[PR]看護師の好条件な求人情報満載:≪高待遇な求人続出≫専任がサポート!




グラムロックそれはあの時代の谷間に咲いた仇花だったのか。



T.レックス
ロキシ−ミュ−ジック
デヴッドボウイ
スパ−クス
アリス・ク−パ−
モット・ザ・フ−プル
スウィ−ト
お薦め コックニ−レベル かな。
             ビ−・バップ・デラックス  

スレイド 以下近日登場
ゲイリ−・グリッタ−

T.レックスホットラヴが全英チャ−トの1位を独走していた1971年の春。 あなたはいったい何処で何をしていましたか。
まだ生まれてないよと言う人も多いでしょうね。 だってもう、30年近く昔のことですからしかし、私の記憶のなかでは30年もの時が経ったとはとても思えないのです。 今も、初めてホットラヴを聞いた時の煌めくような感覚が心の中に残っているからでしょうか。 音楽というのは不思議なもので、どんなに歳月が経過しようと風化せずに、その生まれた時代を凝縮し、私たちの思い出の中で輝き続けて行きます。 それはまるで時間の流れの中に刻み込まれた遺伝子のように果てしなく受け継がれていくのでしょうか。
 T.レックスデヴッドボウイ、それにロキシ−ミュ−ジック等がが噴出したあの時代もまた決して風化せず語り継がれていくことでしょう。 

  T.レックス

T.レックスはライド.ア.ホワイトスワンのヒットにより一躍時代の寵児として踊り出てきました。 続くホット・ラヴでその地位を浮動のものとした彼らは、グラムロックという儚い夢の中で華々しく輝いていったのです。 それ以前からも、アンダ−グラウンドの世界ではその中近東の香りのする特異な音楽とマ−クボランの呪術師のように語りかける詩でマイナ−なファンには知られた存在であったようです。 アコ−スティックなギタ−とパ−カッションによって作り出される不思議な音楽は異国情緒たっぷりなティラノサウルス・レックスという夢を見せてくれて、それはそれで素晴らしい世界であったと思います。 そして、北アフリカを旅した時にとある魔法使いと出会い、そこで将来の大成功と交通事故による死を予言されたといいます。 この話を聞いたのは テレグラムサムが大ヒットし、もはやビ−トルズをさえも越えたと言われていた絶頂期の頃のことなので、いかにも成功したバンドのエピソ−ドとしては気がきいてるな位にしか思ってませんでした。 しかし、それから数年後魔法使いの予言通りにマ−クボランは交通事故によって帰らぬ人となってしまったのです。 それは、あたかもグラムロックの終焉を告げるかのような衝撃的な出来事でした。 時代はグラムロックからパンクへと動き出していたのです。 T.レックスにより始まったグラムロックがマ−クボランの死によって終結したといえるかもしれません。 しかし、彼らの一時の人気といったら凄まじいばかりで、ライド.ア.ホワイトスワン、ホット・ラブ、ゲット・イット・オン、ジ−プ・スタ−、テレグラム・サム、メタル・グゥル−と立て続けに傑作ばかりのNO・1ヒットを飛ばし、正にビ−トルズの後継者として相応しいのは彼らしかいないと誰もが思っていました。 ただ不幸なことに話題性ばかりが先行するあまり、その素晴らしかった音楽性が語られなかったのは残念なことです。 電気の武者、スライダ−といったロックに史に残る名作を発表したにも関わらず TOP1ヒットを次々に飛ばす彼らはアイドルとして語られることの方が多かったのです。 まず、アルバムにしても、シングルにしても1曲、1曲が非常によく計算し、また考えて作られており、決して無駄な曲が無かったのですから驚きでした。 エレクトリックでかつ単純なブギ−のリズムと、マ−ク・ボランの不思議なファルセットボイスが醸し出す独特の世界は、一度虜になると止め処なく引き寄せられてしまいます。 また、得意な分野であるアコ−スティックな曲に於いてもティラノサウルス・レックス流れを汲む味付けをして楽しませてくれました。彼らの名曲の中でも一番のマイフェイバリットは電気の武者に収録されていた モノリスですね。グラムロック史上におる出色のロッカ−バラ−ドであるこの作品は、T.レックスがT.レックスとして有り得る全ての魅力が内包されていたと思います。 今でもこの曲を聴くと、あの頃の切ない時代が想い出されて胸が熱くなります。T.レックスは取り立てて新しい音を作っているのではない、しかし、時代を意識していないのかと言うとそうでもなく、音楽の根源的な魅力のすべてをちゃんと分かっていて、自分らのスタンスと感性でグラムロックを完成させたのだといえます。 グラムロックよ永遠に、それは数あるグラムロックのバンドの中でもT.レックスにこそ送られるべき特別な賛辞でありましょう。 そして、マ−ク・ボランよ永遠に。素晴らしい音楽を有難う。

