たかがポップスと侮るなかれ、軽く見てしまうとその本質の素晴らしさを
永久に認識できずに終わってしまう不幸が待っています。
例えばビ−トルズを批判する人は誰もいないように、その煌めくような輝きは
次の世代へと語り継がれるべき資格を充分に持ち合わせているのですから。

ア メ リ カ 編

1・ ナッズ
2・ クリスティ−
3・ ラズベリ−ズ
4・ エミット・ロ−ズ
5・ ゲス・フ−
6・ ニック・ギルダ−
7・ マイク・ネ・スミス&ファ−スト・ナショナルバンド
8・ フォトメ−カ−
9・ ラヴィン・スプ−ンフル
10・ グリン
11・ アメリカ
12・ ア−ジェント
13・ ハミルトン、ジョ−フランク&レイノルズ
14・ グラス・ル−ツ
15・ フォ−シ−ズンズ
16・ タ−トルズ
17・ 1910フル−ツガム・カンパニ−&ル−・クリスティ−
18・ ア−チ−ズ&カフ・リンクス
19・ ユ−クリッド・ビ−チ・バンド
20・ モンキ−ズ

  ナッズ

早すぎた時代の中で煌めいて、静かに終焉すること。 私たちは人生の中でいつもそういった不条理に出くわしてしまいます。 奇才トッド・ラングレンが在籍した事でその解散後に注目を浴びるようになったナッズ。 彼らはポップグル−プの中でも当時としては珍しく先進的で斬新な音作りを行っておりました。 ですから、ナッズの世界は単なる心地よいポップミュ−ジックというよりも、さすがはトッド・ラングレンと思わせるほどの、旋律に対するしつこいまでの美意識が散りばめられていました。 ポップでソウルフルな爽やかさをトッド・ラングレンというフィルタ−に通すと、芳醇で濃厚なナッズの歌が誕生しましたとそんな風に言えそうですね。 しかし、ここまでトッド・ラングレンづくしでいいのかなという危惧もいたしますが、それだけの才能を持ち得ていたので当然といえば当然なのでしょう。 その後のソロ活動の原点がここで生まれていたと思われますし、彼の型にはまらない独自の作風が芽生えています。そんな彼らのこのセカンド・アルバムでは、早くもトッド・ラングレンのその豊かな才能が開花した感があり、万華鏡のような上質のポップミュ−ジックを届けてくれました。 後に発表した 魔法使いは真実のスタ−のアイデアがあちらこちらに隠れているんですね。 流れるような軽快な演奏の中に、時としてはっとするようなプログレッシヴな演奏もあり、やはりトッド・ラングレンさんは只者ではないなと驚かされます。 きっと、音に対する拘りと言うのは相当なものなのでしょうね。 この極上のポップミュ−ジックはトッド・ラングレンファンであれば絶対見逃してはいけない1枚だと思います。 

  クリスティ-

あの時に探しておいた大切なものをもう一度探しに行きましょう。 黄色い川を渡って。 今やすっかり幻のグル−プとなってしまったクリスティ-は、C・C・RよりもC・C・Rらしいカントリ−フレイバ−満点のポップな音楽をその身上としておりました。 イエロ−・リバ−や想い出のサンバ−ナディ−ノで見られるポップなグル−ヴ感というのはC・C・Rの上を行っていたかもしれませんね。 クリスティ-の旋律はC・C・Rの名曲ロディやフ−ル・ストップ・ザ・レインの世界を想像していただければ良いのかなと思います。 それほど、まるで風のように軽快に流れていく音が素晴らしかったですね。 特に、日本でもある程度はヒットしたイエロ−・リバ−は絶品ですよ。 1970年代に青春を過された人ならばきっとあの軽快でワクワクするようなメロディ−を憶えていらっしゃることでしょう。 一度聴いたら忘れられないような魅力がありましたね。 実は私何を隠そうこの曲に打ちのめされてまして、すっかりクリスティ-の虜になってしまった時期がありました。 その時に彼らのLP買っときゃあ良かったなと今は後悔の嵐です。 ここに展示しているのは唯一私が所有しているクリスティ-のコンパクトレコ−ドであります。 若い人にはおそらく馴染みがないでしょうが、当時コンパクトレコ−ドという4曲入りのミニ・アルバムがあったのです。 多分、今では世界中の何処を探してもクリスティ-のLPはおろかCDさえも見つからないのではないでしょうか。 もしかしたら、CDはまったく発売されていないかもしれません。 すっかり歴史の果てに追いやられたような感がありますが、こなん素晴らしいポップミュ−ジックは滅多に見あたりませんよ。 こういうアルバムこそ是非とも名盤復活シリ−ズで取り上げて欲しいものだと思いますので、CBSソニ−さんどうかよろしく。

