一口にアメリカンハ−ドロックと言いましても、それはそれは多種多様でありまして、古くは伝説的なMC5あたりからモントロ−ズあたりまで絞ってみても、相当な数のバンドを上げないといけないんですが、それではとてもペ−ジが足りません。ですから、ここではあくまでも私の趣味に添った形で、お気に入りもしくは大好きだったバンドをピックアップしてみたいと思います


                         1・グランド・ファンク・レ−ルロ−ド
                         2・マウンテン
                         3・ジミ・ヘンドリックス
                         4・イギ−ポップ&ストゥジ−ズ
                         5・MC5

                         6・ニュ−ヨ−クド−ルズ
                         7・バックマン・タ−ナ−・オ−バ−ドライブ
                         8・ブル−オイスタ−カルト
                         9・モントロ−ズ
                         10・チ−プトリック
                         
                         





まずは、この
グランド・ファンク・レ−ルロ−ド。 何を隠そう実を言いますと私が初めて買った2枚組アルバムがグランド・ファンク・レ−ルロ−ドライヴだったのです。当時は訳もわかんないでロック雑誌のレビュ−に釣られて買ったわけですが、買ってみてびっくり2枚組アルバムなのにたったの10曲しか入ってないのと魂げてしまいました。このグランド・ファンク・レ−ルロ−ド、ギタ−のマ−ク・ファ−ナ−がえびぞりながらギタ−を弾いたり、やたら驚異的な大音響でライヴを演ったりと、正にアメリカンを地で行く3人組のいなせなお兄さん方でありました。まあ、テクニック至上主義がどうだとか、音楽的にどうだとか、反体制的な思想がどうだとかいった、あの時代のロックバンドがはまり込んでいた閉鎖的な状況とはまったく無縁の存在でもあった訳です。 ですから、はっきり申しまして玄人受けするバンドでなかったことは確かなのですが、なんせ初めてのライヴアルバム、それも2組と責められては当時いたいけない高校生だった私なぞ一発ノックアウトでありました。 ア−・ユ−・レディのカッコよさと言ったらもう。 デビュ−からの数年間は正に飛ぶ鳥を落とす勢いで、あっという間に日本でもトップバンドの仲間入りをはたしてしまいましたね。 また、今でも伝説となっている嵐の後楽園球場ライヴは、アフロデ−テのピンクフロイドと並び賞される日本のロック黎明期における金字塔と言っても過言ではないでしょう。 誉めてんだか、けなしてんだか訳のわかんないレビュ−になりつつありますが、単純にエンタ−ティメントできるノリノリのロック満載で、それはそれでいいじゃないかと歌舞伎の大見得を切るが如く、応援したくなっちゃうバンドでありました。 しかし、ハ−ト・ブレ−カ−は名曲だったなあ。 後年はキ−ボ−ドを加入させたりと音楽的な転換も図り、ぐっとアダルトにもなったのですが、私などは暴走列車の名前の通りあのままアメリカンに走りつづけてほしかったなあという気もしております。 また、マネ−ジャ−のテリ−ナイトとの確執など、晩年においては決して幸福な状況では無かった彼らですが、まさにその名の通りアメリカンバンドとしての礎は築いてくれたのではないかと思います。