  ロキシ−ミュ−ジック

まるで時代の谷間に咲いた仇花のように、煌めきながら消えて行ったグラムロック。華やかであったがゆえに、散りゆく姿もいっそ切なく感じたのは私だけではないでしょう。 しかし、それも定めと解かっていたのは、かの
ロキシ−ミュ−ジックのリ−ダ−として名を馳せたブライアンフェリ−だけだったかもしれませんね。 本人達はどう思ったか知りませんが、ロキシ−ミュ−ジックもまたグラムロックの範疇に入れられたバンドでした。しかしながらロキシ−ミュ−ジック、フォ−・ユア・プレジャ−等の初期の作品においては、アバンギャルド過ぎる作風を自分たち自身でもコントロ−ルできずに、シュ−ルではあるのだけれどつかみ何処のない印象があったのも事実です。おそらくは、まだ、進むべき道が見えていなかったのでしょうね。 その後、並み居るグラムロックのバンドのなかでも特異な存在として、その将来性を高く評価されていたにも関わらずブライアンイ−ノの脱退により、よりコマ−シャルな方向へと向かいだしたのは残念でありました。 お互いに反目し合いながらも、お互いをもっとも必要としていたのはこの2人だったでしょうから。 ただ、私にしてもデビュ−アルバムの捕らえどころの無い散漫な印象に、非常に危機感を持っていましたのでブライアン・フェリ−のコマ−シャルな方向転換には少なからずその将来に期待していたのも事実なのです。 しかしそれでもまだ、イ−ノ脱退後暫くの間はコマ−シャリズムとブログレッシヴ的な方向性の狭間で揺れていたのではないかとと思える時期がありました。その不安定な危うさが見事に結実したのが3枚目のストランドではなかったのでしょか。 私は今でも3枚目のストランドが彼らの最高傑作だと思っています。 前作までのアバンギャルド性がすっかり払拭されて、解かりやすくも無いけど、難しくも無いといった微妙な感覚とその優越感を刺激されるような音作りに、やっとたどり着くべき場所を見つけたなと感じてしまいました。 特に3曲目のアマゾナの20年は先を進んでいるのではないのかと思われるほどのシュ−ルな作風にはゾクゾクするほど興奮させられましたっけ。 これはロックを超えて芸術だと唸ってしまうほどの出来栄えは、あたかも彼の目指したヨ−ロッパ伝統のいなせな生き様を音に変えたと思えるほどです。 時代とは言えこれほどのコンセプトを持ちえたのはやはり天才ブライアンフェリ−ゆえのことでありましょう。 もちろん、それ以後も一躍ロキシ−の名を知らしめたカントリ−ライフ、サイレン等の大傑作を排出していくのですが
それも、ひと時の夢の如く、やがては消え去る運命にあったのです。 恒に悲しみの影が付き纏っていたブライアン・フェリ−、人は彼を最後のダンディと呼び賞賛しました。 正に、ヨ−ロッパというその伝統的な歴史と高貴な気質が良く似合う珍しいロックミュ−ジシャンであったと言えるでしょう。