 ラズベリ−ズ

春の息吹は何時の間にか私たちの周りに溢れています。 ですから春は唐突な季節。 丁度ラズベリ−ズが登場して来たときもそんな唐突な素晴らしさに包まれていました。 東のイギリスにはバッド・フィンガ−があり、そして、西のアメリカにはラズベリ−ズがあったといわれるほど両者は其々の国を代表するほどのポップバンドでありました。 ポップバンドというと、どうしても玄人筋の皆さんからは問題にされないし、偏見の目で見られることも多々あるのですが、私は音楽の原点は絶対ポップミュ−ジックにあると常々思っています。 皆初めはここからスタ−トするんですよね。 そして、ハ−ドロックやプログレやジャズとかに進んで行くのではないでしょうか。 という訳でラズベリ−ズなんですが、彼らについては日本でもかなりのヒットを飛ばしたので、もうほとんどの皆さんがご承知でしょうから多くは語りません。 やはりエリック・カルメンの作り出すそのメロディ−はいつ聴いても一級品です。 野イチゴのフレ−バ−たっぷりの爽やかで甘いメロディ−は時として、糖分過多に陥らないようにしなければいけないのですが、たまには摂取しないと体に悪いのですね。 そしてポップでありながらも、私たちを刺激するかのように適度にハ−ドで、適度にドライヴするからその心地よさが溜まりませんね。 まさに良質のポップミュ−ジックここにありといった感がありました。彼の作る旋律にはアメリカらしい爽快感や前向きな姿勢がが漂っていて、真っ当に対峙してもちゃんと受け止めてくれる優しさがあるのです。 この辺がアメリカらしいんですよね実に。 それがイギリス辺りのポップバンドになるとここのところがいい具合に捻じれちゃっているんです。 どちらがいいという訳ではありません、それは両国の気質の違いというものなのです。 ソロになってからも相変わらず素晴らしいメロディ−を届けてくれていますが、どうしてもラズベリ−ズ時代のあの爽快感には欠けていると思っていました。年齢のせいなのでしょうか。 でしたら、もう一度ラズベリ−ズを再結成したらどうかなと思うのは私だけではない筈ですね。

  エミット・ロ−ズ

静かながら力強いピアノのイントロに導かれてエミット・ロ−ズの不思議な世界が幕を開けます。 彼はビ−トルズの正当な継承者たる輝く才気と豊潤なイメ−ジに溢れ、上質のポップミュ−ジックを奏でてくれました。 もし、コンポ−ザ−としてポ−ル・マッカ−トニ−以上の才能の持ち主は誰かと尋ねられたら、私は躊躇なくエミット・ロ−ズの名を上げるでしょう。 その、驚愕するような素晴らしい才能は天上の国からの贈り物のような気がしてしまいます。 彼は1970年初頭に僅か数枚ながらも歴史に残る名作をリリ−スしたものの、当時のシ−ンからは遠くかけ離れたところに置かれていた不遇の人でありました。 あと数年早くデビュ−を飾っていたならば、おそらく世界中からその才能が注目されて、アメリカを代表するビッグなア−ティストになっていたのは間違いないでしょう。 不幸な事に時代が少しだけずれてしまったのですね。 時のシ−ンはというとプログレッシヴロックやハ−ドロックが台頭して来て、新しい時代が始まる予感に世界中が揺れていたのです。 ポップスはどちらかといえば、思想性のない飾り物のような不当な扱いを受けておりました。 しかし、時代がどうであれ独特の気品を感じる豊かで優しい旋律は、エミット・ロ−ズの持ち味でありまして、まるで草原を渡る風のように爽やかです。至玉のメロディとはこういう音楽のことを呼ぶのだと思います。 このエミット・ロ−ズの不思議な世界と題されたレコ−ドは、最初から最後までまったく捨て曲なしの輝ける超名盤でありました。 もし何処かでこのレコ−ドかCDに出会ったならば迷わず即買いです。 買わないと一生後悔すると思いますよ。 幸い輸入盤でも割と容易く手に入りますので、ぜひご観賞をとお薦めいたします。 

