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1・ ジャクソン・ブラウン
2・ イッツ・ア・ビュ−ティフル・ディ
3・ ザ・バ−ズ
4・ クイック・シルバ−・メッセンジャ−サ−ビス
5・ イ−グルス
6・ ドゥ−ビ−・ブラザ−ス
7・ ドア−ズ
8・ グレイトフル・デッド
9・ ポコとその仲間達
サウザ−・ヒルマン・ヒュ−レイバンド
10・ ジョ・ジョ・ガン
     11・ ネッド・ドヒニ−     

12・ ガイ・クラ−ク
13・ ブレッド

  ジャクソン・ブラウン

過ぎし日の想い出として忘れてしまうには、ジャクソン・ブラウンの歌声はあまりにも切な過ぎました。 カリフォルニアが自由と夢と新しい時代の発祥の地として輝いていた1970年代、人々は愛が世界を変えうると本気で考えていたのです。 純粋な幻想と片付けてしまえばそれまでなのですが、そんな他愛ない思いを抱かせるほど明るい陽射しの美しさにときめいていたのですね。 その旗手としてウェスト・コ−ストの象徴であったのがアサイラムというレコ−ドレ−ベルと、その所属ア−ティスト、ジャクソン・ブラウンその人でありました。 ご存知の方も多いと思いますが、このジャクソン・ブラウンの名作、レイト・フォ−・ザ・スカイのジャケットに描かれている青空のようなアサイラムのロゴマ−クは、当時遠く離れた日本に於いてカリフォルニアを夢見ていた少年達の憧れの的であったのです。 いまでもこのロゴを見るたびに胸が熱くなる人も多いのではないでしょうか。 憂いと哀愁を帯び、果かなさと力強さの同居した不思議な歌声と、私たちの心の深層に語りかけてくるような旋律が彼の魅力なのです。 ある時は淡々と、また在る時は流れるように言葉をのせては、カリフォルニアの風のように遠い彼方へと過ぎ去っていく想い。 まるでヘルマン・ヘッセのエッセイの世界のように、彩美な彩りに覆われて安らぎを与えてくれました。 デビュ−アルバムではまだ荒削りな一面ものぞかせており、初々しくもまだこれからといった感の強かったジャクソン・ブラウンなのですが、セカンドアルバムのフォ−・エブリマンからはその天才的な作曲家としての片鱗を見せはじめます。 当時、ジャクソン・ブラウンと並んでカリフォルニアの2大巨頭といわれた、イ−グルスのグレン・フライと競作、競演した名曲テイク・イット・イ−ジ−を筆頭に、青春の日々、レッドネック・フレンズ、フォ−・エブリマン等の優れた作品が並んだこのアルバムで彼の名声が広まったと言えましょう。 続くサ−ド・アルバムのレイト・フォ−・ザ・スカイは私が今更述べるまでもなく世界中で広く愛されている名作でありました。 そして、それはウェスト・コ−スト・ミュ−ジックの象徴として永遠に語り継がれるべき栄誉を与えられ、その時代の想い出の中でも傑出した光を放っていたのです。 彼の作品とシンガ−・ソングライタ−という既成の枠では収まりきれないほどの才能は、1970年代の夢といってしまうにはあまりにも美し過ぎたのですね。 私たちの心に素晴らしい感動を残してくれたジャクソン・ブラウン、彼の想いは、盟友、デイヴッド・リンドレ−と共にカリフォルニアの広大な大地を今も駆け巡っていることでしょう。