考えてみますと、アメリカンハ−ドロックの部屋と仰々しく始めたものの、あとメジャ−では誰がいたんだっけと思ってしまいました。 おいおい、冒頭では相当な数のと言ったんじゃあないのと言われそうですが、考えてみると浮かんんでこないんですよね。 そうなんですね。 あの広大なアメリカ大陸さながら、とても簡単な分類では区別できないほど複雑に存在しているんです。 なんか、ハイデッガ−の実存主義みたいになってしまいますね。やはりブル−ス発祥の地だけあって、単純なハ−ドロックは受けにくい土地柄だったのか、イギリスなんぞに比べると圧倒的に絶対数が足りないなあ。でも、いました、いましたとっておきの
マウンテンが。 かの有名なクリ−ムのプロデュ−スをしたフェリックス・パッパラルディ率いるあのマウンテンが。 そういえば3人組と言う点でもクリ−ムをかなり意識していたのではないのかなと言う気がします。 その音作りは極めてブリティシュな色彩の強いグル−プでしたが、相撲取りさんのような体形でありながら脅威の早引きス−パ−テクニックギタ-を披露する、レズリ−ウェストなぞはどう見てもやはりアメリカンですよね。 ハンバ−ガ−を沢山食べていたんだろうなあ。 しかし、あの哀愁のある独特のギタ−フレ−ズはマウンテンの骨格を成す重要な要素でありまして、当時無名だったレズリ−ウェストを発掘し起用したフェリックスは流石といわざるを得ません。 あの体形からは信じられないくらいメロディアスで繊細な音を醸し出していました。 7色の音色といってしまえば大袈裟ですが、信じられないくらい情感豊かな旋律を導いて一世を風靡したギタリストといって良いでしょう。 アニマル・トレ−ナ−における彼のスライドギタ−も中々のものでかっこよかったですよね。 マウンテンが一貫して展開したのは、ブル−スに根ざしたア−シ−でつぼを得た音作り、静寂とハ−ドな世界とを巧みに使い分けたドラマチックな構成、そしてクリ−ムで完成させたウ−マンパワ−( 大音量によるユニゾン効果 )を織り交ぜて、独自なアメリカンハ−ドロックを築き上げたと思います。 ストリングスやアコ−スティクギタ−もブリティシュバンドのように詩情溢れて効果的に使っていましたね。 まるでイエスやトゥリ−ズに通じるような美しい旋律も時折顔を覗かせてハッとさせられてしまいました。 このマウンテン、アメリカンバンドとしての1つの時代をを築いたと言ってもいいでしょう。 しかし、このグル−プの頭脳でもあったパッパラルディさんも晩年はかなり悲劇的な結末を迎えてしまいます。なんと、こともあろう奥さんに射殺されてしまうのです。 それは、マウンテンを解散してから僅か数年後のことでした。

   

腰を入れてプレ−しなけりゃ、南部の客を満足させることはできない。1960年代そうつぶやきながら、
ジミ・ヘンドリックスは南部のクラブを回りながら将来の成功を夢見ていました。やがて、アニマルズのチャス・チャンドラ−と出会いイギリスへと渡った彼は、エクスペリエンスという3人編成のバンドを組んで、思い描いていた成功を手に入れるのです。音楽を演っているとそこかしこに転機があってこそ自然な事だと思う、そう言いながら。天国への階段を少しづつ昇りつめて行ったジミ・ヘンドリックス彼の真骨頂はやはりライヴでしょう。ギタ−が歌い、ギタ−が語り、ギタ−が唸り、ギタ−が奏でる。官能的にそしてエレクトリックに増幅されたブル−スを。私は高校生の時はじめてジミ・ヘンドリックスのモンタレ−ポップスフェスティバルライヴを買って、その衝撃的な情念のギタ−ワ−クに愕然とした記憶があります。兎に角ライヴにおけるジミ・ヘンドリックスのギタ−の凄さといったらもう筆舌に尽くしがたいほどでした。特に伝説となったワイルドシングの素晴らしさ。演奏の終盤ギタ−に火をつけてその音を変化させたあのいわく付きのワイルドシング。また、ボブ・ディランのライク・ア・ロ−リングスト−ンも数あるカバ−曲の中でも名演中の名演と言えるでしょう。楽曲の良さもさることながら、まるで、ギタ−にジミ−の魂が乗り移ったように弾きまくるその情念の音はまさに圧巻でしたよね。これほどまでに、ギタ−とその精神が同一のものとして語られた人も珍しく、我々は暫しジミ・ヘンドリックスそのものがギタ−であるかのような錯覚にさえ陥ってしまうのでした。最近、これまた素晴らしいフィルモア・イ−ストの完全版ライヴが、発売されて私達を喜ばせてくれました。、一時は洪水のように発売され続けたジミ・ヘンドリックスのレア・トラックの数々でしたが、最近は陰りが見えつつあったからです。でも、まだまだ彼の未発表音源があるような気がしているのは私だけでしょうか。時には狂気のように彼を掻き立てたものは一体なんだったのでしょうか。観客を興奮させたい、夢中にさせたい、という感情はまるで重い不安を思わせるものなんだと、語っていたようにジミ・ヘンドリックス程のギタ−テクニックを持っていた人でさえ、いいしれぬブレッシャ−と戦っていたのでしょう。つきまとう不安を振り払うかのようにドラッグに手を染めやがてはそのドラッグのオ−バ−ド−スによって帰らぬ人となってしまいました。何という早すぎた死。アメリカンロックの歴史の1ぺ−ジを飾ったジミ・ヘンドリックス。きっと今ごろも天国でギタ−を奏でているのではないでしょうか。