 ゲス・フ−

ゲス・フ−をポップミュ−ジックの仲間に加える事に、おいおいと憤慨なさる御仁もお越しのこととは思いますが、実は何を隠そうそのハ−ドでア−シ−なサウンドの中にも潤沢で良質のポップスが煌めいていたのです。 彼らの創生するメロディ−には極上で独特の個性がありました。 極北のカナダの出身という生い立ちのせいか、アメリカで成功したバンドにしては珍しくそのメロディ-や節回しに哀愁を帯びていたのですね。 もちろん、当然のことながらブル−スのハ−トも忘れていません。 隠し味みたいに見え隠れする土の香りのするセンスが溜まらないんですこの人達。 ゲス・フ−の虜になってしまう人はこの辺りに遣られてしまうんですよね。 人の心を掴み取るための、およそ考えられる全ての才能を持ち合わせていたといえば言い過ぎでしょうか。 しかしながら、アメリカでの大成功とは裏腹に日本に於いては正当な扱いを受けたとは言い難いものがありました。 この辺りのとても粋でありながら掴み所のない音というのは、日本では一番売れにくいのですよね。 従って手に入るCDも限られていると思います。 私などは数年前、某雑誌の通販の広告で2枚組の輸入CDを発見して狂喜乱舞した覚えがあります。 代表曲アメリカン・ウ−マンを筆頭にジ−ズ・アイズ、ノ−タイム、世界をわが手に、シェア−・ザ・ランド、ハング・オン・トゥ・ユア・セルフ、レイン・ダンス、ハ−ト・ブロ−クン・ボッパ−、ウルフマンに拍手を等と、まだまだ出るよ金太郎飴みたいなヒット曲大連発の驚愕マシ−ンでありました。 特にシェア−・ザ・ランドの泣きのメロディ−は何度聴いても泣けてしまいます。 あ-私も年を取ったのかなあ。 一時のゲス・フ−の勢いといったらどれだけ売れれば気が済むのといった感じなのでした。 しかしそのどれもが実に渋さと豊潤な味わいがあって、ビ−ルのつまみにはピ−ナッツとスルメだよみたいな正統派の気品がありましたね。 そういえば、ビ−ル飲みながら聴くと絶対最高ですよ。 

 ニック・ギルダ−

何時の時代でも未来は輝いているかのような幻想を抱いてしまいますが、彼のポップセンスにはなお一層その思いに駆られる響きがありました。 その人とは、知っている人は知っているけど、知らない人はまったく知らないという、なんだか禅問答のようなニック・ギルダ−であります。 1978年、それまで輝き続けていた黄金の1970年代も終焉を迎える日を待ちながら、猥雑として混乱していた当時のシ−ンを切り裂いてニック・ギルダ−は私たちの前に現れました。 まったく無名であったにもかかわらず、突如としてホット・チャイルド・イン・ザ・シティの全米NO・1ヒットを飛ばし、一体彼って何者なのと疑問を抱いておりましたら、あ−何ということか何時の間にか消え去ってしまったのです。 何という去り際の良さ。 リズムがタイトで、アンサンブルは超キュ−ト。今の時代カッコイイのはこういう音さと言いたげな未来派ポップでした。 そして、その可愛げで甘いマスクとは裏腹にヒステリックで金属製の鋭い声との、何ともいえないアンバランスが溜まりませんでしたね。 また、どの歌も非常にポップで上品で心地よく出来ていたんだですこれが。 ただ、私たちの琴線に触れるメロディ−の裏側には、コンピュ−タ−世代特有の充分に計算しつくされた思想を感じてしまいます。 ニック・ギルダ−恐るべしといった感のする破格の才能の持ち主だったと思いますね。 感性を刺激するようなエレクトリックで洗練されたメロディ−は時代の最先端を突き進んでいました。 そして、未来の革新的なポップミュ−ジックの方向性はこうあるべきだと私たちに教えてくれたのです。 凝縮された未来、一言でいってしまうとそれがニック・ギルダ−の世界なのですね。 その不思議な旋律に誘われて聴き込んでいくうちに、退廃的にトリップするような、たおやかな感覚に苛まれます。 罠に嵌っちゃいますね何時の間にか。 それも飛びっきり素敵な罠に。  

