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我々が感覚や知覚で捕らえる事の出来ない現象に対して不安を憶えるのは本能なのでしょうか。それとも、遠い昔から伝えられてきた遺伝子がやっと訪れた未来をすでに知りつくしていたからなのでしょうか。 あるものは深い心の精神世界へと沈んでいき、また、あるものは宇宙の果てへとたどり着きながら、気がつくとどちらもすぐ近くにいたという現実。 1970年という極めて不安定ながら上昇し続けていた時代の中で彼らは何処を目指していたのでしょう。 混迷こそが我が墓標名と記しながら。


1・ チック・コリア リタ−ン・トゥ・フォ−エバ− 1972年
2・ サ−ド・イヤ−・バンド
3・ キング・クリムゾン-クリムゾン・キングの宮殿−アイランド
3-2キング・クリムゾン-太陽と戦慄-スタ−レス・アンド・バイブル・ブラック
3-3キングクリムゾン-夜を支配した人々
4・ ジュリ−・ドリスコ−ルとブライアン・オ−ガ−&トリニティ 1969年
5・ ジェスロ・タル 1971年
6・ カ−ヴド・エア−
7・ エマ−ソン・レイク・アンド・パ−マ−
8・ マンフレッド・マン・ア−スバンド
9・ ア−ジェント
  

  チック・コリア   リタ−ン・トゥ・フォ−エバ− 1972年

かもめの軌跡を追って世界が広がっていく。 それは無限にも思えるほど広大な道標。そう、プログレッシヴロックへの。ジャズを好きな人ならこのアルバムがスウィングジャ−ナル誌に於いて1972年度ディスク大賞の金賞を受賞したことはもちろんの事、チック・コリアがこの時代に何故このようなアルバムを制作したのかすでにお判りのことと思います。また、どうしてジャズがプログレッシヴロックとリンクするのかという疑問をお持ちの方には、この時代のある瞬間にはジャズもプログレッシヴロックもクラシックも、またラテンでさえも混沌として混ざり合いながら、模索し新しい世界の扉を探し続けていた空間が存在していたのだとお答えしましょう。また、この時代ほど相互のミュ−ジシャンの交流が行われた時代も無かったと思います。それは、後にクロスオ−バ−という新しいジャンルさえ生み出しました。1960年代後半から1970年初頭にかけての一連のフリ−ジャズの運動は、ミュ−ジシャンが芸術と精神世界を突き詰めて行った結果、穿った見方をすれば私たちには非常に難解で聴き難き音楽のみを残してくれたような気がするのです。余りにも高尚過ぎて近寄りがたく、穿ったエリ−ト意識のような少しばかりの優越感と引き換えに退屈な時間を手に入れていたのです。そんな中でのこのリタ−ン・トゥ・フォ−エバ−の登場がジャズ世代のみならずロック世代からも賞賛を浴びたのは当然の事でしょう。非常に聴き易いメロディと爽快感のあるフレ−ズ。そして、未知への扉を思わせる音景色。 聴き終えた後に開放されたような爽やかな感覚が湧き上がり、新しい世界の予感が胸を熱くしてくれます。私はこのアルバムをジャズ喫茶で始めて耳にした時に、プログレッシヴロックの新人バンドだと勘違いしてしまいました。前衛的で難解過ぎたジョン・コルトレ−ンや先進的なマイルス・デイビィスの一派からこのような新鮮な音が誕生したことが十分にプログレッシヴであると思います。 このリタ−ン・トゥ・フォ−エバ−は極めて美しく静かな演奏で始まっていくイントロから、次第に心の中を切り裂かれ引き込まれていく不思議な感覚に囚われて、気が付けばチック・コリアの世界から戻れなくなってしまうのです。 ですから、時として美し過ぎるものほどシュ−ル・リアリスティックなものはないという逆説が納得できますし、精神世界を浄化してくれるかのような爽やかな音が溢れていました。 日常の世界の切り口を少し変えてみるだけで十分な衝撃を与えられるという事実を示してくれたような気がするのは私だけでしょうか。 永遠への回帰、それは未来への約束なのかもしれません。

