かつて、1970年代のロックをリアルタイムで体験しその洗礼を受けた方ならお解りでしょうが、当時からフランク・ザッパにだけは近付くなという鉄則がありました。 何故ならフランク・ザッパ大先生はオフィシャルなアルバムだけでも60枚近くあるという、その天文学的かつ膨大な作品の量と、アルバム毎に音楽性を変えるカメレオンの如き好奇心の多彩さに、哲学的かつストイックな思想性が相まってとても半端な決意では対処しきれないほどの偉大なお方なのです。 まさに狂気の大天才とでも呼びましょうか。 しかしながら、恐るべきは一度でもその音楽の虜になってしまったら、二度とは正気の世界へ戻れない程魅力のある存在だということなのです。 どちらを選ぶかはあなたの自由なのですが、多分どちらを選んだとしても後悔する事になるでしょう。 しかしフランク・ザッパ大先生のもっとも特筆すべき点は恒に権力に屈することなく戦いつづけていたラディカルなその姿勢ではないでしょうか。 ここではそんなフランク・ザッパ大先生のもっとも意欲的な作品を発表し続けた、1970年代のアルバムにに的を絞って紹介してみたいと思います。 先生のご冥福を祈りつつ。



   

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ロック、リズム&ブル−ス、ジャズ、前衛音楽、ポップス、ハ−ド・ロック、フォ−ク、環境音楽、クラシック、トラディショナル、プログレッシヴロック、とおよそ思いつく音楽ジャンルの全てを内包しているフランク・ザッパの音楽は、もはや哲学の域にまで達しているかのような錯覚さえ抱いてしまいます。 彼に関する研究や文献や書籍は数知れず、熱狂的なファンクラブの数もロック・スタ−の中ではダントツでありまして、ことサイトにいたっては確認が取れないほど膨大な数に上るのではないでしょうか。 これはひとえにフランク・ザッパの創り出す音楽が、我々の想像力を刺激し、忘れ去っていた本能を呼び覚まし、形而上学的な悦楽を享受してくれ、優越感と満足感を擽ってくれるからなのでしょう。 但し、フランク・ザッパに傾倒していると正直に告白しようものなら、変わり者というレッテルを貼られてしまう危険性も大なのです。 いずれにせよ、1970年代のロックのエッセッンスを象徴したフランク・ザッパ大先生の足跡を検証して参りたいと思います。

 フリ−ク・アウト・1966年

フランク・ザッパ大先生の記念すべきデビュ−作にして大傑作がこのフリ−ク・アウトでした。 1966年という時代を感じさせないほどサウンド・プロダクションが素晴らしい作品で、フランク・ザッパは自らビ−トルズにおけるジョン・エメリックのような役割もこなしていたのでしょう。 天才とは勿論そうなのでしょうが、極めてノ−マルな歌の端々にも早くも異常な感性が煌めいています。 恐るべしフランク・ザッパ。 当然ながら、アブ・ノ−マルな歌については申すまでもなく彼の原点の宝庫となっておりました。 4曲目の誰かの肩で泣きなはロッカ−バラ−ドのフランク・ザッパ大先生らしくない名曲なのですが、この歌でさえロックン・ロ−ルのスタンダ−ド、君の肩に頬をうずめのパロディではないのかと穿った見方をしてしまいます。 この時代にここまで思想的なアバンギャルドを展開してしまうと、不謹慎をすっかり通り越して芸術の領域にまで到達したかのような気がしました。 でもまあ、この時期のフランク・ザッパ大先生は、FBIのおとり捜査にポルノ映画撮影の件で引っかかったりと本業意外でも話題を提供してくれていました。 先生の反骨精神はこの時に芽生えたものでしょう。 おまけに先生は刑務所生活まで体験なさっています。 それ以来、恒に権力の敵としての『 ということは民衆の味方として 』ラディカルな姿勢を変え様とはしません。 よほど期するものがあったのでしょうね。 まっ、何はともあれデビュ−作とは思えないほどやりたいことをやり放題やってますし、ひとつひとつの音が無限の可能性を秘めていてバラエティに富んでいました。 アナログレコ−ドでは2枚組みで、これも新人のデビュ−作という事に留まらず当時の常識からしても極めて異例のことでした。 フランク・ザッパ大先生やっぱり凄い。 フランク・ザッパの足跡を辿る道のりは気が遠くなるほど長いのですが、まずは最初の1歩でリラックスして出発しようと思わせるようなアルバムでありました。

