
アメリカの心の歌ル−ツミュ−ジック。その素朴な響きに導かれて
果てしない流離いの旅の哀愁を、探求して見たいと思います。
1・ ライ・ク−ダ−
2・ ジェシ・デイヴィス
3・ ロ−リング・スト−ンズ・イン・レット・イット・ブリ−ド
4・ リトルフィ−ト
5・ ジム・ディッキンソン
6・ ジェフ・マルダ−
7・ ジュ−シ−・ル−シ−
8・ レオン・ラッセル
9・ アラン・トゥ−サン
10・ アメリカン・フライヤ−
11・ グレン・キャンベル
12・ アメイジング・リズム・エイセス
13・ J・J・ケ−ル 以下近日登場
14・ ダン・ヒックス&ホット・リックス
15・ ダグ・サ−ム&バンド
ライ・ク−ダ−
放浪の轍、アメリカンル−ツミュ−ジックの底辺は限りなく広く、そして広大なアメリカ大陸の如く果てしなく続いております。生まれ育った土地を懐かしむ素朴なメロディ-は私たちの魂を呼び覚まし、おそらくは、遠い祖先から受け継いだであろう伝統を認識させてくれるのです。 アメリカにおけるル−ツミュ−ジックの存在は、私たちが想像も出来ないほど人々の真髄にまで染み渡っていて、日常の生活の糧として愛されているのだと思います。そのアメリカンル−ツミュ−ジックの元祖というとやはりこの人ライ・ク−ダ−でありましょう。 最近では、あの大ヒットしたブエナ・ヴィスタ・ソシアルクラブのプロデュ−スで一躍時の人となりましたが、彼は古くからル−ツミュ−ジックの開拓者として知られており、その方面の音楽愛顧家にとって神様のような存在だったのです。 また、もう1方ではスライド・ギタ−の名手として手腕を買われ、数々のセッションに参加し歴史に残る名演を演じてきました。かってロ−リング・スト−ンズとジャミング・ウィズ・エドワ−ドのセッションを行い、ライ・ク−ダ−のスライド・ギタ−のあまりの素晴らしさに感嘆したスト−ンズが彼のフレ−ズを真似て、テクニックを盗まれたという物議を醸したことも今では彼の伝説となっています。 あの当時はすべての名盤の影にライ・ク−ダ−とニッキ−・ホプキンスありと云われた位、傑出したテクニックと一味違う感性を披露してくれたものです。 また、ライ・ク−ダ−の素敵な声は程よく哀愁を帯びて、枯れた人生のように渋くもあり、まさにル−ツミュ−ジックを歌うために生まれてきたと言っても過言ではないでしょう。 一言にル−ツミュ−ジックといってもライ・ク−ダ−の場合にはフォ−ク、ブル−ス、カントリ−等の真のル−ツミュ−ジックから、果てはハワイアン、ラテン、テックスメックス、民族音楽にまでと非常に幅広い範囲を持っておりました。 その彼はデビュ−アルバム、ライ・ク−ダ−を発表した時からこの21世紀に至るまで膨大な音源を残してくれているのですが、一番油が乗っていたと思えるのはやはり、流れ者の歌、パラダイス・アンド・ランチ、チキン・スキン・ミュ−ジック等をリリ−スした1970年代前半の頃でしょう。 伝統的なフォ−ク、ブル−スをライ・ク−ダ−独自の視点で分解した流れ者の歌は、非常に素朴で朴訥としているのですが、放浪の旅に憧れる心の琴線を刺激してくれ、何処までも遥かな夢を追い続けたくなってしまいます。時折ウディ・ガスリ−の影を感じてしまうのは私だけでしょうか。 哀愁の余韻を残しながら町から町へと流離う事。 それは彼の永遠のテ−マでもあるのです。 ダ−ク・エンド・オブ・ザ・ストリ−トのなんと素晴らしいこと。おそらくは歴史に残る名曲でしょう。また、その名の通りグッと陽気なテックスメックスの色彩が強くなった作品、パラダイス・アンド・ランチでは飛び跳ねるようなスライド・ギタ−のリズムが、私たちを天国へと導いてくれます。このアルバムでは、ライ・ク−ダ−のやっと落ち着ける場所を見出したような安心感が漂っていました。 