 マイク・ネ・スミス&ファ−スト・ナショナルバンド

元モンキ−ズのマイク・ネ・スミスが結成したマイク・ネ・スミス&ファ−スト・ナショナルバンドは、どちらかといえばポップグル−プというよりも純粋なカントリ−バンドです。 マイク・ネ・スミスのカントリ−ミュ−ジック志向はモンキ−ズ時代からつとに有名でありまして、そのモンキ−ズ時代にもリッスン・トゥ・ザ・バンドなるポッブ&カントリ−の秀作を発表しておりました。 、彼の才能はカントリ−のみに留まらず一級品のポップミュ−ジックをも披露できるほど優れていたのです。 今でも懐かしく思い出されるのですが、深夜放送のラジオからマイク・ネ・スミス&ファ−スト・ナショナルバンドのシルバ−・ム−ンが聴こえて来た時の感動を忘れはしません。 唐突で新鮮な喜びと心地よさ。 そんな感覚でしょうか。 本当にいいんですこの歌。 あのサビの部分が溜まんないなという感じなんですね。 そういえば当時日本でも大ヒットしたなあ。 オリジナル・キャストのミスタ−・マンディ−とか、ジェリ−・ウォ−レスの男の世界とか、ショッキング・ブル−の悲しき鉄道員とかがヒットしていた頃ですね。 あ-自分で回想しながら思わず懐かしくなってしまいます。 そのシルバ−・ム−ンは哀愁のあるポップなメロディ-に、カントリ−独特の軽快なリズムが弾んで思わずウキウキしてしまうほどの優れた名曲でした。 また、彼の声もモンキ−ズ時代とは打って変わって鼻にかかったあのカントリ−独特の声になりきっておりましたね。 う-ん、よっぽどカントリ−好きなのでしょうこの人。 ポップ・ミュ−ジックの場合はこのウキウキという感覚が非常に大事な要素なのですね。 体が自然に動いて口ずさみたくなるような旋律。 それが命なんです。 また、その次のシングル、ネバダ・ファイタ−もタイプこそ違えナイスな歌でありました。 惜しむらくはその後のヒットに恵まれず何時の間にか忘れ去られてしまったことです。 また、もう一度復活して元気な声を聴かせて欲しい人ですね。

  フォト・メ−カ−

風が吹き抜ける時、忘れていた何かを想い出すことがありませんか。 都会的なセンス溢れるバンド、ラスカルズのジノ・バネリ、ジ−ン・コ−ニッシュ、の2人にパワ−・ポップの雄ラズベリ−ズのウォ−リ−・ブライソンらが集まって結成したのがフォト・メ−カ−というス−パ−ポップパンドでした。 知る人ぞ知るといった感のあったフォト・メ−カ−ですがそのポップセンスは超一流でありまして、誰にも教えたくないほどの洒落た隠し玉でありました。 よくあるじゃないですか、このバンドだけは誰にも教えないで自分だけの秘密にしておきたいと。 そんな雰囲気でしょうか。 ところで、彼らは輝ける前歴を持ちながらもそのデビュ−までにかなりの苦労があったと聞いています。 あの頃はロック界全体が全ての可能性が出尽くしてしまったかのような閉塞的な状況だったのですね。 そんな中でのポップバンドのデビュ−に関して大手のレコ−ド会社であっても躊躇したというのは仕方の無いことだったのでしょう。 もう5年早かったら違った状況であったと思います。 しかし、そのフォト・メ−カ−ですが1977年というポップバンドにとっては端境期のような過酷な時代にもめげず、素晴らしいメロディ−ラインで私たちを魅了してくれたのです。 都会の中でほっとした安らぎを求めたい時にもっとも適していた音なのかもしれません。 甘すぎずかといって辛口でもない程よい口当たりが心地よく、ラスカルズの延長線上にある粋なシティポップが爽やかな風のように、贅沢なひと時へと誘ってくれました。 これといった大ヒットがあった訳でもないのですが何故か印象に残っているといったような不思議なバンドでしたね。