  デヴッドボウイ

デヴッドボウイはこう考えたかもしれません、なぜ自分がグラムロックなのかと。 七色の声の持ち主デヴッドボウイは今まで継続してきた彼の音楽のある瞬間が、グラムロックと呼ばれたことによって本当は戸惑っていたのかもしれない。 しかし、時代が動く時はおそらくそういうものなのでしょう。  また、それを欲していたのも彼自身なのですから。 ミックロンソンという最高のパ−トナ−を得て一躍スタ−ダムへと踊り出た彼の成功は今更言うまでもないですね。 ミックロンソンのギタ−なくしては、ボウイも有り得なかったし逆もまたしかりです。 当時のライヴにおける彼のギタ−のパワ−は凄まじく、電気的に増幅されたこれが、グラムロックのギタ−なんだとばかりに眩く輝いておりました。 特にライヴアルバムにおけるミックロンソンのギタ−とボウイの絡みはは凄まじいばかりで1つの時代の頂点を極めていたと思います。 当時の多くのブ−トレッグにはその時の新鮮な音が刻み込まれていますので、興味のある方は咲かせされてみてはいかがでしょうか。 ただ、輝く瞬間というのはそんなに長続きするはずもなく、やがてはデヴッドボウイの次なる脱皮によって時代の彼方へと忘れ去られてしまったのは残念な限りです。 あんなに才能があり、ギタ−に関しては独自な感性のあった人だっただけに残念でした。 デヴッドボウイは、グラムロックのア−ティストの中では、一番観せる事を強く意識し続けたア−ティストであったと思います。 その演劇性と、音楽の織り成す一種独特なステ−ジはカリスマ性に溢れ観るものを強く引き付けて離しませんでした。 そして、恒に時代の先端を見据えながら優れた能力によって、グラムロックという瞬間の輝きにも似た世界の中で、ジギ−・スタ−ダスト、アラジン・セイン、ダイアモンド・ドッグスといった傑作を次から次へとリリ−スします。 そんな彼の転機となった作品は、それまでのグラムロックから脱皮を図ったようなヤング・アメリカンでありましょう。 このアルバムに於いて彼はファンキ−でソウルフルなリズム・セクションを導入し、自らもまるでモ−タウンのア−ティストのようにセクシ−でジェントルに歌い上げています。 ただ、ボウイのことですから単なるソウル・ミュ−ジックを目指したわけではなく、次なるステップの方向を模索していただなのでしょう。 1970年当時というのは、何か時代が変わり行く切ない予感が胸を掻きたて、未来がまるで自分達の手の中にあるような錯覚さえ許されるほど、皆が新しい世界を待ちわびていました。近年公開された映画ベルベット・ゴ−ルドマインでもこの時代のことが克明にそして、切なく描かれていましたよね。 そんな時代を切り裂くかのようにデヴッドボウイは待望されることを喜びとして輝き続けようと走っていきました。 それは、ジギ−スタ−ダストからアラジンセインへと恒に変わりつづけて行ったことでも証明されるのではないでしょうか。 そして、変わり続けなければという宿命を背負いながらも、やがては挫折してゆく悲しさを秘めていたのです。 ですから、その刹那的な歌声が今も我々の耳に残り続けているのでしょう。