  サ−ド・イヤ−・バンド

人は何を定義としてプログレッシヴ・ロックと位置付けるのか、それはある意味に於いてプログレッシヴ・ロックを語るよりも奥が深いことなのかもしれないと想います。ロック雑誌のレビュ−においてプログレッシヴ・ロックと位置付けてあればそうなのだと納得するだけで、何の先入観もなしに聴いた音がある人にとってはプログレッシヴ・ロックであったり、また、ある人にとっては環境音楽であったりするからです。様は感覚の問題であり受けて側の意識をア−ティスト側がどう向けられるかに懸かっているのではないでしょうか。私には前記したリタ−ン・トゥ・フォ−エバ−も十分にプログレッシヴであったし、トッド・ラングレンの魔法使いは真実のスタ−も同じ位置付けをして聴いていた時期がありました。同じようなピアノの旋律を心の中で受け取りながらも、その時の置かれた状況に応じて、自分の感性を信頼し判断していくのです。言い換えれば、雨の音1つをとっても十分にプログレッシヴ・ロック足り得ると想います。 というわけで、前置きが長くなりましたが伝説のサ−ド・イヤ−・バンドの登場と相成りました。伝説のと記したのはこのアルバムが日本でCD化された事実も確認したことがなく、30年ほど前に発売されたLPも日本でどれほど売れたのか定かではないくらい希少ものであったと記憶していますし、そのために中古盤屋さんにもほとんど出回っていないはずなのです。ただ、少し朗報があるのはタイトルが定かではないのですが再結成されたアルバムが発売されているとの事。そのアルバムを聴いていただければ、全盛時代の幻想的な音の一端を窺い知ることができるでしょう。 サ−ド・イヤ−・バンドが初めての人には何とも特徴のあるそのサウンドを説明し辛いのですが、簡単に説明しますと弦楽四重奏でプログレッシヴ・ロックを展開したと想像してください。かなり近いと思います。バイオリン・チェロ・オ−ボエ等のクラシカルな楽器を使って生み出される静寂なその旋律は、低く垂れこめた曇り空のように暗く陰鬱でありながら、儚い美しさを秘め、衝撃的な印象を脳裏に刻んでくれるのです。私たちの耳を通り越して心や情念へ直接訴えかけてくる音は、まさに第3の耳がなければ聴く事の出来ないものであり、プログレッシヴであることはテクノロジ−とは関係なく思想の問題であると教えてくれます。考えて見ますとテクノロジ−最先端の現代であるからこそ弦楽器の醸し出す音階が時には幻想的に、また時には精美に写るのかもしれません。 弦と弦とが生み出していく音の隙間は空虚なほど点在しており、その音が消えている空間もまたサ−ド・イヤ−・バンドの音楽であるのです。ですから、その隙間を埋めていくのは私たちの思想であり感性であり未知なる物を求めていく心なのではないでしょうか。彼らが送り続けてくれるメッセ−ジを真摯に受け止めるには、私たち自身の感性を恒に研ぎ澄ませてないといけないのです。そして、聞こえない音の向こう側にも音は存在するのだと理解し認識することでしょう。 彼等は言っています、聞こえない音を聴け、第三の耳でと。