イギ−ポップ&ストゥジ−ズアンダ−グラウンドな世界から飛び出してきたいなせなハ−ドロック野郎とお兄さん方でありました。まあ、当時のニュ−ヨ−クのアンダ−グラウンドシ−ンを象徴するように、はちゃめちゃで退廃的な日常の生活がそのままロックとして形作られたサウンド、つまり、官能的でワイルドなハ−ドロックはニュ−ヨ−クであったからこそ受け入れられた音だったのではないでしょうか。音楽的な方法論を論ずる質のバンドではなく、シ−ンを象徴する事で自らの存在価値があったという事実をイギ−ポップはよく理解していたようで、それゆえに極限状態へと自分を追い詰めて、狂気のライヴバフォ−マンスを行いながら生と死の狭間を行き交っていたのです。 まあ、ジャンルこそ違え当時の多くのロックバンドが辿っていった道ではあるのですが。それにしても、半端な生活ではなかったらしく、後年、本人がドラッグを始めとして悪いことは全てやり尽くしたと言ってるくらいですから相当なものだったと想像できます。 もし、盟友デヴットボウイの助けがなかったならば現在のソロシンガ−としてのイギ−ポップは存在しなかったでありましょう。そして、上記のアルバム ロウパワ−でCBSより待望のメジャ−デビュ−を果たすわけですが、 もうこの時にはバンドの内部はバラバラの状態で程なく空中分解をしてしまうのですから何とも皮肉な話です。イギ−ポップはいまは何処から見てもすっかりいいお父さんになっておりまして、その後ソロになってからは、数多くの名曲をリリ−スしてくれました。特にソロになってからの作品は心に染みてくるようなロックを披露してくれ、1970年代から共に過してきた私たちおじさんたちに勇気を与え続けてくれましたね。



デトロイトから登場してきた
MC5( モ−タ−シティ5  )元祖パンクロックと呼んでもいいほどの衝撃的なサウンド( 当時は )でまさにアメリカンハ−ドロックの歴史は彼らから始まったと言えるのではでしょうか。 ファズト−ンを利かせた、いかにもと言った感のある独特のギタ−はあの頃の流行でありまして、その後のニュ−ヨ−クアンダ−グラウンド一派へと受け継がれていくのですが、それにしてもMC5の壊し方は半端じゃなかったのですね。 ハ−ドロックがまだまともな音楽として認知されていなかった時代ですから彼らへの風当たりも相当強かったのではないのかと想像します。 特に、時はあたかも西海岸を中心としたサイケデリックサウンドが席巻していた時代だったので、そのストレ−トな表現が極めて異色な存在として映るほどでありました。 ヴォ−カルのロブ・タイナ−の絶叫も凄まじかったですね。 このデビュ−アルバム、キック・アウト・ザ・ジャムはライヴアルバムとなっており彼らの躍動感溢れる演奏と、フルパワ−の素晴らしさがストレ−トに表現されていると思います。 良くも悪くもアクの強さが裏目と出て日本ではあまりパッとしませんでしたが、数年後イギリスより登場するパンクロックの元祖となったそのサウンドは当時としてはあまりにも斬新で激しすぎたのかもしれません。このMC5はその活動期間が短かったので作品はそれ程多くなく、このアルバムの他には1枚くらいしかなかったのではないかと思いますが、最近再結成されて元気な姿をみせてくれているようです。 叔父さんたちになってもあのファズト−ンを目一杯利かせてがんばっているのでしょうね。なんか、カッコイイですよね。



このコ−ナ−の中で、一番の悪に見える
ニュ−ヨ−クド−ルズ。 しかしてその実態は極めてストレ−トで単純なロックンロ−ルを演奏する普通のお兄さん方であります。 そのケバケバしい厚化粧からグラムロックの範疇に入れられておりますが、私はサウンドそのものは正真正銘のアメリカンロックで、グラムロックのそれとは同質のものではないと思っておりました。 日本でもデビュ−当時はグラムロックの仲間に入れられて、その容姿を見るにつけさぞやという期待をしていたのですが、音は本当に正真正銘のストレ−ト直球勝負。 それもカッコイイ。 やはりアメリカン・ロックなんだなと感じてしまいます。 ですから、どちらかと言えばパンクのル−ツとも言えるでしょう。 また、その退廃的な容姿とパフォ−マンスも社会的なものに対するアンチテ−ゼとして自らを位置付けるなど、実に良く考えていたバンドであったといえます。 初期のロ−リング・スト−ンズやザ・フ−がそうであったように真っ当な人たちが顔をしかめてくれるのが彼らにとって一番嬉しかった事なのかもしれません。人格の危機のなるオ−ブニングナンバ−は、そのタイトルとは裏腹に実にカッコイイアメリカンロックンロ−ルですものね。 また、関係ない話ですがヴォ−カルのデヴッドヨハンセンの厚い唇は、ミックジャガ−のそれとよく比較されましたっけ。 しかし、こうやってジャケットの写真を見るとヨハンセンお兄さんが林家三平に見えてしまうのは私だけでしょうか。