  イッツ・ア・ビュ−ティフル・ディ

現在ではジャクソン・ブラウンやイ−グルスがウェスト・コ−ストサウンドの代表格として知れ渡っていますが、実はカントリ−ロックが産声を上げる遥か以前にウェスト・コ−ストサウンドを象徴していたのが、このイッツ・ア・ビュ−ティフル・ディやクイック・シルバ−・メッセンジャ−サ−ビス、それにジェファ−ソン・エアプレイン等のサイケデリックグル−プでした。 1969年、彼らは西海岸で発生した当時のフラワ−ム−ブメントと相まって一躍注目される存在となり、アメリカ全土のロックシ−ンをも席巻するほどの凄まじい勢いで登りつめていったのです。 時はあたかもウッドストックジェネレ−ションの勢いに揺れていた頃でもありました。 サンフランシスコからの新しい時代に対する返答だったのですね。 そういえば日本でも花のサンフランシスコという歌が大ヒットしていましたっけ。 イッツ・ア・ビュ−ティフル・ディという爽やかなネ−ミングと、その美しいジャケットの絵からも想像できるように、このグル−プはサイケデリックグル−プの中においても清清しさと透明感のある美的な音を創り出していました。 その透き通った空の彼方に永遠の想いを宿すようなメロディ−は、優美な輝きに満ちており心が洗われるような気持ちになってしまいます。 少し話はずれますが、私はこのジャケットを見たときに晴れた日に永遠が見える・というかなり昔の映画のタイトルが思い出されてしまいました。 丘の上に達立ち風を受けながら佇む少女は何を見据えているのでしょう。 それは本当に永遠なのかもしれないですね。 また、その爽やかさと共にリ−ダ−のデビッド・ラフレイムの奏でる面妖なヴァイオリンがイッツ・ア・ビュ−ティフルを特徴づける音でもあったのです。 静かな空間を紡ぎ出すように不思議に醸し出される音楽はある意味に於いて、早すぎたプログレッシヴロックであったのかも知れません。 ホワイト・バ−ドやア・ホット・サマ−・ディなどのシュ−ルな響きは、まるで感覚が飛んでしまいそうなに美しさに包まれておりました。 長い間幻の名盤と呼ばれていましたが、最近では割と容易く手に入るようになりましたので、ぜひとも一度お聴きになってみて下さい。

 ザ・バ−ズ

ザ・バ−ズほどその時代の流れに沿って変化を繰り返したグル−プも数少ないでしょう。1960年代の初めにはフォ−クロックの先駆者としてひとつの時代を築きながら、やがて訪れるサイケデリックの時代をいち早く察知して、ザ・バ−ズの音楽として昇華できる機敏な能力も持ち合わせていたのです。 デビュ−当時の演奏能力の質の問題については良く語られることですが、それはザ・バ−ズの素晴らしい作品を損なうものではない筈でしょう。 初期のレコ−ディングセッションに於いてレオン・ラッセルや数人のスタジオ・ミュ−ジシャンが参加していたのは有名な話なのですが、そうなるとあのザ・バ−ズ独特の12弦ギタ−の素敵なフレ−ズは一体誰が弾いていたのか気になりますね。 ビ−トルズを彷彿とさせる調和したハ−モニ−とフォ−クロックの清楚な調べは、カリフォルニアの青い空のように私たちを魅了しました。 フォ−クロックといってしまうにはあまりにも優美な旋律はそよ風のように爽やかでしたね。 私も含めてこの頃のザ・バ−ズが一番好きだと思っていらっしゃる方も多いことでしょう。 ミスタ−・タンブリンマン、タ−ン・タ−ン・タ−ンなどの名曲はザ・バ−ズのステイタス・シンボルとして音楽史の中で一際輝いていました。 しかし、ザ・バ−ズの永い経歴の中でもっとも重要だといわれているのは、天才グラム・パ−ソンズを迎えてからのロデオの恋人時代でしょう。 まだ、カントリ−ロックという言葉さえなかった時に、カントリ−とロックの融合を試みてまったく誰もが考えていなかった新しいジャンルを開拓したのです。 そして、それがカントリ−ロックとしてその後のウェスト・コ−ストを象徴する音楽となり、幅広く浸透していく事になります。 これが今をときめくウェストコ−ストサウンドの誕生なのでした。 また、ザ・バ−ズは1970年代に入ってからもそのカントリ−フレ−バ−を継承しつつ、ア−シ−な味付けをしたファ−ザ−・アロングという傑作も残してくれます。 まるで流れ行く河のような変遷を繰り返したザ・バ−ズ。 その魂は流離う旅人のように浮遊し続けたました。 その自らの名前のように。        