 キング・クリムゾン

デビュ−アルバムにしてクリムゾンキングの宮殿という比類まれなき傑作をものにしたロバ−トフィリップの苦悩は果てしなく続いて行くかのように思われました。 その結果生み出された ポセイドンの目覚め と リザ−ドは明らかにデビュ−作の幻影を引きずりながらもがき苦しむ、ロバ−トフィリップの姿を赤裸々に表していたのです。 明らかに、レベル・ダウンしてしまったと思われるこの2作において、特筆すべきものは何もなくただ悪戯にクリムゾンキングの宮殿を引き立たせるだけの役割しか果たせなかったのではないでしょうか。 この時期のロバ−トフィリップは、辿りつくべき場所に辿り付いてしまったらもう戻ることさえ出来ないと、彷徨いながらも必死になって出口を求めていたのでしょう。 その結果デビュ−作と比べるとバンドのメンバ−が殆ど入れ替わってしまった アイランドに於いて微かな光明を見出す事になります。 このアイランドと呼ばれるアルバムは驚くべき事に弦楽器の静かな調べで幕を開けます。まさか、サ−ド・イヤ−・バンドにインスパイア−された訳ではないのでしょうが、新たなキング・クリムゾンを構築しようとするロバ−トフィリップの想いが感じられ、よい方向に風が吹きつつあるなという予感がしました。特に2曲目のセイラ−ズテイルなどは、今までのロバ−トフィリップのギタ−の音色とはまったく違った音を響かせており、所によってはリズムを刻み込むようなリフさえ見受けられるのです。これはどういうことなのかと考えますと、多分造形されたアンサンブルによる表現の限界を感じ取り、テクニックを磨く事によってそれを打破しようとしたのでしょう。
また別の意味では、もっとも軽妙でありながら能力が数段上がったキング・クリムゾンが登場して来たということにもなります。そして、意外なことにと言ったら失礼になりますが、レイディ−ズ・オブ・ザ・ロ−ドではビ−トルズばりの素晴らしいハ−モニ−とメロディも聴かせてくれるのです。 全編を通して意識されている弦楽器の醸し出す美しさはそれまでになかったことであり、取りも直さずエレクトリックな表現に対する限界とアンチテ−ゼを教えてくれたのだと想います。 やっと肩の力が抜けたねと言ってあげたい程リラックスした音の流れが心地よくて次なるステップの予感を十分に抱かせる佳作となっていました。

  キング・クリムゾン

さて、アイランドにおいて少しばかりの成功と自尊心を取り戻したロバ−トフィリップは、意外にもメンバ−を総入れ替えして次なる問題のアルバム 太陽と戦慄を発表しますが、このアルバムここまでの道のりがなんと長かったことかと思わせるほどの傑作に仕上がっています。 クリムゾンキングの宮殿を発表してからなんと6年の歳月が過ぎ去っていました。鬼才ロバ−トフィリップの苦悩を払拭するかのように、太陽と戦慄パ−ト1にはキングクリムゾンの過去と未来の全てのノウハウが注ぎ込まれており、あの素晴らしいクリムゾンキングの宮殿の到達点がやっと示されたといえるでしょう。前作にも増してリズムがタイトになっており、アンサンブルもジャズのインプロヴィゼ−ションに近く、アクセル全開というよりも非常に余裕を持ったク−ルな演奏を展開しています。 風に語りてを髣髴とさせる名曲 ブック・オブ・サタディの叙情溢れる展開は多くのキング・クリムゾンファンが待ち望んでいた調べであり、また、エクザイルスにおいて感じられる神秘的な情景はまぎれもなく名作エピタフに通じるものがあります。 そして、もっとも驚くべきはエクザイルスのエンディングに於いて、あの名作エピタフのイントロの一部が確かに聴こえて来るのです。幻聴ではないのかと何度聴き直してもエピタフのイントロに聞こえてしまいます。意味じくもこの曲の邦題が放浪者となっているのは余りにも出来すぎでしょうか。 また、このアルバムでは不安定な人の心を揺さぶるように狂気の世界と不安が描かれており、ロバ−トフィリップが暗黒の宇宙を彷徨い続けながらやっと辿り着いたのは、皮肉な事に日常に潜む狂気の世界だったのかもしれません。 絶望をひたすら深化させることによって自らの存在を確認するような逆説的な到達。 それはやがて7枚目のアルバム、スタ−レス・アンド・バイブル・ブラックへと受け継がれていきます。 覚醒と夢との間に揺れていたのは、紛れもなく自己を完結しようとしていたキングクリムゾンそのものなのです。 キングクリムゾンの膨大な作品の中で語られることの少なかったこのアルバムは、過去の叙情性に決別しようとする彼らの思いが見て取れます。 ここでは精神的な迷いが微塵も感じられず極めて冷静に創造しようとするロバ−トフィリップがいました。 表題作スタ−レス・アンド・バイブル・ブラックやグレ−ト・ディシ−バ−などでは余分な贅肉を殺ぎ落とし、ただひたすら精神と同化しようとする試みが新鮮な衝撃を生み出しています。 安易な妥協を排除しているのです。 また、演奏力の高さやアンサンブルも素晴らしく、過去のどのアルバムよりも自信をもって進み行くキング・クリムゾンの姿があります。 なんとこのスタ−レス・アンド・バイブル・ブラックでは全8曲のうち5曲がライヴ録音となっており、信じられないくらいの水準の高さを物語っていました。 そして、それは最後の到達点であり最後の出発点となった偉大なる作品レッドにおいてキング・クリムゾンとしての壮大な終焉を迎えるのです。 まるで、崩れ行く暗黒の世界のように。

