

ブル-スは虐げられた人々の魂の叫び、そして満たされない明日へのささやかな希望。 そのブル−スが誕生したニュ−オリンズから、ミシシッピ−河を遡って辿り着いたのは遥かなるシカゴでありました。 そして、その切ないフレ−ズは後にシカゴ・ブル−スというジャンルを花開かせることになるのですが、ブル−スが啓示していたのは歌うことによって夢を持ち続けるという、彼らなりのしっかりとした抵抗であったのかもしれません。
1・ B・B・キング
2・ ブラインド・フェイス
3・ ジャニス・ジョプリン
4・ エリック・バ−トン&ザ・ウォ−
5・ ポ−ル・バタ−フィ−ルドとシカゴブル−スの周辺
6・ ブッカ−・ホワイト
7・ スティ−ブ・マリオット 以下近日登場
8・ ブル−ス・プロジェクト
9・ アル・ク−パ−&マイケル・ブル−ムフィ−ルド
10・ ジュニア・ウェルズ
11・ ロウエル・フルソン
B・B・キング
B・B・キングはいったい幾つになったのでしょうね。 21世紀を迎えた最近でも健在なところを見せてくれて嬉しい限りなのですが、今やビッグ・ネ−ムとなった彼でさえも苦難の時代が永くあったのです。 そういえば、昨年エリック・クラプトンとジョイントアルバム、ライディング・ウィズ・ザ・キングをリリ−スしてくれたのですが、その久々の快作に昔からのファンならずとも酔いしれたことでしょう。 キングとはもちろんB・B・キングのこと。 それにしても、エリック・クラプトンの嬉しそうな顔といったらなかったですね。 それは無理も無い事でB・B・キングは彼にとっては神様以上の存在なのですから。 ブル−スの基本的なコ−ドは僅か3つそしてパタ−ンも決まっているのですが、その単純なコ−ドとパタ−ンにも関わらずなんと奥行きの深い音楽を形作っているのでしょう。 まさに魂の叫びと感じてしまいます。 彼らの民族の苦悩を一手に引き受けたように歌い続けていたB・B・キングですが、1960年代後半から1970年代に入る頃になると少し状況が変わってきます。 名曲スリル・イズ・ゴ−ンを発表し、またそれが正当な評価を受けてきたせいか、ブル−ス一辺倒というよりも音楽的な広がりが感じられるようになりました。 B・B・キングは、もっともポピュラリティ−のあるブル−ス・シンガ−といえるのではないでしょうか。 といっても商業的に成功を治めたとは言えませんが。 スリル・イズ・ゴ−ンにしても都会的なセンスが匂って来る出来栄えで、どちらかといえばソウル・ミュ−ジックに近いようなアレンジもなされていたので意外な驚きも隠せませんでしたね。 かってロウエル・フルソンのこれもまた名曲であるエブリディ・アイ・ハヴ・ザ・ブル−スを叫ぶように歌っていた頃から考えると雲泥の差でありましたので。 でも、それだけの余裕ができたというのは喜ばしい事ですね。 特に彼らの場合はやっとスタ−トラインに立てたといったところが実感でありましょう。 その時代のアイ・ライク・トゥ・リヴ・ザ・ラヴなどはブル−スというよりも完璧なラヴソングですよ。 典型的なブル−スに固執している人達からすると、随分丸くなったように見えるのでしょうが、私はこの音楽的な広がりは大歓迎だったですね。 そして、1970年代後半の爆発的なブル−スブ−ムによって再評価され今日に至る訳ですが、彼の心の中にはきっと彼らの誇りを、今も抱きつづけていることでしょうね。
ブラインド・フェイス
雨の日にはスロ−なブル−スをという少し気取ったタイトルをつけましたので、その名の通りにメランコリックなブル−スをちょっと紹介してみようと思います。 その名はブラインド・フェイス。 クリ−ムを解散したエリック・クラプトン、ジンジャ−・ベイカ−にトラフィックを解散したスティ−ヴィ−・ウィンウッドらが結成した、まさにス−パ−グル−プの走りとなったグル−プでありました。 当時のロックジャ−ナリズムからは絶大な期待をもって迎えられたブラインド・フェイスだったのですが、結成から僅か1年後の1970年にあえなく解散してしまいました。 当代きってのス−パ−・スタ−であったエリック・クラプトンとスティ−ヴィ−・ウィンウッドということで、かなりの軋轢があったと想像はつくのですがやはり両雄並び立たずというところなのでしょうね。 其々の前進のバンドがブル−スをベ−スにした音を展開していたので、当然ながらブラインド・フェイスもその路線を継承していると思えるのですが、実際はブル−スからどれだけ離れたところに於いてブル−スを認識させることができるのかを実験的に試みたバンドであったと実感しています。 