彼にとってのパラダイスとは一体何処であったのでしょうか。 そして、その余韻は彼の最高傑作であるチキン・スキン・ミュ−ジックへと受け継がれていきます。この時期のライ・ク−ダ−の集大成と思しきこの作品は非常にリラックスして仄々とした魅力に溢れておりました。 少しばかりハワイアン・スラック・キ−の味付けもして、心温まるひと時を提供してくれるのです。 土曜日の昼下がりなどに一人して聴くともう溜まりませんでしたね。 素朴さと愛おしさが表裏一体となり至福の音楽へと辿り着いたのです。ライ・ク−ダ−はその存在そのものがアメリカンル−ツミュ−ジックの歴史といってもいいでしょうね。 ですから、この愛すべきホ−ボ−ライ・ク−ダ−に神の祝福をと言いたくなってしまいます。
ジェシ・デイヴィス
何とも心地よい気だるさが漂って、何時の間にか安穏とした時を過してしまいそうな音楽。まるで昼下がりの寛ぎのように安らいでしまいます。 まるで、流れるようなスライド・ギタ−の音色がのんびり行こうよと言ってくれているようですね。 窓ぎわの風を感じながら耳を傾けると、そこにジェシ・デイヴィスが佇んでいました。アメリカン・インディアンの血を引いているというジェシ・デイヴィスの優しさが滲み出たような世界は、実に味わいのあるル−ツミュ−ジックを奏でてくれます。 思わず一緒に歌ってしまいそうなファンキ−でア−シ−なロックンロ−ルは、ジェシ・デイヴィスの素朴な人間性そのものなのでしょう。彼は1970年前後に、エリック・クラプトンやボブ・ディランを初めとする様々な大御所のバックを努めて、その実力を知られるようになりました。 控えめでありながらしっかりとロ−ルする魅惑のスライドギタ−は、アメリカン・ル−ツ・ミュ−ジックの歴史の中でも、ライ・ク−ダ−と並ぶ双璧でありました。 ライ・ク−ダ−が太陽なら、ジェシ・デイヴィスは月のような存在であったと想います。 アメリカン・ル−ツ・ミュ−ジックに対する拘りというのは、ジェシ・デイヴィス故に随分と複雑なものがあったのではないでしょうか。 何故なら、ジェシ・デイヴィスの穏やかな顔とは対照的に、彼の祖先が受けてきた歴史的な悲劇を自分の胸に秘めていたのです。 ですから、いつも頑ななまでの自己主張や自分の信念を持ち合わせていたのですね。ル−ツの誇りを何時も携えていて、決して、妥協を許さない。それがまたジェシ・デイヴィスの音楽の魅力にも繋がっているのでした。孤高の誇り、それが彼の信念なのです。 やがて彼は、バック・ミュ−ジシャンとして下積みを重ねながらその独特な感性を磨いていきます。そして、幸運の時は1970年に入ってからやって来ます。 彼が師と仰ぐレオン・ラッセルやエリック・クラプトンの紹介によりデビュ−を果たすことになるのですね。 しかしながら、最初のレコ−ディングは意外にもロンドンで行われたとのこと。じっくりと奏でる音の端々からは、とても異郷の地で作られたとは思えないほどリラックスした響きが聴こえてきます。 その生き様同様決して恵まれていたといえる音楽人生ではなかったのですが、あの素晴らしい響きはいつまでも残り続けていくことでしょう。
ロ−リング・スト−ンズ
