1・ ロバ−ト・ジョンソン
2・ ウィリ−・ディクソン
3・ アルヴィン・リ−・アンド・テン・イヤ−ズ・アフタ−
4・ サン・ハウス
5・ ホット・ツナ
6・ マディ・ウォ−タ−ズ
ブル−スにおける一考察
        7・ ジミ・ヘンドリックス  
8・ ジェ−ムス・コットン・バンド
9・ ジョニ−・ウィンタ− 以下近日登場
10・ ジョン・リ−・フッカ−&キャンド・ヒ−ト
11・ベタ−・ディズ


  ロバ−ト・ジョンソン - ブル−スの神様の名演集

ギタ−のテクニックと引き換えに悪魔に魂を売った男といわれているロバ−ト・ジョンソン。 そう映画クロスロ−ドの原案と成った彼の人生こそまさにブル−スそのもの。 遠いミシシッピィ−を遡って彼のもとから永いブル−スの歴史が始まったのです。 1930年代にしてはお洒落すぎるファッションと素朴な風貌がミスマッチのような気もするのですが、ロバ−ト・ジョンソンはとても女性にもてたらしいとのこと。 そのことじたい音楽とは関係ないようなことですが、彼は女性とのトラブルがもとで毒殺されるという悲劇的な結末を迎えてしまいます。 それはまるでブル−スを地で行ったような壮絶な生き様でした。 エリック・クラプトンを初めとする多くのブリティッシュロッカ−を魅了した彼のブレイは、弾き語りという素朴なスタイルにも関わらず叙情的で奥の深いグル−ヴ感がありました。 10年程前にコンプリ−ト・レコ−ディングスというボックス・セットが発売されてから、その全容が明らかになり改めてその才能が認められるようになったのですが、やはりブル−スの神様に相応しい作品を創り出していると思います。 ブル−スの定番スウィ−ト・ホ−ム・シカゴやランブリング・オン・マイ・マインドを始めとして、エリック・スロ−ハンド・クラプトンの名演で有名なクロス・ロ−ド・ブル−ス、スト−ンズも演ったストップ・ブレイキングダウン・ブル−スやラヴ・イン・ヴェイン、ツェッペリンのヴァ−ジョンが格好いいトラヴェリング・リバ−サイド・ブル−ス等至玉の名曲達が並んでいるのです。 決して録音状態は良くないのですが、ブル−スギタ−のテクニックとインスピレ−ションが兎に角凄い。 ブル−スのコンセプトはすでにロバ−ト・ジョンソンが完成してしまったのではないでしょうか。 アコギでは難しいスライドギタ−さえ容易く聴こえてしまうのですからね驚きでした。 流石にエリック・クラプトンを唸らせただけのことはある神様だと思います。 ロバ−ト・ジョンソンと出会ってから、これがあの伝説の人の神がかりなプレイなんだなと、改めて感嘆したことを憶えています。 アコ−スティック・ギタ−を変幻自在に操って、まるで体の中にブル−スのリズムが染み込んでいるような正確なギタ−プレイを見せるロバ−ト・ジョンソン。 できることなら、現代のテクノロジ−を使ってもう一度録音してもらいたいと考えるのは私だけではない筈です。

  ウィリ−・ディクソン

1970年当時の3大ギタリストといえばもちろんエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミ−・ペイジであった訳ですが、その3人ともが敬愛していたブル−ス・ミュ−ジシャンといえばあのウィリ−・ディクソンなのです。 エリック・クラプトンはクリ−ム時代にスプ−ンフルを演っていたし、ジェフ・ベックは第1期ジェフベックグル−プの時にロッド・スチュワ−ト、ロン・ウッドらとユ−・シュック・ミ−を、そして、ジミ−・ペイジはツェッペリンで言わずと知れたアイ・キャント・クワィト・ユ−・ベイビ−で名演を披露してくれました。 1960年代の終わりから1970年代の初めにかけて驚くほど多くのロックバンドがウィリ−・ディクソンの名曲を演奏していたのですが、それは3コ−ドの典型的なブル−スパタ−ンを彼なりの粋で都会的なブル−スにアレンジしていた点が支持を集めた結果でしょう。 確かにウィリ−・ディクソンのブル−スにはロック的に展開しやすいインパクトのあるパタ−ンが多かったですよね。 いわゆる心を触発されるというヤツです。 それになんといっても名曲が多い。 一度はそこを通らないといけない免罪符のようなミュ−ジシャンなのではないでしょうか。 そういえば、ドア−ズもバック・ドア・マンを演奏していましたね。 みな其々に印象深く味わいのある演奏であったのですが、ご本家のウィリ−・ディクソンのバ−ジョンも負けず劣らずやはり素晴らしいシカゴブル−スでありました。 個人的にはスト−ンズも演っていたリトル・レッド・ル−スタ−がカッコよくて好きですね。 彼は、マディ・ウォ−タ−スと並んでシカゴ・ブル−スの代表的なブル−スメンなのですが、演奏のみならずというよりもどちらかといえばブロデュ−サ−としてシカゴ・ブル−スを支えておりました。 ミシシッピィ−周辺で産声を上げたブル−スが、その河を遡りシカゴ・ブル−スという最高の形で花開いた訳ですが、その魂は彼らよりずっと若く、そして白人のロック・ミュ−ジシャン達に引き継がれて行きます。 その代表格がさっきも述べたマディとウィリ−であったのです。  

