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  16 ・ おせっかい ( ピンクフロイド ) 

ピンクフロイドの代表作と言えば、誰もが 原子心母 や ダ−ク・サイド・オブザ・ム−ン を上げることでしょう。しかし、私はこの2作に挟まれた おせっかい こそ最高傑作だと思っています。 原子心母以前のピンクフロイドはまだ思考錯誤の状態から脱しきれておらず、自分達の進むべき道も見出せていなかったのではないでしょうか。 もちろんこの原子心母において外から内へ向うという新しい道筋が見えてきた事も事実なのですが。 デビュ−当時の2作ははシド・バレットという得意な存在のリ−ダ−よって、アバンギャルドとポップスを融合した進歩的な音作りで、おやっと思わせるものはあったのですが少し変わった音楽をやっている連中だぐらいの評価だったはずです。 やがて、次なるステップとなるウマグマを経て原子心母へと到達する訳ですが、この作品プロク゜レッシブロックと言うよりは現代音楽とクラシックを上手に結合させたロックといった感が強かったですね。 もちろんその作品において飛躍的な展開を見せたコンセプトに、新しい時代を誰もが予感し、一躍ロク゜レッシブロックの旗手として祭り上げられた訳ですが、本来ピンクフロイドが進むべき方向は おせっかいによって初めて確立されたのです。それでは、そのピンクフロイド本来の進むべき方向とは何かを説明しますと、其れは一言で表現して 日常の中に潜む狂気と言えるのではないでしょうか。 おせっかいは 吹けよ風、呼べよ嵐という珍しくシングルヒットもした作品で始まりますが、この曲当たりはまだシド・バレットの影響も強く残っていて、直接的な外へと向かう行く音になっており、もっと違う言葉でいえば解かりやすい曲作りなのですが、次のピロウ・オブ・ウィンズからはガラッと変わって内面へ、内面へと静かに深く沈んで行くのが解かるはずです。今まで、宇宙とか神秘とか外的な素材を上手に料理してきた彼らにすれば180度転換したと言えますよね。それは、ラストの23分にも及ぶ大作 エコ−ズで見事に花開いた感がありますし、エコ−ズ原子心母の決定的な違いは表現する対象を別の次元へと向けたことにあると言えるでしょう。彼らはここに来て、私達をもっとも驚愕させるものは私達自信の心の中に存在するのだと確信したのではないでしょうか。それは、ピンクフロイドを脱退後発狂してしまったシド・バレットの存在とけっして無関係ではありますまい。おそらくはシュ−ルレアリスムという思想が一番似合っていたバンドであり、本質的にシュ−ルであることは奇をてへらった表現や想像ではなく、ごく自然に極めて普通であってこそ初めて意味をなす思想だと気が付いたのでしょう。時を同じくしてプロク゜レッシブロックという看板を背負わされたキングクリムゾンと比べても、この作品以降のピンクフロイドは明らかに違った道を進み始めたのです。つまり、大きな宇宙の彼方にはキング・クリムゾン、イエス、ELPがいて、こちら側、つまり地球にはピンクフロイドがいたと仮定すれば、同じプロク゜レッシブロックを演りながらピンクフロイドだけは随分とかけ離れたスタンスを持っていた訳ですねしかし、お互いが後ろを振り返ればお互いの姿が直ぐそこにあることをきっと確認できたかもしれません。丁度、現実と夢があたかも表裏一体であるように。