名作ベガ−ズ・バンケットに於いてアメリカのル−ツ・ミュ−ジックのひとつであるブル−スや、南部のスワンプミュ−ジックへの傾倒を強めたロ−リング・スト−ンズは、続いてリリ−スされたレット・イット・ブリ−ドでさらにその心酔を深めていきました。 当時のロ−リング・スト−ンズにしてはかなり地味な色彩を持ちながら、実に粋で味わいのある秀作レット・イット・ブリ−ドは、彼らが目指していた音楽のル−ツを探求することで自らの位置確認を反芻しようとしたのではないでしょうか。ブル−スはスト−ンズにとって神なのです。 ですから、1曲目のギミ−・シェルタ−からラストの無情の世界に至るまで、彼らが心引かれた故郷を訪れたような喜びに溢れていました。イギリスから遥かなアメリカ南部への距離を一気に縮めることができたのは、この時期から積極的に行ったアメリカのセッションミュ−ジシャンとの交流も無視できないと思います。 そして、このアルバムに於いてもっとも特筆すべきことは、その後のスト−ンズの重要なシチュエ−ションになるブル−スフィ−リング溢れた、あの独特のうねりがここで完成されたということなのです。 彼らはル−ツ・ミュ−ジックの根底に流れる南部の魂をここにおいてやっと掴んだような気がしました。 実は驚いたことにレット・イット・ブリ−ドの中で極めて重要な役割を担ったのが若きミック・ティラ−だったのですね。 何故なら、全編を通して踊っている彼のスライド・ギタ−が、このアルバムにおける南部的なブル−スのト−ンを際立たせているからです。 ここで聴かれるミック・ティラ−のスライド・ギタ−は決して派手さはないのですが、スト−ンズにスカウトされた時から将来を嘱望されていただけあって、若さに似合わぬ渋い演奏と高度な奏法を見せていました。 当時のライヴでは爆裂するかのようなスライド・ギタ−を披露していたラヴ・イン・ヴェインも、このアルバムの中ではしっとりとブル−スしてました。 また、ミック・ジャガ−のハ−プも余裕があって控えめでいいんですよ。俺たちは一寸ばかり大人になったぜと言わんばかりです。ベガ−ズ・バンケット、レット・イット・ブリ−ドの2作でブル−スの確認と精算を行ったロ−リング・スト−ンズはやがて黄金の1970年代へと突入していくのです。 スト−ンズの1970年代の解説はこちらへ
リトルフィ−ト
潤沢なグル−ヴ感と南部の土っぽいハ−ト。 リトルフィ−トほどル−ツ・ミュ−ジックを追求しつくしたバンドも少なかったのではないでしょうか。彼らの初期の作品においてはカントリ−、スワンプ、ブル−ス、ロックンロ−ル、ル−ツ等のアメリカにおけるその筋のあらゆる方向の音楽性を秘めていました。 事実、セカンドアルバムに納められたウィ−リンというカントリ−ロックの名曲もこの時期に作られているんですね。そんな彼らも、3作目のディキシ−・チキンあたりからリトルフィ−ト独特の円熟したル−ツ・ミュ−ジックの世界を構築していきます。その作風が完成したのが4作目のアメイジングですね。 たしかリトルフィ−トの日本デビュ−盤だったと思います。 何といってもあのソウルフルで粘っこいフィ−リングとア−シ−なサウンドは、リトルフィ−トの真骨頂でありますがともすれば個性の強さとなり、好き嫌いのはっきりと別れるタイプのバンドでありました。 しかし、一度その渋いグル−ヴ感に捕まってしまうと、病みつきになってしまうほどのカッコよさがありましたね。 南部独特のうねりと言うのは実に半端じゃないと教えたくれたんです。 リトルフィ−トは地道に奏でる誠実さと軽快にグル−ヴするリズムの心地よさと楽しさを充分に堪能させてくれました。 これほどまでに独自のカラ−を打ち出したミュ−ジシャンも珍しかったのではないでしょうか。 日本では一般的というよりも特異なファン層を誇っていたと思います。当時リトルフィ−トを好きだなんてことを主張しますと、よっぽどその道の通か変わり者だといったイメ−ジが付き纏っていましたからね。そういえば、本国アメリカにおいても玄人のミュ−ジシャン受けのするバンドとしてその名が売れていましたっけ。ロウエル・ジョ−ジのギタ−も実にねちっこく黒っぽいフィ−リング満載で花を添えていましたし、ビル・ペインの跳ねるようなピアノもとてもファンキ−でした。そういえば、2作目以降のちょっとシュ−ルなジャケット・デザインも彼らの重要なコンセプトでありましたね。