それがいい意味でのメランコリックということになるのです。 それは、1960年代から1970年代へと時代を越える爽やかな風のようなものでした。 ですから、彼らは本当の意味でのブル−スらしいブル−スの曲は演っておらず、対極的なブル−スの構築に終始しています。 それは多分にスティ−ヴィ−・ウィンウッドの色彩が強く打ち出された結果だったのではないでしょうか。 何故なら、ブラインド・フェイス解散後に再結成したトラフィックに於いてブラインド・フェイスのコンセプトを継承しているからなのです。 ブル−スというよりも心にしっとりくるような情感が感じられました。 確かに、スティ−ヴィ−・ウィンウッドの声は非常にアクが強すぎるので、ブル−スそのものというよりもブラインド・フェイスのような展開が正解だったと思います。 歓喜の海やプレゼンス・オブ・ザ・ロ−ドという名曲もその後のトラフィックの中でこそ生きてくる名曲であったと思います。 一方、ブラインド・フェイス解散後のエリック・クラプトンはスワンプロックという新天地にブル−スの魂を求めていくことになります。
ジャニス・ジョプリン
短くも激しくブル−スに生きた天使、それがジャニス・ジョプリン。 彼女のことは今更語るまでも無く既に伝説として多くの人々の心に生き続けていますが、それにしても惜しまれる早すぎた死でありました。 神は、その輝ける成功と賞賛の日々との引き換えに彼女の命を奪ってしまったのでしょうか。 映画、ロ−ズでも描かれているように決して幸せな人生であったとは言い難いのですが、自らの糧となったブル−スと共に暮らしていけたということは、ある意味に於いて幸せであったのかもしれません。 その歌は時に激しすぎるという人もありますが、ジャニス・ジョプリン自身でさえブル−スに対して迸る感情を、コントロ−ルすることは出来なかったのかもしれないのです。 それ程思い入れが強かったのでしょうね。 生き様そのものがブル−スだったのです。 私がジャニス・ジョプリンに出会ったときは、すでに名作パ−ルが遺作として紹介されていた時なので、後から彼女の人生を辿った事になるのですが、当時でさえその生き様と魂を込めた歌声は衝撃的でありました。 何故にこれほどまでに激しくブル−スに心酔できるのかと驚きでさえあったのです。 それは、自由奔放に生きた彼女の人生となぜか重なってしまいますね。 その歌唱力に於いて、おそらくは白人で初めて黒人と肩を並べる事が出来た唯一の人でありましょう。 どうしようもなく切ない時には、ム−ヴ・オ−バ−やダウン・オン・ミ−やピ−ス・オブ・マイ・ハ−トに勇気付けられて過し、安らぎを求めたい時にはサマ−タイムやクライ・ベイビ−やゲット・イット・ホワイル・ユ−・キャンが癒してくれる。 彼女歌には人の魂に訴えかけてくる、そんな根源的な優しさがありました。 ですから、彼女と同じ時代を生きた人の胸にはあの時代の象徴としてジャニス・ジョプリンの想い出とあの歌声が消え去ることはないのです。 同世代の勲章として。 遠い日本においてさえそうだったのですから、故国アメリカにおける名声や賞賛は押して図るべきだったでしょう。 考えてみると、あの時代のアメリカのビリ−・ホリディだったのかもしれないですね。 憂いを込めて切々と、そして感情を振り絞るように歌う姿が今も私たちの脳裏に焼き付いています。 生きながらブル−スに葬られて、これほどジャニス・ジョプリンに似つかわしい言葉はないでしょう。
エリック・バ−トン&ザ・ウォ−
考えてみるとエリック・バ−トンほど割の合わない人生を歩いたロック・スタ−もいないかもしれませんね。 誰もが絶賛するほどの素晴らしい力量を持ちながらです。 確かにアニマルズではスタ−でありました。 しかし、それもビ−トルズやスト−ンズやフ−の影に隠れてしまっていたので、真にブル−スを愛する人か熱狂的なファン意外は特別な存在では無かったと思います。 この人の本当に凄いところは、ブル−スを自己の中に同化してしまったところではないでしょうか。 ブル−スが好きだとか、ブル−スを愛しているとかいうレベルの話ではなくて、自分自身がブル−スに成りきることによって白人としてのコンプレックスを払拭しようとしたのだと思います。 もともと、その歌唱力と黒っぽい感性には定評がありましたので、後はいかに自分の実力をアピ−ルするかにあったのです。 そんな、エリック・バ−トンが僅かながらに脚光を浴びていた時期が、このウォ−と組んでブル−スとブラック・ミュ−ジックの秀作を立て続けに発表した頃でありました。 ここでの