  キング・クリムゾン-夜を支配した人々・1973年11月23日

たまにはドラマも見るものだと思うのは、何気なく眺めていた画面の奥から自分が混迷している事柄の教訓を得たりする時。キング・クリムゾンのライヴを観た人々は多分似たような感銘を受けるのではないのかと考えました。 ちよっと違うかな。 ただ、1973年11月23日にアムステルダムに於いて、幸運にも彼らのライヴを体験できた人達は同じ想いを抱くのではないでしょうか。 スタ−レス・アンド・バイブル・ブラックの種明かしが遥かな時を経てなされた時、私たちは奈落の底に落ちていくように愕然としてしまいました。 それは、なんという正確無比なライヴであったのでしょう。 正直なところ自分の耳には自信のあった私でさえ、スタ−レス・アンド・バイブル・ブラックがライヴアルバムであろうとは認識すらできなかったのです。 それは、この当時のキング・クリムゾンの完成度の高さと感覚の鋭さと驚異的な演奏力を物語っているのでした。 そして、数々のブ−トレッグに対する返答としてこのライヴアルバム、夜を支配した人々がリリ−スされたのではないでしょうか。 それは余りにも完璧すぎる芸術でした。 それもライヴという不安定な磁場において。 ロバ−ト・フィリップが何故このライヴを封印していたのか謎ですが、また何故発表する気になったのかそれもまた謎です。 どうやら、その秘密は数年前にリリ−スされたグレ−ト・ディシ−ヴァ−の中にあるのかもしれません。 彼らの場合は次から次へと未発表音源が発掘されてくるので、対極的な見地からその足跡を追っていかないと本質を見失ってしまいそうになります。 ライヴを収録した後に手を加えて加工することは豊富なテクノロジ−を使えば充分に可能なのですが、ロバ−ト・フィリップのプライドがそれを決して許さなかったでしょう。 よってこのライヴは素のままであると確信します。 ただし、全てがキング・クリムゾンの実力故のこととは申しません、何故ならこの幸運は、オ−ディエンスにも恵まれたこともあるのですが、成熟した瞬間を凝縮できる能力とそれを許してくれる運命も必要なのですから。 