  17 ・ 危   機

イエスの作り出す音楽にはヨ−ロッパ伝統のファンタスティクなロマンが息づいている、初めて
こわれもというアルバムに入っていたラウンドアバウトという作品を聞いた時にそう感じました。 それは、プログレシッブロックという枠を越え去り新たな芸術的な世界を構築していると言っていいのかもしれません。驚異的なテクニックと綿密に計算された曲作りは、同じタイプのELPでさえも及びもつかないほど孤高の品位を漂わせ、もし、現代にクラシック音楽を形作るとしたらイエスこそその第一人者に相応しかったことでしょう。1970年代前半頃よりアルバムのジャケットも、その音楽の表現の一部と考えられるようになってきてELPにはギ−ガ−というジャケットデザイナ−が、そしてピンクフロイドにはかの有名なヒプノシスというデザイナ−集団がその音楽のコンセプトに合ったデザインを手がけていました。 またイエスロジャ−ディ−ンというイラストレ−タ−がジャケットをデザインするようになったこわれものから音楽的にも、また人気の上からでも飛躍的な進歩を遂げてトップバンドの仲間入りを果たしたのも単なる偶然ではないでしょう。また、プログレシッブロックにおいては極めて珍しい事なのですが、およそイエスには通常のアンサンブルといった概念が当てはまらないバンドでもありました。なぜなら、彼らは何十にも折り重なるような複雑な変拍子を駆使して作品の構築を行い、それを数学の計算を音で表現するような完璧な技術で1つの作品として我々に届けてくれたからです。 変拍子で変則的でありながら耳に聞こえてくるのは何とも心地よいという違和感がとても新鮮で私達聞く者を魅了してくれました。1つ1つの音が非アンサンブルとして独立していながら作品全体としては調和が取れている、それは一見矛盾しているようでありながら極めて自然に感性を刺激してくれるのです。こういったコンセプトはジャズのインプロヴィゼ−ションにも通じる物があるのですが、その根本的な発想の段階ではまったく相反するかのように違っていて、ジャズはとても自由に、そしてイエスは綿密に形作っていたわけですから。そこでこの危機というアルバムですが、深遠の淵という原題が示すように絶頂期のイエスの緊迫感で張り詰めたような音が凝縮されています。前作で散りばめられていたクラシカルなロマンティシズムは、影を潜めているかのような印象を受けますが、どうして、どうして1枚のアルバムの中に僅か3曲というこの其々の大作の中に、まるで万華鏡のように見え隠れしているのです。それにしても、大作主義の絶頂期であったとはいえLPの中にたった3曲とは随分と驚きました。朝もやの澄み切った空気の中に浮かんでいる小宇宙が、光を受けて輝いているような透明感のある音。そして、アコ−スティクな静寂さと激しくうねり合う驚異的な技術より生み出されるリズムが、聞く者の感性をダイレクトに揺さぶり続けて、イエスの世界としては1つの頂点を極めてしまったと作品と言えるでしょう。

  18 ・ アストラル・ウィ−クス

1960年代後半に、これほど完成度の高い傑作を作り上げたヴァン・モリソンは果たして孤高の天才か、あるいは神がかりな
変人なのか
、その人の評価についてもこれほど定まらないというよりは、評価しづらい人も珍しいでしょうね。色々な逸話を伝え聞くところによるとかなり気難しい人である事は間違いなく、その天才であるがゆえの奇行も我々凡人からするとどうも近寄りがたい雰囲気として映るのです。但し、ことその作品の話なるとまったく別であり、神の領域にまで達するかの如き傑作の数々は私も含めて多くの人々を魅了し続けてやまないのでした。 何かしらそのファン気質はかのフランクザッバ大先生のファン気質にも通づるところがあるように思われますね。1970年代後半から1980年代にかけては非常に宗教色の濃い作品を発表し続け私達を困惑させたかと思うと、アヴァロン・サンセットのように昔に立ち返ったかのような名作を届けてくれたりと、相変わらずいい意味でのファンの期待を裏切りつづけてくれましたっけ。 しかし、それにしてもこの名作アストラル・ウィ−クスには驚愕させられました。一般的にはわりと取りつき易い ム−ンダンスをベストに上げる人も多いと思いますが、私としてはやはりこのアルバムがベストであると断言できます。その先進的な感覚もさることながらジャズの感性、ロックの情熱、ゴスペルの魂と、当時のあらゆるジャンルの音楽の究極的な融合を彼の流儀で試みたような作品郡は、とても1960年代後半に作られたとは信じがたいような完璧なアルバムに仕上がっているからです。先ほども述べたように大げさに言えばまさに神の領域に踏み込んでしまったのではないのかと思えてしまうほどなのです。 また、随所に散りばめられたアコ−スティクベ−スの音がまるで隠し味のように其々の曲輪際立たせて、独特な世界と孤高な空気を見事に作り上げていました。中でも9分をこえる大作マダム・ジョ−ジの素晴らしさといったら、もう、胸がつまるようです。哀愁のあるヴァイオリンの音色が懐かしい郷愁と切ないほどの悲哀を誘ってやみません。このアルバムある意味ではもっとも完成された1960年代のブログレッシヴロックであったと言っていいのかもしれないですね。しかしまた、いくら芸術至上主義の風潮の強い時代であったにせよ、レコ−ド会社がよくぞアルバムの発売にふみきったなあと感心してしまいます。 発売当初は日本では何枚売れたのでしょうか。かと思うと一方でまたブラウン・アイド・ガ−ルのような軽快にシャウトするR&Bの名曲を書き上げてしまうこの人を天才と呼ばなくて誰を呼ぶといったところでしょうか。 おそらく、数あるブル−アイドソウルの名曲の中でもこのブラウン・アイド・ガ−ルを越える名曲は見当たらないですね。この曲におけるシャウトする歌唱力の素晴らしさもさることながら、跳ねるようなメロディやリズムの織り成す心地よさはたとえようもなく、雲の上を浮遊するように軽快です。 私などは春先にこの曲を聞きながらドライヴするととても気持ちよくなってしまいます。そして、この名曲は数年の時を経てこちらも名曲のウェイベリンへとリンクしているように思えて成りません。そういえば1970年代後半にリリ−スされたあのアルバムもソウルフルで素晴らしいブル−アイドソウルの名盤ですよね。考えてみると、このアストラル・ウィ−クスが宗教色の強い領域のヴァン・モリソンの最先端だと位置付けると、もう一方でソウルフルにシャウトする本来のR&Bの申し子ヴァン・モリソンを投影しているのが、ブラウン・アイド・ガ−ルと言っていいでしょう。