 スパ−クス

スパ−クスは1970年代から今でも活躍を続けている、まるで生きた化石のようなグラムロックバンドです。 しかしながら、その時代を巧みに取り入れる感覚のよさと、それ自体がバンドのコンセプトにもなっているロンとメルの風変わりでコミカルな容姿、そして、何と言ってもグラムロックの範疇に入れてしまうには余りにも自由奔放な音楽性と、やはり、残るべくして残って来たのだなと思わせる資質。 彼らこそ私のもっとも好きなグラムバンドの1つでもあります。 私などは名作アルバムとして名高い キモノマイハウスの1曲目に収録されているディスタウンにぶっ飛んじゃいました。 初めて耳にした時は、正直いってなんじゃこりゃといった感じの、まるでオペラのようにキ−の高いヴォ−カルにぴっくりさせられたものですが、それをフォロ−するアバンギャルドでキッチュなメロディ−との絶妙なバランスにすっかり虜になってしまいました。 同じアルバムに収録されていたアマチュア・アワ−も彼らの名曲でありまして、官能を擽ってくれるような情感と刺激的なスピ−ド感が不思議な別世界へと誘ってくれます。 先ほども触れましたがチョビ髭をはやしたまるでチャップリンのような兄さんのロン、そしてアイドルロッカ−のような優男の弟のメルと、どう考えても売りを狙っての演出が微笑ましくもありますが、やってる音楽は鋭いんですねこれが。 感覚を切り裂いて麻痺させてくれる音。 彼らは恒に対極的なバランスを取りながら、時代の先端を意識して音楽に反映させ続けてきたんですね。 ストイックで孤高の人と言った感のあるブライアンフェリ−に比べたら、まるで三文オペラの役者のようなロンさんですがどうして、どうしてロキシ−ミュ−ジックにも一歩も引けを取ってはおりません。 思想とか感性とかカリスマ性とかいった観念的なものとは一線を引いたような、自由奔放さが彼らの魅力でもあり、どんなことでもやっちゃうぞといった姿勢がいい形で凝縮されていたと思います。 その辺はやはり彼らがアメリカの出身と言う事と無関係ではないでしょうね。 しかし、一度聞いてしまうとなかなか耳から離れないその独特のメロディ−ラインが、不幸にも彼らの足かせになった事も事実なのです。 しかしながら、それを差し引いても余りある創造性と恒に新しいものへと挑戦する姿勢が、グラムロックの範疇を越え1990年代に入った今も、がんばっているじゃないと思わせてくれる素敵なバンドです。
 
 アリス・ク−パ−

アリス・ク−パ−の最高傑作はキラ−かもしれませんが、私がもっとも良く聞いたのはマッスル・オブ・ラヴの方です。 マッスル・オブ・ラヴに至るまでは、グラムロックのバンドの中でも際立つようなハ−ドなロックンロ−ルにのせて演劇性の強いステ−ジを展開し続けていた彼らも、このアルバムからひとつ抜けてしまったと言うか、余裕の出てきた大人の音作りを見せ始めたからです。 もちろん、それ以前にもエイティ−ンを始めとしてアンダ−・マイ・ホウィ−ルス等の小粋なロックンロ−ルを聞かせてくれていたので、その才能は十分評価していたのですが、いかんせんその戦慄的なステ−ジに話題が集中しており、なかなかその素晴らしい作曲の才能にまでは波及していなかったのです。 特にエイティ−ンなどは非常に良く出来たロックンロ−ルでカッコイイの一言に尽きると思います。 アリス・ク−パ−のパフォ−マンスは現在のマリリン・マンソンの、お師匠さんのような存在のステ−ジングであったといえば解かり易いでしょうかね。 ですから、サウンド自体は極めてノ−マルなアメリカン・ハ−ド・ロックであったのですが、ホラ−映画にも通じるようなその特異なステ−ジングとダ−クサイドなイメ−ジが、一般的な普通の日本のロックファンを遠ざけていたのも事実だったのです。 私は、そんな、過去のイメ−ジを払拭するかのような、前向きな方向転換をマッスル・オブ・ラヴに感じてしまいました。過去の2枚のアルバム、キラ−とミリオン・ダラ−・ベイビ−ズがアメリカではかなりヒットしていたので、そろそろ自分達のやりたい事をやってみようかなと思っているかのようで、落ち着いた、それでいて隠し味のような毒を散りばめた、大人のロックを完成させてくれたのです。 このアルバムをト−タルに見てもその構成が非常によく考えられており、傑作揃いだといえますし、特にその中の1曲ビッグ・アップル・ドリ−ミンは彼らの最高傑作ではないかと思っています。 彼らをグラム・ロックのア−ティストと呼ぶかどうかについては賛否両論別れる所でしょうが、特筆すべきはその演劇にも似たステ−ジのバフォ−マンスでありましょう。 それは、彼らが恒に衝撃的に、あるいは、甘美に見せると言う意識を持ちながら、ロックン・ロ−ルを演奏していたのだと思います。 ですから彼等は時にはへびや、ボンテ−ジ・ファッションにみを包みながらその特異なステ−ジを演出していたのですね。 この点に於いて充分にグラム的でありますし、退廃的な感覚を醸し出す事によって自らのエネルギ−としていたのでしょう。