 ジュリ−・ドリスコ−ルとブライアン・オ−ガ−&トリニティ 1969年

もう諦めていた過去の想い出に突然出合った喜び。 それは、ある日ふと立ち寄った中古レコ−ド屋で見つけた ジュリ−・ドリスコ−ルとブライアン・オ−ガ−&トリニティストリ−ト・ノイズというアルバムによってもたらされました。何と言う幸運なのかと我が眼を疑うほど意外で素敵な出会いでありました。 何故なら、このアルバムは当時どうしても買いたくて結局買えなくて思い出の中に置き去りにしていた1枚なのです。聞くところに寄ればアメリカより直接買い付けてきた数百枚のレコ−ドの中にあったとの事、そうだろうな今時日本にこのアルバムが残っているはずもなく、当の昔に歴史の彼方に忘れ去られていたとばかりに想っておりましたので。外国盤のCDで発売されているかどうかさえも定かではないのです。日本では廃盤どころかCDは発売されていないでしょう。従って残念ながらジャケットをお見せできなくて、代わりにジュリ−・ドリスコ−ルとブライアン・オ−ガ−&トリニティ関係の同時代のジャケットを載せてみました。 レコ−ドを小脇に抱えながらわくわくして家路に着くのは、思えば高校生の時以来かもしれないなと様々な想いを巡らせながら、封印をといたのです。アメリカやイギリスあたりではジャズのジャンルに加えられていることもあるようにEL&Pに共通するようなクロスオ−バ−的なサウンドと感性豊かなアドリブが特徴ですが、決してテクニック至上主義に陥っていないのは、あの時代の良き感性と新しい世界を創造しようとする気風があったからでしょう。縦横無尽に飛び回るブライアン・オ−ガ−のキ−ボ−ドが織り成す幻想的な情景に、ジュリ−・ドリスコ−ルの少しハスキ−でソウルフルな迫力のある歌声が絡み合って独創的な空間を創り上げ、流れるような旋律と不思議な世界に圧倒されてしまいます。 時にアコ−スティックで静寂な詩情溢れる音の群れや、時に煌めくように激しく迸るリズムが私たちの未知なる心を開けてくれ、神秘な国へと誘ってくれるのです。クリムゾンキングの宮殿を発表した時のキング・クリムゾンといい、この時代のプログレッシヴロックは何故にこれほどまでに美しく孤高で思想的でさえあるのでしょうか。 1つの時代が形成されて行く過程に於いてまるで結晶のように輝きながら凝縮されて生まれたからなのか、それとも、運命だったのか。芸術を通り越してシュ−ルな世界を垣間見せてくれるようなささやき。 美しすぎると言う言葉では言い表せないほど幻想的な世界は、感性を心地よく刺激してくれながら爽やかな爽快感を残してくれます。 まるで、冬の日に暖かいコ−ヒ−でも飲みながら窓越しに見る雪のように。 名盤とはこういうレコ−ドのことなのだと改めて感じてしまいました。

  ジェスロ・タル アクアラング 1971年

イギリスのロックバンドの中には簡単にカテゴライズできない個性的なバンドが数多く存在しておりまして、何を隠そうこの ジェスロ・タルもその最たるバンドのひとつでありましょう。 プロク゜レッシヴ・ロックと言えばもちろんそうでもあるし、イギリス特有のトラディショナルな気質も充分に感じられる、そしてまた、何よりもアンサンブルとテクニックに秀でている為にジャズの一流ミュ−ジシャンと比べても決して引けを取らない演奏力もある、また、特筆すべきは個性的で演劇性溢れる舞台とイアン・アンダ−ソンのパフォ−マンス等、どうやっても1つのジャンルに納めてしまうにはかなり無理があります。ただ、彼らの音楽の根底に流れているのはあくまでも英国の風土に根ざした伝統的なトラディショナル音楽であり、それをバンドアンサンブルによって前衛的にあるいは革新的に展開していくことにより、新しいロックミュ−ジックを創り上げることに成功したと思います。
そして、なんといってもイアン・アンダ−ソンのフル−トによって導かれていく不思議な世界は、時に心洗われるほどクラシカルであり、時に暗澹たる空気を漂わせながらも気高さを失わず、静として佇んでいます。ロックにこれほどまでにフル−トが縦横無尽に溶け込んで、その真価を発揮するなんて考えてもいなかったので、その新鮮さと斬新な感覚に唸ってしまいました。写真とかで見るとちょっと変わった気のいい田舎のおっさんか哲学者の世捨て人のような風貌をしておりまして、どうみても彼のジェントルな音楽とリンクしないところが愉快ですね。彼の音楽的なル−ツが何処にあるのか非常に興味があるのですが、おそらくは演劇に関するキャリアないしはそれに近いものを持ち合わせているに違いないと思います。音を聴いているだけでは解からないのですが、当時のレビュ−なり評論なりを読みますとそのステ−ジ衣装の凝り具合や、歌と言うよりも演劇の語りに近いような表現やユ−モアのセンスも数多く見受けられており、イギリス的な土壌も考え合わせるとけっして影響を受けていないはずはないと確信しています。 シェイクスピアの舞台上で奏でても違和感のない世界を持っていますよね。ただ、惜しむらくはキング・クリムゾンやピンク・フロイドといった大御所達と比べるとどうしても地味な印象は否めず、特に日本では一部の玄人受けをする特異な存在であり続けたのですが、天才的な子供の詩に歌をつけたシック・アズ・ア・ブリックあたりからはビッグ・ネ−ムの仲間入りを果たすようになります。私個人的には初期のスタンダップ、ベネフィット、アクアラングなどの初々しくてプログレッシヴなアルバムに惹かれておりますが。 ところが、彼らの偉いところは売れようが売れまいがちゃんと自分達ちのスタンスをしっかりと掴んでおり、大衆に媚びることなくあくまでも自分らの信じた音を創り続けたことでしょうね。頑固と言うかイギリスのおっさん的というか、それだけ逆の言い方をすれば音楽の土壌が強固なんでしょう。信じられない事ですが、つい此の間まで現役ばりばりで頑張ってまして、おそらくは21世紀になった今でさえもイギリスのどこかでライヴを続けていると思われます。イアン・アンダ−ソンは今年で幾つになったのかなあとふと考えて、そういえば1970年代からおっさんの顔と服装をしていたよなと想い出して微笑んでしまいました。不思議で素敵なイアンおじさんに乾杯。