19 ・ 欲 望

ボブ・ディランといえば、誰が何と言っても追憶のハイウェイ61なのでしょうが、1970年代に入ってからの起死回生の一発とでも言っていいようなこのアルバム、欲望もまた優れた作品でありました。デザィア−という英語の響きも非常に格好よく、いよ−っボブさんと声を掛けたいくらいでありました。ボブ・ディランがボブ・ディランであり得る為の思想と反骨精神も久しぶりに旺盛で、あの交通事故以来ポシャっていたのが嘘のように、エンジン全開で飛ばしまくっています。このアルバムを聴きこんでみてやっと帰ってきてくれたねと皆が感じていた事でしょう。何が正義で何が悪なのかきちんと自分の中で整理がついているので、純真に不条理なことに対して立ち向かえるのですね。もともとは、世の中に対して牙を剥く事によって自分の存在価値を確認していたボブ・ディランなのですが、名作追憶のハイウェイ61以降は多様な音楽性にも目覚めて、その作品価値にも比重を置くようになります。しかし、それが一部の思想性の強い熱狂的なシンパにはそれが気に入らなくて、あの伝説のロイヤル・アルバ−ト・ホ−ルの罵声へと繋がるのですが、私に言わせれば精神的に成長しないものはバカものだとかの夏目漱石大先生も言っておりますように当然の進化であって、音楽性に目覚める事もその存在価値の一部なのです。ですから、ボブ・ディランの音が変わったから、思想までも変わってしまったと考えるのはまったくのお門違いなのですね。あの時代の音楽を潜り抜けてきた人は、自分だけは決して妥協を許さず自分の音楽は世界を変えるために在ると、人間の優しさと尊厳に溢れていました。ともすればそれが彼らの重圧となり逃避したり挫折したりとしたのですが、ボブ・ディランは見事に帰ってきてくれました。このアルバムには恒に牙を剥き続けるボブ・ディランと優れた音楽性を携えたボブ・ディランが混在していて、1970年代の記録に残る素晴らしい作品となっております。アルバムはいきなりの、無実の罪を着せられたボクサ−を擁護して権力に立ち向かうハリケ−ンで始まります。畳み掛けるように唄いながら久しぶりに突っ走る彼の姿に圧倒されます。また、モザン・ビ−ク、コーヒ−もう一杯、等の異国情緒溢れる情感が心に染みる秀作や、オ−シスタ−、ドゥランゴのロマンスなどとスカ−レット・リベラの哀愁のあるコ−ラスをフュ−チャ−した哀しくも切ない名曲も目白押しでありました。また、ボブ・ディランの思想とロマンティシズムが結実した感のあるジョ−イ、イシス等どれ1つとして無駄な歌が見当たらず、余りの完成度の高さに驚愕さえ憶えてしまいます。また、全編を通してスカ−レット・リベラの奏でる悲しげなヴァイオリンが彩りを添え素晴らしい情感を湛えています。さあ俺はまた走り出すぞと世界にみせてくれたボブ・ディランの快作、それが、この欲望だったのです。最後に彼は唄っています、心変わりのもとはなんであっても、見るのに優しく、つかむのに難しい、と。

