

イギリスの荒涼たる荒野に生まれ、風に乗って人々の心を癒してくれた。人々はその音楽をトラディショナルと呼び、イギリスの伝統として語り継ぎながら、日々の暮らしの中で大切に育んできたのです。日本人の私たちがその根源的なものを理解できるはずはないのですが、素晴らしいトラディショナル・ミュ−ジックの優しい心に触れられればと思います。
1・フェアポ−ト・コンベンション
2・マグナ・カルタ
3・スタックリッジ
4・スティ−ライ・スパン
5・ブリンズレ−・シュウォルツ
6・マシュ−ズ・サザン・コムフォ−ト
7・ペンタングル
8・バ−ト・ヤンシュ
9・リンディスファ−ン
10・インクレディブル・ストリング・バンド
11・アルビオン・カントリ−・バンド
12・プレインソング
13・ハイウェイ
フェアポ−ト・コンベンション
1967年に結成されたフェアポ−ト・コンベンションは、どの時代のメンバ−が正規のラインアップか解からないほどメンバ−チェンジを繰り返し、イギリスのトラディショナル・ミュ−ジック界に伝説を生み出していったのです。 そして、イギリスのトラディショナルを語るときには、フェアポ−ト・コンベンションの歴史を語れば事足りるほど、その重鎮として長きに渡り活躍していたのですね。 数々の有名なミュ−ジシャンを排出したので、私などはトラディショナル・ミュ−ジック界のイエス、もしくはキング・クリムゾンと呼んでおりましたね。 当然ながらその作り出す音楽は決して派手な音とは言えなくて、むしろ、地味すぎるほど地味な音を積み重ねフォ−クやトラディショナルを切々と歌い上げるのでした。ですから、記憶に残るようなヒット曲もありませんし、華やかなスポットライトを浴びていく存在でもなかった訳です。 しかし、フェアポ−ト・コンベンションがトラディショナル・ミュ−ジック界に残した功績には最大級の賛辞を送っても誰も異論を唱える人はいないでしょう。デビュ−当時のメンバ−の中には、これまた伝説の中の伝説グル−プ マシュ−ズ・サザン・コムフォ−トを、フェアポ−ト・コンベンション脱退後結成する事になる、あのイアン・マシュ−ズも在籍していました。 また、トラディショナル・ミュ−ジック界の紅一点、華麗なる歌姫サンディ・デニ−も第2期フェアポ−ト・コンベンションに在籍し、このときのユニットが史上最強のフェアポ−ト・コンベンションであったと思います。その時のラインアップはヴォ−カルにサンディ−・デニ−、とイアン・マシュ−ズ、ギタ−にはもちろんリチャ−ド・トンプソンとサイモン・ニコル、そして、ベ−スには、これもまた脱退後に比類なき素晴らしさを誇ったトラディショナル・バンド スティ−ライ・スパンを結成する事になる、アシュレイ・ハッチングス、ドラムスがマ−ティン・ランブルというそうそうたるメンバ−だったからです。 マシュ−ズ・サザン・コムフォ−トを始めとしてフェアポ−ト・コンベンションを有名なグル−プが旅立っていきましたので、1つのロックバンドというよりもトラディショナル・ミュ−ジックのユニットのような存在だったと思うと、その全貌がわかり易いかもしれません。そして、不思議な事に1972年の第7期フェアポ−ト・コンベンションになりますと、初期のメンバ−は誰一人として残っていなかったので、もはや全然異質のバンドと呼んでよかったかもしれません。これまた不思議な事に同じ1972年当時に活躍していた、伝説のアルビオン・カントリ−・バンドをサイモン・ニコル、アシュレイ・ハッチングスを始めとする初期のフェアポ−ト・コンベンションのメンバ−が結成していたのですね。 こうなると何んだか訳が解かんなくなってしまいます。ですから結論を申せば、トラディショナル・ミュ−ジックに興味を持って門戸を開けると必ず彼らからスタ−トし、また最後には彼らに帰結するという輪廻転生を地で行くバンドだったといえるでしょう。
マグナカルタ SONGS FROM WASTIES ORCHARD