  アルヴィン・リ−・アンド・テン・イヤ−ズ・アフタ−

速く弾きゃあいいってもんではないけれど、それにハ−トが加われば凄い事になる。 それがアルヴィン・リ−でした。 この人もエリック・バ−トンと一緒でブル−スに自らを同化してしまった人なのですが、アルヴィン・リ−が少し違っていたのは同化しながらも意図的にブル−スとの距離を置いていたという事。 少しだけ余裕があったということなのでしょうか。 ですから、スペ−スイン・タイムの中のチェンジ・ザ・ワ−ルドやチュ−チュ−・ママのような発展的な展開も可能だったのですね。 また、ベイビ−・ウォンチュ−・レット・ミ−・ロックンロ−ル・ユ−なんていうこてこてのロックンロ−ルも、臆面も無く演奏してしまう辺りが可愛いところだと思います。 いや-それにしてもアイム・ゴ−イング・ホ−ムの速弾きは凄かった。 何もそこまで速く弾かんでもよかでしょうがと思わず九州弁が飛び出してしまいますが、ヤ−ドバ−ズ一派に対する対抗心もかなりあったのでしょう。 それがアルヴィン・リ−なりの存在証明なのです。 若いと言ってしまえばそれまでですが、何かを売り込まなければ取り残されてしまうそういう時代でしたあの頃は。 イギリスにおけるブル−スの原点はジョン・メイオ−ルのブル−スブレイカ−ズ辺りからだと思いますが、そのジョンからエリック・クラプトンへと流れていくブリティッシュブル−スの王道からも彼は外れていました。 だからなのかは解かりませんがアルヴィン・リ−の場合はブル−スのスタンダ−ドは余り多くは演っていません。 夜明けのない朝にしてもいかにもウィリ−・ディクソン風なのですが、これが実はれっきとした彼のオリジナル。 アルヴィン・リ−の中ではブル−スのスタンダ−ドを再演するだけでは意味が無いという思いが強かったのでしょうね。 もしかすると、ブル−スのオリジナル曲の完成度からいったら当時のイギリスにはアルヴィン・リ−の右に出るものはいなかったかもしれません。 それは彼が、取りも直さずブル−スの魂を彼なりに理解していたと言う事に繋がるのです。

  サン・ハウス

九州は博多から1970年代に出てきためちゃカッコよくて上手いヤツらがサン・ハウスというバンドでした。 ギタリストはあのシ−ナ・アンド・ロケッツを結成する前の鮎川誠、そしてヴォ−カルは伝説的なあの菊ちゃんなのです。 風よ吹けという歌は名曲だったなあ。 そして、その彼らがちゃっかりと名前を頂いたのがミシシッピィ−・デルタブル−スの至宝、サン・ハウスその人だったのですね。 彼の一番油が乗っていた時代の演奏はかなり昔の事になるので聴いたことがないのですが、ブランクのあと再演したブル−スがみんなの心を捉えることになります。 私もその頃のサン・ハウスがサン・ハウスなのだと思っていました。 ボトルネックが上手かったなあ。 でも、彼を良く知る人は若い頃のブル−スこそサン・ハウスであるという声を耳にします。 中でも、1930年に行われたチャ−リ−・パットンとの伝説的なブル−ス・セッションは今や語り草となっているほどだと聞いていますが、当然ながら私たちは知る由もない。 この名アルバムを何時かブル−ス専門店で探してみようかなと思っていますが、そう簡単には見つかんないでしょうね。 ブル−スというのはご存知のように嵌り込んじゃうとジャズと同じでとてつもなく奥が深い。 そして心に染みちゃうので離れがたいという魅力があります。 いち早く離れてしまったのがジミ−・ペイジ。 そして、いい意味でいつまでも引き摺っていたのがエリック・クラプトン。 きっと誠実なのでしょう。 でなけりゃあ黒人の魂が解からないからといってドラッグ漬けになったりはしないでしょうから。 私の場合は何ヶ月かに一度は必ずブル−スに浸りたい周期がやって来ます。 そんな時には、何でもいいから、パッと取り上げてブル−スの切ない世界に嵌り込みます。 そして、今が多分その時なのかなあ。