   カ−ヴド・エア−

このカ−ヴド・エア−もジェスル・タルと同じく簡単には分類されないぞと気を張っているような素敵なバンドであります。ジェスロ・タルにはフル−トがあったように、このカ−ヴド・エア−にはダリル・ウェイの情感溢れるバイオリンがありました。紅一点ソ−ニャ・クリスティ−ナの醸し出すシュ−ルなヴォ−カルとダリルのバイオリンが絡み合う様はとにかく凄まじく、音と音の間から生まれ来る幻想的で不思議な空間は、夢の彼方へと我々を誘い出してくれます。その情念豊かなバイオリンの音ゆえにプロク゜レッシヴ・ロックの中でも際立った存在であったのですが、商業的には成功したとはいえませんでした。。時にはギタ−の如くアドリヴまでもプレイするダリルのバイオリンは、閉ざされた空気をも切り裂き一つ一つの音を形成しながら壮大で特異な空間を創造してくれるのです。しかし、バイオリンの音というのは実に不思議ですよね、私たちの遠い昔の忘れ去った想い出を刺激してくれるかのようです。何かしら懐かしく悲しげで切なくなってしまいます。それは太古の昔にさかのぼって遺伝子までも活性化してくれるからではないしょうか。また、疾走感溢れる彼の演奏は私たちの感性を擽り続けてやまずに、何処までも登りつめていくような幻想と感覚に囚われてしまいます。 イギリスのバンドは如何してこんなにも弦楽器の使い方が上手いんでしょうね。クラシック音楽の歴史が違うと言ってしまえばそれまでですが、彼らを恒に触発し続ける伝統と取り巻く環境が存在しているのでしょう。時としてアイルランドのケルティック・ミュ−ジックの影響やスコットランド辺りの荒涼とした原野の風を感じてしまうのは私だけでしょうか。 それに、この時代のバンドというのはどれを取ってもライヴがばかに上手いんですよね。ライヴにおけるダリルのバイオリンもロックファンなら必聴ものだと思います。考えてみるとバイオリンという楽器はギタ−とベ−スの其々の素晴らしい特徴を兼ね備えているんですよね。アメリカのカントリ−ミュ−ジックにおけるバイオリンの存在とイギリスのプロク゜レッシヴ・ロックそれとでは土壌の違いと言うだけでは説明できない深い断層があるように思われます。アメリカでプロク゜レッシヴ・ロックが根付きにくい状況と照らし合わせて検証してみたら面白いのかなと思いますが。