ジム・ディキンソン
このおっさん自分から銅像になったりして不思議やなあとお思いでしょうが、何を隠そうこの人こそ名盤復活シリ−ズの超目玉あの幻のジム・ディキンソン叔父さんなのです。 今や伝説となったディキシ−・フライヤ−ズのキ−ボ−ドプレイヤ−であり、ル−ツ・ミュ−ジックの奥深く見え隠れしている影の仕掛け人なのでありました。 ジャ−ン!。 1941年生まれといいますから当然ロックンロ−ルの大旋風の洗礼を受け、やがてはブル−スに目覚め、ちょっとファンキ−なル−ツ・ミュ−ジックへ辿り着いたのですね。 そして、何と言っても私の敬愛するライ・ク−ダ−大先生と寝食をともにして、ライ・ク−ダ−大先生の数々の名作の立役者でありました。 ジム・ディキンソン叔父さん偉い!。 ただその幅広い音の世界は、ル−ツ・ミュ−ジックのみならず、フォ−クブル−スありの、テックスメックスありの、ロックンロ−ルありの非常に気の多い、やはり南部のお兄さんなのねといった移り気の多さに塗れております。 ジム・ディキンソン叔父さん浮気はダメですよ!。 きっと多才すぎて取り留めのつかない、土壷はまりの気のいい人なんですね。 きっと純粋なのでしょう。 南部出身の人にはそういった人が多いものです。 大都会に嵌ってしまうととても素朴な音楽は産み出せない。 良くいえばその要領の悪さがジム・ディキンソン叔父さんの素敵な魅力でありました。 ですから、音はシンプルなのですがとても心に触れます。 聴いていて安堵してしまうような優しさと誠実さに包まれているのですね。 2曲目あたりはジェシ・ウィンチェスタ−じゃないのとか、 4曲目はなんと言ってもリトル・フィ−トだよとか、 エルトン・ジョンも隠れているよといった楽しさ満載の万華鏡ミュ−ジックなのでした。 これこそが素晴らしきジム・ディキンソン叔父さんの持ち味でありまして、時間の許す限り付き合っていきたいなと、本気でそんな気持ちになってしまう名盤だったのです。
ジェフ・マルダ−
長崎の乙女達とジェフ
元祖ル−ツミュ−ジックの神様ジェフ・マルダ−はカントリ−ブル−スの伝説そのものでした。 ご本人よりも奥様だったマリア・マルダ−の方が有名でしたが、彼だって積重ねて来た年輪は伊達ではないと思わせる何ともいえない味わいがありました。 古くはポ−ル・バタ−フィ−ルドとのブル−ス・アルバム、ベタ−・ディズが有名ですが、このレベルの偉大な人になってくると人生そのものが音楽なんですね。 まさに、テクニックがどうのとか、ポリシ−がどうのとかいう世界とは無縁の孤高の生業であります。 もちろん若き日の彼のギタ−は凄かった。 興味のある方はベタ−・ディズ時代のCDをお探しください、最高のブル−スギタ−を堪能できること請け合いです。 という訳なのですが、信じられない事にジェフ・マルダ−の突然のライヴが長崎であったのです。 何でまた日本の果ての長崎でライヴなのかとお思いでしょうが、実は何を隠そう古くから長崎のライヴ活動を支えてきたマイティ・スパロウのSさんの力によるものなのですね。 こういう損得を抜きにして良質の音楽を提供してくれる人あればこそ、辺境の地においても世界的なジェフ・マルダ−の演奏が聴けるという訳なのでした。 残念ながらポ−ル・バタ−フィ−ルドはご一緒しておりませんでした。当日のライヴは古いブル−スを基調にした演奏で、ブル−スであるにも関わらず暖かくて深みのある極上のル−ツミュ−ジックでありました。 お年のせいか、ライヴが始まった時には心もとない感じもあったのですが、ライヴの雰囲気を掴んでくると流石だなあと思わせる、流暢で流れるようなブル−スを演ってくれましたね。 私の大好きなボビ−・チャ−ルズの曲も演奏してくれて、中々良かったですよ。 ブル−スに対する本質的な価値観をちゃんと理解しているので、安心して聴けるそんな一夜でありました。 それにしてもブル−スを奏でながら、旅から旅へという生活は過酷なのでしょうけど、我々ロ−リング世代からすると憧れですよね。