 ホット・ラッツ・1969年

フランク・ザッパといえばまず難解であるという通俗的なイメ−ジを払拭できずに、ずっと後めたさを引きずったまま遠くの方から眺めては深遠の淵から離れようとしていたような気がします。 興味はあるのだけれどその万華鏡の如き迷宮に入り込んでしまうと、もう後に戻るのはかなわぬことと肝に銘じておりましたので。 まさに天才と呼ぶしかないような感性の鋭さと多才な音楽性は驚愕を通り越して、哲学の領域にまで踏み込んでしまっているのではないのかと錯覚してしまいます。 また、フランク・ザッパほどその焦点を変幻自在に変えながら、何事もなかったように卒なくこなしてしまう器用な人も珍しいのではないでしょうか。 この人を狂気の大天才と呼ばずして一体何と呼んだらいいのでしょう。 そんな、風変わりかつ茫洋としたザッパ大先生の最高傑作のひとつに数えられているが本作ホット・ラッツなのです。 このアルバムではまったくのソロ名義になっていまして、マザ−ズの面々は参加していないようです。 さて、静寂を破る異国情緒たっぷりのピ−チズ・エン・レガリアなどは1969年という時代の中では成熟しすぎており、 改めてザッパ大先生の観念的な思慮の深さを痛感せずにはいられません。 このピ−チズ・エン・レガリアをホット・ラッツの1曲目に持ってきたことが、取りも直さずフランク・ザッパのこのアルバムに対する意欲の現れだと私は見ています。 また、このホット・ラッツにおける演奏の難易度の高さや緻密さと、相変わらずの超現実的な展開を支えているのは名うてのスタジオ・ミュ−ジシャン達です。 噂によるとかのリトル・フィ−トのロウエル・ジョ−ジも偽名で参加しているとか。 それに、キ−ボ−ドのイアン・アンダ−ウッドの存在も見逃せません。 ウィリ−・ザ・ピンプでのインプロヴィゼ−ションの凄まじさはこれらのミュ−ジシャンなればこそと納得してしまいますし、 またそれだけのメンバ−を招聘できるフランク・ザッパも凄い。 16分55秒にも及ぶガンボ・ヴァリエイションズも圧巻の一言です。 アルパム全体を通して非常に聴きやすい音になっており、フランク・ザッパの入門編としては後日登場するシ−ク・ヤブ−ティと双璧でありましょう。 初対面の方は、まずここいら辺りからフランク・ザッパ大先生に嵌り込んで下さいませ。 しかしながら、そこは一筋縄でいかぬザッパ大先生のこと、かなりフリ−ジャズを意識した難解な部分も時折見せてくれて、先進的な欲望を擽る事も忘れてはいませんでした。 兎に角お薦めの1枚であります。

  チャンガの復習・1970年

この1970年代はマイルス・デイヴィスが大きな転換期を迎えた時代であったと思います。 イン・ア・サイレント・ウェイからビッチズ・ブリュ−へと続く道を邁進していたのですね。 そんなジャズ界の大御所に刺激を受けたのかどうかは分かりませんが、この時代のフランク・ザッパもまた転換期を迎えていたのです。 そういえば、イアン・アンダ−ウッドのアルトもマイルスを意識したような音になっていました。 マザ−ズ・オブ・インベンションとの決別を行い本格的なソロ名義に移行したのも1970年代なのですから。 ロックがまさに大きなうねりの中で揺れていた時代の新しい出発点は、無限の可能性を秘め、輝ける未来が待ち受けているような幻想さえ抱いていたのです。 かつてこのような状況の中、その人がどのようなジャンルの音楽を選ぶかによって、その人の思想が際立った時代もなかったのではないでしょうか。 いわゆるライフ・スタイルというやつですね。 その言葉の発生点ではなかったのかと思います。 そして、フランク・ザッパをチョイスしていたのは極めて芸術的な気質を持った少数派でありました。 現代音楽と呼ばれる分野、例えばそれはエリック・サティでも良いのですが、フランク・ザッパ大先生と較べると音楽のコンセプトは同じであってもかなり対極的な位置にあって、相当な評価を受けていたのですが、私にとっては当然ながらフランク・ザッパの方がより刺激的でありました。 恒に前進することそれがフランク・ザッパの原点だったのかもしれません。 フランク・ザッパ大先生を盛り上げるバックの面子もアイズレ−・ダンバ−、ジョ−ジ・デュ−クと超一流どころの勢ぞろいで、以後のリズムセクションの基礎が形作られていました。 フランク・ザッパ大先生はここから黄金の70年代へと突入する事になるのです。 