さて、お次に控えしはかのカナダの地よりやってまいりました。
バックマン・タ−ナ−・オ−バ−ドライヴであります。まあカナダとは言え同じアメリカ大陸なのでアメリカンハ−ドロックの範疇にいれていいのではないでしょうか。 ちょっと苦しいかなあ。 このバックマン・タ−ナ−・オ−バ−ドライブ日本では今ひとつだったのですが、あちらのアメリカでの人気たるや凄まじいものがありました。 私は、どちらかと言うと前進のゲス・フ−のほうがア−シ−で味があり好きだったのですが、バックマン・タ−ナ−・オ−バ−ドライヴになってからの能天気なロックンロ−ルも確かに捨てがたいものがありますよね。 壷を得たと言うか、聞き手側の求めているものをちゃんと心得ていて、これでもか、これでもかとサ−ビスしてくれる姿はもはや職人気質と言っても良いでしょう。 単純なことなのですが、聞いていて心地よいという極めて根源的なことを、ちゃんと理解していて表現する実力もちゃんとあると。 これなら売れちゃいますよね。 隠し味のいぶし銀。 ですから、このバックマン・タ−ナ−・オ−バ−ドライヴは単なるコマ−シャルと一刀両断に切り捨てられない奥の深さがありましたね。 アメリカあたりでは前進のゲス・フ−の影響もあってか本当にバカ売れで、アルバム、シングル両方とも信じられない程のセ−ルスを記録しています。 また、時折見せるアコ−スティクな側面も非常にア−シ−かつロックンロ−ルしていて、その辺のところもアメリカで受け入れられた所以なのでしょうか。 また、ライヴにおけるパフォ−マンスも物凄かったと聴いております。 代表作はやはりナット・フライジャル、四輪駆動、ヘッド・オンあたりでしょうか。



同じ頃、東海岸のニュ−ヨ−クでは、
ブル−オイスタ−カルトが一世を風靡しておりました。 よく対比されていたイギリスのブラックサバスとは似ているようで、また全然違ったコンセプトを持ち合わせており、ここらあたりの微妙なところで育まれた風土の違いが影響しているとと言えるのでしょうか。 爆裂するライヴの凄まじさをまざまざと見せつけたのが上記のライヴアルバムでありまして、ステッペン・ウルフの代表作である ワイルドで行こう はまさに圧巻ですし、ブル−オイスタ−カルトの名を一躍知らしめました。 3人のギタリストが醸し出すギタ−ユニゾンはまことに圧巻で凄いの一言につきますが、疾走感のみならずテクニックにおいても超人的なプレイを余すことなく披露してくれましたね。 ニュ−ヨ−クという街が生み出す巨大なエネルギ−をその重厚なサウンドに変えて、ブル−オイスタ−カルトは飛び立っていったのです。ただ、その重厚なサウンドと天国行きの超特急等に代表されるような、ハ−ドでドライヴ感あるハ−ドロックそのものの側面を語られることの多かった彼らですが、ブル−オイスタ−カルトの意図する真実のところは静寂とメランコリックであり、独特のメロディアスな部分であったのではないのかと思えてきます。 逆もまた真なり。そういった鏡の向こう側の見えない部分を対比させたことがソフトなサウンドとなって表現されているのです。 其の方が、大都会ニュ−ヨ−クの裏側を垣間見させてくれるには、素沢しいと考えていたのかもしれないですね。狂気を表現するには静寂で静かな音が一番なのですから。 ブル−オイスタ−カルトは第一印象とは裏腹に、ミステリアスな大人のロックを感じさせてくれたバンドであったといえるでしょう。 ニュ−ヨ−クの夜に一番ピッタリはまる、そんな音だ思いませんか。