ジュ−シ−・ル−シ−
この人達サザンロックでもあるし、スワンプロックでもある。 そして、何と言っても少し捻くれた超一流のル−ツ・ミュ−ジックでもあるのです。 まあ、しかし驚くべきはこのジュ−シ−・ル−シ−、そのねちっこく泥臭い音からは想像もつかないのですがイギリス出身のれっきとしたブリティシュ・バンドだったのです。 普通イギリスのバンドがスワンプロックやル−ツ・ミュ−ジックを演奏したりすると、当然のことながら何処かにイギリス臭さが残ってしまうものなのですが、この人達はその匂いが微塵もなくまったく南部の人間に成り切っているかのようでした。 ジャンルこそ違いますが、当時ブル−スに心酔したものの黒人の魂を表現できずに挫折していった多くのブリティシュ・ブル−ス・マン達と較べると、その同化の見事さは驚くべき偉業といっても差し支えないでしょう。 そのブル−ス挫折組みの代表格がエリック・クラプトンでありますが、面白い事に彼の挫折からの復帰第一作がル−ツ・ミュ−ジックにも通じるレイド・バックした、641オ−シャン・ブル−バ−ドだったいうのも何かの因縁なのかもしれないですね。 さて、ジュ−シ−・ル−シ−に話を戻しますが、ここまで南部の音に同化できたのはブラスやスティ−ルギタ−の使い方や感性が非常に巧みで、アンサンブルの根幹をしっかりと押さえているからなのだと思います。 アルバムのスタ−トを切るミシシッピ−・ウ−マンはエルヴィス・ブレスリ−で一世を風靡したポ−ク・サラダ・アニ−のような懐かしいイントロで始まり、その渋くて泥臭い演奏が溜まらなくて思わず唸ってしまいます。 彼らの最大の特徴はル−ツ・ミュ−ジックにソウルフルな装飾を施している点でしょう。 その辺の拘りの凄さがブリティシュ・バンドでありながら、南部に於いて何十年も演奏活動しているようなキャリアを感じてしまうのでしょうね。 また、アイム・ア・リ−フなどの名曲ではとてもソウルフルで限りなく黒く、エリック・バ−トンに繋がるような演奏も聴かせてくれて、その天才的な才能の一端をまざまざと見せ付けてくれました。 ただ、こんなに粋な音を届けてくれながら、ジュ−シ−・ル−シ−の失敗は自分達の活動拠点をイギリスに置いたことだったと思います。 彼らはもっと早くアメリカへと渡るべきだったのですね。 返す返すも残念でなりませんが、こんな泥臭い素晴らしい人達が居たことを忘れないでおきたいと思いましょう。
ハンク・ウィルソン ( レオン・ラッセル )
アメリカの人達にとって何と言っても一番のル−ツ・ミュ−ジックは、カントリ−・アンド・ウェスタンでありましょう。 ジョン・ベル−シとダン・エイクロイドが主演したジョン・ランディスの映画、ブル−ス・ブラザ−スで彼らがカントリ−・アンド・ウェスタンのバ−で罵声を受けながらブル−スを歌うシ−ンがあるのですが、あの場面にアメリカにおけるこの素晴らしい音楽の地位が象徴されていたと思います。 やはり、何は無くともカントリ−・アンド・ウェスタンなのでしょうね。 1973年突如無名のハンク・ウィルソンというカントリ−シンガ−がチャ−トをにぎあわせます。 カントリ−・アンド・ウェスタンの大御所、ハンク・ウィリアムスやレスタ−・フラットの作品を取り上げて見事に歌いきり一躍時の人となったのですが、実は何を隠そうレオン・ラッセルがハンク・ウィルソンという偽名で歌っていたのですね。 