  ラヴィン・スプ−ンフル

その後のウッドストックミュ−ジックの到来を予感させるような大人のポップを奏でていたのがラヴィン・スプ−ンフルでした。 リ−ダ−格であったジョン・セバスチャンの才能は誰もが認めるところなのですが、そのすば抜けた資質は時代を先駆けていた感がありましたね。 1960年代後半という時代においては成熟し過ぎていたのです。 まだ若かった私らがちょっと背伸びをしたい時にラヴィン・スプ−ンフルのことを話題にしたいようなポジションなんですよね。 その大人っぽくてカッコいいなあといった感覚は解かる人には解かるのですけれど、ともすれば余りにも優しすぎるメロディ−がその足かせともなっていたのは確かです。 つかみ所の無い苛立ちを覚えた方も多かったことでしょうね。 しかし、ドゥ・ユ-・ビリ−ヴ・イン・マジックの懐かしさと切なさがブレンドされた旋律は青春という言葉そのままに、アメリカでも日本でもあの時代の象徴でありました。 誰もが通り過ぎるべき運命のように爽やかであったのです。 この歌を聴くたびにあの時代が鮮やかに蘇る人は私だけではない筈ですね。 また、ユ-・ディドゥント・ハヴ・トゥ・ビ−・ソ−・ナイスやディ・ドリ−ムの茫洋とした優しさや軽やかさも飛びっきりでありましたね。 午後のティ−タイムにでも共にしたいような品位と親しみやすさが、私たちの心をほっとさせてくれます。 都会の喧騒を忘れさせてくれるシティポップ。 思えば、ラヴィン・スプ−ンフルの魅力というのはそのままジョン・セバスチャンの人間としての魅力であったのかもしれません。 彼の優しさをそのまま音楽に変えたのがラヴィン・スプ−ンフルであったのですね。 彼らのコンセプトはやがてフィフス・アベニュ−・バンドという最高のバンドのもとで花開く事になります。 それはニュ−ヨ−クの素晴らしい夢でした。

  グリン

私のもっとも好きなギタリストの一人であるニルス・ロフグレン、その彼が自らの永い経歴のデビュ−を飾ったバンドがこのグリンといういかしたポップバンドであったのです。 彼ほど永いロックの歴史の中に於いて縦横無尽にかつ自由奔放な活躍を見せた人も珍しくて、あらゆるロックのタ−ニング・ポイントに彼の姿を探すことが可能でありました。 そのパ−トナ−はある時はニ−ル・ヤングであったり、ある時はブル−ス・スブリングスティ−ンであったり、またある時はロ−リング・スト−ンズであったりと恒にロックの重要な現場に立ち会っていたのですね。 その彼の全ての資質がこのグリンというバンドの時代に芽生えていたのだと思われます。 カントリ−からハ−ドロックまで卒なくこなしてしまう彼は、その天才的な器用さがややもすると彼自身の足かせとなることもあるのですが、ポップな感覚とア−シ−なリズムの素晴らしさは特筆ものでありました。 類まれなき才能を早くも開花させたような名曲ライク・レインは、自らがソロ活動を行うようになってからも取り上げており、彼の代表作の1つに数えられると思います。 程よいポップさとロックンロ−ルのハ−トを兼ね備えたこの歌は彼のポップセンスの素晴らしさを証明しておりました。 また、ホワイト・ライズという佳曲では甘いメロディ-にも関わらず骨太なニルス・ロフグレンのヴォ−カルが絶妙な味を出しています。 どの歌を取り上げてもただのポップでは終わらない力強さがありましたね。 日本でもヒットしたディレクションは後年の彼のソロ活動の指針となるようなサザンフィ−バ−満点のハ−ドポップです。 ニルス・ロフグレンの出発点となったこのバンドは、今の時代になってこそ評価されるべきバンドであったのかもしれません。