  ホット・ツナ

ツナサンドにはエスプレッソが良く合うようにブル−スには何が一番合うのかなと考えてみましたが、もしかするとそれはホット・ツナ。 なんて冗談を言っている場合ではないのですね。 しかし、パパ・ジョン・クリ−チ、ヨ−マ・コ−コネン、ジャック・キャサディらのホット・ツナのメンバ−は、本当にブル−スをこよなく愛しているのだなという心情がひしひしと伝わってきます。 エレクトリック・ブル−スの極地と言えそうなユニゾンと大音響の洪水は感覚が麻痺してしまうほど強烈なものがありました。 クリ−ムでお馴染みのウ−マン・パワ−炸裂と言った感じでしょうか。 それも、半端な大音響じゃない。 ブル−スをこの感性で演られるととても心地よくなってしまいます。 誰も演らなかったけど演って見たら凄かったという、はっきり言って目から鱗ものの面白さでした。 一つ間違えるとただのハ−ド・ロックになってしまうのですが、そこはウェスト・コ−ストの大ベテランのことちゃんとブル−スのハ−トを感じ取れるように聞かせてくれます。 また、ヨ−マ・コ−コネンの渋くて個性的でふわふわとした声がブル−スに良く似合っているんですよね。 かなり個性的過ぎるので好き嫌いのはっきりとする声ではあるのですが。 でも、ホット・ツナの顔であることは間違いなくその音楽性の根幹をなす人であります。 それと、パパ・ジョン・クリ−チのエレクトリック・バイオリンも聴かせるツボを心得ていて、不思議な音色がとても格好いいんですよね。 かなりの高齢にもめげずがんばっておられましたが、名作フォスフォレッセント・ラットのリリ−ス前に脱退してしまったのが残念です。 もともとは、ジェファ−ソン・エアプレインのメンバ−だった彼らがブル−スを演りたい為だけに、このホット・ツナを副業として結成したのではないのかと思える程ブル−スのオンパレ−ドは威勢が良くて爽快でした。 それは、夏のシャワ−を浴びた後のビ−ルのように爽快でありました。 そのシチュエ−ションというのは考えてみるブル−スに似つかわしくないことなのでしょうが。 でも、ポ−ル・カントナ−とグレ−ス・スリックがよくヨ−マ・コ−コネンらの副業を許したなあ。 その彼ら、前述の名作フォスフォレッセント・ラットからは正式にジェファ−ソン・エアプレインを脱退し勝負に出たわけです。 でも、こういう一途な人たちが居るからブル−スっていいんですよね。

  マディ・ウォ−タ−ス

ブル−スに心惹かれた人が一度は夢中になる人、そして、ロックに取り付かれた人でも一度は聴いて見たくなる人それがシカゴブル−スの御大マディ・ウォ−タ−スだと思います。 ウィリ−・ディクソンと並んでロックバンドがその歌を取り上げる事がもっとも多かった人なのであり、シカゴブル−スの基礎を作った人でもあるのです。 私の場合は、1970年頃にロックと出合った多くの人がそうだったように、クリ−ムの演奏したロ−リン・アンド・タンブリンでマディ・ウォ−タ−スの存在を知るようになりました。 その時はクリ−ムの素晴らしさに気を取られていたこともあり特に感慨深いこともなかったのですが、ブル−スのことが少しずつ解かって来るようになると改めてその素晴らしい偉業に敬服いたしました。 なぜなら、マディ・ウォ−タ−スのブル−スから彼に影響を受けた有数のブル−スメンが旅立っていくことになるからです。 ですから彼のことをル−ツ・オブ・ブル−スと呼んでも良いのかもしれません。 マディ・ウォ−タ−スの場合はブル−スを歌うために生まれてきたような渋い声がとてもいいですよね。 上手いとかいう感覚とは少し違うのですが実に味がある。 極めて単純に形式化されたブル−スという音楽はその表現方法が限られているように思われるのですが、どうしてどうして僅か3コ−ドの中で生み出される音は私たちの魂を触発し感嘆せしめるのです。 様式美の世界で有るにもかかわらず複雑な想いを宿しているのですね。 もともとは虐げられた人々の悲痛な叫びであったので、当然ながら私たちの心を揺らしてやまない響きなのです。 それにしてもその切ない歌声は多くの人たちを魅了してしまいました。 マディも一時はデルタ・ブル−スに立ち返った時がありましたが、そのデルタブル−スを発展させてシカゴブル−スの基礎を築き上げたのです。 また、1970年代中期にはあのウッドストックにおいて秀作アルバムをリリ−スしてくれたりと恒に前向きな姿勢が私たちの胸を打ちました。 そういえば、あのポ−ル・バタ−フィ−ルドもウッドストックの地で素晴らしいアルバムを届けてくれましたね。 ブル−スファンにとっては神様のような存在のマディ・ウォ−タ−スだったのですが残念ながら1983年に他界してしまいました。 でも、天国でもきっとあのブル−スを奏でてくれている事でしょう。

