大都会ニュ−ヨ−クを彩った天使たち、その様々な夢と挫折は伝説として今もなお輝き続けています。時代の先駆者としての重圧と恍惚を携えながら彼等はいったい何処を目指していたのでしょうか。
私たちの想い出として静かに眠る栄光の日々を呼び覚まし、新しき世代へ伝承したいと思います。





1・ヴェルベット・アンダ−・グラウンド
2・テレヴィジョン
3・ブル−ス・スプリングスティ−ン
4・フィフィス・アベニュ−・バンド
5・マイルス・デイヴィス
6・エリオット・マ−フィ
7・ブル−ス・プロジェクト
8・シティ
   9・ アル・ク−パ−とBS&T  
10・ ビリ−・ジョエル 
11・ ト−キング・ヘッズ
12・ ル−・リ−ド

  ヴェルベット・アンダ−・グラウンド・VELVET UNDERGRUND LIVE 1969

ヴェルベット・アンダ−・グラウンド、なんと素敵なネ−ミングなのでしょう。しかし、その心地よい響きとは裏腹に退廃的で倒錯した彼らの音楽は大都会ニュ−ヨ−クのアンダ−・グラウンドな芸術を象徴していました。ヴェルベット・アンダ−・グラウンドの創り出す音は、斬新な音楽性とはまったく無縁であり極めて単純なコンセプトの上に成り立っていました。ですから、音楽の質や完成度の高さに比重を置くのではなく、自分たちの芸術的な表現の手段の一つして音楽があった、少なくともデビュ−当時のヴェルベット・アンダ−・グラウンドはそうであったと思います。同じフレ−ズを延々と繰り返しながらその相乗効果によって、倒錯した世界を生み出そうとしたのでしょう。これは、多分前衛音楽に強い影響を受けたジョン・ケイルの好みなのです。1966年アンディ・ウォ−ホ−ルの申し子として鮮烈にデビュ−した彼等はウォ−ホ−ルの薦めにより歌姫ニコをフュ−チャ−したアルバム、ヴェルベット・アンダ−・グラウンド&ニコを発表します。アンディ・ウォ−ホ−ルが描いたあのバナナの絵の有名なジャケットのアルバムですね。しかしながら、ヴェルベットの面々にとってこの歌姫ニコは歓迎された存在ではなかったようですね。まっ、アンディ・ウォ−ホ−ルの紹介ならば仕方のないといったところだったのでしょう。ニュ−ヨ−クの知性とまで言われたアンディ・ウォ−ホ−ル。その彼のバックアツプもありヴェルベット・アンダ−・グラウンドは、瞬く間にニュ−ヨ−ク中の注目を集める存在になっていきます。また。もう一方ではル−・リ−ドとジョン・ケイルという才能溢れるミュ−ジシャンの原点であり、その後遥かに続いていく彼らのキャリアの出発点でもあったのですね。ル−・リ−ドのソロ活動以降のコンセプトは既にヴェルベット・アンダ−・グラウンドにおいて確立されていたのではないでしょうか。その根幹をなすのは悲しいニヒリズム、堕ていく者達の反逆、そして、退廃の都ニュ−ヨ−ク。移ろいやすいうたかたの夢を追いつづけてル−・リ−ドの永い旅が始まっていったのですね。その後、様々な確執によりジョン・ケイルが脱退しダグ・ユ−ルが加入してからは、その音楽性に徐々に変化が現れてきます。おそらくはル−・リ−ドの思想で統一されて隠されていた才能が花開いたかのような、充実したアルバム、ヴェルベット・アンダ−・グラウンドをリリ−スします。このアルバムには彼らの最高傑作であり叙情性豊かな、ペイル・ブル−・アイズが納められておりました。この稀代の名曲はかつてのヴェルベット・アンダ−・グラウンドのイメ−ジを払拭するかのような、透明感溢れる爽やかさと静かに流れていく時の果かなさを感じさせてくれたのです。美しさと朽ち果てていくもの切なさを表現しつくしておりました。そこには、もはやアンディ・ウォ−ホ−ルの為のバンドではないヴェルベット・アンダ−・グラウンドが飛び立っていたのです。