  クイック・シルバ−・メッセンジャ−サ−ビス

ニッキ−・ホプキンスは変幻自在にロックの伝説に関わっていき、彼の訪れるところは恒に新たな衝撃を生み出していったのです。 まず彼が注目を浴びたのが第1期ジェフ・ベック・グル−プのキ−ボ−ドプレイヤ−としてでした。 もう、ご存知でしょうがこの第1期ジェフ・ベック・グル−プはギタ−がもちろんジェフ・ベックで、ヴォ−カルがロッド・スチュワ−ト、ベ−スがロン・ウッド、ドラムスがトニ−・ニュ−マン、そして、ニッキ−・ホプキンスというそうそうたる凄まじいグル−プだったのです。 その後、ジェファ−ソン・エアプレインやロ−リング・スト−ンズとの名セッションで名を馳せたあと、このウェスト・コ−ストに移り住みクイック・シルバ−・メッセンジャ−サ−ビスへ参加することになります。 私などはニッキ−・ホプキンスとウェスト・コ−ストがどうしても結びつかないのですが、彼はよほどウェスト・コ−ストが相当気に入っていたのか1980年代まで住み続けていたようです。 さて、クイック・シルバ−・メッセンジャ−サ−ビスですが、それまでのブル−ス色の濃いかった音楽性が変わったのはこの名作シェイデイ・グロ−ブからで、それは偏に加入したばかりのニッキ−・ホプキンスの存在が大きく影響していたと思われるのです。 彼のファンの方はご存知のようにクラシカルな佇まいの顕著な人なので、彼がバンドにいるだけでその方向性が大きく変わってしまうのですね。 ニッキ−・ホプキンスの繊細な風味でバンドのアンサンブルを包んでしまうのです。 それはクラシックの影響を受けたニッキ−・ホプキンスならではの才能でした。 このクイック・シルバ−・メッセンジャ−サ−ビスはイッツ・ア・ビュ−ティフル・ディほどシュ−ルな情緒はなかったのですが、やはりフラワ−・ム−ブメントを通り抜けてきたバンドらしく幻想的で独特な感覚を持っています。 情熱を喚起するような音作りではなく、人の内面に訴えかける音楽を大切にしていたのだと思われるのですね。 もちろんブル−スの影響もあちこちに見え隠れしているのですが。 このシェイデイ・グロ−ブと次の、ただ愛のためにクイック・シルバ−・メッセンジャ−サ−ビスの代表作でしょう。 ただ、残念な事にはニッキ−・ホプキンスの脱退と共にウェスト・コ−スト表舞台から遠のいていくことになります。 そう、彼のピアノのような爽やかな瞬間だけを残して。 