マグナ・カルタの奏でるトラディショナル・ミュ−ジックは余りにも美しすぎて、時として彼らが英国の伝統的な流れを汲むア−ティストであることを忘れてしまいそうになります。 それはトラディショナルに現代的な味付けがなされているというよりも、まったく新しい感覚に於いて生み出した、アコ−スティック・ミュ−ジックの源流を辿った時に、トラディショナルの風景が観えて来たと思えるほどなのです。僅か3人の若者達が生み出す音楽が、こんなにも多くの人達の心を和ませてくれるなんて、トラディショナル・ミュ−ジックに限らず、音楽そのものの素晴らしさに感謝したくなってしまいますね。マグナ・カルタはトラディショナルの形に囚われるのではなく、新しい精神を重んじているのではないでしょうか。その点でトラディショナルの大御所フェアポ−ト・コンベンションの作り出す音とは、かなり斬新で異質な趣を見せてくれます。 どちらかといえば、こちらも英国生まれながら、マシュ−ズ・サザン・コムフォ−トやアメリカのような洗練されたカントリ−ミュ−ジックやロックに共通する部分がありましたから。また、神聖な空気のように透き通った素晴らしいハ-モニ−と優しいアコ−スティックギタ−は、遠く離れたニュ−ヨ−クで活躍していたサイモン・アンド・ガ−ファンクルをも想像させてくれて、思わずハッとさせられてしまいます。そのような、不思議なセンスは何処に起因するのだろうと考えると、そう、プロデュ−サ−があのトニ−・ビスコンティであったのですね。彼はグラムロックの申し子T・レックスのプロデュ−サ−として一躍名を馳せ、当時は新しい時代を先導し飛ぶ鳥を落とす勢いのプロデュ−サ−であったはずなのですが、その彼が、どういった経緯でマグナ・カルタのプロデュ−スに関わったのか非常に興味が湧いてきます。ただひとつ思い当たることは、初期のT・レックスもエキゾチックでシュ−ルリアリスティックなアコ−スティック・ミュ−ジックを身上としていたということ。おそらくはマグナ・カルタとトニ−・ビスコンティとの接点はそのあたりに隠されているのだと思います。トラディショナル音楽の精神はイギリスの荒涼たる原野をわたる風のように静として、伝統の重みを称えています。それは、遥かアイルランドまでにも及んでいるケルティック・ミュ−ジックとも交差して、イギリスならではの格式を帯びた音楽として歴史の中に溶け込んでいるのでしょう。ただ、マグナ・カルタの演奏する歌にはそういった伝統に囚われることなく、斬新で美しい感覚を醸し出しながらトラディショナル・ミュ−ジックを表現していく姿勢があります。そして、彼らの美しすぎる事が欠点であると取られかねないほどに、心洗われ、魂を揺さぶられる旋律は、現代の私たちに届けられた天使達からの免罪符なのかもしれません。
スタックリッジ
大地に根ざしたトラディショナル・ミュ−ジックというよりも、そよ風のように爽やかな優しいメロディはビ−トルズの、それも、特にポ−ル・マッカ−トニ−の影響を強く感じてしまうスタックリッジ。それもそのはずプロデュ−サ−はあのジョ−ジ・マ−ティンなのですからね。当然と言えば当然ですよね。ジョ−ジ・マ−ティンは同じようなアコ−スティックロックバンドアメリカと同様に、こんなタイプのミュ−ジシャンを扱わせたら本当に天下一品でありました。これは、そんな彼らの3枚目のアルバム 山高帽の男。 それにしても、ビ−トルズが姿を変えて蘇ったのではないのかと、耳を疑うほどつぼを押さえたメロディ-ラインと素晴らしいハ−モニ−。研ぎ澄まされ、洗練されたポップな音の流れに時としてハッとするほど驚き、遠い昔の懐かしい感動が込み上げて来ます。そう、それはビ−トルズに初めて出合った時のように甘く切なく胸を焦がすような素晴らしさ。1970年代という百花繚乱の華やかな時代の中で、デビュ−から解散に至るまで、日本では殆ど売れなかったことが不思議に思えるほどめっけもんのバンドだったのです。当時のブロダクションサイドやレコ−ド会社のプロモ−ションがよほど悪かったのか、それとも登場して来た時代が悪かったのか、あと数年でもどちらかにずれていたら、きっとビックネ−ムに成り得た資質を充分に持っておりました。収録されている全ての曲がシングルヒットしても可笑しくないほどクオリティが高く、流石はと唸らせるほどのジョ−ジ・マ−ティンのブロデュ−スワ−ク。