  
テレヴィジョン 

ニュ−ヨ−クの狂気を一人で背負ったかのようなトム・ヴァ−ライン。見るからにナ−バスそうで、そして繊細で豊かな感性。1976年、ニュ−ヨ−クのシ−ンにおけるテレヴィジョンの登場はまさに衝撃的なものでした。カリスマとなるべき星の元に生まれた彼は、 ニュ−ヨ−クのアンダ−グラウンド界において古くから名の売れた存在であり、来るべき音の世界を創生する能力と情念の持ち主でした。 時はあたかもパンクロックやニュ−ウェ−ブの全盛時代であったのですが、その中でもテレヴィジョンはト−キング・ヘッズと並んで異彩を放ち光り輝いていたのです。透明なガラスに爪を立てるような神経質で鋭角的なギタ−と限りなく反復する焦燥感溢れるリズム。金属的とも思えるほど高いト−ンで狂おしく叫ぶ歌。狂気と現実の狭間でゆれる夢。そして切ないまでの美しさ。こんなん一人で夜中に聴いていたら、とても、やばくなっちゃうんじゃあないのと思ってしまいます。テレヴィジョンの音にはリアルな感覚を切り刻んで粉々にしてしまう魔力があります。真っ当な生き方をしたいのなら決して手を出してはいけません。あなたの正気がボロボロになってしまうこと請け合いです。その退廃的な感性はドア−ズとヴェルベット・アンダ−・グラウンドの正当な継承者として誰もが認めるところでありました。テレヴィジョンはドア−ズの再来とまでいわれ、トム・ヴァ−ラインはなにかとジム・モリソンと比較される事の間多かったのです。しかし、ジム・モリソンの破天荒な生き様と比べると、彼は実にナイ−ブで知性豊かなイメ−ジの純粋な青年だったと思います。写真で見る限りには決してお友達にはなりたくないなと感じてしまうのですが、それはある種のポ−ズでもあり、狂気の演出なのでしょう。アルバムをスタ−トするシ−・ノ−・イ-ヴルの圧倒的なリズムと新しい感覚は何度聴いても衝撃的で、時代を築き上げているという自信と才能に溢れていたと思います。きっとこの曲でぶっ飛んじゃった人も多かったのでしょうね。また、マ−キ−・ム−ンの叙情性豊かな狂おしさにも感嘆してしまいます。ニュ−ヨ−クの狂気と伝説、それはトム・ヴァ−ラインの為に在るのです。

  ブル−ス・スプリングスティ−ン ・ 青春の叫び 1973年

多感な青春時代を送ったニュ−ジャ−ジ−の街には、胸を熱くする想いとやるせない苛立ちや喧騒が混沌として漂っているのでしょう。それがブル−ス・スプリングスティ−ンの輝かしい成功の源なのです。青春が美しいだなんて、決して言わせないとポ−ル・ニザンが語ったように、未来に対する希望と不安の両方を携えながら暗闇で佇んでいる、それが若き日の現実の姿なのですから。季節は移ろい行くが故に例え様も無く愛おしいのです。誰もが決別しようとして心に秘めつづけるそれが青春時代なのですから。自分の進むべき道を模索しながら、滾るような情熱を持て余し、夜が待ち遠しい日々。それが若さなのだと歌いつづけたブル−ス・スプリングスティ−ンのすべてがニュ−ジャ−ジ−の街角や、アズベリ−パ−クに点在しているのでしょう。いつかスタ−になることを夢見て彷徨っていた若き日のブル−スも、夜になると車を飛ばすすべしか知らなかった若者も、みんなその日を迎える事を信じていた。7月4日のアズベリ−パ−クや57番通りの出来事に描かれた下町の情景にはそんな切ない思いが揺れつづけています。その佳曲が納められていたのが青春の叫びと題されたブル−ス・スプリングスティ−ンのセカンドアルバムでした。彼の名声を決定づけたのはご存知、明日なき暴走だったのですが、まだ、彼がビッグになる前の初々しい姿が散りばめられており、その純粋さが眩しくて、懐かしい気持ちにさせられてしまいます。彼の生い立ちや青春時代を窺い知るにはこのアルバムのほうが最適でしょう。そんな彼がこのアルバムに於いて愛情を込めて歌おうとしたのは、大義名分の仰々しいテ−マでもなく、平和に対する熱い思いでもなかったのです。自分が立つ原点をニュ−ヨ−クの街角に決めた以上それが当然のこと。迷いながら歩いていく若者達を救い上げる事が彼自身の青春の証なのですから。ブル−ス・スプリングスティ−ンの思惑通りに、ひとつひとつの楽曲が愛情を込めて、まるで映画でも見ているように描かれており、私たちは様々な青春を体験する事ができるのです。アルバムの最後を飾るニュ−ヨ−ク・シティ・セレナ−デの余りにも美しすぎる旋律で幕を閉じた時に、生きている喜びを感じてしまうのは私だけではないでしょう。ブル−ス・スプリングスティ−ンの優しさは人間を信じている点にあります。それが全ての人の胸を打つのですね。