モット・ザ・フ−プル

アリスの恋というとってもカッコイイよく出来たアメリカのニュ−シネマの冒頭で、いきなりモット・ザ・フ−プルのメンフィスへの道が流れてくるシ−ンがあります。 あの有名なピアノのイントロに導かれてイアン・ハンタ−の少しはにかんだボブ・ディランのようなヴォ−カルが聴こえて来るのですね。 やっぱりアメリカのニュ−シネマあたりは使っている音が違うなと妙に感心したのを憶えています。 監督は確かマ−ティン・スコセッシだったと思いますが定かではありません。 主演は当時よくロックをモチ−フにした映画に出演していた、自らもミュ−ジシャンのクリス・クリストファ−ソンだったですね。 まっ、それはともかくとしてグラムロックとして位置付ける事が彼らの思惑どうりであるのか、それとも不本意なのかよく分からないところがありますが、アメリカの有名な音楽雑誌ロ−リング・スト−ン紙の評論では確か最強のハ−ド・ロックバンドとして紹介されていた事を記憶していますし、本国イギリンにおいてもデビュ−からずっとハ−ド・ロックバンドとしての位置付けがなされていたようです。 確かにデヴッド・ボウイのバックアップにより復活したアルバム、すべての若き野郎ども以後は史上最高のロックンロ−ルバンドとの異名をも与えられ急速にビッグネ−ムへの道を登りつめたのも事実です。 しかし、革命とロックンロ−ル黄金時代の2枚のアルバムでは余すことなくグラムロックを私たちに披露してくれ、その華麗なる脱皮に驚きと羨望のまなざしを向けた人も多かったのではないかと思います。特にモットの最高傑作と目される革命においては単なるハ−ドロックというよりも、1曲、1曲がそのドラマチックな展開と明らかにデヴッド・ボウイを意識したと思えるアレンジ、また、彼ら独自のミュ−ジカルのような歌の構成など、グラムロックのコンセプトそのもののだったからですね。 革命の中の名曲ホナルチ−ブギ−にはそのすべてが凝縮されていると言えますし、グラムロックとは単なる流行の音楽ではなくロックの視点を未来へ向けたメッセ−ジと思想だと思うのです。 その意味でも彼らの詞を読んでもらえばお分かりのとおりで、イアン・ハンタ−の頭脳明晰なセンスや並々ならぬ能力の一端が窺い知れます。ただ彼らにすればグラムロックという看板は不本意だったかもしれないと最初に書いたのは、恩人でもあるデヴッド・ボウイへの決別があったからなのですね。 それはグラムロックへの決別をも意味するように思えてならないのでした。 しかし、皮肉な事にその後の彼らの足跡は必ずしも平穏であったとはいえませんが。いずれにしてもグラムロックの流行の中で、ひとつの時代を凌駕したモット・ザ・フ−プルの功績は今も長く語り継がれているのです。 最後にひとつ革命のジャケットに添えられたかのD・H・ロレンスの詩をのせておきましょう。革命は遊びで起こせ、真剣にやってはいけないと。