エマ−ソン・レイク・アンド・パ−マ−

エマ−ソン・レイク・アンド・パ−マ−との衝撃的な出会いについては1970年代のアルバム紹介のコ−ナ−で詳しく触れていますので、できればそちらの方をお読みいただければと思います。とにかく、アルバム・タルカスの鮮烈な印象は30年程過ぎ去った今でさえも心に深く残っていまして、私にとってのエマ−ソン・レイク・アンド・パ−マ−との原体験そのものなのです。あの、三位一体となった超人的なアンサンブル、そして疾走感ある驚愕的なテクニック、美しさと幻想的な音とのバランスの良さ等、若くしてプロク゜レッシヴ・ロックの看板を背負ってしまったプレッシャ−さえも原動力に変えてしまう勢いがありました。始めに思想ありきということがプロク゜レッシヴ・ロックの基本だと思うのですが、その原理をも払拭してしまうほどの優れたテクニックはそれだけで充分に思想足りえると証明してみせた最初のプロク゜レッシヴ・ロックバンドでありました。あの数式に基ずいた超人的なテクニックを披露するイエスの危機よりも早くその才能を開花させていたのですから驚きです。僅か3人編成というコンパクトなバンドシステムを感じさせない爆発的な演奏は、人間の限界を超えた超人的なテクニックに支えられて比類まれなき世界を確立します。そして、世界中が驚きと羨望のまなざしを向けその才能を称えたのです。エマ−ソン・レイク・アンド・パ−マ−の基本的な概念は既にナイスにおいて確立されていたと思われますし、後は形作ったものをどのように成長させるかがキ−ス・エマ−ソンの命題であったはずです。ともすれば、力を入れすぎて失敗してしまうデビュ−作も難無くこなしてしまい、セカンドアルバム・タルカスにおいてそのエネルギ−を爆発させる演出の心憎さに、新人離れした力量を感じてしまいます。続いてクラシック作家ムソルグスキ−の作品である展覧会の絵をライヴで見事に再現して見せ世界中の度肝を抜きました。新曲をライヴアルバムに於いて発表するすることは当時としてもそんなに珍しい事ではなかったのですが、アルバム丸ごと新曲というのはまさに前代未聞であったばかりか、その内容の素晴らしさや演奏力の凄さ、完成度の高さは眼を見張るものがあり、新人とはいえやはりイギリスあたりから出てくるバンドは違うはと思わずにはいられませんでした。考えてみると其々前進が、キング・クリムゾン、アトミック・ル−スタ−、ナイスといった超メジャ−なバンドであった訳ですから、これくらいの芸当は当然と言えば当然だったかもしれませんね。ただ、残念な事にエマ−ソン・レイク・アンド・パ−マ−のピ−クはこの作品までで、その後のトリロジ−、恐怖の頭脳改革と優れた作品をリリ−スするもののタルカス、展覧会の絵ほどの輝きは見受けられず次第にプロク゜レッシヴ・ロックの第一線から退いて行く事になります。余りにも早く燃えついてしまったのか、それともトリオ編成と言うシステムの限界を越えられなかったのか、当初の目的を達成してしまったからなのか、今となっては定かではありませんが、ただ、確信をもって言えるのは、私たちの脳裏にあの迸るエネルギ−と魂を揺さぶる演奏、それにオ−ラをも感じさせる作品の数々が、数十年経った今も直鮮烈に刻み込まれていますし、プロク゜レッシヴ・ロックの伝説として末永く語り継がれることでありましょう。ああ、でもライヴで一度は見たかったバンドですよね。