  
フィフィス・アベニュ−・バンド ・ 1969年

男達の夢がありました。ニュ−ヨ−クの5番街で咲いたたった一つの花は人々の伝説として今も語り継がれているのです。名盤復活シリ−ズ最大の功績はこのフィフィス・アベニュ−・バンドの最初で最後のアルバムの発売であったと思います。このアルバムを作るためだけに集まったような見知らぬ仲間達。その6人の其々の思いが時代の中で輝いて純粋な結晶として結実したのですね。全編を通して流石はニュ−ヨ−クのシティ・ミュ−ジックと感じられる粋で爽やかな演奏は、1969年という時を越えた現代でさえも新鮮で心地よい感動を与えてくれます。まるで、春の暖かな休日の朝に、風に吹かれているような爽やかさに包まれていました。ニュ−ヨ−クからはさほど遠くないウッドストックで生まれ始めていたル−ツ・ミュ−ジックを継承して、都会のベ−ルで包んでしまう。そうするとフィフィス・アベニュ−・バンドの素敵な音楽になってしまうのですね。あらゆる要素を包み込んだシティ・ミュ−ジックは、ブル−ス、ジャズ、ロック、の枠を越えて軽やかに弾んでいます。素朴なのですがとても暖かい人の気持ちを労わってくれる優しい響きに満ちていました。このアルバムがたんなるAORで終わってしまっていないのは、そういうところに理由があるのでしょう。其々がまったく違う人生を歩いていながら、何の偶然かニュ−ヨ−クの5番害で出会い、そして、名作として称えられたこのアルバムを届けてくれました。よくよく考えてみますと、この6人がこうして集えたことは奇跡的な事だったのかもしれません。運命は時として素晴らしいいたずらをしてくれるものなのですね。いみじくもフィフィス・アベニュ−・バンドは人生の中心に行き着くための道が見つかったらいいのに、とワン・ウェイ・ジ・オア・アザ−の中で歌っていますが、その中心はニュ−ヨ−クの5番街ではなかったのかと私は思います。アルバムの中で7曲を作曲しているのは若き日のピ−タ−・ゴ−ルウェイ。彼のセンスがフィフィス・アベニュ−・バンドの全てだと感じる程卓越した才能と情感を持ち合わせていました。彼は1969年の春にニュ−ヨ−クへ舞い戻りこの素敵なバンドに参加した後は、素晴らしいアルバムを完成させて、また遠い土地へと旅立っていったのです。なんかカッコよすぎますよね。映画のヒ−ロ−みたいだ。その後ロス・アンジェルスへ落ち着いた彼は2枚の名作をリリ−スしています。