 アメリカ

名前のない馬という歌が大ヒットした時に一番印象に残っていたのは、ニ−ル・ヤングによく似ているなあという漠然としたものでした。 確かに声の質が似通っていましたからね。 メディアに於いても最初はそのグル−プの名前がアメリカということや、アメリカとネ−ミングしながらもイギリスでデビュ−を飾ったりといった、どちらかといえば彼らの音楽性と関係の無い話題が先行していたのです。 しかしながら、じっくりとアメリカのデビュ−アルバムを聴いて見ると驚く無かれ、その天性の才能とメロディ−の鮮やかさにびっくりしてしまいました。 続く2作目のホ−ム・カミングも新人らしからぬ素晴らしい作品で、メロディ−メ−カ−としてのアメリカの実力をいかんなく発揮しておりましたね。 特に1曲めのヴンチュラ・ハイウェイの素晴らしさといったらもう筆舌に尽くしたいぐらいで、これは凄いバンドが現れたぞと驚愕の日々だったのです。 アコ−スティックギタ−のリズミカルなイントロに誘われて、まるでハイウェイを疾走して行くような爽やかな感覚に包み込まれます。 こんな軽やかでなおかつ心にズシリと響いてくる感覚は初めてだったので、それから暫らくは彼らのアルバムを聴きまくっていたことを憶えていますね。 また、河を渡るなや君だけの心にといったポップな歌も甘すぎず実にフレッシュに聴かせてくれました。 この時代のアメリカはアコ−スティックで素朴な音とコマ−シャルな感性が見事に融合していたのです。 新鮮という言葉は彼らの為にあったのでしょう。 そんな彼らですが、4作目のホリディくらいから叙所にポップな色彩が強くなっていきます。 それに伴って、この頃から頻繁にストリングのアレンジが目立つようになりました。 それは、ホリディからプロデュ−スを担当するようになったあのジョ−ジ・マ−ティンの影響が少なくなかったと思われます。 デビュ−当時の爽やかな感覚を懐かしむ声も多かったのですが、オ−バ−プロデュ−スながらも極上のポップミュ−ジックでありましたのでセ−ルス的には大成功を治めることになるのです。 彼らの最高傑作は5作目のハ−トでしょう。 金色の髪の少女やシンプルライフを初めとして素晴らしすぎるポップスのオン・バレ−ドで、最初から最後まで捨て曲無しの大名盤でありました。 今でも時々聴いて見たくなる素晴らしいアルバムですね。

  ア−ジェント

ラス・バラ−ド、ロッド・ア−ジェントという優れたソングライタ−を配しながらもあまり実績を上げられなかったア−ジェント。 ゾンビ−ズの幻影に縋り付いていなかったのは、潔しとしなければいけないでしょう。 そんな彼らですが、名曲ホ−ルド・ユア・ヘッド・アップがアメリカのヒットチャ−トを賑あわせたこともあったのです。 本人達の思惑はどうであれ、これは売れるだろうなと珍しく思わせる、新感覚のポップソングでした。 もともとはゾンビ−ズで培われた感覚をもっとミステリアスにした時に、このア−ジェントの独特な世界が出来上がったのだと思います。 彼らの歌にはいささかプログレッシヴすぎるきらいもあったのですが、このホ−ルド・ユア・ヘッド・アップではそんな迷いを払拭してポップに徹しきる潔さが見えています。 どことなくゾンビ−ズ細大のヒット2人のシ−ズンの幻影もちらついているのですが、でもそこはそれア−ジェントらしい捻りも決して忘れては居ません。 先進性とコマ−シャリズムが理想的な形で結実して、彼らの数多い歌の中でも最大のヒットを記録します。 それも独自のコンセプトを携えて。 また、ゴッド・ゲイヴ・ロックンロ−ル・トゥ・ユ−は彼らのスケ−ルの大きさを感じさせる名曲で、時としてクイ−ンの幻影も顔を覗かせています。 そんなア−ジェントなのですが、ラス・バラ−ドが脱退してからというものはロッド・ア-ジェントのプログレッシヴな思想のみが先行し過ぎるきらいがありました。自分達のスタンスを何処に位置付けるのかまだ見えてないようで、困惑しているところもあったのです。 私には、ホ−ルド・ユア・ヘッド・アップの延長線上の位置が彼らの辿り着くべき場所だと思えたのですが。 そんな彼らの最高傑作は何と言ってもイン・ディ−プでしょう。 ひとつひとつの曲が独立していて素晴らしかったし、アルバムとしての纏まりも一番だと思います。 ア−ジェント解散後はソロとしても活躍をみせたロッド・ア-ジェントなのですが、残念ながら陽の当たる場所からは遠のいてしまいました。

