての要素を凝縮しておりました。 また、デュアン・オ−ルマンのギタ−が凄い。 これほどまでに激しく弾きまくる情熱的なデュアン・オ−ルマンを初めて耳にしました。 ここでのデュアン・オ−ルマンの新鮮なプレイは、若いと言えばそれまでなのですが、その浅いキャリアを補って余りある素晴らしいブル−スのハ−トと感性に満ち溢れておりました。 そのギタ−のフレ−ズには私たちの感性に直接語りかけてくるような情念があったのです。 荒削りながら只者ならぬ素質を充分に発揮して主役のボズ・スキャッグスを完全に食っておりましたね。 また、ボズ・スキャッグスにしてもスティ−ブ・ミラ−・バンドを脱退してからの勝負に出た1枚だったので相当に気合が入っていたのだと思います。 後年のAORに繋がっていくようなフレ−ズも時折見せてくれるのですが、このアルバムにおける本質はサザンロックそのものだということを証明していました。 スロ−なブル−ス、アナザ−・ディにおける熟練のヴォ−カルも素晴らしいの一言。 決して気負うことなく心のままにという余裕さえ感じさせて、ひとつの時代の分岐点に於いて結晶のように形作られた名作、それがこのボズ・スキャッグス&デュアン・オ−ルマンだったのです。 

 ニルス・ロフグレン

敬愛するスト−ンズのキ−ス・リチャ−ドに捧げた歌キ−ス・ドント・ゴ−。 その作者ニルス・ロフグレンは実にカッコイイギタ−小僧でありました。 数あるギタリストの中でも彼のギタ−はまるで後光が射すように輝いているのです。 サザンロックのみならずル−ツミュ−ジックから果てはスト−ンズのような洒落たナンバ−にまで、彼の個性が脈々と息づいていました。 彼のスタイルは、ギタリストのタイプとしてはジェフ・ベックに非常に近いものがありますね。 要するにこだわりが凄い。 で、テクニックも凄まじいほど持っている。 およそギタリストとして感嘆せしめるような資質をすべて持ち合わせていたのです。 勿論ご本人はキ−ス・リチャ−ドを目指していたのでしょうが。 そういえば、スト−ンズのス−パ−ギタリスト、ミック・ティラ−が脱退した時に、後任としてロン・ウッドとともにニルス・ロフグレンも候補者として上がっていたのは有名な話でした。 曲作りの才能については、既に彼が在籍したグリンにおいて立証済みだったので今更申すまでも無く素晴らしいの一言です。 彼は、シカゴ生まれと言う事で当然ながらブル−スの洗礼を受けていると思われますが、その資質を旨い具合に彼のものとして消化し切っているのは見事です。 彼のアルバムの中で一番に有名なのは2作目のクライ・タフなのですが、私は初のソロアルバムとなったニルス・ロフグレンをお薦めします。 まだ、初々しいこともさることながらサザンロックやロックンロ−ルの魅力が満載で、納められている曲がとてもバラエティに富んでいて、なおかつパワ−が凄い。 前記のキ−ス・ドント・ゴ−を初めとしてゴ−イング・バックやバック・イット・アップ、デュ−ティ等玄人受けのする佳曲ぞろいで、ビ−トルズが好きであると彼自身が語っているように、意外なほどメロディアスな部分も多いのです。 ビ−ルを飲み干すジャケットも良かったですよね。 その後の活躍については今更説明するまでも無く輝かしいものでありましたが、その先陣を切ったのがこのニルス・ロフグレンだったのだと思います。 また、ブル−ス・スプリングスティ−ンのE・ストリ−ト・バンドでの活躍も目覚しかったですね。





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