  イ−グルス

今にして想えばウェスト・コ−ストの光と影を象徴していたのがイ−グルスではなかったのでしょうか。 彼らはファ−ストアルバムから、セカンドアルバムのならず者、そしてサ−ドアルバムのオン・ザ・ボ−ダ−までは明るく爽やかなカリフォルニアのシンボルとして、軽快な音楽と清らかな調べともに走り続けていたのです。 華やかな未来と抱きつづけてきた夢が手に届くところにあるように思われて、皆が希望と共に生きていたのでした。 この時代のイ−グルスは名曲テイク・イット・イ−ジ−を筆頭にテキ−ラ・サンライズ、ピ−スフル・イ−ジ−・フィ−リンク゜、ならず者、オ−ル・55、ジェ−ムス・ディ−ン、過ぎ去りし日々、我が至上の愛などビ−トルズに匹敵するかのような優れた作品を残しています。 カントリ−フレ−バ−溢れるメロディに囲まれて、まるで5人の若者の未来には何の障害もないかのようでした。 やがて、時代はヴェトナム戦争での挫折やヒッピ−・ム−ブメントの終結など輝けるアメリカの社会にも陰りが見え始めて来ます。 それは、丁度、私がイ−グルスの降盛と時を同じくして観た映画・アメリカン・グラフィティとアメリカン・グラフィティ2の断層のように、意外なものだったのです。 前者では希望に胸を燃やす若者のひと夏の青春とロックン・ロ-ルの時代が甘く切なく描かれおり、ラストシ−ンのジェット機が飛び去る場面でビ−チ・ボ−イズが歌うオ−ル・サマ−・ロングが全てをいい表しておりました。 望みはいくらでもあったのです。 しかし、続くアメリカン・グラフィティ2では夢はいずれ終わりの来るものと位置付けており、その後の現実にどう対処するべきなのか模索していた時代が描かれています。 皆が懐かしい日々を携えながら生きていたのですね。 イ−グルスもまた、夢から現実に立ち返ったようにウェスト・コ−ストの夢と希望から脱却しようと試みます。 その陰鬱な想いが描かれたのが4作目の呪われた夜だったのですね。 まだ少しばかりの明るさを残しつつも、明らかに現況を見据えようとする姿勢がカリフォルニアの光を包みも込むように重たい空気が流れ初めていたのです。 もはやそこには夢だけでは生きられない若者達がいたのではないでしょうか。 アルバムの最初を飾る呪われた夜にはそんな鬱陶しい息苦しさが流れていました。 当時、このアルバムを聴く度にイ−グルスは何処へ向おうとしているのか非常に気になったものです。 そして、ようやく辿り着いた先があのホテル・カリフォルニアだったのですが、このイ−グルス屈指の名曲を納めたアルバムは何とも重苦しい決断を迫られていました。 そう何もかもが終わってしまったのだと。 それはイ−グルスがイ−グルスであることの終焉さえも予測していたのではないでしょうか。 そのせいなのか素晴らしい歌を納めながらもアルバムとしての纏まりがないように感じてしまうのは私だけではない筈です。 陰り行く部屋の運命を感じてしまいました。 1970年代と共に生きてきたイ−グルス。 そして、その1970年代の終わりと共に自らもロング・ランという最終作をリリ−スして消え去って行くのでした。 はたして、ここが到達点だったのか、それとも出発点であったのか誰も結論は出せないのですが、それは、まるで1970年代の終わりを象徴する出来事として今でも鮮明に記憶されているのです。 もう一度テイク・イット・イ−ジ−を歌う日がくると信じながら。   

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ドア−ズ

不思議なものでれっきとしたウェスト・コ−ストのロックバンドでありながら、ドア−ズには大都市ニュ−ヨ−クのアンニュイなイメ−ジが付き纏っていました。 しかし、ドア−ズのジム・モリソンがかのU・C・L・Aでスティ−ブン・スピルバ−グと同級生であったというのはかなり有名な話なのです。 およそウェスト・コ−ストらしくない幻想的で刺激的な音は、何故カリフォルニアなのかという必然性が感じられないように思われますが、これもサイケデリック・ム−ブメントが生み出してくれた素敵な賜物なのですね。 つまり、トリップする為には充分に必然性があったわけです。 言い方を変えればアメリカに於いてもっとも早く出現したプログレッシヴロックだったのかもしれません。 事実、大ヒットしたハ−トに火をつけてのインプロヴィゼ−ション等は、エマ−ソン・レイク・アンド・パ−マ−やイエスなどの流れるような演奏力と比較してもなんら遜色ないと思います。 ただ、彼らの場合はそのコンセプトを表現するのにサウンド面での重厚さは重要視していなかったので、その点でイギリスのプログレッシヴロックのバンド達から見ると極めて貧弱に写ったかもしれません。 しかしながら、その歌詞も含めてジム・モリソンのバフォ−マンスと存在感は狂熱的なものがあり、圧倒的に他を淘汰しておりました。 ジム・モリソンの内証的な表現がドア−ズだったのですね。 彼らは、音の隙間をいかに認識させるかによって、そのシュ−ルな音を際立たせようとしたのではないのでしょうか。 サ−ド・イヤ−・バンドと同じように聴こえない音を聴け、ということなのです。 また、もうひとつの大きな特徴はいかにもアメリカのバンドらしく、ブル−スを彼らの表現の重要な基盤にしているという点なのでした。 それは、デビュ−アルバムのハ−トに火をつけてからジム・モリソン在籍のラストアルバム、L・A・ウ−マンに至るまで、随所に隠し味の如く点在して彼らの不思議な旋律に彩りを添えていました。 ジム・モリソンの手によってブル−スとシュ−ルレアリズムが意外なところで結実したのです。 現代の吟遊詩人ジム・モリソン、彼もまた惜しまれながら早すぎた旅立ちをしてしまったのですが、その思想をあの時代の結晶として音楽の中に残してくれました。 やがてその魂は、奇しくもニュ−ヨ−クの街に生まれたトム・ヴァ−レイン率いるテレヴィジョンへと引き継がれるがれることになるのです。 それも運命というものなのでしょうか。