 スウィ−ト

1970年代に於いてニッキ−・チンとマイク・チャップマンほど優れたコンポ−ザ−はそうざらには見当たらないと思います。一世を風靡したグラムロックの中でも出色のヒット曲を排出して、ヒットチャ−トの魔術師とまでいわれそれも並みの数ではなかったのですから。 また、つぼを心得た曲作りといい、人の心を擽るメロディラインの素晴らしさ、そして、極上のポップ感とくればもう彼らの右に出るものはいなかったですね。 その彼らのバックアップを受けてデビュ−したスウィ−トは当初単なるバブルガムのヒットメ−カ−でありました。 そんな彼らも来るべきグラムロックの時代を意識してか、ブロック・バスタ−の大ヒットによってその音楽性の大転換を図る事になるのです。とはいっても相変わらず作曲に関してはニッキ−・チンとマイク・チャップマンの傘の下でありましたので、この二人によって上手くコントロ−ルされていたのかもしれないですね。 スウィ−トの身上としたのは近未来的でハ−ドポッブなギタ−リフのサウンドに、デカダンスさえ感じさせるオペラチックなヴォ−カルを乗せ、グラムロックで味付けをしたところとでもいいましょうか。 聴く側をぐいぐいと引きずり込むようなスピ−ド感と派手でポップな構成に思わず嬉しくなってしまったのは私だけではないでしょう。そして、ブロック・バスタ−以降はヒット曲を連発しグラムロック界の寵児としてもてはやされ、飛ぶ鳥を落とす勢いさえありました。 一度耳にすると忘れられないようなそのサウンドは、簡単に言えばクイ−ンがバブルガム・ポップを歌っているような歌でありました。 ただ、グラム史上に残る名曲と私が思っているメデュ−サなどはクイ−ン以上にクイ−ン的であり、素晴らしいヴォ−カルとコ−ラスの作り出すスウィ−ト独特な世界は傑作の名に相応しいものでありましたね。 そのスウィ−トもやがてはニッキ−・チンとマイク・チャップマンとの袂を分かちいよいよ彼らの道を進む事になります。グラムロックからハ−ドロックへと転換を図り正真正銘のロックバンドになったのです。 この頃のスウィ−トも初期のツェッペリンのように非常にカッコイイのでぜひ一度聴いて欲しいと思います。

 コックニ−レベル

デビュ−した頃のロキシ−・ミュ−ジックの面影を残しつつ、スティ−ブ・ハ−レイ&コックニ−レベルはグラムロックの中でもひときわ異彩を放っていました。 その華やかなデビュ-も鮮烈であったのですが、あきらかに同時期にデビュ−した、グラムロックも含めた新人バンドとは、持ち合わせている力量が遥かに違っておりました。 それは、決して難解な音楽を構築しているという意味ではなくて、むしろ逆に、ある意味に於いては華麗なるポップミュ−ジックを届けてくれました。 それは、それは思想を持った極上のポップミュ−ジックであったのです。 コックニ−レベルとの出会いによって、私たちにロックが進むべき未来を手に入れてしまったような錯覚さえ起こさせるほどだったのですね。テクニック云々というよりもカリスマ的なスティ−ブ・ハ−レイの魅力とその知性に溢れる感覚、そして、ブラスおよびストリングスのアレンジャ−であったアンドリュ−・パウエルの感性と才能が輝いていたからです。 私が並み居るグラムロックのアルバムの中でも3本の指に入ると断言できる名作 サイコモ−ド( 邦題は さかしま )はそんな二人の作り出したロック史上に残る最高傑作なのです。 特に1曲目のスウィ−トドリ−ムスからサイコモ−ドへと移り行く斬新な音の美しさとシュ−ルさといったらもう、ため息が出て眩暈がしそうなほどでした。また、最後を飾るタンバリング・ダウン崩れ落ちていく運命の切なさを審美に歌い、鳥肌がたつ思いを感じました。 この恐るべきコックニ−レベルの登場は、やがて散り行く運命にあったグラムロックの最後の仇花だったのかもしれません。 何といっても彼らの魅力は、スティ−ブ・ハ−レイの個性的でデカダンスなヴォ−カルと、退廃感を漂わせた中世のヨ−ロッパ・ロマンティシズムを持ち、堕落していく美しさを近未来的なロックン・ロ−ルで飾り尽くしたことなのではないでしょうか。彼はその歌の中で意味じくもいっています そうさ、人生はもう充分に退屈だと。 まるで、貴族の血を受け継いだような、スティ−ブ・ハ−レイの哀愁を帯びた歌声は万華鏡の如く煌めいて、その時その場の土壇場の人生を優しい眼差しで見つめているのです。手を差し伸べる事が救いなのではなく、その人の運命を識った上で佇むのもまた優しさなのだと教えてくれたのですね。ですから、コックニ−レベルの作り出す音の端々からは、堕ちていく者達の悲しみと切ない運命を感じてしまいます。 また彼らの音楽の根幹をなすもう1つの側面は、精神の奥底に潜む狂気をシニカルに描き出して見せてくれたことでしょう。 スティ−ブ・ハ−レイの焦点がずれたような眼差しには、人間の精神世界に沈みこんで、彷徨いつづけているような気さえ抱かせます。アルバム サイコモ−ドの中に張り巡らされた謎に私たちは囚われの身となり逃れられなくなってしまうのですね。 その束縛のなんと心地よいこと。 そして、時には哲学的でさえある官能的な詩を包み込むのは、グラムロックと呼ぶにはあまりにも美しすぎるロックン・ロ−ル。 その不思議な感覚に囚われてしまうシュ−ルなサウンドは、シンセサイザ−からヴァイオリンまで駆使して綿密に計算され創造されているのです。 コックニ−レベルの奏でる歌には音楽がおよそ人に与えうる、素晴らしさと感動と驚嘆のあらゆる要素が組み込まれているといえるでしょう。 純真なる夢想家スティ−ブ・ハ−レイ、彼の眼差しの彼方にはどんな未来が見えていたのでしょうか。