 フィルモアのマザ−ズ・1971年

フランク・ザッパのライヴに対する感覚というのは、自らの作品を聴衆の前で発表するというよりも、その緊迫した特殊な空間の中でしか生まれでない音を創造することにあったのではないでしょうか。 普通の一般的なロックバンドが5枚くらいスタジオアルバムをリリ−スしたら、次はライヴでも出してみようかといった感覚とははなから酒肴が違うのです。 ですから、ライヴレコ−ディングというのはフランク・ザッパにとってその音楽性の根幹をなす重要なアイテムであり思想でありました。 要するにフランク・ザッパにとってライヴという行為は、もう一人の情念に染まったフランク・ザッパの確認なのではないでしょうか。 タ−トルズのハッピ−・トゥゲザ−を収録している事で、もっとも取り付きやすいかの印象を与えてくれる本作、フィルモアのマザ−ズも随所にフランク・ザッパらしい捻じれた情緒が見え隠れしています。 ハワ−ド・ケイランとマ−ク・ボルマンをもってしても、フランク・ザッパ大先生の分厚い氷を溶かすには至らないのでした。 彼らはこの後にT・レックスに参加することになります。  この作品はフランク・ザッパにとっての初のフルライヴアルバムなのですが、名作アルバムアンクル・ミ−トとホット・ラッツのリリ−ス後にもかかわらず、そんなことは何処吹く風、相変わらずの個性丸出しの気ままなザッパ大先生の超絶的な熱演なのでした。 フランク・ザッパの感性というのは、私たちが難解であるとか解かり易いとかいった感覚の次元ではないところに位置しているのでしょう。 またフィルモアのマザ−ズは曲の合間の語りの多いことも特徴で、英語やスラングに堪能な方が聞いたら思わずニヤッとしそうな面白い事を際限なく喋っているのでしょうね。 英語に疎い私でさえも解かり易い危険な言葉が飛び交っております。 またこのアルバムに収録できなかった別テイクは、何故だかジョン・レノンのサムタイムス・イン・ニュ−ヨ−クシティに収録されることになりますが、この辺もフランク・ザッパらしいといえばらしいですね。      

  グランド・ワズ−・1972年

来たぞ、来たぞといった感じのグランド・ワズ−です。 いきなりのフリ−・ジャズかそれとも前衛音楽なのかと混乱させておいて、実はオ−ケストラを巧みに操ったフランク・ザッパ快心のアバンギャルドの一発となりました。 フランク・ザッパの膨大な作品の中でも完成度の高さから傑作の部類に入る1枚ですが、難解な部類にも入る1枚でもあります。 聴き込んでいくうちに病み付きになってしまうそんなアルバムでしょうか。 フランク・ザッパにとって音楽上のカテゴリ−というのはまったく無意味な産物であり、いま演奏しているリアル・タイムな音がフランク・ザッパを代表する音楽なのでしょう。 フランク・ザッパは我々の理性の遥か彼方に於いて芸術性豊かな音楽を構築しているのですね。 それは、理解を拒むという姿勢ではなくて、理解を超え去っているのです。 フランク・ザッパの作品の中でもっともジャズの要素が強いといわれているこのグランド・ワズ−という円熟期のアルバムは、一度聴いてしまったら二度とは聴かないという人も必ずいらっしゃることでありましょう。 それ程、個性溢れ出る音の洪水は変拍子のオンパレ−ドで、受けて側の思惑通りには行かないくらい一方的であり、私たちの侵入を拒絶した孤高の異彩を放っているのです。 しかし、タイトルナンバ−のグランド・ワズ−などはフリ−ジャズやクロスオ−バ−をも凌駕した最高の音楽を創生していました。 このアルバムに於ける根本理念は何やら超現実的なミュ−ジカル仕立てになっており、意味があるのか無いのか良く解からないという相変わらずの摩訶不思議なザッパワ−ルドを形成しています。 ですから、フランク・ザッパをロックの観点から捕らえようとすると、私たちは手痛いしっぺ返しを食らう事になるでしょう。 つまり、シェ−ン・ベルグからバッハに至るまで、あるいはマイルス・デイヴィスからデュ−ク・エリントンに至るまで、または、キングクリムゾンからパ−トリッジ・ファミリ−に至るまで精通していないと、簡単には理解できない難解な代物なのです。 よく言われることですが、フランク・ザッパを理解するには、フランク・ザッパ以外の音楽を聴けという論法ですね。 頭で聴くのではなくて、感性で聴かないとその本質に近づけないのではないでしょうか。