 
グレイトフル・デッド

ウッドストック・フェスティバルを上回る観客を集めたロック・イベント、ワトキンス・グレンが開催された時に、ザ・バンドやオ−ルマン・ブラザ−スバンドは理解できたのですが、何でもう1つのバンドがグレイトフル・デッドなのという想いがありました。 こんな事を平気で言ってしまうとファンの方に怒られるかもしれませんが、それは私を含めて当時の日本のロックファンが抱いた素朴な疑問であったと思います。 リ−ダ−のジェリ−・ガルシアがウェストコ−ストでカリスマ的な存在であったと聞いてもピンとこなかったし、サイケデリックからカントリ−ロックへと音楽性を変えて行っても、その霧のかかったような不鮮明な音の良さが当時の私には解からなかったのです。 茫洋として伸びやか、そして曖昧さの妙味とでもいいましょうか、要するにカリフォルニアらしくスカッとはしてないんですね。 でも、その曖昧さが彼らの魅力としてアメリカでは多くの支持を集めているところでもあるのです。 やはりこれはアメリカと日本の趣向の決定的な違いであるのでしょう。 初めにブリティシュ・ロック有りきという世代からすれば、グレイトフル・デッドの音楽は少し物足りない印象が残るのも事実です。 しかしながら、ドラッグカルチャ−からするとドア−ズと並んで受け入れられる幻想性と不思議な浮遊感がありました。 日本人には理解できないのですが、ドラッグによるハイな状態で聴くととてもいいんじゃあないのかなという気がします。 フラワ−ム−ブメントが残してくれた自由という名の幻想を象徴していたのですね。 それは淡き夢でもありました。 また、若き日のオ−ルマン・ブラザ−スバンドがそうであったように1回のライヴで、5,6時間はザラに演奏してしまうという驚異的なバフォ−マンスもその一因であったでしょう。 ライヴが5,6時間も続くということはそれだけで感覚が麻痺してぶっ飛んじゃうのではないのかなと思います。 そういえば、何かのアメリカ映画の1場面で、ジェリ−・ガルシアはもう死んでしまったというセリフが出てくるシ−ンがあるのですが、この辺りにも彼らの人気の深さが滲み出ていると思いました。 