    マンフレッド・マン・ア−スバンド

これはプロク゜レなのかな、それとも良く出来たポップミュ−ジックなのかなと、戸惑ってしまうほどマンフレッド・マン・ア−スバンドは様々な多面性を持ち合わせておりました。ひとつの音楽の断片をピックアップすると穏やかで心地よいポップミュ−ジックなのですが、アルバムをト−タルに聴いてしまうとかなり奥の深いプロク゜レッシヴ・ロックなのです。元を正せばビ−トルズと同じ世代のポップバンド、マンフレッド・マンが前進なのでありまして、その才能豊かでポップなメロディ-作りには昔から定評があったのですね。そんな彼はマンフレッド・マンを解散した後にマンフレッド・マン・チャプタ−・Vなるバンドを結成し、その後マンフレッド・マン・ア−スバンドへと移行してきた訳です。まっそれにしてももう少し、バンドのネ−ミングを考えても良いのではないかと余計なお世話までやいてしまいますが、彼が試行錯誤しながら目指していた音楽がやっとここで花開いた感がありますね。マンフレッド・マン・ア−スバンドになってからはかなりの秀作を立て続けに発表してくれたのですが、日本ではビッグセ−ルスを記録するようなことは残念ながらありませんでした。詩情豊かなメロディと時としてクラシカルなまでの審美さをたたえていまして、決してアメリカでは生まれ得ない荘厳さを称えまさにブリティシュな音でしたね。独特な音の広がりは幻想性のある空間を生み出していて静かな中にも美しさを極限まで追求したような作風は、耳に馴染みやすく誰でもすんなりと入り込めることができます。プロク゜レッシヴ・ロックの中に於いてはキング・クリムゾン、ピンク・フロイドと同じく感性に鋭く訴えかけるタイプのバンドであると思うのですが、だからといって難解な思想性を問題にするようなことはなく、極めて自然に先進的な音楽を構築しているように見受けられました。 プロク゜レッシヴに対する視点が非常に柔軟だったのだと思います。ブル−ス・スプリングスティ−ンの歌を取り上げてマンフレッド・マン・ア−スバンド風にプロク゜レッシヴに消化して、それをまたヒットさせてしまうので、おいおいと言ってしまいたいような気がするのですが、それもまた、マンフレッド・マン・ア−スバンドの音楽の本質なのかなと考えてしまう不思議な一面もありました。

   ア−ジェント

偶然の奇跡というのはそんなにあることではないのですが、よその街に来て、たまたま通りがかった中古レコ−ド店で思わぬ掘り出し物を見つけたりする。 本当ならこの道は通らなかったのに何かの運命で引き寄せられてしまった。 そんな出会いがア−ジェントのエンコア−という、最高に素晴らしいライヴアルバムとの遭遇だったのです。 それも何と2枚組で800円と言う信じられないような安価で。 名盤中の名盤の中に入れていいような内容なのでこれは安い。 ア−ジェントものは輸入CDだと結構出ていたりするんですけど、レコ−ドは中古レコ−ド屋さんを巡っても皆無に等しいのです。 まあ、それだけ日本での絶対数が少なかったということなのですが。 実はこのア−ジェント、ポップグル−プが輝いていたというペ−ジでも取り上げているのですが、彼らのもう1つの側面として非常にプログレッシヴな色彩の濃い部分も持ち合わせていたのですね。 もともとは前進のゾンビ−ズの時代から、ドア−ズに通じるようなシュ−ルな感性がありましたので、ア−ジェントがデビュ−した時も多分にそのプログレッシヴな気質はあったのです。 そのシュ−ルでプログレッシヴな感性が、エンコア−と題された名ライヴ盤において怒涛の如く炸裂しておりました。 ラス・バラ−ドがポップな部分を受け持っていれば、ロッド・ア−ジェントがプログレッシヴな思想を担当するといった具合に、うま彼らの中でくバランスが取れていたのですが、ラス・バラ−ド脱退後はかなりそのプログレッシヴな方向性を強くして行ったように思われます。 で、そんな過渡期の中のエネルギ−を凝縮したかのようなこのライヴは、ロッドのキ−ボ−ドが縦横無尽に暴れまくっていました。 ア−ジェントのプログレッシヴな原点はやはりロッドのキ−ボ−ドが生み出す旋律にあります。 沈鬱なほど沈み込んでいく世界。 それは私たちを、不安と希望が錯綜したような不思議な時間へと導いてくれるのです。 また、ロッドのキ−ス・エマ−ソンを彷彿とさせる見事なテクニックは、このグル−プの要として随所でその力を発揮していました。 ただ、この人ひとたび乗りまくると、収集が付かないくらい突き進んでしまうようなタイプの人らしく、己がまいた種を刈り取れなくなってしまうという欠点があるようです。 若いと言えばそれまでなのでしょうが、ロバ−ト・フィリップのような冷静な感覚を持ち合わせていたら、きっとプログレ四天王に続く存在に成れたのではないでしょうか。



  続   く




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