ロニ−・モントロ−ズ率いる
モントロ−ズは、西海岸故の独特な乾いたフレ−バ−感が持ち味でありました。同じハ−ドロックでありながら、ブル−オイスタ−カルトあたりとはこんなにも違っているものなのかと、あらためて、アメリカ大陸の広大さと地域性の違いを感じてしまいます。 カリフォルニアの青い空の下だからこそこんなにも軽快になれてしまうのでしょうか。
もちろん、両者ではプロデュ−スのコンセプトが明らかに違っていると言う事実もあるのでしょうが。世界的なビッグセ−ルスを記録した訳ではないのですが、心に残ってゆくハ−ド・ロックサウンドは爽快な感覚に溢れ、新人らしい初々しさもありました。イギリスあたりの激しい環境に於いてこなれてからデビュ−してくる新人達と比べてもその初々しさが際立っていたと思います。ただ、ロニ−・モントロ−ズのギタ−プレイは特筆すべきで、奇をてへらうことなく生み出される基本に忠実なフレ−ズは
このバンドの売りであり、デビュ−アルバムにしてその方法論を確立していたのは立派と言わざるを得ませんでした。でも、やはりどんなハ−ドなサウンドを駆使してもカリフォルニアの青い空がよく似合っているんですよね。軽快なんですよ。すべてが。軽快と言っても、その音そのものが軽いと言うわけではないのです。音の比重が明らかに異なっているし、旋律の隙間が意図されているような、不思議な空間を作り出しています。 また、時にはスペイシ−であり、適度にポップであり、最高のロックンロ−ラ−であるエドカ−・ウィンタ−グル−プにも通じるようなドライヴ感も持ち合わせていました。 知ってる方はこの2つのグル−プは非常に共通点が多いと思われるでしょう。一般的にはファ−ストアルバムを代表作として揚げる人が多いのですが、私は名曲 家路が入っているこのペイパ−マネ−が一番だと思います。モントロ−ズのモントロ−ズらしさがとても強調されているし、彼らの方向性を認識出来たと言う点に於いても、モントロ−ズの作品の中でこのアルバムの右に出るものはないでしょう。

  

さてさてお次は、日本でお馴染み、日本が大好き、おまけに日本からその人気に火がついた
チ−プトリックの登場であります
デビュ−当時はパンクなバンド、そして、いかにもカッコよすぎるハ−ドポップは、当時女の子の羨望の的であり、ハ−ドロックバンドというよりはアイドルバンドとしての捕らえ方をされていましたね。 しかし、どうして、どうして最高のロックバンドは最高のポップバンドであるという私なりの基準を軽くクリア−しており、女の子が騒いでいるからという理由だけでは片付けられない、音楽性の高さも持ち合わせておりました。1970年代の終わりになってすい星の如く登場し、瞬く間にトップバンドの仲間入りをはたすのですが、まあ、玄人さん方には敬遠されることが多かったバンドではありますが、自分たちなりの視点とそれを展開できる力量を持ち合わせていると言う点において、明らかに産業ロックと呼ばれていた一連の人たちとは違っております。この辺りのポップな感覚が理解できないと、ロックンロ−ルの本質を見失ってしまいますよね。もし、ビ−トルズがハ−ドポップを演ったなら、こんな風になるのかなと思ってしまうメロディ−ラインをぐいぐいとハ−ドロックに乗せてくるのですから、女の子はやはりメロメロになっちゃいますよね。 本人達も生粋のビ−トルズフリ−クを自認しておりそのせいか、結構彼らのカバ−曲も多いんですよね。 リックニ−ルセンの好みなんでしょうか。そういえば、ジョンレノンのトリビュ−トアルバムにおけるコ−ルドタ−キ−も名演ですよね。そして、ベ−スとドラムがしっかりしているバンドは何をやってもカッコイイなあと感じさせてくれました。 そういえば、ジャケットにしてもボケとツッコミを地で行くような良く考えられた作りになっておりましたね。 この辺の商業的なコンセプトもリックニ−ルセンのものでしょう。それは、売りを狙ったのではなくてファンに対する彼らなりのサ−ビスであったと思います。日本で成功してからはライヴ・アット・ブド−カンでアメリカでの成功も手中に収めますが、トップに登りつめた後には暫く不遇な時代が続いておりました。しかし、永遠の愛の炎で見事に復活を果たしてくれましたね。

 

今後の紹介予定  J・ガイルスバンド、ジェ−ムスギャング、ブラックオ−クア−カンソ−、はこちらへ







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