 
ポコとその仲間達−サウザ−・ヒルマン・ヒュ−レイバンド

ポコはまさに陽気で爽やかなカリフォルニア・サウンドの代表であり、イ−グルスが登場してくるまではカントリ−ロックの雄として幅広い人気を得ていました。 初代のリ−ダ−は伝説のバンド、バッファロ−・スプリング・フィ−ルドに在籍していたリッチ−・フュ−レイとジム・メッシ−ナだったのですが、こちらもバ−ズと同様にその後は数々のメンバ−チェンジを繰り返しています。 ポコというカントリ−ユニットの基に多くの有能なミュ−ジシャンが集い、集散を繰り返しながらポコの音楽を形作ったのですね。 その爽やかなハ−モニ−とカントリ−フレイバ−たっぷりの音楽が、私たちをウェスト・コ−ストへと誘ってくれたものです。 同じウェストコ−ストサウンドであってもイ−グルスのそれとは異質であり、どちらかといえばフライング・バリト−・ブラザ−スとの共通点が多かったように思います。 それは、バッファロ−・スプリング・フィ−ルドでは果せなかった2人の想いと見て取る事もできます。 私とポコの出会いは彼らのデビュ−からすると少し遅れていて、エピックから発売されたフロム・ザ・インサイドの頃になります。 当時はウェスト・コ−ストサウンドには傾倒していなかったのですが、太陽に向ってという歌が非常に新鮮で思わずアルバムまで買ったしまったことを憶えています。 明るくて軽快な印象とその裏の渋さ加減が妙に気になったりしました。 晩年では、シマロンの薔薇という傑作をリリ−スしてくれて健在な所を見せてくれたのですが、残念ながらその頃にはリッチ−・フュ−レイもジム・メッシ−ナも在籍していなかったのです。 で、リッチ−・フュ−レイがポコ脱退後にどうしたのかといいますと、同じくザ・バ−ズを脱退したクリス・ヒルマンやジャクソン・ブラウンと並ぶアサイラムの雄であり、かってはイ−グルスのグレン・フライとデュオを組んでいたこともある、ジョン・デヴィット・サウザ−とともにサウザ−・ヒルマン・フュ−レイ・バンドを結成します。 クリス・ヒルマンはザ・バ−ズを脱退した後に伝説の人グラム・パ−ソンズとかのフライング・バリト−・ブラザ−スを結成したり、スティ−ヴン・スティルスとマナサスを結成したりとこちらもウェストコ−スト・サウンドの歴史を地で行くような人でありましたね。 その、サウザ−・ヒルマン・ヒュ-レイバンドですが、こちらはポコよりもグッと骨太になってハ−ドでいて爽やかなカントリ−ロックを提供してくれました。 どちらかというとスワンプロックにも通じるような粘り気がありましたね。 このサウザ−・ヒルマン・フュ−レイ・バンドは最近では名盤探検隊のお陰で隠れたブ−ムが再燃したと聞いています。 そしてもう一人のジム・メッシ−ナはご存知の通りロギンズ・アンド・メッシ−ナを結成する訳ですが、面白い事にそのサウンドはボコよりもバッファロ−・スプリング・フィ−ルドに近いものがありましたね。 ジムにしてみれば原点への回帰という意味合いがあったのかもしれないですね。 そして、その彼はポコ一族の中では1番の成功をものにします。 バック・ミュ−ジシャンが良かったせいもあるのですが、コンビという限界を超えた奥の深い音楽性はおもわず唸ってしまうほどでありました。 

ジョ・ジョ・ガン

イ−グルスと同じ頃にアサイラムよりデビュ−し、非常に粘り気のあるそれでいてやはり爽やかなウェストコ−ストサウンドを聴かせてくれたのがジョ・ジョ・ガンという小粋なバンドです。 名前は変てこですがアサイラムのバンドにしては珍しくハ−ドな演奏と重たい音がその特徴で、久しぶりにカリフォルニアから乗りの良いバンドが出てきたなという印象でした。 デビュ−アルバムの中の1曲ラン・ラン・ランは彼らの成功を予感させる名曲でしたね。 このジョ・ジョ・ガンはウェストコ−ストサウンドという先入観を持って接すると、ストレ−トなリズムに強烈なカウンタ−パンチを喰らってしまうと思います。 ドゥ-ビ−・ブラザ−スほどファンキ−ではないのですが実に小気味良い歌を聴かせてくれました。 どちらかといえばスワンプロックに近い感覚でしょうか。 でも、その思いも寄らない落差が彼らの魅力でもありましたね。  そういえばバ−ン・スト−ム時代のジョ−・ウォルシュにも通じるような乾いたメロディ−とア−シ−なサウンドも見せてくれて、その旋律は西海岸にしては極めて異質な趣がありました。 同じカリフォルニアの風であっても少し強めの季節風といったところでしょうか。 その音楽性もさることながら気骨溢れるナイスガイと思しき風貌は、かなりブリティッシュ・ロッカ−達を意識しているなと見て取れます 実際、音の端々からはまるでハンブル・パイのようなフレ−ズも飛び出してくるので、何も知らずに聴いてしまうとブリティッシュ・ロックと間違えてしまうかもしれませんね。 そういえば、彼らのデビュ−アルバムは確かイギリスのEMIでレコ−ディングしておりました。 ジェイ・ファ−ガソンを初めとしてみんなその辺の音が好きだったんですね、やっぱし。 