  オ−バ−・ナイト・センセ−ション・1973年

驚くほどオ−ソドックスなロック、ファンキ−ミュ−ジックをフランク・ザッパ風味で仕上げてみましたと思えるほど、聴き応え充分なアルバムがこのオ−バ−・ナイト・センセ−ションでした。 フランク・ザッパの流れるようなアドリブプレイも最高で、バックのサポ−トも決めまくっているので非常に聴き易い普通のロックアルバムになっております。 でも、これってフランク・ザッパにとって誉め言葉になるのでしょうか。 まっ、それは兎も角としてフランク・ザッパ入門編としては最適な1枚でありましょう。 独自の視点で捕らえたファンキ−ミュ−ジックも微妙な刺激があってなかなかのものです。 でも、フランク・ザッパという人は日本でも一部の熱狂的なファンの間でしか話題にならなかったのですが、こうやって改めて彼のギタ−を堪能すると、その情感豊かな音色と超絶的なテクニックに悶絶しそうです。 もしかしたら、この時代においてジミ−・ペイジのギタ−・プレイを上回っていたのは彼だけではないでしょうか。 また、ヴォ−カルも味があってすっごくいいです。 フランク・ザッパ大先生はここにきて自分の声の素晴らしさに気がついたのではと感じるほど、思う存分歌いまくっております。 時には黒く、また時にはセクシ−に、艶っぽいなと脱帽するほど酔わせてくれました。 1曲目のカマリロ・ブリ−ロはウェスト・コ−ストのカントリ−ロックのように軽快に疾走しており、意外なことにかなりポップな仕上がりになっています。 また、続くアイム・ザ・スリムはガラリと趣を変えて非常にファンキ−に、そしてとてもカッコ良いブラックミュ−ジックの名曲になっておりました。 相変わらずの不思議ワ−ルドが顔を覗かせるのもご愛嬌ですが、フランク・ザッパとリラックスして付き合いたい時には絶好の1枚だと思います。 
 
  アポストロフィ-・1974年

このアポストロフィ−もオ−バ−・ナイト・センセ−ションと同様に、熱狂的なファンではなかった私にとって非常に耳に馴染みやすく、忘れていた1万円札がポロッと出てきた時のような有り難い1枚となっております。 この時期というのはフランク・ザッパにとってなんだったのでしょう。 かつて彼は、アルバムのサウンドは、たまたま俺がその期間にその種の音楽に興味を持っていたということだけではなくて、その時にどういうミュ−ジシャンを使えたかってことでもあり、どういう機材が使えたかということでもあって、そこから生み出されたものでもあると語っておられました。 ということは初めに構想ありきではなくて、初めにバンドありきであったのですね。 その時のメンバ−の力量や資質に合わせてアルバムを作っておられたのでしょうか。
まだまだ謎は尽きませんが、いづれにしてもベ−ルに包まれていた方がフランク・ザッパ大先生らしいといえばらしいですね。ということで、このアポストロフィ−ですが前作のファンキ−な味付けは少しだけ後退したものの、その代わりに何でも有りのミラクルミュ−ジックが展開されています。 このアポストロフィ−はシ−ク・ヤブ−ティと並んで日本で最も売れたフランク・ザッパの作品でありました。 アルバムタイトルのアポストロフィ−は歴代の名演の中でも5本の指に入る名曲ですね。 これだけは何としても聴かないといけないそんな価値ある逸品でした。 しかしながら、私が何時も彼の大きな壁に遮られてしまうのは、その捻じ曲げられた歌詞とユ−モアの面白さを直ぐには理解できないと言う事。 フランク・ザッパほどその歌詞と音楽が一体となった人はいないと思えるほど極めて重要な要素なのです。 仮に英語が堪能であってもスラングとか隠し言葉が多いので、日本盤のCDを買って歌詞を追いながら音に浸るのが一番いいのかもしれません。 しかし、その歌詞の過激さ故に暫し権力側の標的にもされていたのですが、めげることなく戦いつづけていた姿が思い出されます。    
 