  マイルス・デイヴィス ROUND ABOUT MIDNIGHT 1956年

ニュ−ヨ−クの街角に一番似合う音楽はジャズかもしれません。ロックが生まれる遥か昔から息づいていたジャズはニュ−ヨ−クなしでは考えられないし、ニュ−ヨ−クもまたジャズなしには考えられないのです。大都会への関わり方がどうであれ、都会でしか生まれ得ないジャズは感性を刺激し魂をインスパイア−してくれて、喧騒と猥雑な日々を暫し忘れさせてくれるのでしょう。ジャズがロックと決定的に違うのはミュ−ジシャンレベルでの思想性と技術力と感覚が全てに優先するということ。そして、もっとも重要なのはミュ−ジシャン側の送り手と受けて側のリスナ−の個対個の関係でしか、両者の関係が成立し得ないのです。私対マイルス・デイヴィス、あなた対マイルス・デイヴィス、ニュ−ヨ−クの1市民対マイルス・デイヴィスといった相関関係が基本的な理念だと思います。例え何万人の前で演奏を行っていても、ジャズにおいては1対1の関係が何万組か存在するだけの話なのですね。その点でロックのコンサ−トのように纏まり合った情念のように皆がひとつになるということはないのです。ジャズに耳を傾ける時、私たちは目の前にある作品よりもその奥にあるミュ−ジシャンの思想や感性と対峙しているからでしょう。ニュ−ヨ−クの街角であれば何処へいってもジャズの音が聴こえてくる筈です。ここでは、1年中がフェスティバルのようなもの。この街角で、たった1度でいいのですが全盛時代のマイルス・デイヴィスを聴いてみたかったと思うのは私だけではないでしょう。特に1950年代のマイルス・デイヴィスは最高だったでしょうね。1949年に発表されたク−ルの誕生を初めとして、ウォ−キン、1956年のラウンド・アバウト・ミッドナイト、1958年のサムシン・エルス、1959年のマイルスト−ンズ、そして、1960年のスケッチ・オブ・スペインと名だたる名作を生み出したのもこの時代なのですから。1945年マイルス・デイヴィスは大きな夢を持ってこの街を訪れています。そして、バ−ドことチャ−リ−・パ−カ−に認められて後は、極めて順調にそれも物凄い勢いでトップの座まで登りつめました。正にニュ−ヨ−クジャズ界の申し子であり、マイルス・デイヴィスの行動はジャズのみならずファッションや思想にまで影響を及ぼすようになっていきます。そのボクシングで鍛え上げられたスリムな姿は神々しくもあり、カリスマ的な存在でありました。1960年代に入りフリ−ジャズの洗礼のなかで彼の胸中に去来したものは一体なんだったのでしょう。その答えは1969年にリリ−スされた名作イン・ア・サイレント・ウェイに凝縮されていると思います。時代の最先端を宿命づけられた大都会ニュ−ヨ−ク。だからこそマイルス・デイヴィスのジャズのイマジネ−ションが必要だったのかもしれないですね。

  
エリオット・マ−フィ-  

街の静寂を破る哀しみを帯びた声。その訴えかけるような切ない響きに誘われてエリオット・マ−フィの世界へと入り込んでしまいます。 ニュ−ヨ−クの街の日常を歌い綴る彼はブル−ス・スプリングスティ−ンと同じようなスタンスを持っていました。ただ、彼とブル−スが決定的に違ったのは、ナイ−ブな感性とデカダンスな資質だけだったと思います。 それは、やはり同世代のスタ−デヴィド・ボウイにも通じるものがありました。 エリオット・マ−フィは叫ぶように歌い、現実を切り裂いてどこかに救いを求め続けていたのです。 ニュ−ヨ−クの街角で。 人の心に光を宿す事ができるのならば彼はやはり天使なのかもしれません。 街角の天使エリオット・マ−フィ。 名作ナイト・ライツ( 夜の灯 )の1曲目に流れてくるのは、ダイアモンド・バイ・ザ・ヤ−ド。 この例え様もなく美しく切ないメロディはブル−ス・スプリングスティ−ンでさえも作り得なかった感覚だと思います。自由奔放に生きていけばきっと イサドラの踊り子に共感を覚えることでしょう。 瞬く間にアメリカを代表する大スタ−となったブル−ス・スプリングスティ−ンと比べると、エリオット・マ−フィの人生はその才能のわりには決して成功したとはいえなかったと思います。 2人とも同じような実力を持ち同じようなスタ−トラインに立っていただけに、なお更運命の過酷さを感じてしまいます。 遅れてきたアメリカン・ヒ−ロ−と呼ばれ、次の世代のディランズチルドレン、エリオット・マ−フィの切実な熱唱は助けを求めつづける叫びにも似て同世代の人々の共感を呼び覚ましました。 ただ、あまりにもインテリジェンスに溢れた歌や暗い影をたたえすぎた旋律が大多数の支持をえられなかったのかもしれません。 何処かへ飛び出していきたいやるせなさを胸に秘めていた青春。 そんな誰もが通り過ぎる瞬間を優しい視点で見つめつづけたエリオット・マ−フィ。 一部の熱狂的なシンパを除けば、今彼の事を覚えている人は殆どいないのではないでしょうか。 残念という言葉では片ずけられないもっと評価されてしかるべきヒ−ロ−なのです。