  ハミルトン、ジョ−フランク&レイノルズ

華やかに登りつめていく時代というのは、ポップソングであっても一流の物を生み出して行くものなのです。 全てが上昇志向で有り得た1970年代を象徴するかのようなポップロック、それが、ハミルトン、ジョ−フランク&レイノルズの恋のかけひきという歌でした。 一見何の変哲も無い普通のヒットソングのようなのですが、限りなく無く広がっていく時代であればこそ、その重要性が際立った歌であったのです。 その爆発的なエネルギ−は感性を刺激するには充分で、およそ売れていくポップソングの全ての条件を満たしていたと思います。 初めに軽快なメロディ−と秀逸な歌ありきなのです。 ともすれば、商業的過ぎるとの批判もあるのですが、それも1つの表現として認めるべきでしょう。 思えばこんな単純でなおかつ、心を揺り動かしてくれる素晴らしい音楽が全米TOP1に輝く良き時代だったのですね。 当時、この歌の広告に 「この歌は録音と同時にゴ−ルドディスク認定 」とうたわれたことは余りにも有名なエピソ−ドです。 この後もアナベラやデイジ−・メイ等のスマッシュ・ヒットはあったものの、ご多分に漏れず一発屋で終わってしまいました。 しかしながら、例えばア−ケイドの愚かな愛や、マッシュ・マッカ−ンの霧の中の2人、それにサンディ・コ−ストの恋はまぼろしなどと較べても、その存在感が飛びぬけて板と思います。 私たちがポップソングに出会う前のあのわくわく感というのは一体何なのでしょう。 思えば、まだ見ぬシングル盤の名曲を探してレコ−ド屋さん探し歩いたことが懐かしく感じられてしまいます。 ですから、私のロックの原体験とはポップソングだったのではないでしょうか。 それがロックに辿り着く衝動となって今の私があるような気がしています。 

  グラスル−ツ

私の中では極めて評価の高いポップク゜ル−プ、それがダンヒルサウンドの雄グラスル−ツでした。 ダンヒルサウンドと聞いただけで懐かしさと想い出に包まれて、わくわくしてくる御仁は相当なポップファンだと思います。 当時の西海岸の良質のポップソングと爽やかなフレ−バ−を届けてくれた彼らは、まさにカリフォルニア・サウンドの申し子であったのではないでしょうか。 私とグラスル−ツとの出会いは恋はすばやくというシングルレコ−ド。 初めて聴いた時にその上質なポップ感にノックアウトされまして、暫らくは彼らのレコ−ドを捜し歩く日々が続きました。 彼らのサウンドはアメリカそのもの。 現に本国アメリカでは相当なな人気とステイタスを誇っていました。 それに較べ日本での評価は極めて低く大ファンの私としては腹立たしいことも多かったのですが、私だけの隠し球としてそっととって置きたい複雑な心境があったのも事実です。 ポップファンはそういうところありますよね。 ですから、グラスル−ツのヒットシングルを集めたベストアルバムは今でも私の大事な宝物としてレコ−ド棚を飾っています。 しかしながら、何分レコ−ドのこと聴き込み過ぎるとチリチリという雑音が気になって溜まりません。 最近になってやっとCD化されたのでホッと胸をなでおろしているところです。 やれやれ。

  フォ−シ−ズンズ

フランキ−ヴァリ率いるフォ−シ−ズンズはビ−チボ−イズ張りの爽やかなハ−モニ−でアメリカの香りを届けてくれました。フランキ−ヴァリのファルセットヴォイスとコ−ラスが夏の日に良く似合っていましたっけ。 シェリ−、恋はやせがまん、恋のハリキリボ−イといった初期のヒット曲も中々のものなのですが、長い間数々のア−ティストに歌い継がれてきた君の瞳に恋してるも実はフォ−シ−ズンズのフランキ−ヴァリがオリジナルでした。 1970年代にはボ−イズ・タウン・ギャングの歌で大ヒットしましたよね。 また、ベイシティロ−ラ−ズの歌でも大ヒットしたバイバイベイビ−も彼らがオリジナル。 そんなフォ−シ−ズンズのヒット曲の中では私は悲しきラグド−ルという歌が一番好きでした。 切なさと甘さが程よくミックスされていたと思います。 ポップスはその時代の語り部、難しいコンセプトなど必要ないのです。 色褪せてしまったような想い出の中に懐かしさを探し出しましょう。 誰でもが胸に秘めた日々。 ポップスよ永遠に。   


 




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