ともすればオ−バ−プロデュ−スになりがちなタイプのミュ−ジシャンだけに、一貫して押さえ気味に仕上げている姿にはとても好感が持てます。あくまでも、スタックリッジの備えている素質をそのままに表現しようとしたのでしょうね。それは取りも直さず彼らのレベルの高さを物語っています。こんな風に書いてしまうと、トラディショナル・ミュ−ジックとの接点は見当たらないように思えますが、よく聴いて見てくださいビ−トルズの影の少し裏側に聞き耳を立てると、草の香りと静寂な大地の息吹が感じられることでしょう。まるでイギリスの田園の情景を目の当りにしたようなほのぼのとした雰囲気を醸し出しています。ナロ−ボ−トに揺られて旅をしてみたい風景にピッタリの音なのかもしれませんね。伝統の重みや箔くまれてきた環境の違いがあるとはいえ、やはりスタックリッジもイギリスのミュ−ジシャンなのだなあと感心してしまいます。
スティ−ライ・スパン
フェアポ−ト・コンベンションを脱退したアシュレイ・ハッチングスが満を持して加入したスティ−ライ・スパン。トラディショナルに疎かった私は、このネ−ミングに接して始めはバンドの名前ではなくて人物の名前かなと思っておりました。フェアポ−ト・コンベンションの場合でもトラディショナルといいながらも、フォ−ク・ミュ−ジックへの傾倒やブル−スなんぞもちゃっかりと演奏していましたが、このスティ−ライ・スパンは凄かった。もうコテコテのトラディショナル・ミュ−ジックそのものでありまして、なんでそこまで演っちゃうのという感がありました。でも、これが心に染みて凄いんですね。トラディショナル・ミュ−ジックが本来内包している、素朴で力強い魅力をちゃんと理解していて、それを忠実に再現してくれたのです。イギリスの風土は日本などとは比べものにならないほど厳しいものなのでしょうが、その厳しさが人々の心を捕らえて離さないすばらしいメロディを生み、荒野に響き渡る逞しさと、哀愁のある音楽として語り継がれてきたのでしょうね。その旋律には遠く隔たっている日本人の魂をも打つ悲しげな響きに溢れています。そのことは多く歌がオリジナルではなくて古くから歌い継がれた民謡を取り上げていることにも起因しているのでしょう。時には荘厳な趣を醸し出し、心を洗われるような力強い音楽は聴き終った後に純朴で爽やかな印象を残してくれました。それは、本来音楽が音楽として民衆に愛されてきた理由なのですね。トラディショナル・ミュ−ジックから私がイメ−ジするのは、スコットランドやアイルランドの荒涼とした原野であり、その厳しい自然と一体となった心や感性が生み出した音楽であるという感覚があるのですが、実際はイギリス本土にしてもかなり幅広く多くの地域から育ってきているものなのでしょう。女性ヴォ−カリスト、マディ・プリア−の澄み切った歌声がスティ−ライ・スパンの奏でる旋律と見事にマッチして、素晴らしい作品を届けてくれたのです。トラディショナル・ミュ−ジックに興味をお持ちの方はぜひとも聴いてほしいグル−プだと思います。
ブリンズレ−・シュウォルツ
ブリンズレ−・シュウォルツはトラディショナルというよりもアメリカのル−ツ・ミュ−ジックに影響を受けたバンドであったと思います。ロックン・ロ−ルからカントリ−、ブル−ス、果てはスワンプ・ミュ−ジックに至るまで、極上のポップフレ−バ−で包んだブリンズレ−・シュウォルツ独特の軽快なル−ツ・ミュ−ジックを展開してくれました。聴いていて思わず体を揺らしながら口笛でも吹いてしまいたくなるほどの陽気で楽しげな演奏は、本物のカントリ−バンド以上カントリ−バンドらしくてニヤリとさせられてしまいます。その系統の音楽に目の無い方は溜まんないほどの飛びっきりでありました。ブリンズレ−・シュウォルツはイギリスのバンドでありながら、カントリ−ロックン・ロ−ルやル−ツ・ミュ−ジックの楽しさを心底理解していたのですね。先入観なしに聴いてしまうと殆どの人が生粋のアメリカンバンドと勘違いしてしまうことでしょうね。また、面白い事にアメリカのグル−プや風土でしか生まれないような哀愁を感じさせるカントリ−もそつなくこなして見せます。