  ネッド・ドヒニ−

幻想と解かっていても暫し夢の中に浸りたい、そんな時ってあると思いませんか。? 振り返ってみると、あの時代のウェストコ−ストサウンドにはそんな切ない想いが散りばめられていたのです。 このネッドドヒニ−も、どちらかといえばAORのア−ティストと受け取られていますが、名作アルバム、ハ−ド・キャンディはカリフォルニアの香りに包まれて爽やかな風を運んでくれました。 それはウェストコ−ストだから生まれ得たサウンドだったのです。 降り注ぐ太陽を連想させるような明るい陽射し、彼の屈託のない笑顔、そして蒼い空。 そこで描かれていたのは、当時のウェストコ−ストに行けば誰でも目にすることが出来た海辺の風景。 全てが希望に溢れていた、そういう時代があってもいいでしょう。 
ネッド・ドヒニ−に関する詳しい解説はこちらへ


 ガイ・クラ−ク

男たちの歌があった。 流れてゆく者も、とどまる者もそれぞれの想いを秘めた懐かしい歌が。 そこにはまだ浪漫という言葉が良く似合う酒場があって、旅立つものを優しく祝福してくれるという。 ガイ・クラ−クの音楽には、そんなひと時代昔の情緒とロマンティシズムを彷彿とさせる世界があります。 そんな彼の名作アルバム、オ−ルドNO・1で綴られるのは、郷愁を刺激し、夢を掻き立てながらも朴訥とした何気ない日常。 何の装飾もない朴訥とした歌声が心を揺さぶってくれるので、思わずバ−ボンに溺れてみたい気になっちゃうのです。 ちょっと、感傷的過ぎるでしょうか。? 私たちは彼の純粋な歌に共感し、彼の世界にすんなりと感情移入できるのです。 あの遠い日々から旅立って、私たちは何処からここまで来てしまったのでしょう。 もう、30年程昔、そう、私もまだ若かった頃に、カヴォという長崎のライヴハウスでこのアルバムを聴いた時の感激や熱い想いが、また再び込み上げて来るのは年をとってしまった証拠でしょうか。 多分、あの時代のような純粋な気持ちは持てないのでしょうが、歌は時代を創り、大切な想いを閉じ込めてくれます。 もし、このアルバム納められている、L.Aフリ−ウェイに涙しない人が居たとしたら、もう音楽なんてこの世に必要がないと思える程の名曲名のではないでしょうか。 そんな天使の歌を始めとして、ザット・オ−ルド・タイム・フィ−リング、シ−ズ・エィント・ゴ−イング・ノ−ホェア−、ライク・ア・コ−ト・フロム・ザ・コ−ルド等胸が詰まるような素晴らしい歌が凝縮されています。 ガイ・クラ−クが届けてくれたこの名作を私たちは後世に語り継がないといけない、このアルバムはそんな真摯な気持ちにさせてくれる逸品なのです。 そんな名盤ってめったにないでしょう。?


 ブレッド

昨日、通り過ぎた想い出は、あなたの眼差しにさえ移らない。 何故なら、それは、切ないほどの初恋に似ているから。 カリフォルニアの爽やかな風と、青い空を残したまま暮れ行く景色。 そして、凛として透明感のある世界と美を織り込んだ空間を構築していたのがブレッド。 そんな彼らの歌の数々は、私たちが想い出をめくるより、青春の一時期にこそもっとも相応しい旋律なのかもしれません。 デビッド・ゲイツ率いるこの素敵な集団は、そのヒット曲の多さ故に、ともすればポップ・グル−プのように語られていましたが、実は上品で趣のあるウェスト・コ−スト・ミュ−ジックを奏でるグル−プだったといえます。 忘れようとしても、忘れられない大切なもの。 それこそがブレッドの音楽でした。 澄み切った空気のようなメロディ−に乗せて、若き日の人生が語られてゆくのです。 私たちは、余分な先入観を捨て、美しすぎる時間を過せばいいのではないでしょうか。 






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