 ビ−・ボップ・デラックス

燃えるような情熱と近未来の感性をギタ−に託した男、それがビ−・ボップ・デラックスのフロント・マン、ビル・ネルソン。 一世を風靡したプロレスのビル・ロビンソンとはまったく違いまっせ。 ( しかし例えがえらい古うおますな )ビ−・ボップ・デラックスをグラムロックのバンドと捕らえるか、またはハ−ド・ポップのグル−プの範疇に入れるかは評価の分かれるところですが、いずれにしてもその特異で斬新な旋律は際立っていました。 スピ−ディ−で大胆な構成、程よくポップでそしてシュ−ル。 時には震えるようなエレクトリックバラ−ド。 なんといっても万華鏡のように変幻自在に変わり行く、鬼才ビル・ネルソンの情感豊かなギタ−。 私たちはそんな彼に、何故だかグラムロックの英雄ミック・ロンソンの幻影を見てしまいます。 エレクトリックに装飾された煌めくような彼らの世界は、70年代のグラムロックが生んだ最後の奇跡といえるかもしれません。 丁度、スウィ−トやクィ−ンにも共通するダイナミックでハイテンションな世界を持ち、ポップでキッチュでハ−ドな最先端の近未来ロックンロ−ルを生み出し続けました。 デビュ−当時よりも後年になってその才能が評価されてきた不運なバンドでしたが、もし1974年より以前にデビュ−を飾っていたならば、グラムロックの大いなる旗手になり得ていたかもしれません。 彼らの場合ギタ−のビル・ネルソンの才能によるところが大きいのですが、ともすればドラマチック過ぎる展開も決して嫌味がなく纏まっているのは彼の天性のものなのでしょう。 私が彼らと出会ったのはサ−ド・アルバムのサンバ−スト・フィニッシュでした。 もうその頃にはグラムロックはとうに終焉を迎えており何とも切ない感じが残りましたが、彼らはそんな状況に臆する事無くグラムロックから未来へと繋がっていく4作目の最高傑作モダンミュ−ジックを創生します。 それは1976年のことでした。 ここに来て試行錯誤を繰り返していたやっと彼らの方向性が示されたといっても良いのではないでしょうか。 その後も意欲的な名作ドラスティック・プラスティックなどを1978年にリリ−スしますが、残念な事に実力のわりにはビッグネ−ムの仲間入りを果すまでは至りませんでした。

 スレイド

もう何といってもこのアルバムのラストに入っていた、ジャニス・ジョップリンのム−ブ・オ−バ−のカバ−が格好良かったですよね。 名曲、だから君が好きを筆頭にグッバイ・ジェ−ン、クレイジ−・ママ等一時はNO・1ヒットを立て続けに飛ばし、ビ−トルズやT・レックスを凌駕するような勢いでしたが、その素顔はいなせなロックン・ロ−ルお兄さんといった素敵な面々でした。        
スレイドに関する詳しい解説はこちらへ




戻    る


[PR]大人気!看護師単発アルバイト:看護師の単発のアルバイトを手軽に検索!