  ブル−ス・プロジェクト

ニュ−ヨ−クのロマンチスト、アル・ク−パ−がその輝かしい経歴をスタ−トさせたのがこのブル−ス・プロジェクトでありました。ブル−ス・プロジェクトと言うくらいですからガチガチのブル−スバンドかと思いがちですが、彼らの場合は少し視点を斜に構えたところがあって純粋にブル−スバンドという捕らえ方をするとかえって戸惑ってしまうかもしれません。だって、ニュ−ヨ−クきっての切れ者アル・ク−パ−のことですからそんな単純なことはしないでしょうし、脇を固めるダニ−・カルブにしてもスティ−ヴ・カッツにしても、ちゃきちゃきのブル−スマンではなかった訳ですから当然といえば当然だったかもしれませんね。ですから、このブル−ス・プロジェクトは違った観点とコンセプトからブル−スを展開して出来上がった作品は良質のロック・ミュ−ジックになっておりました。すでにアル・ク−パ−の才能が開花したと思える泣かずにいられないやウェイク・ミ−・シェイク・ミ−、エレクトリック・フル−ト・シング等の名曲は、アル・ク−パ−のそれぞれのカテゴリ−を破壊して自由な発想のもとに組み立てる、独特の感性が発揮されています。なにせ、私が始めてブル−ス・プロジェクト・ライヴ・アット・タウンホ−ルを聴いた時にはフォ−ク・ロックバンドかなと思ったくらいですから。ブル−スを感じ取れる歌よりもアル・ク−パ−の静かでジェントルな歌のほうがインパクトが強かったのです。でもそれは単純なフォ−クロックともポップとも違っていたし、彼らなりのブル−スに対する爽やかな返答だったのかもしれないですね。好奇心旺盛な稀代のメロディ−・メ−カ−アル・ク−パ−の手にかかればどんなブル−スだって魔法のように輝いてしまいますから。ただ、その気の多さや好奇心の旺盛さがこの人の欠点でもあり、ひとつの事が長く続いたためしがないのですね。そんな訳でこのブル−ス・プロジェクトも直ぐに解散の憂き目に遭うわけですが、アル・ク−パ−はその後念願であったブラスロック・バンド、ブラッド、スウェット&ティア−ズを結成する事になるのです。