その徹底した傾倒ぶりも素晴らしく、この人達は半端なものではないなと思いました。また、時折ザ・バンドにも通じるウッドストック独特の土臭さやいぶし銀のような渋さも持ち合わせていて、なかなかどうしてア−シ−な感覚の基盤がしっかりしていたし、あれっ、これってCCRじゃあないのと思えてしまうポップな感性も非常にグッドでした。ただ、時折見せる霞のかかったような陰りのある旋律だけがイギリスのバンドなんだって感じさるくらいですね。ブリンズレ−・シュウォルツの中心となっていたのは後にパブ・ロックの立役者となるご存知ニック・ロウでありました。彼の作り出す軽快でカントリ−フレ−バ−満点の懐かしい気持ちさえ抱かせるメロディが、このバンドの生命線であります。ニック・ロウがどれほどアメリカのル−ツ・ミュ−ジックに憧れを抱いていたのか解かるのは、デビュ−アルバムの1曲目のタイトルをカントリ−・ガ−ルとしたことでも、その真髄が窺い知れると思いますね。それにしても、親しみのある天才ニック・ロウの作り出すメロディの旬謁さは郡を抜いていました。ですが、当時ブリンズレ−・シュウォルツは日本に於いては殆ど評価を受けずに終わってしまい、その後のパブ・ロック全盛の時代になってやっと陽の目を見ることになりまして、遅ればせながら再評価されたわけです。この人本当にカントリ−が好きだなと思わせるのは、歌によってはあのカントリ−・ミュ−ジシャンの独特な抑揚のきいた唄い口を披露してくれるのですね。ここまでやってくれるともう拍手喝采ものですよね。
マシュ−ズ・サザン・コムフォ−ト
トラディショナルから爽やかなカントリ−を夢見てフェアポ−ト・コンベンションを飛び出したイアン・マシュ−ズは、アシュレイ・ハッチングスらとこのマシュ−ズ・サザン・コムフォ−トを結成します。よほどアメリカへの憧れが強かったのかデビュ−アルバムではコロラド・スプリングス・エタ−ナルという軽快な歌を唄い、わが心の永遠のコロラド・スプリングスと賛美してその純真な心根を表していました。イギリスのトラディショナルとアメリカのカントリ−は同じ土に根ざしたル−ツ・ミュ−ジックであっても、やはりアメリカとイギリスの風土の違いか似て異なるものであることは皆さんご存知のとおりです。どうして、イアン・マシュ−ズの眼差しの彼方に広大なアメリカの原野が見えていたのかは知る由もないのですが、マシュ−ズ・サザン・コムフォ−トとして残してくれた3枚のアルバムの中には、ジェシ・ウィンチェスタ−やジョニ・ミッチェルを筆頭にアメリカのミュ−ジシャンの歌が多く含まれており、当時からよほどカントリ−・ミュ−ジックに傾倒して事が伺えます。また、ニ-ル・ヤングのテル・ミ−・ホワイ等はニ−ル本人が唄っているのかと錯覚するほどそっくりに歌い上げて、まるで彼らに対して敬意を表しているかのようでした。1970年という時代ですから双方の交流というのはほとんどなかった筈で、ジェシ・ウィンチェスタ−のブランド・ニュ−・テネシ−・ワルツという選曲はかなりのセンスがないとできなかったでしょうから。また、イアン・マシュ−ズの甘すぎる歌声もトラディショナルよりもカントリ−・ミュ−ジックにおいてこそ真価を発揮する歌声でありました。その水を得た魚のように生き生きと唄う姿には、流離いの果てにやっと安息の地へと辿り着いたイアン・マシュ−ズの思いが込められているような気がします。まるで、ここへやって来るために生まれたのだと言い聞かせるように。そんな思い入れの強さは、ともすれば気負いすぎて失敗に終わる事も多いのですが、マシュ−ズ・サザン・コムフォ−トの場合にはイアンの優しげな雰囲気も手伝ってか、霞のかかったような軽いサウンドに仕上がっており、充分にカントリ−フレ−バ−を満喫できたのです。マシュ−ズ・サザン・コムフォ−トを解散した後もイアン・マシュ−ズのアメリカへの傾倒や憧れは留まることなく、それからの素晴らしいソロアルバムへと引き継がれていきました。彼は冒頭に紹介したコロラド・スプリングス・エタ−ナルの中でこうも歌っていたのです、風に漂っていたみたいな僕、根をおろすところを捜し求めて漂う種、と。風のように漂いつづけたイアン・マシュ−ズ、彼が最後に根をおろしたのはいったい何処だったのでしょうか。