  ロキシ−・アンド・エルスウェア・1974年

フランク・ザッパの久々の2枚組み大作ライヴでありました。 おいおい、お姉さん一体何処を触っているのよと言ったいかにもフランク・ザッパ大先生らしい嫌らしげなジャケットが素晴らしい逸品であります。 このジャケットを平気で使ってしまう感覚もまた素晴らしい。 しかし、レコ−ド会社の担当ディレクタ−はさぞや苦慮したことでしょうね。 1974年という年はフランク・ザッパ大先生の絶好調の時でありまして、兎に角音は最高、喋りも最高で言う事はないのですが、やはりライヴのその場に居合わせないと臨場感は体験出来無いような気がいたします。 彼らのステ−ジは聴覚と視覚によって相互作用を創成していると思えますから。 そこでは全てが同化されあらゆるジャンルを超越しているのですね。 始まった時はロックなのだけれども、終わった時には何時の間にかジャズであったり、また、その逆もあったりで先入観を持ってしまうと非常に戸惑ってしまうア−ティストなんですこの人は。 アルバム毎に色合いが違うし、ひとつのカテゴリ−には収まりきれないという無の境地で受け入れたい人です。 しかしながら、このアルバムに於いて1つ気にかかるのは、演奏の途中でフェ−ド・アウトしている曲が何時に無く多いような気がするという点です。 1曲あたり十数分というが当たり前なフランク・ザッパにしては短すぎるのですね。 演奏の質が途中から落ちるなんてことはフランク・ザッパ大先生に関しては有りえないので、カットしたなんことは考えられない。 推測できることはレコ−ドで聞かせられない喋りが多々あったということなのでしょう。 うん、多分間違いない。 ラディカルな姿勢を貫くフランク・ザッパ大先生の面目躍如といつたところでしょうか。 お姉さんの手助けがあったせいかどうかは定かでは無いのですが、フランク・ザッパ大先生のギタ−も絶好調で踊りまくっています。 久々に再開を果したマザ−ズの面々も潤沢なプレイをきかせてくれていますし、ひとつひとつの音が生き生きと弾んでいました。 まさに、超絶テクニックのオン・パレ−ドでありまして、イエスに匹敵するようなフレ−ズもポンポン飛び出してきます。 こうして見ると、ライヴというのはもう1つのフランク・ザッパの大切な顔なんですよね。

  ワン・サイズ・フィッツ・オ-ル・1975年

最近よく思うのは、フランク・ザッパとポ−ル・ボウルズの共通点がとても多いという事。 どちらも異端の芸術家と異端の作家という有り難い評価を受けておりまして、熱狂的なファンが多いと言う点でもよく似ています。 ポ−ル・ボウルズの短編集のシュ−ルで異常な世界はフランク・ザッパのそれと妙に重なってしまうのですね。 お互いの活躍した時代こそずれているのですが、その政治的かつラディカルな魂は多くの人に影響を与え、社会的な現象まで形作っていました。 ポ−ル・ボウルズに心酔した人たちはビ−ト詩人アレン・ギンズバ−グを初めとして、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズ等同世代の人も含めて多彩な面々でありましたが、そういえば、フランク・ザッパ大先生もウィリアム・バロウズと食事を共にしたことがあると聞いた事があります。 フランク・ザッパもきっとモロッコに行きたかったのではないでしょうか。 ということでこのワン・サイズ・フィッツ・オ−ルなのですが、まだフランク・ザッパ大先生得意のシンクラヴィアは使ってなかったとはいえ、その生まれ出る鮮明な音の群れには驚かされます。 アナログだけの時代によくもまあこれだけクリア−な音が創り出せるとは驚愕を通り越して奇跡的でさえあります。 で、このアルバムも相変わらずのグランド・ヤズ−、オ−バ−・ナイト・センセ−ションと続いたジャズ、ロックのインプロヴィゼ−ション連発バカテク満載でありました。 この人は限界ということを知らないのでしょうか。 もう完璧にロックやジャズの彼方へと行っちゃってる感じなのです。 またこのワン・サイズ・フィッツ・オ−ルでは音の奥行きや広がりが非常に意識されており、フロントとバックのまるで立体音響を体験しているような錯覚に陥ってしまいました。 使えるものは何でも使うといった超先進的で行動派のフランク・ザッパのことですから、おそらく技術者も含めて最先端のテクノロジ−を駆使しているのだと思われます。 もし、フランク・ザッパ大先生が生きておられたら、どういう主眼と心境でもって曲作りを行っていたのか聞いて見たいものですね。 超人集団マザ−ズに混じってザッパ大先生の古くからの盟友キャプテン・ビ−フハ−トも偽名で参加しておりました。 