  
シティ         

キャロル・キングのことを語ろうとすれば、100ペ−ジあっても足らないほど。それ程傑出した天才少女がやがては素敵な大人のシンガ−へと変身し、その過程に於いてこの夢がたりという素晴らしいアルバムを残していってくれたのです。実は何を隠そう1960年代に耳に馴染んだロックン・ロ−ルのヒット曲の多くは、このキャロル・キングとゲリ−・ゴフィンのコンビによるものでした。例えば、ロコモ−ション、ワン・ファイン・ディ、ヘイ・ガ−ル、このアルバムでも再演しているスノ−・クィ−ン、チェインズ、ノット・マイ・ベイビ−、ゴ−イング・バック、ワズント・ボ−ン・トウ・フェロ−など数え上げたらきりがありません。しかし、不思議な事にこの時代のキャロル・キングは自分自身が歌うことなどまったく眼中に無かったようで、初々しかった1960年代はただ作曲に専念しておりました。その彼女に転機が訪れたのはダニ−・ク−チマ−、チャ−ルズ・ラ−キ−とトリオを組んだこのシティというバンドにおいてなのです。シティというその軽やかな名前にも似て、飛びっきりの名曲たちが納められたこのアルバムは、1969年のシティ・ミュ−ジックの奇跡的な結晶だったと思います。アルバムの最初を飾るスノ−・クィ−ンの美しさは透明感のある空気のように張り詰めて、ニュ−ヨ−クに咲いた一輪の薔薇の花のようでした。いつかの評論でため息が出るほどの名曲という言葉を目にしましたがまさにその通りだったのです。何処を切り取ってもキャロル・キングの素晴らしさが溢れ出ているのですが、脇を固めているダニ−・ク−チマ−、チャ−ルズ・ラ−キ−の渋い仕事振りも見逃せません。シティにおける彼女はソロ・アルバム時代の成熟したキャロル・キングとは違った、清清しさと爽やかさを秘めていました。しかしながら、その天性の作曲能力はいかんなく発揮されていたんですね。キャロル・キングがシンガ−・ソングライタ−として大きな変貌を遂げる前の一瞬の煌めくような輝き。それがこのシティであったと思います。

 
アル・ク−パ−とブラッド、スウェット&ティア−ズ

ポウル・ボウルズの小説のように現実と夢の交錯した世界。 知的な感性と野獣のような情熱。 その相反する心を持ちえた男。 もしかしたら彼は非常に不器用な人であったのかもしれません。 安住の地を求めて流離う旅人、アル・ク−パ−にはそんな吟遊詩人らしい形容が似合っていました。 また、彼は人と上手くやることが出来ないのだと傍目に映るほど妥協を許さない人でもありました。 それは彼の信念だったのでしょう。 ブル−ス・プロジェクト解散後に満を持して結成したブラッド、スウェット&ティア−ズは、それまでになかったブラスを大胆にロックに取り入れるという驚くような離れ業をやってのけます。  もちろん、過去に於いてもブル−スやソウルフルなナンバ−ではブラスやホ−ンセクションを旋律の装飾として使用することはあったのですが、その歌の根幹を成すようなパ−トをブラスで重厚に表現するということはかつてないことだったのです。 これが一世を風靡したブラスロックの誕生でした。 また、エリック・サティらの現代音楽にに影響を受けたような大胆なアレンジも彼の得意とするところで、ブラスロックに留まらずクラシックとの融合を試みていたのです。 大胆にして緻密。 まるで一流のスポ−ツ選手にでも与えられそうな称号も彼にならとても似合っていたと思いますね。 ところで、稀代の名曲、ウィズアウト・ハ−やアイ・ラヴ・ユ−・モア・ザン・ユ−ル・エバ−・ノウ、躍動感溢れるサムシング・ゴ−イング・オン等を配する彼らのデビュ−アルバムは、ブル−ス・プロジェクトの実績に別れを告げ新しい世界へと踏み出したアル・ク−パ−の存在が輝いていました。 ここではブル−スへの拘りを捨て去り未知なる音楽の構築に情熱を注ぐ姿があったのです。 ただ、なん度も言うように妥協を許さぬ彼の姿勢は、他のメンバ−との軋轢を生んでしまいます。 いつものパタ−ンで追われるようにブラッド、スウェット&ティア−ズを脱退した彼は、それ以降自らのバンドを組むことはありませんでした。 唯、一度だけブル−ス・プロジェクトのセントラル・パ−クでのコンサ−トの時を除いては。 また、ブラッド、スウェット&ティア−ズの方はというと、ヴォ−カルにD・C・ト−マスというパワフルで野性的な血を注入することで一躍トップバンドへと登りつめます。 何とも皮肉的なことですが、人生の隘路とはそういうものなのでしょう。 アル・ク−パ−とブラッド、スウェット&ティア−ズという時代を築いた面々は微妙なすれ違いの中で輝いていたのです。