 ブル−スにおける一考察・・・ジェフ・スロ−ハンド・EIJI氏  

先日我が盟友、ジェフ・スロ−ハンド・EIJI氏よりブル−スにおける一考察を送っていただきました。 ジェフ・スロ−ハンド・EIJI氏はことブル−スに関しては私など足元にも及ばないほどの知識を持っておられましたが、氏のブル−スについての薀蓄の深さに改めて感心させられました。 また、氏はブル−ス・ギタ−の腕も一流であります。 そういえばイギリスで買ったといういいギタ−を持っていたなあ。 この点でも私などはとても及ばないのですが、顔は私が勝っているというもっぱらの噂でした。 というわけで、特別ゲスト、ジェフ・スロ−ハンド・EIJI氏のブル−スにおける考察を掲載させていただきます。 ・・・もともとジャズとブル−スは同じところから分かれているので、その原点は同じなのである。 ジャズはより多様化していき、ブル−スはシンプル化していった。 今でもジャズ・ミュ−ジシャンとブル−ス・ミュ−ジシャンが同じ曲を演奏しています。 ブル−スは予めリズム進行が決まっているので、セッション用としては最適な音楽なのですね。 コ−ドと速さ、メ−ジャかマイナ−か決めさえすればよいのですから。 その点、ジャズはある程度打ち合わせをしておかないといきなりは演奏できない。・・・う-んなるほど・・・ギタ−の話は非常に大変だ。 まずギタ−自体だけでも、サイズ、弦、ピックアップ、またピックも違う。 俺がアメリカ人から貰ったピックの本だけでも数千ものピックが紹介されていた。 簡単なところからだと、ピックを使うか使わないかだ。 ブル−スのミュ−ジシャンだと有名なところで、アルバ−ト・キング、オ−ティス・ラッシュ等ピックを使用しないプレ−ヤ−は結構居る。 弾いた感じが柔らかな音になるのだ。 また、音が指や角度で微妙に違ってくる。 まあ、ピックを使うミュ−ジシャンでも持ち方、角度、あるいは形、厚さなどを変えて、自分の音にしている人も居る。 だから、数千ものピックの本が出版されているのだ。 ここからはまったくの想像だが、ボトルネックはボトルの先を切って演奏し始めたのでこの名前が付いているのだが、何故始めたのかと言うと誰も知らないし、どの本にも紹介されていない。 まず、黒人はお金が無かったと思うので、自分で見よう見真似で楽器を作ったのではないだろうか。 簡単に作れる楽器となると、ピアノというわけにはいかず、やはりギタ−ということになったのだと思う。 しかし、ギタ−は思っているより大変な楽器だ。 俺もクラシックを始めて解かったが、中々奥が深い。 しかし、そんな完璧なものを彼らが望んだのではなく、取りあえずは音が出ればよかったのだと思う。 そこで、一番大変なのがネックを正確に打ち込むことだ。 これが狂うと音が狂う。 しかし、絶対音感を持っている者を除けばそんなことは不可能だ。 そこで取りあえずネックなしでバイオリンのように弦を押さえて音源を調整することを考えてみたのではないだろうか。 しかし、弓で擦らない限り音は余り出ないので考えたのがスライド用法のボトルネックではないだろうかと思う。 これだと、間違えて押しても指をずらす事で正しい音にすぐ調整できる。 そこで、ボトルネック独特のあの音になったのだろう。・・・というもの。 なるほどそういわれてみればそうなのかという気がいたします。 流石はギタ−の達人らしいジェフ・スロ−ハンド・EIJI氏でありました。 氏にはお礼として長崎チャンポンをお送りしておきます。  