  ズ−ト・アロ−ズ・1976年

フランク・ザッパ大先生に関して言えば、これが先生の王道だと言える音楽の限定などはまずは無理な話で、この世界に存在するあらゆる種類の音楽が先生の手の中にあるのです。 このアルバム、ズ−ト・アロ−ズからグル−プ名もザッパとなりまして、何時に無く最小編成のバンドとなっていました。 そのせいなのかどうかは定かではないのですが、彼にしては珍しいほど極めてロック色の強い異色の?作品となっております。 聞くところによりますとドラマ−のテリ−・ボッジオと2人で殆どの作品を創り上げたとの事。 その辺にもこのズ−ト・アロ−ズの音が、シンプルでなおかつストレ−トになった理由の一端があるのでしょうが、実際のところはフランク・ザッパ大先生得意の単なる気まぐれかもしれません。 そういえば、名作ホット・ラッツの時もイアン・アンダ−ウッドと2人で創り上げていましたよね。 私個人的には非常に好きなアルバムの1枚でもあります。 先生のギタ−も久しぶりにロックン・ロ−ルしておりますし、得意の変拍子もかなり押さえてあります。 ジャズとの接点を意識させながら、シンプルなものへの拘りが感じ取れます。 でも、フランク・ザッパ大先生の場合はギタ−に限らず何をやっても卒なくこなしてしまうから凄い。 特にこの頃から音楽のアンサンブルそのものよりも、音楽を構築するための方法論や、急速に発達してきたテクノロジ−をいかに音楽の中に取り入れて行くか、また、コンピュ−タ−と音楽との関わり方などの、物凄い量の情報やハイテクな技術を習得しようとがんばっておられました。 やがてそれがシンクラヴィアの導入へと繋がっていくのですね。 やっぱり大天才だ。 ところで、先生は性風俗関係のヤバイテ−マも大好きでいらっしゃいまして、それが元での当局との裁判沙汰が絶えない訳なのですが、 このアルバムに於いても、拷問は果てしなくというタイトルのヤバイ歌を書いてらっしゃいます。 まあ、確かに当局やP・T・Aにも睨まれちゃうだろうな。 かつて先生は言っておられます、言葉が猥褻の対象になるとは思わない、これは俺の哲学なんだと。 う-ん、やっぱり先生は凄いお方だ。  

  ザッパ・イン・ニュ−ヨ−ク 1978年

フランク・ザッパ大先生は一流のバックミュ−ジシャンを非常に旨く使って、自らの音に命を吹き込む事の大変上手な方なのですが、このライヴアルバムに於いてもホ−ンセクションにブレッカ−・ブラザ−スを招いて、もの凄く充実した演奏を聴かせてくれます。 何かまた頭ひとつ抜けちゃったという感じ。 ライヴという場は先生にとって生きる糧のようなものですから、当然スタジオ盤とは違った意気込みを感じさせてくれるのですが、それにしても人生のすべての時期が絶頂期のような精力絶倫な演奏には恐れ入ります。 フランク・ザッパ大先生はエネルギ−が切れることはないのでしょうかねェ。 但し、常に創作意欲を持ち続けることが己の生命線のように、休む事無くスタジオにライヴにと張り切ってこられたのですが、このアルバムを発表する前の1977年だけ初めてのブランクを記録しています。 一年間何もやっていないのですね。 先生とってこれは非常に稀有なことです。 このことは、フランク・ザッパファンにとっては大いなる謎らしいのですが、このザッパ・イン・ニュ−ヨ−クが過去のザッパ音楽の集大成的な要素を多分に含んでいる事を考え合わせると、何となく一年間のブランクが納得できるのではないでしょうか。 相変わらず何でもありのめくるめく世界と独創的かつシュ−ルな音楽の質は最高でありまして、ここでもザッパのライヴにはずれ無しと言う伝統を守ってくれています。 魂を触発されるようなインプロヴィゼ−ションや、其々のパ−トの編拍子が、何回かに一回は見事に纏まってしまうというレトリックが凄まじいのです。 そういえば、確かこの辺りからレコ−ド会社と、色んな事でもめ始めているんですよね。 まあ、フランク・ザッパ大先生のレコ−ドは、間違ってもベストセラ−になるような質の音ではないので、レコ−ド会社からすれば痛し痒しといったところもあったのでしょう。 先生は先生で自分の主義主張を曲げるような方ではありませんので、当然ながらそういった軋轢は起きてくるでしょうね。 そういった意味で考えてみると、この名作ライヴ、ザッパ・イン・ニュ−ヨ−クは、フランク・ザッパ大先生にとって分岐点に当たる作品だったのかもしれません。    




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