このアルバム、ハンクが発売された当初はアメリカではレオンの名が伏せてあったと聞きます。 なんか、いかにもアメリカ的ですよね。 日本でリリ−スされた時には、すでにレオン・ラッセルが偽名で歌っているという情報が入っていたので戸惑う事は無かったのですが、アメリカでは当時大きな話題になったことを憶えています。 スワンプロックを歌うときにはあの個性的な声が妙に気にかかるのですが、ここでは流れるようにさらりと歌い上げて感心してしまいました。 なんだ、この人もともとカントリ−・アンド・ウェスタンが合っていたんじゃあないのと思えるほどしっくり来ていますよね。 本人も好きだったのでしょう。 そういえば、ウェスト・コ−スト系やスワンプロック系のア−ティストもカントリ−・アンド・ウェスタンが大好きな人多いですね。 CCRのジョン・フォガティもカントリ−の大ファンでした。で、このアルバムですがスウィ−ト・ベイビ−ズ・ア−ムやジャンバラヤなどカントリ−・アンド・ウェスタンの名曲を楽しそうに歌ってくれてます。
特にアイル・スティル・ケアやアイム・ソ−・ロンサムは心に染みますね。 これがアメリカの心なんでしょう。 ハンク・ウィリアムスは幼い頃ブル−スに感銘を受けて音楽を志したと聞いていますが、最近ではカントリ−・アンド・ウェスタンのみならずロックン・ロ−ルの起源にも多大な影響を与えたという事で再評価を得ています。 残念ながら彼の全盛時代をリアルタイムで経験していないのですが、1950年代のスタ−として今もアメリカの人々の心に焼き付いているのでしょうね
アラン・トゥ−サン
ニュ−オ-リンズ音楽の重鎮アラン・トゥ−サンは、リズム・アンド・ブル−スに於けるル−ツ・ミュ−ジックの先駆者として数々の名演を残してきました。 そして彼は、ミュ−ジシャンとしてのみならず、アレンジャ−、プロデュ−サ−、プレイヤ−としても活躍しておりましたので、まるでニュ−オ−リンズの街の灯りのように輝ける存在であったのです。 彼が一躍脚光を浴びるようになったのは、ザ・バンドのロック・オブ・エイジスにおけるホ−ンセクション・アレンジを手がけてからで、その素晴らしいリズム・アンド・ブル−ス感覚溢れる才能を嘱望される時が来たのだなという感がありました。 アラン・トゥ−サンのホ−ン・アレンジはくどく成り過ぎずに、それでいてソウルのハ−トを感じさせてくれます。 闇雲ではなくてさりげなくなのですね。 また、ヴォ−カルも実に自然で良いのです。 ソウルフルに歌いきるというよりも、押さえ気味の歌い口がかえってリズム・アンド・ブル−スの魂を際立たせていました。 ニュ−オ−リンズにしては珍しく洗練されていまして、曲によってはフィラディルフィア・ソウルのように粋な味があったと思います。 本業はもちろんミュ−ジシャンであったのですが、ニュ−オ-リンズの音楽シ−ンには欠かせない人であるばかりでなく、ル−ツ・ミュ−ジック系のア−テイストの神様のような存在でもあったのです。 ですから、アメリカ各地から彼を求めて多くのミュ−ジシャンが訪れているのですね。 代表作サザン・ナイトは何度聴いても聴くたびに新たな感慨が湧いてきて、切ない気持ちでいっぱいになってしまいます。 哀愁のあるメロディ−と妙に懐かしい響き。 いつか何処かでだれもが聴いたことのあるような優しさに満ちています。 彼のというよりも、1970年代のニュ−オ−リンズを代表する名曲でありましたね。 また、ボズ・スキャッグスも名作シルク・ディグリ−ズの中で取り上げたホワット・ドゥ・ユ−・ウォント・ザ・ガ−ル・トゥ・ドゥも素晴らしいの一言です。 ソウルフルというよりも、何かしらウェスト・コ−ストあたりのの洒落た大人の雰囲気を漂わせていました。 ここら辺りにも、アラン・トゥ−サンの音楽的なセンスが滲み出ていて感心させられます。 感性の勝利ですね。 決して、黒さに拘っていない。 そこが彼の魅力でありましょう。 この2曲が納められている1975年発売のアルバム、サザンナイトは今でもニュ−オ-リンズ音楽の名盤としてその筋のファンの間では語り継がれています。