  ジミ・ヘンドリックス

数々の伝説が生まれ、そして忘れ去られていく。 それが定めとわかっていても一抹の寂しさを伴うのはどうしてなのでしょう。 心の中に留めておきたいもの、人はそれを想い出として賛美する。 ジミ・ヘンドリックスの生き様は少なくとも何百万人という人の心の中に衝撃を残してくれました。 燃え尽くす事の意味と真実を。 それはあの時代だからこそ許された事。 今も私達の胸に去来するのは滾るような情熱と、懐かしいブル−スの響きなのです。 ジミ・ヘンドリックスは確実に世界観を変えてくれました。 最大限に増幅された音の心地よさを、真っ先に教えてくれたのは彼ジミ・ヘンドリックスと、エリック・クラプトン率いるクリ−ムだったのではないでしょうか。 かつて、ジャズ界においては神様以上の存在であったマイルス・デイヴィスでさえも、ジミ・ヘンドリックスに羨望の眼差しを向けていたという話を聴いた事があります。 事実かどうかは別にして非常に興味深い話ですね。 おそらくは、同じ一流のミュ−ジシャンとして相通ずるものがあったのでしょう。 ジミ・ヘンドリックスの生き様がブル−スであり、生業がロックなのです。 それは、白人ブル−スの女王、ジャニスにも通じる事でした。 どちらも若くして、ドラッグのために他界してしまうという悲劇的な運命の持ち主だったのですが、その残してくれた偉業は計り知れないものがあると思います。 人間の弱さとして心の中を露呈する、それはともすれば逆効果を生んでしまうこともありますが、ジミやジャニスの場合にはなお一層ブル−スを引き立たせる事になったのです。 私たちも一人の人間としてブル−スを受け止める時、ミュ−ジシャンの華やかな表情の裏側や哀しみを感じ取り、その人のブル−スやロックに共感できるのですから。 言葉を変えれば赤裸々な告白こそ支持されるという事でしょう。 様々な時代の中で語りつがれて行くのは真実の心。 あるいは真摯な姿勢。 例えミュ−ジシャンがそれを意識していなくともです。 私たちは、そういう幸福な時代の情熱的な瞬間に、リアルタイムで彼らと出会えた事を喜びとしなければならないのだと思います。   

ジェ−ムス・コットン・バンド

薄暗い地下室、飛び散る汗、そして、強烈なブギ−とジャンプブル−スのリズム。 ジェ−ムス・コットン・バンドこそもつともライヴが相応しいブル−スバンドだったのかもしれません。 少なくとも私はそう思う。 だって、こんなに最高で、圧倒的なブル−スのライヴを聴いちゃうと、誰だってそんな気になっちゃうでしょう。 蕩けるように熱気溢れるブル−スハ−プと、矢継ぎ早に飛び出して来るファンキ−なリズム、そしてバンドの面々の俊逸なるフィ−リング。 どれをとっても、ここには最高水準のジャンプ・ブル−スが息づいています。 もともとは、ブル−スハ−プの一人者であり、その道ではステイタスを確立していたジェ−ムス・コットンが満を持してリリ−スしたのが、このライヴ・オン・ザ・ム−ヴでした。 なんと、彼は10歳にしてサニ−・ボ−イ・ウィリアムスンUに弟子入りしたというからそのキャリアは筋金入りです。 時は1976年、ブル−スブ−ムはとっくに過ぎ去っておりましたが、このアルバムはかなり売れました。 何故ならライヴ・オン・ザ・ム−ヴの場合、純然たるブル−ス然としてなかったことが良かったのかも知れませんね。 オ−ソドックスなブル−スは勿論ですが、たたみ掛けるようなブギ−に、ファンキ−なジャンププル−ス。 そこには、情熱的でありながらも都会的なセンスが感じられる時代に即したブル−スの姿があったのです。 流石はシカゴブル−スの雄ですね。 アルバムはジェ−ムス・コットンのオリジナル、コットン・ブギ−で幕を開けますが、ラストのハウ・ロング・キャン・ア・フ−ル・ゴ−・ウォングに至るまで、圧倒的なブル−ス・ライヴが繰り広げられています。 このアルバムのハイライトでもあり代表曲でもある、フリップ、フロップ&フライの臨場感といったら、そりゃあ凄いの一言。 思わずぶっ飛んじまって腰が砕けてしまいそうです。 ちなみにこの名曲は、日本のジャンプブル−スの元祖、浪花のジェ−ムス・コットンこと花伸もカバ−しておりましたっけ。 ブル−スに興味をお持ちの方でしたら是非とも手に入れて欲しい1枚ですね。