  ニュ−ヨ−ク物語 ・ ビリ−・ジョエル

さよならハリウッド。 人の孤独を知り尽くしたビリ−・ジョエルは新たな旅立ちを始めようとしていた。 もうブル−ス・スプリングスティ−ンはビッグネ−ムになっていたし、エリオット・マ−フィも脚光を浴びようとしていたのです。 彼の胸に去来するものが何だったのかは解かりませんが、この名作、ニュ−ヨ−ク物語にはストレンジャ−でブレイクする前の、何ともいえない切なさと懐かしさを秘めた焦燥感が溢れていました。 夏、ハイランドフォ−ルズにてを聴くたびに忘れかけていた想い出と、懐かしさに彩られたあの時代を感じてしまうのは私だけではないでしょう。 ここには、人が必ず通り過ぎてゆく道筋をやさしく見つめる眼差しがあります。 胸を揺らすようなピアノの調べに誘われて、私たちもかの地を訪れてみたくなってしまいますね。 彼、ビリ−・ジョエルにとってハイランドフォ−ルズはどんな意味合いを持つ街だったのでしょうか。 ニュ−ヨ−クの想い。 おそらくはこのアルバムの最大のハイライトなるのは、ジャ−ジ−な雰囲気に包まれたこの素晴らしい歌でしょう。 大都会の悲しさと遣る瀬無さ、そして喜び。 アルトサックスやピアノは吟遊詩人の親友のように、彼の歌に命を吹き込みます。 そして、それは次のジェムスへと受け継がれて、ビリ−・ジョエルのニュ−ヨ−ク物語が完結するのではないでしょうか。 彼、お得意の優しきバラ−ドは、静かながらも確実に私達の感性を刺激してくれるのです。 ニュ−ヨ−クの街に暮らし、愛し、そして、それが人生となってしまったビリ−・ジョエル。 彼がこの傑作アルバムで伝えたかったのは、高尚な思想とか詩人としての視点とかでは決してなく、ビリ−・ジョエル自身の中のニュ−ヨ−クそのものだったのではないでしょうか。 私たちは愛すべき彼の1つの歌の中に、それぞれの物語を見つけ、それをまるで主人公になったように自分自身に投影してしまいます。 そういえば、自分の青春時代にもこんなことがあったような錯覚にさえ陥ってしまうのですね。 おそらく、ビリ−・ジョエルの最高傑作であろうこのニュ−ヨ−ク物語には、そんな過ぎ去った日々の切ない想いが織り込められていました。 永遠のように。 