アメリカン・フライヤ−
思いがけない贈り物のように突然訪れる幸せ。 人は幾たびかの時を重ねると、どんなに辛いことに対しても寛容になってしまうのですが、こと喜びに関してはふいにやって来るほうが幾つになったって嬉しいもの。 そう、いつだって幸福は予期せぬ時にやってくるのです。 このアメリカン・フライヤ−のアルバムもまた、そんな忘れかけていた素敵な気持ちを思い起こさせてくれました。 良くあるでしょう、遠い昔の懐かしい想い出。 そんな時代を連想させてくれる優しさに包まれていたのです。 ですから、彼らの音楽はル−ツミュ−ジックというよりも心へ通じるル−ツミュ−ジックなのではないでしょうか。 アメリカン・フライヤ−のエリック・ジャスティン・カズは、繊細な感覚と類稀ない音楽の才能で独自の世界を築いていたのですね。 もともとはウッドストック周辺で活躍していたのですが、1976年なってニュ−ヨ−ク周辺のミュ−ジシャンを集めアメリカン・フライヤ−を立ち上げました。 まるで西海岸を連想させるような爽やかで透明感溢れるメロディ−と、ル−ツミュ−ジックやホ−ボ−ソングに通じるような哀愁感のある音楽を身上としていたのです。 エリック・ジャスティン・カズを始めとするメンバ−の殆どが東海岸の出身者とはとても思えないほどカリフォルニア・ナイズされた音は、ニュ−ヨ−クの香りを注ぎ込む事によってより素晴らしい輝きをましていました。 そして、彼らの都会的なセンスに更なる彩りを添えていたのは、何と驚くなかれあのジョ−ジ・マ−チン。 エリック・ジャスティン・カズとジョ−ジ・マ−チンの接点はよく解からないのですが、少なくとも素晴らしい結果を生んだのは周知の事実でありました。 そういえば、何処となくビ−トルズやアメリカの面影が見え隠れしていますよね。
グレン・キャンベルと音楽に関する考察
1970年代の私、いや数年ほど前までの私だったら、おそらくはグレン・キャンベル等の音楽には鼻にもかけなかったでしょう。 それどころか少しばかり冷笑していたかもしれません。 そして、何でこんな音楽を真剣に聴く人種がいるのだろうと訝りながら、自分自身の感性に優越感を覚えるのです。 何という傲慢なことだったのでしょうね。 多分、彼等の音楽なんて二流のレストランのBGMやラスベガスのナイトショ−こそがもっとも相応しいと、一人で納得していたに違いありません。 グレン・キャンベルの歌唱力は素晴らしい、それは、トム・ジョ−ンズやバ−バラ・ストライサンドにも匹敵するし、もしかしたらそれ以上かもしれない。 しかし、それが何になるのだと、ロックと同じ土壌で語るなんてもっての外、魂に訴えかけるものがなければ何にもならないのだと。 一方で音楽の素晴らしさを説きながら、もう一方でその音楽を嘲笑していたのです。 まあ、若気の至りといってしまえばそれまでですが、何と愚か者だったことなのでしょうね。 そして、時が過ぎ、長年に渡って様々な音に接してきた今は事情が少し違ってきました。 私自身も充分に年をとったし、この種の音楽も充分に許容できるようになったのです。 というか、実を言うとこの種の歌の本質をやっと理解できるようになったのだと思います。 そもそも、私たちが偏った見方をしている場合の音楽の本質とは何なのでしょうね。 音楽に優劣がないことは解かっていても、私たちは自分のアンテナの許容範囲外の音を知らず知らずの内に差別化しているのです。 