  20・ ストレ−ト・アップ

このアルバムを探しつづけて何年かかったことでしょう。1980年代後半に一時熱狂的なマニアによるバッド・フィンガ−ブ−ムがありまして、その中でもこのバッド・フィンガ−のサ−ドアルバム、ストレ−ト・アップは延髄の的だったのです。ですから、当時は九州の片田舎の中古レコ−ド屋さんをいくら回っても見つかる筈も無く、通信販売などでたまに見かけても目の玉が飛び出るほどの値段がついておりまして、とても手の出る代物ではなかったのですね。なんせ、ジャケットや音の品質の良いものは10万円を越えるのがザラだったのですから。まるで二度と会えない恋人のように切ない日々でありまして、仕方なくリィシュ−盤( コピ− )や怪しげな海賊版で我慢しておりました。1972年の発売当時は確かにいいアルバムだとは思っていたのですが、これほどまでに脚光を浴びるとは考えてもみなかったので何時の間にか通り過ぎてしまっていたのです。その後事態はは急転しビ−トルズのアップル・レコ−ドの閉鎖や、リ−ダ−であり優れたコンポ−ザ−であった、バッド・フィンガ−の中枢ピ−ト・ハムの自殺などのあおりを食らって、幻のアルバムとなってしまったのですね。バッド・フィンガ−のこのストレ−ト・アップに限らず、そんな風に買いそびれて後になって後悔することがよくありました。ですから、最近になって1970年代の様々なアルバムがCD化され、比較的安く手に入るようになったのは本当に喜ばしい限りです。さて、この名盤ですがデビュ−当時からポ−ル・マッカ−トニ−2世とまで言われた、ピ−ト・ハムの才能を余すことなく発揮した作品でした。ファ−スト・アルバムは佳曲は多かったもののアイドルし過ぎていて甘いところも気にかかり、セカンド・アルパムではこれまた名曲の目白押しだったのですがアルバムとしての纏まりに欠けるのが目に付きました。ところがこのストレ−ト・アップになりますと一皮剥けた様にまとまりを見せ、あのバッド・フィンガ−・ト−ンとでもいえる独特の透明感ある爽やかさで統一された世界が広がっていたのです。それは、このアルバムのスタ−トをきる名曲テイク・イット・オ−ルの荘厳なそれでいて切ないピアノのイントロに象徴されています。ピアノに絡みつくように静かに歌うピ−トの歌声やそれに続くハ−モニ−も素晴らし過ぎるの一言です。これがバッド・フィンガ−の世界なんだって有頂天になってしまいそうでした。続くバッド・フィンガ−屈指の名曲ベイビ−・ブル−のイントロには何度聞いても鳥肌が立ってしまいます。私が1970年代の三大イントロに数えるのも無理の無い事だと一人で勝手に思っておりますが、ちなみに後の二つはバッド・カンパニ−のキャント・ゲット・イナッフとウィングスのジェットであります。まっ、余談はさておきこれほどまでに完璧なポップ・ミュ−ジックはそうざらには見当たらなく、彼らの才能がいかに素晴らしかったかを物語っていますね。また、アメリカでも大ヒットしたディ・アフタ−・ディもジェントルな名曲です。そういえばボトル・ネックで弾いているのはひょっとしたらジョ−ジ・ハリスンではないかと想像しておりました。このストレ−ト・アップには真摯なバラ−ドから軽快なポップにまでバッド・フィンガ−の全ての魅力が凝縮されていましたね。最初から最後まで壊れやすいガラスのように繊細で純粋な歌の数々は、草原を渡る風のように爽やかさを残してくれました。


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