 ト−キング・ヘッズ

世界の最先端を走る街ニュ−ヨ−ク。 そのニュ−ヨ−クの未来の知性とまで呼ばれニュ−ウェ−ブのミュ−ジシャンの中でもその斬新な感覚とテクノロジ−を駆使したセンスが際立っていたバンドこそ、デイヴッド・バイロン率いるト−キング・ヘッズでした。 当時、CBGBを始めとするニュ−ヨ−クアンダ−グラウンドシ−ンでは、テレビジョン派とト−キング・ヘッズ派に分かれておりましたが、私はどちらかといえば、カリスマ性と狂気の香りのするトム・バ−ライン率いるテレビジョンの方が断然格好良いと思っていたし好きでしたね。 ナイフのように鋭く尖った狂気、それこそニュ−ヨ−クそのものといった感がありましたので。 ト−キング・ヘッズといえば確かに新しいのだけれども、何処となく大人の雰囲気を漂わせた近未来のロックという感覚が強かったのです。 言葉を変えればニュ−ヨ−クしては少々ヒステリックな刺激が少ないというか、ジャズのコンセプトに近いような大人の落着きがあったのですね。 それ故若い人たちにとっては物足りなさを感じたものでした。 勿論、意識的に無機質で金属的なリズムをシャ−プに刻んだり、サイボ−グが演奏しているかのように情念を排除してしまっているメロディ−、近未来の空間を意識させる音の広がりなどには当時としても充分にアヴァンギャルドなものでした。 ただ、妙にその進みすぎた感覚が逆によそよそしさを感じさせてしまうことも事実だったのです。 ロンドンの異端児、ブライアン・イ−ノがプロデュ−スをしたにしてもそれは変わらないことでした。 人生にはそういうタイミングの悪さというものも確かにあるのです。 で、話し変わって数年後、久しぶりに彼らの音楽を耳にしてみてその斬新な感性溢れる音と先進的な旋律の展開に驚いてしまいました。 そうなると無機質だった音も躍動感溢れてくるから不思議です。 私たちがつまらなく感じていたのは自分の感性や時代が追いついていなかっただけだったのかもしれません。 つまるところ、ト−キング・ヘッズの音楽はその名の通りに進みすぎていただけだったのです。 私たちがそこに辿り着いたときに初めて何とも魅惑的に囁きだすということなのでしょう。 彼らの傑作は2枚目のモア・ソングスか3枚目のフィア・オブ・ミュ−ジックですね。 そこには、まだコマ−シャリズムに屈することなく立ち向かうニュ−ヨ−クのロッカ−としての誇りに溢れているト−キング・ヘッズがいます。

 ル−・リ−ド

ニュ−ヨ−クの下町の様々な人間模様を描いた名作映画スモ−クの続編で好演し、役者としても中々味のあるところを見せてくれたル−・リ−ド。 映画の中での朴訥としてそれでいて風格のある物腰に、彼の人間性の意外な部分を垣間見たような気になり、その新鮮さに衝撃を受けた人も少なくはないでしょう。 中々イイ映画でしたよね。 ところで、彼について語ろうとすればやはりヴェルベット・アンダ−グラウンドまで遡らないといけないでしょうね。 ル−・リ−ドのすべての原点はやはりヴェルベット・アンダ−グラウンドなのです。 およそ30年以上も前にニュ−ヨ−クで産声をあげたこの怪物バンドこそ、ニュ−ヨ−クの狂気に満ちたアンダ−グラウンドシ−ンとル−・リ−ドを世界に知らしめたのでした。 人々は錯綜した現代芸術の都、ニュ−ヨ−クに魅入られ、ヴェルベット・アンダ−グラウンドの歌に新しい未来を投影していたのです。 あの時代のル−・リ−ドの心に去来したものはいったい何だったのでしょうか。 彼らはヘロインやコカインについて歌ったかと思えば、名前に似合わないほど美しすぎる歌もあって、その不自然な断層にに心地よさを憶え共感したものです。 また、彼らは背徳の喜びと危険な香りこそ人が求めているという事実を教えてもくれました。 彼ほどニュ−ヨ−クを代表するア−ティストとして相応しい人も見当たらないと思います。 ニュ−ヨ−クの狂気、ニュ−ヨ−クのカリスマ、ニュ−ヨ−クの退廃的な知性、そして、ニュ−ヨ−クの街そのもの。 すべての悪夢も彼のもとに膝間づいてしまうほどの雰囲気さえ漂って、私たちをその危険な魅力の虜にしてしまいます。 ヴェルベット・アンダ−グラウンドを解散し、ソロ・ア−ティストとなっても危険な香りは輝きを増すばかり。 錯綜と混沌こそ彼の心情だったのです。 デビュ−作ロックの幻想からトランスフォ−マ−、ベルリンとアンニュイな世界を描き続け、名作コニ−・アイランド・ベイビ−では美しさと狂気を見事に混在させました。 ヒステリックな歌声と喋るように歌う独特な唱法は、イギリスのデヴィッド・ボウイと双璧をなすものでした。 そんな彼も、名曲ウォ−ク・オン・ザ・ワイルドサイドのように、恒にニュ−ヨ−クのワイルド・サイドを歩き続けながら、己のスタンスを継続して陶酔という幻を見せつづけてくれています。