ペンタングル
数多いブリティッシュ・トラディショナルバンドの中でも極めてディ−プで異色な趣を感じさせてくれたのがペンタングルでした。まるでトラディショナルの深い森の中に迷い込んだような深遠なるトラッドミュ−ジックと、ジャズ、フォ−ク、プログレッシヴロックが混在した不思議な音楽は、トラディショナルのまったく新しい分野を開拓していたと思います。 ウッドベ−スのアコ−スティックな響きがジャズを意識させたかと思うと、ギタ−の素朴な音色と荒涼たる野性味がフォ−クを感じさせてくれるのです。 また、何時の間にかまるでサ−ド・イヤ−・バンドのようなシュ−ルな曲調さえ披露してくれました。 ペンタングルが築き上げる幻想的な空間はトラディショナルな音楽の究極の到達点なのかもしれません。 そう、彼らは聴き手側の心の状態や捕らえ方により様々な答えを用意していてくれたのですね。 彼らはデビュ−当時より、トラディショナルなバンドとしての位置付けがしにくいような多面性を有していました。 聴き込めば聴きこむほどその奥の深さに驚愕させられてしまうのです。 それはイギリス北部の厳しい原野そのままの思いを秘めていたのでしょうか。 ある種の幻想的な世界を構築し、まるで暗い雲の隙間から光が降り注ぐように、ペンタングルの音が降り注いできます。 彼らは1960年代後半より、ジョン・レンバ−ンとバ−ト・ヤンシュという2人の強力なフロント・マンに率いられて独自の音楽を形成していくのですが、この2人に加えてヴォ−カルのジャッキ−・マクシ−の存在も見逃せないでしょう。 トラッド・ミュ−ジック独特の暗く枯れたような旋律や垂れ込めたような音の流れと、時には神聖で荘厳でさえある雰囲気を、ジャッキ-の歌声が醸し出していたのです。 ペンタングルの代表作は、セカンドアルバムのスウィ−ト・チャイルドとサ−ドアルバムのバスケット・オブ・ザ・ライトでしょう。 まるで異邦人の侵入を拒むような真摯な旋律と哀愁感溢れる音楽が、トラディショナル・ミュ−ジックの奥深さを認識させてくれます。
バ−ト・ヤンシュ
ペンタングルの至宝、バ−ト・ヤンシュは数多くのソロアルバムをリリ−スしていますが、このム−ンシャインはその中でも傑作の誉れ高き作品です。 長いこと入手困難であったために隠れた名盤として、トラディショナルファンからは羨望の的でありましたが、最近では嬉しい事に日本盤も発売されています。 バ−ト・ヤンシュがこのアルバムを発表した1972年頃というのは、母体となっていたペンタングルの終焉を迎えていた時期であり、精神的にはかなりハ−ドな時期ではなかったのかなと思います。 しかしながら、この作品からはそんな暗澹たる気配は微塵も感じられず、むしろ静やかで壮美な世界が繰り広げられていました。 心洗われるような旋律とバ−トの淡々とした歌の中に、私たちは英国トラディショナル・ミュ−ジックの奥行きを感ぜずにはおられません。 このアルバムを聴き終わった後に訪れる爽やかな解放感と清涼感というものは一体何なのでしょう。 魂を触発されて新たな旅立ちを決意したくなるような希望に溢れています。 それは、根源的な本能を擽ってくれるからなのでしょうか。 かのトニ−・ヴィスコンティ−のストリングスもこのアルバムの面持ちを保つ重要な役割を担っていました。 彼の見事なストリングスアレンジはバ−ト・ヤンシュの清楚な作品に優雅な雰囲気を与えているのです。 また、意外なことにアップルの歌姫、メリ−・ホプキンも1曲だけですがヴォ−カルで参加したりしています。 一般的にトラディショナル・ミュ−ジックというものは、独特な世界があって取り付きにくい印象を感じてしまうのですが、このアルバムはその為にロック・ミュ−ジックとしても観賞できる幅の広さがありました。 多分、多くのトラディショナル・ミュ−ジックの中でも名作として後世にまで伝えられる作品でありましょう。
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