それは自分を正当化しているだけなのに、その音楽の本質を理解して排他しているのだと誤解しているのでしょう。 そもそも、すべての音楽の本質を理解できるなんてことがあろう筈もないのですから、そのことを認識した上で自分の感性に合う音楽には愛情を注ぎ、それ以外の音楽には敬意を表すべきなのでしょうね。 但し、好きか嫌いかを意思表示することは当然の権利だと思います。 おいおい、一体どっちやねんと言われそうですが、それは音楽に関わる永遠のテ−マでもあるのです。 つまり、何処までいっても終わりの見えない旅のようなもの。 例えば、辿り着いたと思っていたところが、実はスタ−ト地点だったりするのですよ。 うーん、哲学的やなあ。 というわけで、彼グレン・キャンベルはル−ツ・ミュ−ジックの、いやアメリカ音楽そのものの宝庫、いや歴史だったのだと思います。 カントリ−からブル−ス、バラ−ド、ロックンロ−ル、カリプソ、マリアッチそしてジャズやソウルやボ−ドヴィルに至るまでおよそ彼が歌い上げていないものは無いくらい、簡単なようですが実はこれは本当に凄いことだと思います。 また、その歌唱力の素晴らしさはまさに磨きぬかれた職人芸といえるでしょう。 それも飛びっきり上質で饒舌な。 彼自身の作曲による歌は結構少ない方のですが、それを補って余りある実にセンスのいい選曲と俊逸なアレンジが光っています。 彼の場合ソングライタ−を選定する時の感性が本当に素晴らしく、長年の盟友ジミ−・ウェッブを初めとして、ティム・ハ−ディン、ニルソン、ジョ−・サウス、アラン・トゥ−サンなど一流所の歌を取り上げていました。
アメイジング・リズム・エイセス
昼下がりの街角から列車に乗ってゆっくりと旅立とう、窓を流れる景色もまどろみの中で揺れている。 そう、アメイジング・リズム・エイセスの名曲サ−ド・レイト・ロマンスを聴きながら。 彼等の音楽を聴いてよく思うことは、狭い日本と違ってアメリカの広大な荒野に抱かれてしまうと、日常的な煩わしさや細かい事なんてどうだっていいようになってしまうに違いない。 きっとそうだと思う。 そうでないとこんなにも茫洋とした素敵な音は創り出せないでしょう。 アメイジング・リズム・エイセスの世界は、時間を半分くらいのスピ−ドで進めながら展開されて行く。 私たちもそんな列車に乗り遅れないようにゆっくりといきましょう。 人生にはそういう時も必要なものなのです。 メンフィス出身の彼等は、南部の音楽だけに拘らない幅の広さがありました。 リ−ダ−のラッセル・スミスは古くから音楽活動をしていたのですが、陽の目をみることになるのは彼のサ−ド・レイト・ロマンスをあのジェシ・ウィンチェスタ−が取り上げてからです。 う-ん、私もジェシ・ウィンチェスタ−がサ−ド・レイト・ロマンスを歌っていたなんて知らなかったなあ。 やがて南部のミュ−ジシャンを集め、この素敵なアメイジング・リズム・エイセスの結成へと相成った訳ですが、それは彼の音楽を地で行くように極めてのんびりしたものでした。 というわけで、彼等のショ−はカントリ−や、ブル−スや、カリプソやル−ツ・ミュ−ジックをごちゃ混ぜにしてじっくりと煮込んだス−プのようなもの。 アメイジング・リズム・エイセスという飛びっきりなス−プは色んな味が楽しめて段々と満腹になるのです。 そして、私たちが時を経るごとにその味も微妙に違ってくるのでした。 そう、ビュ−ティフル・ライやエラ・ビ−号にのって等の名曲は、形を変えながら今でも心に残リ続けているのです。 休日などの夕方を迎える少し前は、彼等を聴くのにもってこいの時間だと思いますよ。 みんな饒舌なまどろみの中で蕩けましょう。 それが、彼等への最高の拍手ではないでしょうか。